《全体像の把握》
★全体像の把握(理解の基準点)
①
室町時代+戦国時代
②安土桃山(信長と秀吉の時代)
織田信長→豊臣秀吉へと変化
③江戸(1603~1867、徳川家が中心)
大切なことは3つ。このように整理すると、成績が上がりやすい。
・戦国時代はヨーロッパが来てから劇的に変わったこと。
・安土桃山はヨーロッパとのさまざまな交流の影響を受けていたこと。
→ヨーロッパを軸に整理すること+ヨーロッパの内容を理解することが大切になる。
・信長の政策と秀吉の政策の共通点と相違点
+α秀吉の政策がどのように引き継がれていくのか。
《ヨーロッパと日本の関わり》
☆どのようなヨーロッパの国々と関わったのか
16世紀:ポルトガル・スペイン
17世紀:イギリス・オランダ
19世紀:ロシア
☆覚えておくべき年表(これを見たうえで、詳細事項を思い出してほしい)
1543 (①ポルトガル人)が(②鉄砲)を(③種子島(※))伝える
1549 イエズス会の宣教師の(④ザビエル)が来日した。
→(⑤キリスト教)を伝来して、(⑥南蛮貿易)を始める。
※(⑤)の信者のことをバテレン、キリシタンなどと呼ばれる。
☆ヨーロッパとのかかわりでの重要なポイント
①武士の戦闘スタイルが変わるようになったこと。
→戦国時代を短期的に終わらせることが出来た。
例、薬(毒薬)や鉄砲、火薬など
②産業構造が変容したこと。
→最初は貿易に頼っていた。しかし、自国で生産するようになった。
例、生糸(絹織物)や鉄砲、火薬など
③南蛮貿易でのメリットとデメリット。
メリット:生活水準が向上・変化した→安土桃山時代では貿易は続けていた
例、薬・ガラス製品など
デメリット:「神の前にみな平等」という思想による支配者への反発
→秀吉の時代になると、キリスト教の布教を禁止した(バテレン追放令)
☆詳細事項
①鉄砲伝来
◎中国船に乗ったポルトガル商人が種子島に偶然流れ着いた。
→鉄砲を珍しがっていたのか、種子島を支配していた人(領主)が鉄砲を二丁(※1)購入した。
(当時日本に鉄砲はなく、刀や馬で戦争していたため、珍しかった)。
→その一丁は、自分の一族が保管し、もう一丁は室町幕府(※2)に献上した。
(※1)鉄砲の単位を聞くのもよいかもしれません。
(※2)室町幕府の場所は聞いたほうが良いかもしれません。
☆鉄砲をもたらした目的と影響
①歴史的背景と戦闘スタイルの変化
1支配の中心が室町幕府であること。
Butみんな言うことを聞かなかった→全国各地で全国統一のために戦争した。
例、織田信長、今川義元、武田勝頼など(軽く聞き流してもらう)
その戦いぶりは、馬と刀を使って戦っていた(近距離戦)。
↓
2鉄砲とは、中遠距離戦用に活用した。
近距離戦には、遠距離戦用の武器が有効に働く。
3戦争に勝つために、鉄砲を大量生産するようになった。
そのためには、軍事力と経済力を必要とした。
※なぜ鉄砲が大量生産された背景を答えなさいという問題で出題される。
②大量生産(産業)
Q1場所はどこか
A1関西地域 → 国友(滋賀県)、堺(大阪府) →その後全国に普及した。
(※)関西地域は、幕府の場所から覚えやすい。大まかに覚えて、細かく覚える。
Q2誰が作ったのか。また、なぜその人が適任なのか
A2刀鍛冶職人
理由:鉄砲を作るには、鉄を加工する技術が必要。
①加工する技術を持つ必要がある。
②高温で燃やすために、石炭や水が必要になる(産業革命の伏線)。
③原産量である鉄などを鉱山から大量に再出した。
④産業を作るための経済力が必要
→商業を発展させて、お金儲けをさせる政策を実施。
(注)Q2は、①鉄砲の様子を資料から読み取らせる②なぜ刀鍛冶職人だったのかが
出題されやすい。
Q3当時の鉄砲を効果的に使う方法は何か
A3①当時の鉄砲は、火薬を詰め込んで発射させる必要があります。
→火薬を爆発させるために、植物と一緒に燃やす必要があった。
その植物が木綿だった。
②当時の鉄砲は、1分間に4発しか打てなかった(※)。
(※)長篠の戦いの資料を見せながら説明を加える。
鉄砲隊を作る→柵に並ぶ→鉄砲を発射したら、一番後ろに並ぶ→弾を詰める
こうすることで、デメリットを解消することが出来た。
Q4、他にも鉄砲の入手方法はなかったのか
A4、南蛮貿易で鉄砲と火薬を大量購入することも出来た。つまり、ヨーロッパと上手に付き合うことが出来るのかがかなり大切になってくる。
Q5、鉄砲を使って、勢力を拡大させることが出来た戦国大名は誰なのか
Q5、織田信長。要因は2つ
①商業を反映させる政策を実施していた。
→鉄砲を独占した政策などを実施。
②南蛮貿易によって、鉄砲や火薬を大量購入した。
③文化史的意義
その後、鉄砲対策や鉄砲が活躍できるように、頑丈な城を平面に作るようになった。その具体例が安土城(安土城など)。これは、安土城の資料を見せておくとよいだろう。
②宣教師とキリスト教
①日本に宣教師が来た背景とは何か
宗教改革によって、信頼を失ったキリスト教徒(厳密にはローマ=カトリック)は、アジアを通じて布教活動を行った。布教活動を通じて、正しいキリスト教を伝えて、キリスト教を用いて支配しようとした。具体的には以下の通りである。
1キリスト教徒に改宗、日本人の味方を増やす(勢力増大)。
→勢力を増やして植民地化
2キリスト教を通じて味方を強化した。
キリスト教の教えには、①神の前にみな平等である(身分の高い人間に身分の低い人間は遠慮をしなくなる)②教えに従った場合、死後に永遠の魂(※)が手に入る(死ぬことにメリットを感じるため、死を恐れない)。
(※)人間には、肉体と精神があるとされた(古代史から変わらない)。死んだら、魂が肉体から離れる。そして、二度とその魂は肉体に宿らない。その理由はキリストが、それを許さないから。しかし、キリスト教の教えに(牧師や教会、聖書に)従った場合、キリストがその魂は肉体に宿ることを許すため、キリスト教の教えに従えば、「救われる」。
②フランシスコ=ザビエルの来日(※1)
1549年にフランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸し、幕府の将軍に会った。
→将軍側にとって、ポルトガル人やスペイン人は日本人ではないので、不信感を抱いていた。
(見知らぬ人に警戒するのと同じ)。そのことから、「幕府から見て南からやって来た野蛮人」という意味で、南蛮人と呼ばれた。
③キリスト教を日本人に伝える方法。
1印象をよくした
宣教師たちに不信感を抱いている日本人に対して、印象をよくするために、以下のような政策を実施した。
→宣教師は、①病院や学校、孤児院などを作って民衆に役立てた。
②南蛮貿易を通じて、戦国大名に貢献した。
→戦国大名や民衆からの信頼度が上がった。
例①キリスト教の信者(キリシタン)やキリシタン大名になるものが現れた。
例②天正遣欧使節(1582年)をヨーロッパに派遣して、キリスト教の洗礼を受けた。
※洗礼とは、ある思想の洗脳を受けること
例③自分の領土を教会に献上した。
→豊臣秀吉はこれに危機感を覚えて、バテレン追放令を出した。
2戦国時代を短期的に終わらせることが出来た。
- 宣教師にとって、邪魔なものは戦国大名だった。なぜなら、戦国大名は武力的に強いから。植民地政策を行う邪魔者だったから。
→その邪魔者を蹴散らすために、ある戦国武将(※2)に力を貸して他の勢力を駆逐させた。
具体的には、鉄砲を献上して戦力を増大させる
毒薬をある戦国大名に献上して、戦国大名の部下をスパイにした。
ある戦国大名の敵陣の大将に飲ませた。
→勢力を削減させた状態を狙って植民地化政策へ。
(※1)ビジュアルでの解説が一番か
(※2)織田信長が有名。
③南蛮貿易
①何を貿易したのか
鉄砲・火薬・生糸(※)・西洋画の手法
南蛮人 日本
金・銀
②南蛮貿易は良かったのか(記述問題では頻出)
南蛮貿易は武士にとっても、民衆にとってもよかった。そのため、秀吉はバテレン追放令でキリスト教の布教を禁止したかったが、南蛮貿易は禁止しなかった。しかし、江戸幕府は、キリスト教が脅威だと気が付いて、ヨーロッパとの交易を禁止した。
③貿易品によってもたらされたものは何か
A鉄砲・火薬(解説済み)…しいて上げるならば、ルネサンスの三大発明
B生糸
1生糸は何産だったのか
生糸は中国産だった。ではなぜ、中国産の生糸を手に入れるために、南蛮貿易を行ったのか。
清 ポルトガル 日本
当時、清は海禁政策(一定の国とは貿易をしない政策)を行っていた。その理由は、清は朝貢貿易を行った結果、財政面で不利になったから。しかし、日本は貿易を行いたい。そこで、当時清と貿易を行っていたポルトガルを介して、日本は清と貿易を行っていた。
こうした貿易によって、生糸を獲得した日本は、生糸を用いて製品(絹織物)を作り出すようになった。
2南蛮貿易の実態はどうだったのか
逆のことを言えば、清の製品を手に入れるには、ポルトガルとの貿易をしなければならない事態に陥った。
→ポルトガルは清の製品を輸出するのに、大量の銀を日本に支払わせようとした。
(1000円くらいのものを、10000円くらいで販売した感じ)
そこで、日本が取った策は、①清の製品の価格を固定した(1000円でしか貿易しないと決めた)
②清の製品を国産化した(生糸の国産化)。
特に、
江戸時代になると、金と銀のそこが尽きる。そこで、②に移行していく。ちなみに、鎖国した背景は、②が出来ているかも確認して鎖国を実行したらしい(江戸幕府は貿易を制限して生糸が手に入らないリスクがあるのかどうかも検討して行ったらしい)。
C銀
1日本は銀をどのように手に入れたのか
南蛮貿易を行うために、戦国大名は金山や銀山から大量に掘り起こした。秀吉は、貿易のもうけが欲しかったため、以下の政策を実行した。
・戦国大名をやっつけるついでに、鉱山を独占した(金や銀が手に入れば、南蛮貿易が活発化)。
→関ケ原の戦いで家康が勝利した後、秀吉が独占した金山や銀山を独占した。
(他にも秀吉の財産や政策を引き継ぐことにもなる)。
2日本は銀をどのように活用したのか
1絵の具に活用した(後述する)
2貨幣を鋳造するための材料として用いた(金貨と銀貨)
3海外による影響
1アジア
→銀が大量に流出するようになり、アジアでは、銀を用いる貿易が主流になった。
2ヨーロッパ
→銀が大量に流出された→銀貨を多くの人たちが持つようになった。
⇨銀の価格が高騰するようになった(※)。
(※)物価の説明が必要になる(ルネサンス期のところで解説すべき)。
物価とは価格ではなく、「買いやすさ」である(お金をみんなが持っているかどうか)
④文化的影響
絵画の歴史が変わった(※)
・遠近法の使用。
・絵画が派手になった。カラフルなのは、金山・銀山から産出した金や銀を使った。
(※)ザビエルの肖像画や狩野永徳が描いた絵画を見るとよく分かる。
《信長・秀吉の政策》
◎信長の戦い方
☆ポイント
①信長は、武力で宗教勢力や武士の勢力を拡大し続けていた(下剋上)。
②南蛮貿易の力を借りてのし上がってきた。
③戦いは、誰と誰が戦ったのかと戦いの名前と西暦は一緒に覚えること。
地図を効果的に使用してもよいですね。
☆年表
1560 今川義元を破る(桶狭間の戦い)(①)
1573 15代将軍義昭を室町から追放する(室町幕府が滅亡)(②)
1575 鉄砲を効果的に活用して武田勝頼を破る(長篠の戦い)(③)
1580 石山本願寺を焼き討ちして、仏教勢力を駆逐した(石山戦争)(④)
1582 部下の羽柴秀吉に毛利元就をやっつけるように命じる(⑤)
明智光秀に本能寺で暗殺される(本能寺の変)(⑥)
⇨毛利元就をやっつけた秀吉は、京都に戻って毛利元就をやっつける!
☆詳細解説
①楽市楽座
①意味(記述で出題される)
関所を撤廃して、商業を自由に活発化させる政策のこと。
②用語の意味
1関所とは何か
起源は律令国家。関所の目的は、民衆が他の地域に移動したときに、どのように移動したのかを把握するため。室町時代になると、交通が活発になることを背景に、幕府は関所に通るたびにお金を取るようになった。その結果、他の地域で商人は商売をしなくなった(他の地域に行くたびにお金を取られてしまうから)。
塾で関所を説明するならば、『「教室に入っただけでお金が取られる」仕組みがあったら、君たちは塾で自習がしたい?』と聞いてあげるとよいと思います。
これを公民経済とつなげると、以下のようなことが言える。
①お金を払いたくない(大宝律令の租税制度で説明可能)
②これを外国範囲に拡張すると、自由貿易と保護貿易の話につながる。
1関税の概念が関所と同じだから(保護貿易)。
2自由にお金儲けをさせることで行動選択肢が拡張させることにもつながるため、
貿易は制限しないほうが良い(自由貿易)。経済系の法律の問題点でもある。
③お金を使い続けるとみんなが幸せになる。
1ある商人は商売をした結果、ある商人はお金をゲットする。
⇨そのお金で、商品などを買う。
⇨その商品を売った人が儲かる⇨その商品を売った人がまた他の商品を買う。
…みんなが幸せになる。
2商売が繁盛すると、その儲けたお金を使ってよりよい工夫を施す。
例、人を多く雇わせる、機械を導入させるなど
⇨たくさんの製品を作って、安い製品を作る⇨みんなが買う⇨儲かる(繰り返す)
《秀吉の学習ポイント》
将軍になる条件…①源氏の血を引いていること
②天皇から認められること。
そこで、義昭に秀吉は義昭の養子になってくれと頼んだ。しかし、義昭はこれを拒否。
そこで、秀吉は朝廷に豊臣姓をもらった(豊臣姓)。
朝廷の権威を借りて、秀吉は全国統一を行う。
■信長と秀吉
(例)南蛮貿易を奨励/一部の勢力をやっつけただけで、天下統一できず
(朝廷から「豊臣」姓を授かって貴族化した)
(例)南蛮貿易を黙認/朝廷の力の借りて天下統一
最終更新:2023年11月22日 22:27