古文読解のポイント


①まずは、直訳の徹底。直訳のスピードアップ=速読力UP=偏差値UPである。
 →特に、付属語(助詞と助動詞)の複合箇所は、スピードを落として直訳したうえで、意味をとる
②次に、主体判定の徹底。述語から推測するのが基本だが、それでも厳しければ、「接続助詞」や「尊敬語の有無」に注目する。

 →知識の及ばないところも文脈判断
③(選択式の問題の場合)設問と選択肢、本文と選択肢の対応を丁寧に確認する
【1】東国に下ったはの家に滞在中、浦風に乗って聞こえてきた琴の音を頼りに守の娘のもとを訪れ、一夜を過ごした。以
下の文章は、それに続くものである。これを読んで、後の問に答えよ。(センター試験2013年第3問)

つとめて、御文やらせ給はんも、せん方のおはしまさねば、いと心もとなくて過ぐし給ひけり。
(『松陰中納言物語』)

問題一覧

問 傍線部の解釈として最も適当なものを、①~⑤のうちから一つ選べ。

① そんなに気にも留めずに見過ごしていらっしゃった
② たいそう気をもんで時を過ごしていらっしゃった
③ ひどく不安に思ってそのままにしていらっしゃった
④ それほど楽しくもないまま過ごしていらっしゃった
⑤ たいへんぼんやりと日を送っていらっしゃった

【2】次の文章は『狭衣物語』の一節である。狭衣大将の家は、粥杖で打ち合う遊びでにぎわっている。粥杖の遊びは正月十五日の行事で、
粥を炊く薪で作った杖で女性の腰を打つと、打たれた女性に子供ができると信じられていた。ここでは、男性をも打って、その男性に
子供ができることを話題にしている。これを読んで、後の問いに答えよ。(1994年センター試験第3問)

 かやうに年もかへりて、十五日にもなりけり。大将の御方には、女君の御姿などこそあらたまるしるしとても(注)はなやかならね、殿の御方にもとより候ひし人々は、衣の色ども春の錦をうち重ねたり。
 さまざまな祝ひ過ぐしつつ、果ての十五日には、若き人々ここかしこに群れ居つつ、をかしげなる粥杖ひき隠しつつ、かたみにうかがひ、また打たれじと用意したる居ずまひ、思はくどもも、おのおのをかしう見ゆるを、大将殿は見給ひて、「まろをまづ集まり打て。さらばぞ誰も子はまうけむ。Aまことにしるしあることならば、痛うとも念じてあらむ」などのたまへば、みなうち笑ひたるに、「Bいとど、今はさやうなるあぶれもの、出で来まじげなる世にこそ」と、うちささめくもありけり。

(注)はなやかならね――女君は母君の喪に服しているため、いつもの正月よりは地味な服装をしているのである。



問一 傍線部A「まことにしるしあることならば、痛うとも念じてあらむ」の解釈として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

  ① 本当に粥枝のききめがあるのならば、痛がらずに祈り続けよう。
  ② 本当に粥杖のききめがあるのならば、痛くてもがまんしていよう。
  ③ 本当にその証拠の粥杖があるからには、痛くてもがまんしていよう。
  ④ 本当にその証拠の粥杖があるからには、痛がらずに祈り続けよう。
  ⑤ 本当に粥杖のききめがあるので、痛くても祈り続けよう。

問二 傍線部B「いとど、今はさやうなるあぶれもの、出で来まじげなる世にこそ」という女房の発言が意味する内容の説明として、最も適
当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

  ① 狭衣大将を粥杖で打って、狭衣大将の子を生もうとするような、積極的な女房なんてますます出てくるはずのない、厳格な時代だと
   いうこと。
② 狭衣大将を粥杖で打って痛がらせるような、乱暴者の女房なんてますます出てくるはずのない、平穏な世の中だということ。
③ 狭衣大将を粥杖で打って痛がらせるような、いたずら好きの女房がますます出てきかねない、おもしろい世の中だということ。
④ 狭衣大将を粥杖で打って、狭衣大将の子を生もうとするような、常識はずれの女房なんてますます出てくるはずのない、円満な夫婦
仲だということ。
⑤ 狭衣大将を粥杖で打って、狭衣大将の子を生もうとするような、抜け目ない女房がますます出てきかねない、不安定な夫婦仲だとい
うこと。

【3】次の文章は、北国の山寺に一人もって修行する法師が、雪に閉じ込められ、飢えに苦しんで観音菩薩に救いを求めている場面から始
まっている。これを読んで、後の設問に答えよ。(2003年東京大学文理共通)

「などか助け給はざらん。高き位を求め、重き宝を求めばこそあらめ、ただ今日食べて、命生くばかりの物を求めてべ」と申すほどに、の隅のれたるに、に追はれたる鹿入り来て、倒れて死ぬ。ここにこの法師、「ア観音の賜びたるなんめり」と、「食ひやせまし」と思へども、「年ごろ仏を頼みて行ふこと、やうやう年積もりにたり。イいかでかこれをにはかに食はん。聞けば、生き物みなの世の父母なり。われ物しといひながら、親のをりて食らはん。物の肉を食ふ人は、(注)仏のを絶ちて、地獄に入る道なり。よろづの鳥も、見ては逃げ走り、じ騒ぐ。菩薩も遠ざかり給ふべし」と思へども、この世の人の悲しきことは、後の罪もおぼえず、ただ今生きたるほどの堪へがたさに堪へかねて、刀を抜きて、左右のの肉を切り取りて、に入れて食ひつ。その味はひのきこと限りなし。
 さて、物の欲しさもせぬ。力も付きて人心地おぼゆ。「ウあさましきわざをもしつるかな」と思ひて、泣く泣くゐたるほどに、人々あまた来る音す。聞けば、「この寺に籠もりたりしはいかになり給ひにけん。人通ひたる跡もなし。エ参り物もあらじ。人なきは、もし死に給ひにけるか」と、口々に言ふ音す。「この肉を食ひたる跡をいかでひき隠さん」など思へど、すべき方なし。「まだ食ひ残して鍋にあるも見苦し」など思ふほどに、人々入り来ぬ。
 「オいかにしてか日ごろおはしつる」など、りを見れば、鍋にの切れを入れて煮食ひたり。「これは、食ひ物なしといひながら、木をいかなる人か食ふ」と言ひて、いみじくあはれがるに、人々(注)仏を見奉れば、左右の股を新しくり取りたり。「これは、この聖の食ひたるなり」とて、「いとカあさましきわざし給へる聖かな。同じ木を切り食ふものならば、キ柱をも割り食ひてんものを。など仏をなひ給ひけん」と言ふ。驚きて、この聖見奉れば、人々言ふがごとし。「クさは、ありつる鹿は仏の験じ給へるにこそありけれ」と思ひて、ありつるやうを人々に語れば、あはれがり悲しみあひたりけるほどに、法師、泣く泣く仏の御前に参りて申す。「もし仏のし給へることならば、もとの様にならせ給ひね」と返す返す申しければ、人々見る前に、もとの様になり満ちにけり。         (『古本説話集』)
  〔注〕 ○仏の種を絶ちて――成仏する可能性を絶って。
      ○仏――ここでは観音菩薩像のこと。

(一)傍線部ア・イ・エ・オ・キを現代語訳せよ。

(二)傍線部ウおよびカの「あさましきわざ」は、それぞれどのような内容を指すか、簡潔に記せ。

(三)傍線部クについて、具体的な内容がわかるように、現代語訳せよ。

※ 設問(三)の解答欄はヨコ0.8cm、タテ13.6cmの枠、1.5行分。他はすべて1行分。

【4】次の文章は、左大将邸で催されたで、源仲頼(少将)が、左大将の、あて宮(九の宮)をかいま見た場面である。これを読んで後の設問に答えよ。(2009年東京大学文理共通)

 かくて、いとおもしろく(ア)遊びののしる。仲頼、二つが狭間より、のうちを見入るれば、のに、こなたかなたの君たち、数を尽くしておはしまさふ。いづれとなく、あたりさへ輝くやうに見ゆるに、も消えまどひてものおぼえず、「あやしくきよらなる顔形かな」と、心地空なり。なほ見れば、あるよりもいみじくめでたく、あたり光り輝くやうなる中に、天女降りたるやうなる人あり。仲頼、「これはこの世の中にたる九の君なるべし」と思ひよりて見るに、せむ方なし。限りなくめでたく見えし君たち、この今見ゆるに合はすれば、(イ)こよなく見ゆ。仲頼、「いかにせむ」と思ひまどふに、今宮ともろともに母宮の御方へおはする御後手、姿つき、たとへむ方なし。「にさへこれはかく見ゆるぞ」。少将、思ふにねたきこと限りなし。「(ウ)われ何せむにこの御簾のうちを見つらむ。かかる人を見て、ただにてやみなむや。いかさまにせむ」。生けるにも死ぬるにもあらぬ心地して、例の遊び、はた、まして心に入れてしゐたり。夜ふけて、、たちもものかづきひて、いちのまでものかづき、なんどしてみな立ち給ひぬ。
  仲頼、帰るそらもなくて、家に帰りて五六日、(エ)がしらももたげで思ひふせるに、いとせむ方なくわびしきこと限りなし。になくめでたしと思ひしも、ものともおぼえず、かたときも見ねば恋ひしく悲しく思ひしも、前に向かひゐたれども、目にも立たず。身のならむことも、すべて何ごとも何ごとも、よろづのこと、さらに思ほえであるときに、「などか常に似ず、まめだちたる御けしきなる」といふ。少将、「御ためにはかくまめにこそ。(オ)あだなれとやおぼす」などいふけしき、常に似ぬときに、女、「いでや、あだごとはあだにぞ聞きし松山や目に見す見すも越ゆる波かな」
といふときに、少将(カ)思ひ乱るる心にも、なほあはれにおぼえければ、
「浦風のを吹きかくる松山もあだし波こそ名をば立つらし
あがほとけ」といひて泣くをも、(キ)われによりて泣くにはあらずと思ひて、親の方へぬ。
(『うつほ物語』)
  〔注〕
   ○こなたかなたの君たち――大将家の女君たち。
   ○今宮――仁寿殿の女御(あて宮の姉)腹の皇女。左大将の孫にあたる。
   ○母宮――あて宮の母。
   ○あだごとはあだにぞ聞きしーあなたの浮気心は、いい加減なと聞いていました。
   ○松山――の。本文の二首の歌は、ともに、『古今和歌集』の「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ
(もし、あなた以外の人に、私が浮気心を持ったとしたら、あの末の松山を波も越えてしまうでしょう。そんなことは決してあ
りません)」を踏まえる。
   ○あだし波こそ名をば立つらし――いい加減な波が、根も葉もない評判を立てているようです。

(一)傍線部(ア)・(ウ)・(オ)を現代語訳せよ。

(二)「こよなく見ゆ」(傍線部イ)について、必要な言葉を補って現代語訳せよ。

(三)「かしらももたげで思ひふせる」(傍線部工)とあるが、どのような様子を述べたものか説明せよ。

(四)「思ひ乱るる心にも、なほあはれにおぼえければ」(傍線部力)を、状況がわかるように現代語訳せよ。

(五)「われによりて泣くにはあらずと思ひて」(傍線部キ)を、必要な言葉を補って現代語訳せよ。

※ 設問(二)(四)は文科のみ。解答欄はすべてヨコ0.8cm、タテ13.6cmの枠、1行分。
【5】次の文章は、唐土へ出立する息子を思う母のものである。作者は成尋のもとにいたが、門出の直前にそこから仁和寺へと移された。そのことを嘆き、作者は成尋に別れを悲しむ歌を送った。その翌朝、成尋から手紙をもらったところから、この文章は始まる。結局成尋は、母に会わずに出発してしまった。これを読んで、後の設問に答えよ。

 その、文起こせ給へる、つらけれど急ぎ見れば、「夜のほど何事か。昨日の御文見て、夜もすがら涙もとまらず侍りつる」とあり。見るに、文字もたしかに見えず。涙のひまもなく過ぎ暮らす。
 からうじて起き上がりて見れば、仁和寺の前に、梅の木にこぼるるばかり咲きたり。居る所など、みなし置かれたり。(ア)心もなきやうにて、いづ方西なども覚えず。目もりわたり、夢の心地して暮らしたるまたの朝、京より人来て、「今宵の夜中ばかり出で給ひぬ」と言ふ。起きあがらで、言はん方なく悲し。
 またの朝に文あり。目も見あけられねど、見れば、「参らんと思ひ侍れど、(イ)夜中ばかりにで来つれば、返す返すなく」とあり。目もくれて心地も惑ふやうなるに、送りの人々集まりて慰むるに、ゆゆしう覚ゆ。「やがてと申す所にて船に乗り給ひぬ」と聞くにも、おぼつかなさ言う方なき。
   船出する淀のも(ウ)浅からぬ心をみて守りやらなむ
と泣く泣く覚ゆる。
「(エ)あさましう、見じと思ひ給ひける心かな。あさましう」と、心憂きことのみ思ひ過ぐしかば、また、「(オ)この人のまことにせんと思ひ給はんことたがへじ」など思ひしことの、に従ひて、(カ)かかることもいみじげに泣き妨げずなりにし、この日ごろの過ぐるままにくやしく、「手を控へても、居てぞあるべかりける」とくやしく、涙のみ目に満ちて物も見えねば、
 しひて行くを惜しむ別れに涙もえこそとどめざりけれ
(『成尋阿闍梨母集』)

〔注〕 ○八幡――京都府南西部の地名。淀川に面し、石清水(男山)八幡宮がある。

(一) 傍線部ア・ウ・エ・オを、わかりやすく現代語訳せよ。
(二) 傍線部イを、事情がよくわかるように現代語訳せよ。
(三) 傍線部カはどのような作者の心情を述べたものか、説明せよ。

※ 設問(二)・(三)の解答欄はそれぞれヨコ0.8cm、タテ13.6cmの枠、1.5行分。

解答


【1】問 ②

《現代語訳》
(女君と一夜を過ごした)その翌朝、(右衛門督は女君に)御手紙をおやりになろうにも、その手立てがおありでないので、たいそう気をもんで時を過ごしていらっしゃった。【2】問一 ②  問二 ④

《現代語訳》
 こんなふうで新しい年が明けると、狭衣大将のお屋敷では、女君のお姿などは(母君の喪中ということで)新年になったからといって、華やかな装いではないが、狭衣大将殿のお屋敷にもとからお仕えしていた女房たちは、衣装の色合いも春の錦というのにふさわしく、晴れ着を何枚も着重ねていた。
(元旦から)新年を祝うさまざまな行事を続けて、今日で正月(の行事)も終わりとなる十五日には、若い女房たちがここかしこに三々五々たむろして、しゃれた感じの粥杖を隠し持って、互いに相手のすきをうかがったり、また打たれまいと用心している身構えやら駆け引きやらも、それぞれに興味深く見られるのであるが、その様子を大将殿は御覧になって、「私を、先ずみんなで打つがいいよ。そうすれば誰もみんな、私の子を生むことになるんだろうよ。本当に粥杖の効き目があるのだったら、(私は)痛くても我慢していよう」などと、冗談をおっしゃると、女房たちはみんな笑ったが、「今は、狭衣大将を粥杖で打って、大将の子を生もうとするような、常識外れの女房なんて、ますます出てくるはずもない、円満な夫婦仲でいらっしゃいますものね」とささやく女房たちもあった。【3】
(一)ア 観音様がくださったものであるようだ
   イ どうしてこれ(この鹿の肉)をすぐに食べることがで
きようか、いやできない
   エ 召し上がるものもないだろう
   オ どのようにして数日過ごしていらっしゃったのだろう
     か
   キ 柱を割って食べてしまえばよいのに
(二)ウ 法師の身であるにもかかわらず、鹿の肉を食べたこと
   カ 法師が観音菩薩像の股を削って食べてしまったこと
(三)先ほど私が食べた鹿は、仏が化身して霊験をお示しになっ
たのであるなあ

《現代語訳》
 「どうして(観音様は)助けてくださらないのだろう。(私が)高い位(につくこと)を求めたり、立派な宝を求めたりするならばともかく、ただ今日口に入れて、命が助かる程度の物を探してお与えください。」と申し上げているときに、(この寺の)西北のすみの荒れて破損した所に、狼に追われた鹿が入って来て、倒れて(しばらくして)死んだ。そこでこの法師は、「観音様がくださったもののようだ」と思って、「食べようか、どうしようか」と思うが、「長年仏を信じて修行することが、次第に年が重なった。どうしてこの鹿を急に食べようか。聞くところによれば、生物は皆、前世では自分の父母である。私は食い物が今欲しいけれど、(前世の)親の肉を切り裂き食べてよかろうか。生き物の肉を食べる人は、成仏する可能性を絶って、地獄に入るきっかけとなるのである。(そういう人に対しては)すべての鳥や獣も、見ると逃げて走り、恐れ騒ぐ。仏も(縁なき衆生として)見捨てなさることであろう」とは思うが、現世の人の悲しいことといったら、来世の罪障となることも考えず、現在生きているときのこらえ難い空腹に堪えれず、刀を抜いて、(鹿の)左右の股の肉を切り取って、鍋に入れて煮て食べた。その味のおいしさはこのうえもない。
 さて、(食べ飽きて)食欲もなくなった。力について生き返ったような気持になった。「あきれ返ったことをもしてしまったなあ」と(法師は)思って、泣きながら座っていたときに、人々が大勢来る声がする。聞くと、「この寺に籠もっていた上様はどうおなりになったであろうか。人の来て通った足跡もない。召し上がり物もあるまい。人の気配がないのは、ひょっとすると亡くなりなさったのだろうか」と、口々に言う声がする。(法師は)「あの肉を食った跡を何とかして隠そう」などど思うが、どうしたらよいか、その方法もない。「まだ食べ残して鍋に残っているのもみっともない」などど思っているうちに、人々は入って来た。
 「どのようにして数日を過ごしていらっしゃったのか」などど言って、まわりを見まわすと、鍋に檜の切れ端を入れて煮て食ったあとがある。「これは、食べ物がないとはいいながら、木を誰が食べようか、(驚いたことだ)」と言って、ひどく同情しているうちに、人々が仏(観音菩薩像)を見申し上げると、左右の股をなまなましくえぐり取ってある。「これは、この上様が食べたのである」と思って、「実に驚きあきれたことをなさった上人様よ。同じ木を切って食うなら柱でも割り裂いて食べたらよいのに。どうして仏をこわしなさったのだろうか」と言う。驚いて、この法師が(仏を)見申し上げると、人々が言うとおりである。「それでは、さっきの鹿は仏が霊験によって変化なされたものだったのだなあ」と思って、先ほどの事情を人々に語ると、人々は、身にしみて感動し悲しく思い合っているうちに、法師が、泣きながら仏の御前に参って申し上げる。「もし(先ほどのことが)仏のなさったことならば、もとのようにおなりになってください」と繰り返し繰り返し申し上げたところ、人々が見ている前で、(仏は)、もとの様子になり整ったのであった。【4】
(一)ア 音楽を演奏して大騒ぎする。
   ウ 自分は何のだめにこの御簾の中を見たのだろうか。
   オ 浮気をしろとでもお思いですか。
(二)格段に容貌が劣って見える。
(三)仲頼が、九の君への恋煩いで頭も上げられないほど思い悩ん
で寝込んでいる様子。
(四)九の君を恋してあれっこれと思い悩む心の中にも、
(五)自分の浮気を疑う妻のことがやはりしみじみといとしく思わ
れたので。
(五)妻は仲頼が自分を恋しく思うために泣くのではなく、浮気に
思い悩む苦しさに泣いていると思って

《現代語訳》
 こうして、たいそう楽し<音楽を演奏して大騒ぎをする。仲頼が、扉風が二つ立ててある間から、御簾の中を覗<と、母屋の東側に左大将家の女君たちが残らずおいでになる。どのお方ということなく、周囲までも輝<ように見えるので、(仲頼は)気を失わんばかりに夢中になり、不思議なほど美しい容貌だなあと、心も上の空である。さらに見る
と、そここいる他の女君たちよりもすばらしく美しく、周囲が光り輝<ような中に、天から降った天女のような人がいる。仲頼は、このお方が世間で評判の高い九の君なのだこう、と心惹かれて見るが、どうにもしようがない。この上なく美し<見えた他の女君たちも、この今見えている九の君己比べると、格段に劣って見える。仲頼がどうしよう」
かと当惑していると、今宮と一緒に母宮の方へいらっしゃる後ろ姿、そのご様子が、他こたとえようもないほど美しい。灯火に照らされた姿までもこの方はこのように美しく」見えるのだ。仲頼少将の思いは悔しいことこの上ない。自分は何のためにこの御簾の中を見たのだろうか。このよう」な人を見て、何事もな<終わってしまうのだろうか。どうしようか。(そう思うと仲頼は自分が)生きているのでも死んでいるのでもない気持がして、いつもの音楽を、さらにいっそう熱中して演奏していた。夜が更けて、上達部や親王たちもご褒美をいただきなさって、一介の舎人までご褒美をいただき、祝儀などをいただいて、みな退出なさった。
 仲頼が、心も上の空で帰り、家に帰って五、六日は、頭も上げないで思い悩み寝込んでいたが、(九の君を思って)本当にどうしようもなく苦しいことはこの上ない。類なく美しいと思った妻も、(今は)何とも思えなく、わずかの間も会わないと恋しく悲し<思ったのに、眼の前で面と向かい合っていても、目にも入らない。自分の身がどうなることか、すべて何事も何事も、万事のことが、まったくわからないでいる時に、(妻が)「どうしていつもと違って、まじめ<さったお顔をしているのですか」と言う。少将が、「あなたのためここのようにまじめな顔をしているのです。浮気をしろとでもお思いですか」などと言う様子が、いつもと違っているので、妻が、「さあ、どうでしょうか、
〈あだことは … あなたの浮気心は、いい加減な噂と聞いていました。しかし今、決して波が越えないという末の松山を、見ているうちに波が越えるように、決して浮気をしないというあなたの浮気心も目に見えます〉」
と言うと、少将は、九の君への思いであれこれ悩む心の中にも、やはり妻がしみじみといとしく思われたので、「〈浦風の… 浦風が藻を吹きかけている末の松山は、波が越えたわけではなく、私も浮気などしていません。 いい加減な波が、根も葉もない噂を立てているようです〉
いとしいあなたよ」
と言って泣くが、それをも、(妻は)自分のために泣くのではないと思って、実家に行ってしまった。
【5】
(一)ア 悲しみのために然としていたようで、どちらの方角が極
楽浄土がある西の方かもわからない。
   ウ 私の、成尋を深<思っている心を汲んで、守ってやってく
れればいいなあ。
   エ あきれたことに、成尋は、私に会わないで出かけること
にしようとお思いになった心ようだなあ。
   オ この人が、心から成し遂げようと思っていらっしゃるこ
とを邪魔しないようにしよう。
(二)夜中時分に (船着き場近くの、こちらに)やってまいりまし
ので、何度思っても思っても落ち着いた気がしませんで(母上
の所に伺えません)。
(三)成尋が唐土へ出立するのを、ひどく泣いて、思いとどまらせる
ことが結局できなかったことを、ここ数日来、後悔している心
情。

《現代語訳》
 その翌朝、(成尋から)手紙をおよこしになった。つらいけれども、急いで見ると、「夜の間(=昨夜)は、いかがでしたでしょうか。昨日のお便りを見て、一晩中涙も止まりませんでした」とある。はっきりとは見えない。涙の(とどまる)暇もなく、(その手紙を)見ると、文字もはっきりとは見えない。涙の(とどまる)暇もなく、(その)一日を過ごす。
 やっとのことで、起き上がって見ると、仁和寺の前には、梅の木に(花が)こほれるばかり咲いていた。(私が)いる部屋などは、すべて整えられていた。(悲しみのため)若然としていたようで、どちらの方角が (極楽浄土がある)西の方ともわからない。目も(涙で)一面に霧がかかった」ようであり、夢のような感じがして暮らしていた、その翌朝、京から人がやって来て、「昨夜のまだ暗いうちに(成尋様は)お出になった」と言う。起き上がることができなくて、表現するような方法がないぐらい悲しい。またその翌朝〔=翌々朝〕に(成尋から)手紙が来る。目も開けることができないけれども、見ると、「伺おうと思っておりましたが、夜中時分に(船着き場近くの、こちらに)やってまいりましたので、何度思っても思っても落ち着いた気がしませんで(母上の所に伺えません)」と書いてある。目の前も暗<なって気持ちも惑うようになっているところに、(成尋の) 見送りに行っていた人々が集まって(私を)慰めて<れるのだが、ひど<つらく思われる。「すぐに、八幡と申します所で船にお乗りになりました」と聞くにつけても、もどかしさは言いようもない。
〈船出する … 船出をする淀川の神様も、 (川の水が深いように、
私の、成導を)深<思っている心を汲んで、守って
やってくれればいいなあ〉
と泣きながら思われる。
「あきれたことに、(成尋は、私に)会わないで出かけることにしようとお思いになったに心であるなあ。あきれたことで」と、心につらいことばかり思って過ごしていたので、また一方では、「この人〔=成尋〕が、心から成し遂げようと思っていらっしゃることを邪魔しないようにしよう」などと思っていたことが、阿闇梨(の考え)に従って、このようなこと 〔=渡宋〕 に対しても(私が)ひどく泣いて妨げることもしないで終わってしまったことが、この数日を過ぎるにつれて後悔され、「手を捕らえてでも、座りこんで(行かせないで)いるのがよかった」と後悔され、涙ばかりがあふれて、物を見ることができないので、
〈しひて行く … 反対を押しきってあえて出かけてしまった船路
だが、その別れを惜しむ旅立ちに際して、(とう
とう成尋を引き止めることができなかったばか
りか、私は自分の) 涙までもとどめることがで
きなかったなあ〉











古文読解基礎

【1】読み方の基本
1「リード文」や「注」など、現代語で書かれた箇所を見逃さない
現代文では「注」は役に立たないことが多いですが、古文では有益な「注」が多く、ましてや、解答の根拠となることもあります。必ずチェックしてください。そ
して、加えてリード文もしっかり読んでおいてください。「読解時に必要」だからこそ、補助的な説明=リード文を入れているのです。なお、いろんな古典を
普段から積極的に漁っているという人は、作品名や作者を確認するだけでイメージがかなり湧くと思いますから、それもやるといいですね。
2主語・述語の把握を基本として、読み進める
「ストーリー性のある文章」においては、とにかく「誰が何をしたか」を把握することに集中して読み進めていくことになります。
3基本的には、分かる部分だけ「拾い読み」する
学校の授業ではすべての文章を現代語訳する形をとると思いますが、受験古文においては全訳の必要はありません。「全訳禁止令」というルールがあると思っても
いいくらいです。基本的な単語・文法の知識で訳せる部分だけ訳し、それをもとに話を追いかけていくのが基本です。

2

【2】主体判定の基本
1基本的には、述語から考える
細かなテクニックに走る前に、まずはこれです。文末に来る述語(=用言=動詞・形容詞・形容動詞)を見て、「この動作を行うことが出来るのは誰か?」「この心
情を抱くことが出来るのは誰か?」と頭を働かせてください。
2接続助詞に注目する
  • 「て」「で」「つつ」の前後→ 主語は99%不変
  • 「を」「に」「が」「ど」「ば」の前後→ 主語が変わりやすい(70%)
後者のほうについては、あまりあてになりませんね。困ったときの最終手段として利用してください。
3敬語に注目する
「尊敬語」の有無によって主体判定を行う方法があります。基本的には、
  • 地の文→ 尊敬語が2個あれば皇族、1個なら皇族ではない高貴な人、0個なら身分の低い人or自分が主語
  • 会話文→ 尊敬語があれば相手、尊敬語がなければ自分が主語
この他にも、リード文、注、作品のジャンル(例「日記」なら作者が主語のことが多い)が手がかりとなって主語が分かることがあります。

3

【3】和歌の解釈の基本
和歌の解釈をするときに、ひたすら「修辞」(掛詞、枕詞、縁語など)の発見にこだわろうとする人がいますが、それだけでは和歌の内容への理解は深まりませ
ん。和歌の解釈の基本は、以下の2点です。
1出来る限り分解し、分かるところを見つける
2前後の文脈(=その和歌の本文中での位置付け)を把握する○基本的に、評論文のテーマは次の通りです。今回の

【4】古文のジャンル
1説話→ 何らかの教えを説く話。
2物語→ 複数の登場人物の行動によって描かれたストーリー性のある話。
3日記→ 作者が自身のことを振り返ったもの。
4随筆・評論→ 現代文同様に、あるテーマに対して何らかの主張を持ったもの。

4

1センター試験2013年本試験+α~基本確認1~
A東国に下った右衛門督(うえもんのかみ)は下総守(しもうさのかみ)の家に滞在中、浦風に乗って聞こえてきた琴の音を頼りに守の娘
のもとを訪れ、一夜を過ごした。以下の文章は、それに続くものである。これを読んで、後の問に答えよ。〔3分〕

つとめて、御文やらせ給はんも、せん方のおはしまさねば、いと心もとなくて過ぐし給ひけり。

(『松陰中納言物語』)
問傍線部の解釈として最も適当なものを、1~5のうちから一つ選べ。
1そんなに気にも留めずに見過ごしていらっしゃった
2たいそう気をもんで時を過ごしていらっしゃった
3ひどく不安に思ってそのままにしていらっしゃった
4それほど楽しくもないまま過ごしていらっしゃった
5たいへんぼんやりと日を送っていらっしゃった
()

5

B次の文の空欄内の語を正しく活用させて答えよ。なお、空欄内に書かれた語は終止形である。〔3分〕
例:男ぞ寝(ぬ・けり)。→ 答:にける
(1)このかみ(なり・き)ば、(受く・ぬ・まし)ものを...
()()

(2)(たぶ・むず・なり・めり)。
()

(3)兼家が(書く・り)扉、いと(をかし・けり)。
()()

6

2成蹊大学文学部2003年~基本確認2~

次の文章を読んで、後の問いに答えよ。〔20分〕

おそく出でて、「 明日も日暮れぬべし」 と言へば、(1)夜もすがら舟をこぐに、(2)二十日の月なれば、更くるままに澄みまさりてお
もしろきに、みな人寝Aぬれば、一人起き居て見るに、影も流るると見ゆる月は、(3)なほこそおくれざりけれ。よろづを思ひつづくる
に、果てはもの恐ろしき心地して心細し。「 注1虫明(むしあけ)の瀬戸に」 と言ひけん昔物語さへぞ、あはれに思ひ出でらるる。人、
(4)おどろきて、「 はるかにも来にけるかな」 と、「 道も恐ろしかんBなるを、いづくにか泊まる【X】。」 など言ふ。柱本といふ所に
着きぬ。(5)あさましうをかしげなる家ども、川の面に造りつづけたる所に泊まりぬ。かかる住まひはいかならんなど思ふもあはれな



けぬと言へば、また舟に乗る。夜もすがら一人眺めし月は、明けゆく霧に光も(6)さびにけり。ほのかに消え残りたる気色に、
(7)心づくしげなる秋の空なるは、もの悲しき心地するに、あまり夜深く出でて、逢ふ舟もなきに、霧にかすみてほのかに来るを、近
くなるままに見れば、(8)はかなき木を組みて、乗りて行くものあり。「何ぞ」と問へば、「 筏(いかだ)と申すものにはべる。」 と言ふ。
(9)あだなるさまもはかなくあはれなり。

7

(10 )朝霧も晴れぬ川瀬に浮きながら過ぎゆくものは筏なりけり
注2水無瀬(みなせ)といふ所を過ぐるに、「これなん昔御所にて、(11 )いみじかりしも、今かくなりぬる。あはれにはべる。」と古めかし
き物語する者あれば、
浅からぬ昔のゆゑを思ふにも(12 )水無瀬の川に袖ぞぬれぬる
帰りて後、あはれなりし(13 )すさみも、恋しくも忘れがたく。

(『中務内侍日記』による)

注1虫明の瀬戸... 現在の岡山県邑久郡の沖合の海峡。『狭衣物語』の女主人公の一人、飛鳥井の女君が、道成という男の求婚を拒
んで、この虫明の瀬戸で入水(じゅすい)しようとした。
2水無瀬... 現在の京都府と大阪府の境を流れる水無瀬川とその一帯。『伊勢物語』では惟喬親王の離宮として名高く、また『新
古今和歌集』の時代には後鳥羽院の離宮として知られた。

一傍線部(1)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)の現代語訳として最も適当なものを次の中から一つ選び、その記号をマークし
なさい。
(1)夜もすがら
ア夜遅い気分イ夜も昼もウ一晩じゅうエ深夜近くにオ夜明け近くに()

8

(3)なほこそおくれざりけれ
アしかし遅れても来たイやはり背後にいなかったウしばらくは遅れなかった
エずっと後についてきたオどんどん先回りしてきた()
(4)おどろきて
アびっくりしてイ意外に思ってウ目を覚ましてエ立ち上がってオ感動を起こして()
(5)あさましう
ア思いのほかにイ手狭な感じにウ下賤なふうにエ思慮が浅くてオむさくるしく()
(6)さびにけり
ア悲しくなってしまったイ弱く薄れてしまったウ趣深くなってしまった
エ明るくなってしまったオ俗っぽくなってしまった()
(7)心づくしげなる秋の空
ア将来を不安に思わせる秋空イ万事に思慮を働かせる秋空ウすべてに分別をさせる秋空
エ多くの物思いをさせる秋空オ暗く悲しいと思わせる秋空()
(8)はかなき木
ア重く沈みそうな木イ実用に値しない木ウ品質のよくない木
エ上品で華奢な木オ頼りなさそうな木()

9

(9)あだなるさま
ア仮の間に合わせのようなさまイ心のこもってないようなさまウむだなもののように見えるさま
エいかにも庶民的なさまオ不意の出会いのように思われるさま()
二傍線部(2)「二十日の月」とは、どういう月か。説明として最も適当なものを次の中から一つ選び、その記号をマークしなさい。
ア夕方に出る月イ夜遅く出る月ウ夜明け近く出る月エ夜半に沈む月オ夜早く沈む月()
三傍線部(10 )の和歌「朝霧も...... 」は、実際の情景に、何を思いなぞらえた歌か。最も適当なものを次の中から一つ選び、その記号
をマークしなさい。
ア月の運行イ旅の行程ウ人の一生エ時代の変遷オ一族の栄枯盛衰()
四傍線部(11 )「いみじかりしも」を具体的に解釈したものとして、最も適当なものを次の中から一つ選び、その記号をマークしなさ



今も美しく風情のあるのもイかつてにぎわっていたのもウ今も文学的な感興を起こさせるのも
エ歴史的な感懐をいだかせたのもオ清流の趣に感動を起こさせたのも()
五傍線部(13 )の「すさみ」という言葉を用いた筆者の気持ちはどのようなものか。最も適当なものを次の中から一つ選び、その記
号をマークしなさい。
ア謙遜イ慨嘆ウ満足エ安心オ郷愁()

10

六傍線部Aの「ぬれ」の文法的な説明として正しいものを、次の中から一つ選び、その記号をマークしなさい。
ア下二段動詞「寝ぬ」の已然形活用語尾イナ変動詞「往ぬ」の已然形活用語尾
ウ下二段動詞「寝」の已然形の活用語尾エ下二段動詞「濡る」の未然形
オ完了の助動詞「ぬ」の已然形()
七傍線部Bの「なる」と文法的に同じ意味のものを、次のア~オの破線部「なり」の中から一つ選び、その記号をマークしなさい。
アみな人は花の衣になりぬなり苔の袂よ乾きだにせよ
イ先立たぬ悔いの八千(やち)たび悲しきは流るる水の帰りこぬなり
ウ滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
エ石走る垂水(たるみ)の上のさわらびのもえ出づる春になりにけるかも
オいつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふことのかぎりなりける()
八空欄Xに入るべき語を、次の中から一つ選び、その記号をマークしなさい。
アけんイまじウべきエなりオめりカまほしき()

九この問題文の文章の特徴について、次の問に答えなさい。
(I)このような文体を、ふつうどう呼んでいるか。最も適当なものを次の中から一つ選び、その記号をマークしなさい。
ア物語文イ随筆文ウ書簡文エ紀行文オ記録文()
(II)その文体がよく用いられている作品として、ほかにどんなものがあるか。次の中から二つ選び、その記号をマークしなさい。

11

ア土佐日記イ和泉式部日記ウ蜻蛉日記エ讃岐典侍日記
オ十六夜日記カ御堂関白記キ伊勢物語ク狭衣物語
()()

十傍線部(12 )「水無瀬の川に袖ぞぬれぬる」は、表面的には、水無瀬の川に袖がぬれたということであるが、それはどういうこ
とを意味しているのか。四十字以内で説明しなさい(句読点も字数に含む)。

12

3中央大学商学部2001年~主体判定強化~
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。〔15分〕

十月二十五日、大掌会(だいじやうゑ)の御禊(ごけい)とののしるに、初瀬の精進(さうじ)はじめて、その日京を出づるに、さるべき
人々、「一代に一度の見物(みもの)にて、田舎世界の人だに見るものを、1月日多かり。その日しも京をふり出でて行かむもいともの狂ほ
しく、2流れての物語ともなるべきことなり」など、はらからなる人は言ひ腹立てど、乳子どもの親なる人は「いかにもいかにも、心に
こそあらめ」とて、3いふに従ひて、出だし立つる心ばへもあはれなり。ともに行く人々も、いといみじう物ゆかしげなるは、い
とほしけれど、「物見て何にかはせむ。かかる折に詣でむ志を、さりとも4思しなむ。必ず仏の御験(みしるし)を見む」と思ひ立ちて、そ
の暁に京を出づるに、二条の大路をしも渡りて行くに、先に御灯明(みあかし)持たせ、ともの人々浄衣(じやうえ)姿なるを、そこら、桟敷
(さじき)どもに移るとて、行きちがふ馬も車も徒歩(かち)人も、「あれはなぞ、あれはなぞ」と、やすからず言ひおどろき、5あさみ笑
ひ、あざける者どもあり。「あれは物詣で人なめりな。6月日しもこそ世に多かれ」と笑ふ中に、いかなる心ある人にか、「ひと時が目を
肥やして何にかはせむ。いみじく7思し立ちて、仏の御徳かならず見給ふべき人にこそあめれ。よしなしかし。物見で、かうこそ思ひ立
つべかりけれ」とまめやかに言ふ人一人ぞある。(『更級日記』)

13

[ 注] 〇大掌会の御禊... 天皇即位後はじめて行う収穫祭で、一世一代の大礼。天皇が加茂川で御身を清める儀式。
〇初瀬の精進... 大和国初瀬寺(現奈良県桜井市初瀬町)に参詣するためにあらかじめ行う精進。
〇乳子どもの親なる人... 作者の夫である橘俊通をさす。
〇浄衣... 潔斎のときに着用する白い装束。

問一傍線部1の意味として適当なものを次の中から選べ。
ア出かけるのに適した日はいくらでもあること
イ大掌会はかなりの期間行われること
ウ出かける準備には多くの日数が必要であること
エ田舎から出てくるには日数がかかること
()
問二傍線部2の解釈として適当なものを次の中から選べ。
ア見物人の間を流れていく噂話
イあとあとまで人々の笑い草となるような話
ウ後の世に伝えられるほどの美感
エ水の流れが変わるようなとりとめのない話
()

14

問三傍線部3・4・5・7の主語はそれぞれ誰か。
アはらからなる人イ乳子どもの親なる人ウともに行く人々
エ仏オ徒歩人カまめやかに言ふ人キ筆者
3()4()5()7()

問四傍線部6はどんな意味のことを言っているのか。本文の背景を踏まえて、三十字以内で解釈せよ。

問五右の文章に表れている作者の心情として最も適当なものを次の中から選べ。
ア物見にうかれさわぐ人々を俗物とみなして、初瀬詣でする信心のみを最上のものとしている。
イ物見にうかれさわぐ人々に抗して行くことによって、初瀬詣での信念をいっそう強めていた。
ウ人々が初瀬詣でに好意的でないので、そぞろわが身の哀れを観じて仏にすがろうとしている。
エ人々の思惑には関わらず、ただ純粋に、素直に、初瀬詣でへの一念に燃えている。
()

15

4関西外国語大学2014年~文脈把握~
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。〔3分〕

人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから正直の人、などかなからん。おのれすなほならねど、人の賢を
見てうらやむは尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、是れを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受け
ず、偽りかざりて名を立てんとす」とそしる。おのれが心に違へるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ、この人は下愚の性移るべから
ず(注)、偽りて小利をも辞すべからず、かりにも賢を学ぶべからず。狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺
さば、悪人なり。驥(き)を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
(兼好『徒然草』第八十五段より)
(注)下愚の性移るべからず...... 愚かな本性で、決して賢く変わることができない。論語に「子曰く。唯、上智と下愚とは移らず」とある。

問傍線部の現代語訳として最も適当なものを、次の1~5のうちから一つ選べ。
1曲がりなりにも賢人の真似をすべきである2一時的にも賢人の真似をすべきではない
3ほんの少しでも賢人の真似をすればよい4ちょっとでも賢人の真似をするものである
5かりそめにも賢人の真似などできようもない()

16

5上智大学文学部2000年~和歌の解釈~
次の文章は『増鏡』の一節で、伏見院について記されている。これを読み、後の問に答えよ。〔20分〕

院の上、さばかり和歌の道に御名たかく、いみじくおはしませば、(ア)いかばかりかと思されしかども、正応に撰者どもの事ゆえにわ
づらひどもありて、撰集(せんじふ)もなかりしかば、いとど口惜しう思されて、
(イ)我が世には集めぬ和歌の浦千鳥空しき名をやあとに残さん
など詠ませおはしましたりしを、今だにと急ぎたたせ給ひて、為兼(ためかね)の大納言うけたまわりて、万葉よりこなたの歌ども集めら
れき。正和元年三月二十八日奏せらる。玉葉集(ぎょくえふしふ)とぞいふなる。この為兼の大納言は、為氏大納言の弟に、為教(ためのり)
の兵衛督といひしが子なり。かぎりなき院の御おぼえの人にて、かく撰者にも定まりにけり。そねむ人々多かりしかど、(ウ)さはらんや
は。この院の上、好み詠ませ給ふ御歌の姿は、前藤大納言為世の心地には、かはりてなんありける。
御手もいとめでたく、昔の行成大納言にも勝り給へる、など時の人申しけり。やさしうも強うも書かせおはしましけるとかや。
正和も二とせになりぬ。(エ)今年御本意とげなんと思さる。長月の暮つ方、賀茂に忍びて御籠りの程、をかしきさまの事ども侍りけ
り。近くさぶらふ女房共も、うちしほたれつつ、つごもりがたの空のけしき、いと物あはれなるに、御製、

17

(オ)長月や木の葉もいまだつれなきに時雨ぬ袖の色や変はらんまた、
(カ)我が身こそあらずなるとも秋の暮をしむ心はいつも変はらじ

人々も、さと時雨わたり、袖の上、今日を限りの秋の名残よりも忍びがたし。大納言の三位為氏、撰者のはらからなり、
(キ)一すぢにくれ行く秋を惜しまばやあらぬ名残を思ひそへずて又だれにか、
(ク)いかに慕ひいかに惜しまん年々の秋にはまさる秋の名残を
十月十五日、伏見殿へ御幸、限りの旅と思せば、えもいはずひきつくろはる。庇(ひさし)の御車なり。上達部・殿上人、数知らず仕うまつ
り給ふ。

問一、傍線部(ア)の「いかばかりと思されしかども」は、誰が、何を、どのように思ったというのか。次の1~4のうち正しいものを一つ選
べ。
1伏見院は立派な歌のないことをどれほどか残念に思っていらっしゃったが。
2伏見院はどれほど立派な勅撰集を編まれるかと、世間の人は期待していたけれど。
3伏見院はどんなにか立派な勅撰集を編もうとお考えになっていらっしゃったが。
4伏見院はどれほど立派な作品をおつくりになるんだろうかと、周囲の公卿たちは思っていたが。
()

18

問二、傍線部(イ)の「我が世には」の歌について記した次の1~4のうち正しいものをA、そうでないものをBとせよ。
1この歌には掛詞が用いられている。
2「浦」「千鳥」「名」「跡」は縁語である。
3この歌の上句には、自分の在位の間に、ついに勅撰集を撰びえなかったことが詠まれている。
4下句には、歌の道に名を残しえない心残りが詠まれている。
1()2()3()4()
問三、傍線部(ウ)の「さはらんやは」は、何が、どうだというのか。次の1~4のうち適切なものを一つ選べ。
1為兼が院の御寵愛を受けていることに何の支障もあるまい。
2為兼が院の御寵愛を受けていることは、あってよいことだろうか。
3為兼が撰者に定まったことについて、何も支障がない。
4為教が撰者になるということなど、あってよいのだろうか。
()
問四、傍線部(エ)の「今年の御本意とげなんと思さる」は、具体的にどんな意味か。次の1~4のうち適切なものを一つ選べ。
1今年こそ伏見の離宮に行きたいという本来の望みを実現したいとお思いになる。
2今年は、玉葉集撰集という前からの願いを遂げられるだろうとお思いになっている。
3今年こそ賀茂神社に参籠したいという年来の望みをきっとは果たせるだろうとお思いになる。
4今年は、出家という前々からの願いをかならず遂げようとお思いになっている。
()

19

問五、傍線部(オ)(カ)の二首の歌について記した次の1~4のうち正しいものをA、そうでないものをBとせよ。
1(オ)の歌の「木の葉もいまだつれなきに」は、木の葉の色がまだ紅葉していないのに、の意味である。
2(オ)の歌の下句は、秋の暮れゆくことを惜しむ歌で、衣の袖の色が変るであろうという意味である。
3(カ)の歌の「あらずなるとも」は、自分は秋を惜しまないようになっても、の意味である。
4(カ)の歌の「いつも変らじ」は、今と同じように人々の暮れゆく秋を惜しむ心は変るまいというのである。
1()2()3()4()

問六、傍線部(キ)(ク)の二首の歌について記した次の1~4のうち正しいものをA、そうでないものをBとせよ。
1(キ)の歌の「一すぢに」は「惜しまばや」の連用修飾語である。
2(キ)の歌の「あらぬ名残」は、「今年御本意とげなんと思さる」と記されたことと深くかかわっている。
3(キ)の歌の「惜しまばや」は、惜しむならばの意味である。
4(ク)の歌の「年々の秋にはまさる秋の名残」は、(キ)の歌の「あらぬ名残」と直接かかわりがない。
1()2()3()4()

20

6青山学院大学文学部1999年~人物関係の整理~
次の文章は、藤原道長の三男で源明子所生の顕信が十九歳で出家した場面である。これを読んで次の問に答えよ。〔20分〕

いま一人は、馬頭(うまのかみ)にて、顕信とておはしき。御童名(わらわな)、苔君なり。寛弘九年壬子(みずのえね)正月十九日、入道し給
ひて、この十余年は、仏のごとくして行はせたまふ。(1)思ひがけず、あはれなる御ことなり。

1高松殿の御夢にこそ、左の方の御ぐしを、なからより剃り落とさせたまふと御覧じけるを、かくて後にこそ、aこれが見えけるなり

けりと思ひさだめて、
「(2)違へさせ、祈りなどをもすべかりけることを」と仰せられける。

2皮堂にて御髪おろさせたまひて、やがてその夜、山へb登らせ給ひけるに、「鴨河渡りしほどのいみじうつめたくおぼえしなむ、少し

あはれなりし。今は(3)かやうにてあるべき身ぞかしと思ひながら」とこそc仰せられけれ。

3今の右衛門督ぞ、とくより、この君をば、「出家(すけ)の相こそdおはすれ」とのたまひて、*4中宮権大夫(ちゅうぐうのごんのだいぶ)

殿の上に御消息(せうそこ)聞こえさせ給ひけれど、「さる相ある人をば(4)いかで」とて、後にこの大夫殿をばとりたてまつりたまへる
なり。正月に、内より出でたまひて、この右衛門督、「馬頭の、*5物見よりさし出でたりつるこそ、むげに出家の相近くなりにて見えつ
れ。いくつぞ」とのたまひければ、*6頭中将、「十九にこそなりたまふらめ」と申したまひければ、「さては、今年ぞし給たまはむ」とあ

21

りけるに、かくと聞きてこそ、「さればよ」とeのたまひけれ。相人ならねど、よき人は、ものを見たまふなり。*7入道殿は、「益な
し。(5)いたう嘆きて聞かれじ。心乱れせられむも、この人のためにいとほし。法師子のなかりつるに、いかがはせむ。幼くてもなさむ
と思ひしかども、(6)すまひしかばこそあれ」とて、ただ例の作法の御やうにもてなしきこえたまひき。
受戒には、やがて殿登らせたまひ、人々我も我もと、御供にまゐりたまひて、いとよそほしげなりき。

〔『大鏡』より〕

1顕信の実母である源明子のこと。

2行願寺にある。皮聖といわれた行円の建立。当時は一条北辺にあった。

3藤原実成のこと。*4藤原能信(顕信の同母弟)の北の方(実成の長女にあたる)。

5牛車の左右についている覗き窓。

6実成の長男公成のこと。*7藤原道長のこと。


22

設問
問一二重傍線部a「これ」とは何のことか。五字以内(句読点は字数に入れない)で述べよ。

問二傍線部b~eはそれぞれ誰に対する敬意を込めた表現であるか。次のア~カの中からそれぞれに最も適切なものを選べ(同じ人
間を繰り返し使ってもよい)。
ア源明子イ藤原顕信ウ藤原道長エ藤原実成オ藤原実成の娘カ藤原公成
b()c()d()e()
問三傍線部(1)「思ひがけず、あはれなる御ことなり」は、語り手が解説し感想を述べている部分であるが、問題文中にはもう一
箇所語り手が顔を出している部分がある。その部分の初めの三字を書き抜いて示せ。

問四傍線部(2)「違へさせ」とは、何を願って違えさせようとしたのか。次のア~オの中から最も適切なものを選べ。
ア顕信の出家の功徳が保証されるようになること
イ明子が再び嫌な夢をみないようにすること
ウ顕信が出家の運命から逃れられるようにすること
エ明子も顕信とともに出家できるようになること
オ顕信が健康に恵まれるようになること()

23

問五傍線部(3)「かやうにて」とはどのような状態を言っているのか。次のア~オの中から最も適切なものを選べ。
ア水仕事も自分でしなければならないような身
イ京を離れて山へ登って修業しなければならない身
ウ三途の川を渡るような思いで修業しなければならない身
エ川などを徒歩で渡らなければならないような身
オ剃髪したのにさらに山へ登らなければならない面倒な身()
問六傍線部(4)「いかで」の解釈として最も適当なものを次のア~オの中から選べ。(選択肢は次のページにも続く。)
アどうして婿に取ることができよう。
イどうして出家をやめさせることができよう。
ウ何とかして出家をやめさせたいものだ。
エ何とかして婿に取りたいものだ。
オ何とかして願いを叶えてやりたいものだ。
()
問七当時は「一人出家すれば九族天に生まる」という考え方があった。この考えによる発言が問題文中にあるが、それはどこか。そ
の部分の初めの三字を書き抜いて示せ。

24

問八傍線部(5)「いたう嘆きて聞かれじ」の解釈として最も適切なものを次のア~オの中から選べ。
ア母親が大変嘆いていると顕信の耳には入らないようにしよう。
イ自分が大変嘆いているとは母親に聞かれないようにしよう。
ウ顕信は大変嘆いていて自分の忠告などは聞いてくれないだろう。
エ顕信は大変嘆いていて自分の慰めなど受け入れてくれないだろう。
オ自分が大変嘆いていると顕信には聞かれないようにしよう。()
問九傍線部(6)「すまひしかばこそあれ」の解釈として最も適切なものを次のア~オの中から選べ。
ア一緒に住んでいたので出家させるに忍びなかったのだ。
イ母親と住んでいたので強制できなかったのだ。
ウ本人が嫌がったのでそのままになってしまったのだ。
エ一緒に住んでいたらそのこともできたのだが。
オ本人が抵抗するつもりなら出家させなかったのだが。()
問十『大鏡』の説明として誤っているものを次のア~オの中から一つ選べ。
ア雲林院の菩薩講で、二人の老人と若侍が問答体の座談形式で話を進める体裁を取る
イ道長の繁栄に至る道筋を豊富な逸話を交えて立体的に生き生きと描き出している。
ウ新しい歴史叙述の方法を編み出し、鏡物の祖としてこれに続く歴史物語の範となった。
エ作者・成立とともに未詳だが、鎌倉時代の初期に正立し、武士階層の道長批判がうかがえる。
オ『栄花物語』にあきたらず、道長の栄華への過程を、やや客観的、批判的に描き出している。()

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年12月06日 14:39