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 顔にかかっている前髪をどけると、表われた形の良い額に唇を落としてやる。それがきっかけかどうか分からないが、彼女はゆっくりと瞳を開けた。ブルーの瞳はまだぼんやりとしているのか、数回瞬きをしてからこちらを覗きこむように見つめてくる。
 それでもまだ頭がはっきりしないらしい彼女の額にもう一度、唇を落として挨拶をしてやる。

「おはよう、メイ」
「っ‥‥!」

 やっとそこで意識がはっきりしたらしい彼女はは、びくりと体を揺らすと素早くベッドヘッドに置かれている時計を確認した。そこで初めて寝坊したことに気付いたらしい。寝坊といっても、まだ午前八時を越えたとこであり、常人の休日に比べれば早い方であることは間違いない。
 それでも冥の一家は、完璧をもって良しとする狩魔家であるため、少々の寝坊が悔しくてたまらないのであろう。しかも、彼女曰く弟弟子である私に起こされたのだからプライドが許さない。
 そんな冥の姿を見ると思わず笑みが零れてしまう。未だに歯を食いしばって悔しがっている冥をお姫様だっこで抱えるとウォークインクローゼットまで運んで行く。

「っ‥‥下ろしなさい! 御剣怜侍!」
「こちらが挨拶をしたんだ。そちらも挨拶で返したらどうだ?」
「くっ‥‥おはよう、レイジ」
「良い子だ、メイ」

 あやすようにゆすりながら、頬にキスを落とすと、全力で髪の毛を引っ張られた。彼女よりもだいぶ早くに目が覚めた私は、すでにきっちりと着替えて髪の毛も整えてある。着替えているとはいっても、仕事でないためラフなシャツにVネックのカーディガン、休日はこのくらいゆったりしている方が良い。
 冥をそっと絨毯の上に下ろしたせば、勢いよく彼女が口を開いた。何か文句でも言うつもりであろうことを察知したので、さっさと彼女のベッドに向かい、乱れてしまっているシーツを整える。

「今日は全く暑くない、むしろ涼しいくらいだ」
「そう‥‥」

 行き場の怒りを逃がしながら冥はそう軽く返事をした。

「ふム‥‥」

 ベッドメイキングが終わったので、冥の方へ寄れば下着姿のまま今日の衣類を選択している彼女の無防備な姿。私の気配に気付いた冥が振りかえるよりも早く、彼女の背後から手を回し、彼女の胸を容赦なく掴む。

「なっ‥‥!」

 怒るのにもタイミングを失った冥が目を白黒させている間に、数回揉みしだいてさっさと手を離す。この後、どうなるかなんてわかりきっていることだ。
 ようやくわきに置いてあった鞭を手に掴み、まさしく私に向けてその一手を振りおろそうとしていた時だった。

「自分の格好を考えろ、狩魔冥」
「‥‥きゃあ!」

 そう言われて見下ろすまでもない。自分が下着姿だったことを思い出して、慌ててしゃがみこんで自分の体を隠す。恨みがましそうに私を見上げてくるが、そんな涙を溜めて潤んだ瞳では小動物とて怯えないだろう。

「人のことをフルネームで呼ぶんじゃない! 御剣怜侍!」
「‥‥自分はどうなんだ」
「うるさい! レディの着替えの最中にあんなはしたないことするなんて‥‥!」

 昨日散々もっとすごいことをやったではないか、という言葉を飲みこんで、彼女の頭を一撫ですると彼女の視界に入らないようにクローゼットから離れる。
 私がいなくなったことでようやく着替えを始めたであろう彼女に少し離れた所から声をかける。

「着替え終わったら朝食をとるぞ」
「言われなくても食べるわよ」
「フ‥‥それもそうだな。では先に食堂にいるとしよう」

 着替え終わってクローゼットから出てきた冥にそう言って、彼女の額にキスを落としてから部屋を後にする。唇が降りたところに触れながら冥はその背中を睨みつけているのだろう。
 三十分もかからない内に、二人は朝食をとると再び冥の自室に戻り、今日行くコースの相談をし始めた。とは言っても主に意見を述べるのは冥中心である。結局電車で数十分で行ける大きなショッピングモールに決まった。

「ではすぐ行くか?」
「そうね‥‥10時ころでも構わないかしら?」
「了解した」

 時間を見れば、やっと午前九時になろうとしているところであった。レディの外出の準備は時間がかかるのよ、という言葉に苦笑を浮かべてから冥の部屋を出た。レディの外出準備ともなれば、私はいない方が良いだろう。
 手持無沙汰になってしまったので、狩魔家の倉庫に向かった。倉庫といっても、一般家庭のような倉庫ではなく、そこには今まで冥やその父であり私の師匠である先生の取り扱った事件の資料が整理して陳列してある。その内の一つを手に取ると、一ページ目からゆっくりと見始めた。
 自分が関わった事件ではないけれど、こうして目を通し、一つでも多くの事件を知っておくことでこれから類似した事件を取り扱う時の参考になることもある。

「‥‥‥‥‥‥レイジ、またここにいたのね」

 いつの間にか没頭してしまっていたらしい。冥の呼びかける声ではっと顔をあげた。

「知ってる? もう10時を30分も過ぎたとこよ」
「何っ‥‥!?」

 驚いて腕時計を見てみれば、すでに十時半を数分過ぎていた。

「30分も待ったのに‥‥一向に来ないからどうしたのかと思ったわ」
「声をかけてくれば良かっただろう‥‥すまない」
「あら、あなたから誘ったのだからあなたが声をかけるのが普通でしょう? レディに恥をかかせるなんてひどい男ね」
「うム‥‥すまなかった」

 これには何も言い返せないので、素直に謝罪の意を述べた。それを聞いた冥はため息をついてから満足げに笑みを浮かべ、左手の甲を差し出してきた。

「行くわよ。エスコートしてくれるんでしょう?」

 それを見た私は、ことさら丁重にその手を受け取った。
 電車で数十分のそこは、大型ショッピングモールでエリアごとに売っているもが違う。食料品を扱うスーパーのような店から、小さな映画館や本屋などの娯楽施設、また大衆向けの雑貨屋や衣服類も売っている。
 まず昼食をとろうということでレストランエリアに足を向ける。気軽に入れそうなイタリアンの店に入ると、時間も時間であるためか少し待たされてしまった。一時間ほどで昼食を終えると、今日の本題であるプレゼントを探しに出る。
 向かったのは冥お気に入りのレディースファッションショップの一つ。その店は、冥の年齢から考えればいささか大人向けすぎるのだが、その雰囲気を冥は好んでいた。

「いらっしゃいませ、狩魔様。今日はご家族の方がご一緒ではないんですね」

 頭を下げた店員がちらりと私の方を見て、そう言った。

「えぇ、私の‥‥父の教え子よ」

 私のことを何と紹介していいのか分からなかったのだろう。彼女の性格を考えれば、恋人というには照れくさくて、弟弟子というには気恥ずかしい気持ちがあったのだろう。

「今月の新作はあるの?」

 そう言ってから冥は、さっさと私をスルーして陳列してある服に手を伸ばして行く。この間、もちろんすることもないので壁にもたれかかり、店員と話しながら服を選んでいる冥を見るともなしに見ていた。時折、店員と笑い合っている姿を見ると、年相応の女の子に見える。
 女性の買い物は長い、それは優柔不断だとか、より良いものを探そうとする本能が働いているとか、様々な諸説がある。冥は基本的に普段の行動では決断の人である。しかし、完璧を大事にするということもあるのかあーでもない、こーでもないというように一枚一枚丁寧に目を通しては、フックにかけ直すという動作を繰り返している。
 普段は男勝りな性格で、相手の弁護士もやりこめているというのに、ふとしたところに女性らしさが見られてふっと笑みが零れる。
 ふと並べてある服に目を通すと、全体的にモノトーン調でシンプルなデザインが多い。試しに御剣も傍らのシャツを一枚取ってみるが、黒を基調としており、黒に近いグレーやブラウンで細かい刺繍がほどこされており、丁寧な作りになっている。

「そちらの刺繍は手が込んでいて、同じ薔薇でも一つ一つ違う薔薇が刻まれているんですよ」

 にっこりと笑った店員が、話しかけてくる。

「狩魔様にはいつもお世話になっております」
「あぁ‥‥」
「特に冥様にはご贔屓いただいて‥‥」

 深々と頭を下げる店員に倣って軽く会釈をする。すでに検事として働いている彼女一人で買い物に来ることもあるのだろうか。

「今月は冥様の誕生日ですから、‥‥贈り物ですか?」
「あぁ、そのつもりですよ」

 さすが高級店の店員だけあって、常連客の誕生日が頭に入っているのだろう。
 それに相槌を打って、他の服にも目を配る。確かにどれも作りはシンプルだが要所要所に手の込んだ刺繍がレースが施されており、それのどれもごてごて目立つようなものではない。
 なるほど冥が気に入るのも分かる。しかし、あまりにもシンプルすぎるその服に小さく溜息をついた。もちろん、これらの服に文句があるわけではない。ただ冥の年齢を考えると、少し違和感を覚えるのである。
 まだ私に比べれば幼い冥が好んで着るのは今日みたいな落ち着いた色の服。大人っぽい、と言えば聞こえはいいが、ようは暗い色が多いのだ。

「これいいわね‥‥んー、でも‥‥」

 と冥が現在手に取っている服も、黒のワンピース。裾の辺りに白いビーズとレース模様が施されてはいるが、これも暗い色である。もう片方はタートルネックノースリーブはダークブラウンでこれも上品な刺繍が施されている。
 鏡で見比べながら、こっちでもない、そっちでもないと繰り返している。女性の買い物は長い、と聞いていたが、普段法廷では決断の人である冥では想像つかないほどに迷っている姿は新鮮であった。

「メイ」
「っ‥‥何?」

 見かねて声をかければ、まさか声をかけられると思っていなかった彼女は少し驚いてから振り返った。

「たまには明るい色を買ってみたらどうだ?」
「あら、私の好みに口出ししないでちょうだい?」
「‥‥だが、代金を払うのは私だ」

 そう言われてしまえば彼女も言い返すことができず、ぐっと詰まる。普段、偉ぶってはいるが人一倍倫理観の強い彼女は、買ってもらうという立場をきちんと理解しているようだった。その様子に苦笑を浮かべて冥の髪をすくって指に一瞬だけ絡ませる。その手をぱっと振り払おうとした冥の手よりも一瞬早く手をひっこめる。
 子供扱いされることが人一倍嫌いな彼女は、頭を撫でられるという行為に一歩遅れて顔を真っ赤にさせた。

「ひっ‥‥人前よ! 何考えてるの御剣怜侍!」
「私はただ君に服を贈りたいだけなのだよ」

 陳列されている服の内の一着を手に取る。それは先ほど冥が手に取っていたワンピースの色違いであり、白と黒が全く逆のものである。それはおおよそ冥が今まで着たことのないような色合いのものであった。

「君にはこういう白い服も似合う」

 姿見の前でそのワンピースを、冥を後ろから抱くように彼女の体に合わせる。視線を合わせるように屈めば、冥は顔を真っ赤にさせた。

「なっ‥‥何を!」
「綺麗だよ、メイ。とても美しい」

 ぎくりと肩を揺らした冥はひったくるようにそのワンピースを彼から奪うと、レジへさっさと行ってしまった。

「た、たまにはこういう色もいいなって私も思ってたのよ。別にレイジに言われたからっていうわけじゃないからね」
「‥‥分かってるさ」

 ふっと笑うと、冥の後を追うようにレジへ向かう。代金をカードで払い、プレゼント用で、と注文した。目の前にいるのだから、いらないだろう、という冥の言葉が紡がれる前に店員はさっさと茶色の袋に入れ、白のリボンと赤のリボン飾りをつけてしまった。
 出口までお持ちしましょう、という店員の言葉をやんわりと断り、袋を受け取ると店から出る。
 再び冥の手を引いて、店を出る。彼女の様子を盗み見れば、特に表情を変えるということはないが、少しだけ嬉しそうに見えるのは私の欲目だろうか。

「用事は一応終わったが、何か他に用事はあるか?」
「‥‥他の店も見てみたいわ」
「うム、どこでも良いぞ」

 そう答えれば、冥はにっと笑ってつないだ手をひっぱりながら私の一歩先を歩き始めた。ちらりと時計を見ればまだ午後二時を過ぎたところ。
 結局その後、その服に合う鞄と靴も買わされてしまった。別にそれでどうこう言う程しか稼いでないわけでもないので、冥の嬉しそうな顔を見れただけで良しとしよう。金の方の問題は良いのだが、服と違って鞄や靴にはお気に入りの店がないようで、多数の店をめぐるはめになった。

「行きたいところがあるんだがいいか?」
「え‥‥構わないわよ」

 ガラス張りのフロアの窓から、夕日が射し込んでくる。日は傾きかけていて、あたりはもうすぐ橙に染まろうというところであった。冥の手がじわりと暖かくて、逆に己の手の冷たさを自覚する。自然と緊張してしまっているらしい。急な私の提案に戸惑ったような彼女が目を丸くする。
 彼女の手を引きながら向かったのは高級ショップが立ち並ぶエリア。冥でさえ、父親や母親にまだ早いと言われ、あまり連れて行ってはもらえないようなエリアである。そこに並ぶ店は世界的にも有名で、名前を知るものは多いが実際に持つものは少ないようなブランドである。

「レ、レイジ‥‥?」
「何だ?」

 普段あまり来ないようなエリアに、不安げな様子で冥が私の名を呼ぶ。心配しなくても、私はここが目的なのだ。
 ドアを開けば、シックな黒スーツに身を包んだ店員が頭を下げる。カウンターに控える店員の一人がこちらを見るとにっこりと笑顔を浮かべる。それに対し軽く頭を下げる。

「御剣様、いらっしゃいませ」

 まさか私が、この店に訪れたことがあると思っていなかった冥が大きな瞳をさらに見開く。

「まさかレイジ、常連なの‥‥?」
「いや、ちょっと前にな」

 不安げに眉を寄せている冥の手を離し、カウンターに進んで行く。さすがに冥は気が引けているのか私の二歩ほど後ろで買ったばかりの服などの紙袋を抱きしめている。

「ご注文の品はこちらでよろしいでしょうか?」

 カウンターに控えていた店員が差し出してきたのは、緑のベロア生地のジュエリーケースと、それを入れる用のブランド名の入った小さな紙袋。ジュエリーケースを開いて中身を確認し、頷くと、店員はにっこりと笑ってケースを紙袋に入れて手渡してくれた。
 一連を見ていたはずの冥はまだきょとんと瞳を開いており、私が受け取った紙袋を凝視している。

「行くぞ、冥」

 と言って初めてはっと気付いたように反応してから、少し慌てた様子で私の後を着いてくる。紙袋と私とカウンター奥の店員を見比べるようにきょろきょろした冥を引き連れて、店を出る。扉を開いた瞬間、ありがとうございました、と店員の揃った声が聞こえる。

「‥‥レイジ、それ何?」

 店を出てから数メートル。きっと、ずっと聞きたくてうずうずしていたであろう彼女が、その質問を投げかけてくる。

「キミへの贈り物だ。‥‥そう焦るな、レディならば粛々としていたまえ」

 色々な感情を含んだような笑みを浮かべてやれば、自分の質問をないがしろにされたことに対して怒りを覚えた彼女が眉を吊り上げる。

「そんな顔するな、人前だぞ」

 と言ってやれば周りを見回してから、繋いでない方の手で背中をしこたまはたかれたのだった。


つづく
最終更新:2013年07月28日 02:50