①中国の状況
隋(589~)→唐(618~):都は長安、法律は律令
②飛鳥前半:蘇我氏&聖徳太子の時代
・蘇我氏(豪族の一族) →仏教受け入れ→物部氏と対立
・聖徳太子 →推古天皇の摂政に。蘇我氏と一緒に政治する
→冠位十二階、十七条の憲法、遣隋使(小野妹子)
③飛鳥後半:天智天皇・天武天皇の時代
・大化の改新:中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼす
→ 公地公民・班田収授法
・白村江の戦い → 大宰府・防人をおく
天智天皇即位
・壬申の乱:大海人皇子(弟)vs大友皇子(子)
→天武天皇即位、律令国家めざす
・大宝律令
①について
→今後、日本が中国からいろんなことを学び、
それによって日本の体制がつくられていく。
だから中国のことを知っておく必要がある。
②について
→能力や地位に応じて位を12個にわける
→条文がよく出る
→「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
→天子=天が政治を任せた相手=当時の皇帝の言い方。
→中国からすれば、天子=皇帝に日本が従っているという感覚
→それなのに日本は自分のことを「天子」と言っている
→日本は、中国と対等であることを示した
→仏教を広めるため
→寺はもともと仏教の開祖である釈迦の墓だった。釈迦の墓を大切にしようして、寺を建立しました
③について
1)高句麗が強大化
2)新羅が唐と手を組み、高句麗に対抗
3)高句麗を倒す前に、一番弱い百済を滅ぼそうとした→滅びた
4)百済は日本に助けてもらおうとした
【寺が出てくる理由】
①聖徳太子のころは、本格的な支配というよりかは
仏教の考え方にしたがった(寺はもともと仏教の開祖である釈迦の墓だったのです。釈迦の墓を大切にしようして、寺を建立しました)。
②時代を経ると、全国に仏教を広めるための道具として、寺を利用したのです。それが、7世紀中頃以降の話です。そうして、寺の権力が強くなったとさ。
※大化の改新のときに、仏教を広めようとするために、古墳を作ることを禁止したルールを作った。
(理由)
理由は古墳と寺の役割が似ているからです。共通点は①墓だったこと②古墳は権力者の墓だったため、寺と共通性があったのです。
自分の広めたいものと役割が似ているものが存在すると、広めたいものが広めにくくなります。
そこで、古墳を作ることを中止にすることで、寺院の権力が高まったのです。
【神社が出てくる理由】
①日本はもともとアニミズム信仰だったのです。
②時代を経るにしたがってアニミズム信仰が拡大化した結果生まれたものが神社です。
飛鳥時代を一言でまとめるなら
「中国の制度を真似て、中央集権体制の確立を目指す時代」。
豪族たちが争っていて国がまとまらない…
→天皇を中心に国をまとめたい=統一国家をつくりたい(→聖徳太子の基本方針)
→中央集権的な国家を作る必要
→ちょうど栄えている中国からいろいろ学ぼう(→遣隋使)
→中国の「律令」を真似しよう
→中央にいる貴族の権力を高めるために、農民から税をとる仕組み
→農民の負担が増し、不満が表れるのが
奈良時代
最終更新:2023年11月22日 22:24