《地租改正とは何か》
 この分野は簡単なようで実は奥が深い。というわけで、以下の4つの分野に分かれて説明する。

★前提説明
①登場する人物は以下の通りです。
 地主…人に土地を貸し借りして儲けている人
自作農…自分の土地を持っている農民
小作人…自分の土地を持っていない農民。

②内容に関しては以下の通りです。
 ・この物語に登場する農民は自作農です。

◎地租改正の概略説明~その1

 近代化をするためには、確実にたくさんのお金が必要です。
天候に左右される江戸時代のお金のシステムでは、厳しいです。
 そこで、収穫高ではなく、地価(土地の値段)でお金を支払うことにします。
 当然、負担額は従来と変わらずという方針です(安くしたら、江戸幕府からお金が入ってきません)。

◎地租改正の概略説明~その2

 とはいっても、以上の内容が具体的にわからないと思うから、ここから少し深く解説します。

 地価…土地の値段のこと。値段は貨幣の額である。

 このことから、江戸時代は、収穫高(自分の土地で栽培したもの)を税金として支払えばよかったが、地租改正では、自分の土地で収穫するだけでなく、その収穫物を売って、お金に換えていかなければいけない。

 ビジュアル化すると、以下の通りです。

江戸時代の収穫高(図2)

  農民                  江戸幕府に貢ぐ
          収穫物を

■明治時代の税金の支払いシステム(図3)

 農民             民衆に売る            明治政府に支払う
       ①収穫物を          ②その儲けで税金を

◎もしも地租が支払わなくなった場合どうなるか~小作人の視点から解説していく。
  図3で、このように疑問をもちませんか?

  「この儲けは、民衆が買ってくれることを前提に成り立っているはずですが、もしも収穫物を買ってくれない場合はどうなるのですか?どうやって税金を払ってくれますか?」(※)

  これは江戸時代をきちんと理解していければわかる話なので、考えてみてください。
  販売以外にどのようにお金を作っていくのでしょうか?

   正解は、地主に土地を売って儲けるが正解です。






(※)以下の説明は、早く理解したい人は読み飛ばしましょう。
作物が儲からない具体例として2点あります。
①悪天候などによって作物が少なくなる→値段が高くなる→ほとんどの人が買わない
   ②政府が増税などで世の中の貨幣価値を減らす(デフレーション)
→お金を節約し、お金の価値が高くなる
→お金を使わなくなる⇒ほとんどの人が買わない

    特に、②は80年代には頻繁に起こっている出来事なので押さえておく。
    これによって、地主が儲からなくなり、地主を基盤とする自由党の支持基盤が堕落してしまった。
    その結果、自由民権運動の勢いが落ちてしまった(※2)。その理由は、後述します。
    補足しますと、組織にはお金が必要になります。そのお金を支援する方も必ず存在します。

 (※)注の説明が終わりになります

 農民は自分の持っている土地を売ります。
 →農民は土地を持っていないため、生活費がまかなえません。

  そこで、職を探します。その職業が、地主の元で働くという方法です。
  このときの税金は誰が負担するのかというと、土地所有者、つまり地主がお金を支払います。
  今の流れを図で整理すると、以下のようになります。

■明治時代の税金の支払いシステム

 小作人       地主に貢ぐ      民衆に売る           明治政府に支払う。
     ①作物を        ②作物を       ③その儲けで税金を

 ここで、このような疑問が現れます。疑問に現れただけで、たいしたものです。読み込んでいる証拠です。
 ①これの問題は何ですか?
②もしも凶作やデフレ政策がおきたら、地主は危ない状況になるのではないのですか?

  順番にお答えします。

①について
  この質問をする人は、「地主が税金を支払う額だけ小作人に徴収すればよい」と考えている人です。
 確かに、そうすればみんな平和ですよね。しかし、人間は欲深い生き物なので、「作物くれ、作物くれ」と
 地主は徴収してきます。そして、その作物を売ったお金を分配するのはごくわずかです(あなただったら、自分がもうけたお金を誰かに配りたいですか?)。
  そうなると、小作人の儲けはごくわずか(生活に悪影響を与える)で、地主はどんどん儲かっていきます。
 そして、政府は、税金さえは支払ってくれればいいので、そのことに関しては無関心です。いくら作物を搾取しようと、小作人が生活に困っていようとどうなってもいいのです。税金の必要な額以上に徴収するのは違反ですが、農作物に関してはいくら徴収しようと、問題がありません。
  ちなみに、地主は土地がたくさんあればあるほど、お金持ちになります(たくさん土地があれば、作物が取れます)。小作人ばかり働かして、自分は何もしないで収入を得る地主を寄生地主制といいます。

②について
  この質問をする方はいい質問したなと思います。なので、きちんとお答えします。
  そもそも、悪天候(デフレ)で作物が高くなるのは作物が少なくなるからですよね。だから、悪天候だろうと作物の量が多ければ、値段が高くなりません。悪天候(デフレ)のときは、作物をたくさん搾取しておけば、問題ないということです。






◎大金持ちになった地主がとる行動は何か
 問題は「儲かったお金を地主はどのように使ったか」です。
 地主がどのように使ったのか、それは主に以下の3点です。

①選挙に参加する。
②会社を設立する(企業勃興)。
③政府に資金を貸す。

①選挙に参加する。
 1890年に衆議院選挙が始まります。その選挙では、今の選挙と違って、選挙に条件があります。
①高額のお金を支払う②25歳以上の男子のみ(女性の政治参加は認めず)。

 ここで、明治時代の特徴として民のことを考えていないことがあげられます。
 では民のことを考えていない政治家を選んでいるのは、地主です。中には出馬するために、自分から政治家やりたいですと立候補する場合もあります。要するに、間接的に政府に参加しているのです。
 ちなみに、国会議員になった地主は政党の考えに従います。
②会社を設立する
 会社や企業、工場のオーナーになることを企業勃興といいます。
 日本は94年以降、戦争します。戦争には武器が必要です。その武器を作ったのは工場です。
 もうわかりますね。その工場を運営しているのは、地主です。

 それに80年代からの労働状況は非常に悪化していました(※2)
 そこまで働かせていたのは地主です。

※2工場で働いていた人は1日12時間、睡眠時間は3時間、しかも電車がないため歩きで帰宅。
  ご飯も作らないとだめ。こういう生活をしているのです。大正時代になると、お母さんが働いている
  から、子供が面倒を見ないといけないという生活が待っています(子守り)

③政府に資金を貸す
 戦争にはお金が必要です。そこでもしもお金持ちが資金提供していたとしたら、政府は戦争したい放題です。

◎小作人の反応はどうだったか(明治後半~大正時代)
 小作人は地主の下で働くと、生活が出来ません。そこで、明治後半から大正時代にかけて小作人は年に職を求めます。このころ、都市部でも重工業の工場がたくさんの働き手が必要でした。そのため、職を見つけることが出来たそうです。しかし、その工場のオーナーは元地主でした。労働環境もあまり変わりませんでした。
 そして、大正時代になると、小作人が地主に反発します。これを小作争議と言います。しかし、あまり変わらなかったそうです。

◎これに対して、GHQはどのように対応したのか(昭和時代(太平洋戦争後))
太平洋戦争後(1945年)、GHQは日本に二度と戦争をさせない・みんなが平和になる国に改造しようとしました。

 戦争の条件は、①食糧がそろっている②武器や服がある
③①や②をそろえるためのお金が必要です。

GHQは日本に戦争をさせないためにはどうすればいいか考えました。お金がなければいいと考えました。
そこで、戦争の資金源は何か考えました。その答えが地主なのです。 
 では、なぜ地主がお金を持っているのか、それは、①土地をたくさん持っており、その土地を使って作物を大量に収穫②たくさんの小作人を働かせてしてお金をもうけていたからです。ではどうすればいいでしょうか?GHQの立場で考えてみてください。正解は以下の通りです。
 土地を少なくすれば、地主が儲からないから、資金提供できない。だから、戦争しなくても済むのです。
 そこで、GHQは地主の土地を持っていない小作人に土地を分配することを考えました。
 そうすることで①地主の土地を減らす②小作人は地主の下ではたらかなくなります。



②に関しては、そもそも小作人が地主の下で働かざるを得ない理由は、土地がないからです。
土地さえあれば、地主の元で働く必要性がなくなります。つまり、自作農化すれば、地主の労働力が削減されます。この改革を農地改革といいます。

このように押さえておくと、社会経済史も面白くなるのではないのでしょうか?
 一気に近現代史を押さえた感覚を味わったのではないのでしょうか?


《金本位制(銀本位制)とは何か》
◎そもそも経済とは何か
  • 経済とは何か
 ・定義+必要性
 ・合理化を進めるにはどうすればいいのか~貨幣の登場
 ・輸出/輸入とは何か(貿易収支)
  お金をもらう代わりに、国に物をget。
  お金を払う代わりに、国に物をもらう。
  • 物の価値はどのようにして決まるのか
  希少価値・国力(経済力・軍事力・権力の総称)
  物の定義は貨幣も含む。
  大量生産⇒資本主義(自由主義)⇒社会主義
  • 物の価値はコントロールできるのか
 ・銀行/金融
◎物々交換から発展して
  • 金・銀の使用
  • 札束との違い
◎金(銀)本位制度とは何か~意味があるのか
  • 国の権威がわかる
  • インフレを防ぐことができる(輸出がしにくい)
 ・貿易する相手が変わる。
◎金(銀)本位制で使う金(銀)はどのようにして手に入るのか
◎金(銀)本位制と管理通貨制度の違いは何か




























《製糸業と紡績業を押さえる》

 この分野も実はかなり、曲者で流れがつかみにくいことで知られています。
 では、扱っていきます。

◎そもそも生糸とは何か
◎生糸が輸入品⇒輸出品になる流れ
◎製糸業とは何か、流通ルートを踏まえて説明する~その1
(生産⇒鉄道で運搬⇒船で運搬)
◎製糸業とは何か、流通ルートを踏まえて説明する~その2
 (貨幣コントロール(円高/円安)⇒輸出する国はどこか⇒何を輸入するのか)
◎紡績業とは何か、流通ルートを踏まえて説明する~その1
 (生産・輸入⇒鉄道で運搬⇒船で運搬)
◎製糸業とは何か、流通ルートを踏まえて説明する~その2
(貨幣コントロール(円高/円安)⇒輸出する国はどこか⇒何を輸入するのか)





農地改革によって、地主の土地を小作人に分配しました。しかし、分配ですから、一人辺りの面積の大きさは小さいです。そのため、とれる農作物が少なくなります。

すると、儲けが少なくなります(農家の仕事は作物を作って売ることですから)。

そうなると、副業を強いられます。その副業が、工場での出稼ぎです。工場は主に都心部しかないため、都心部で生活します(都市の過密化)。一方で、農村は枯れ果てます(農村の過疎化)。

そうなると、農業人口も減少します(働き手もいなくなりますから)。必然的に作物量も減少します。

そうなると、60年代には、農業基本法が制定されるのです。同時期には、大型機械の導入や、重化学工業の発展を背景に化学肥料が使われていました。



あとは、品種改良によって米がとれない土地でも栽培できる米を作れるようになったことも押さえておくと良いと思います。




減反政策

農業基本法が制定されてから(大型機械の導入や化学肥料など)、農業の生産が向上しました。

同時に、たくさん作りすぎた結果、農作物の値段が著しく安くなったのです。いくら売っても、もうけにならないくらい。そうなると、農家の人は、その赤字を解消するために、出稼ぎにいく。農業基本法が農家を助けるどころかむしろ、苦しめる結果になったのです。

そこで、たくさん作りすぎないように、
農家の土地の面積を減らす政策を国家は実施。

しかし、農家は土地をなかなか手放さないため、
国家はこのように交渉しました。

「お金あげるから、土地を手放せ」

そうして農家が土地を手放すという国家の思惑が成功しました。
この政策を減反政策といいます(反は、土地の単位です。大宝律令でも、一反という単位が出てきたと思います)。

しかし、減反政策によって、食料自給率が少なくなっている問題が引き起こされています。

ちなみに、国家が農民を助けた背景は、食料自給率をあげるためです。

メリットは高度経済成長を促進された遠因にはなっています(都市の過密化によって、①労働者の増加②工場で作られた製品をたくさん販売できたのですから)。

とはいえ、減反政策よりも、自由化による食料自給率の低下を出しやすいかと思います。

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最終更新:2023年11月22日 22:29