本文

※ふりがな、注番号、図は省いてある。
 それらが省かれていないものをしっかり見て解きたい人は、こちらをどうぞ。

次の文章を読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。(配点 50)
 鐔というものを、ふとした機会から注意して見始めたのは、ここ数年来の事だから、未だ合点のいかぬ節もあり、鐔に関する本を読んでみても、人の話を聞いてみても、いろいろ説があり、不明な点が多いのだが。
 鐔の歴史は、無論、刀剣とともに古いわけだが、普通、私達が鐔を見て、好き嫌いを言っているのは、室町時代以後の製作品である。何と言っても、応仁の大乱というものは、史上の大事件なのであり、これを境として、A日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った。所謂鐔なるものは、この大乱の産物と言ってよいのである。私は鐔を弄ってみて、初めて、この事実に、はっきり気附いた。政令は無きに等しく、上下貴賤の差別なく、ドウ(ア)リョウ親族とても油断が出来ず、毎日が、ただ強い者勝ちの刃傷沙汰に明け暮れるというような時世が到来すれば、主人も従者に太刀を持たせて安心しているわけにもいくまい。いや、太刀を帯取にさげ佩いているようでは、急場の間には合わぬという事になる。やかましい太刀の拵などは、もはや問題ではない。乱世が、太刀を打刀に変えた。打刀という言葉が曖昧なら、特権階級の標格たる太刀が、実用本位の兇器に変じたと言っていい。こんな次第になる以前、鐔は太刀の拵全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、拵無用の打刀となってみても、実用上、鐔という拵だけは省けない。当然、実用本位の堅牢な鉄鐔の製作が要求され、先ず刀匠や甲冑師が、この要求を満すのである。彼等が打った粗朴な板鐔は、荒地にばらまかれた種のようなものだ。
 誰も、乱世を進んで求めはしない。誰も、身に降りかかる乱世に、乱心を以て処する事は出来ない。人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鐔に仕立てて行くのである。やがて、専門の鐔工が現れ、そのうちに名工と言われるものが現れ、という風に鐔の姿を追って行くと、私の耳は、乱世というドラマの底で、不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。

信家作と言われる或る鐔に、こんな文句が彫られている。「あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもはぬ。」X現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。これは文句ではない。鉄鐔の表情なので、眺めていれば、鍛えた人の顔も、使った人の顔も見えて来る。観念は消えて了うのだ。感じられて来るものは、まるで、それは、荒地に芽を出した植物が、やがて一見妙な花をつけ、実を結んだ、その花や実の尤もな心根のようなものである。
 鐔好きの間で、古いところでは信家、金家と相場が決っている。相場が決っているという事は、何となく面白くない事で、私も、初めは、鐔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。花は桜に限らないという批評の力は、花は桜という平凡な文句に容易に敵し難いようなものであろうか。信家、金家については、はっきりした事は何も解っていないようだ。銘の切り方から、信家、金家には何代かが、何人かがあったと考えらえるから、室町末期頃、先ず甲府で信家風の鐔が作られ、伏見で金家風の鐔が作られ始めたというくらいの事しか言えないらしい。それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいるのだから、手元にあるものを写して貰った。
 井戸茶碗の身元は不詳だが、茶碗は井戸という言葉はある。同じ意味合いで、信家のこれはと思うものは、鐔は信家といい度げな顔をしている。井戸もそうだが、信家も、これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるか、と質問して止まないようである。それは、確定した形というより、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏のようなものだ。信家は、武田信玄の鐔師で、信という字は信玄から貰った、と言われている。多分、伝説だろう。Yだが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。伝説は、何時頃生れたのだろう。「甲陽軍鑑」の大流行につられて生れたのかも知れない。「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで、幾つでも偽書が現れるほど、武田信玄や高坂弾正の思い出という本物は、生き生きとして、当時の人々の心に在った事を想えば、別段面白くもない話である。何時の間にか伝説を生み出していた鐔の魅力と伝説であって事実ではないという実証とは、何んの関係もない。こんな解り切った事に、歴史家は、案外迂闊なものなのだ。魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。
 信家の鐔にぶら下っているのは、瓢簞で、金家の方の図柄は「野晒し」で、大変異ったもののようだが、両方に共通した何か一種明るい感じがあるのが面白い。髑髏は鉢巻をした蛸鮹のようで、「あら楽や」と歌っても、別段構わぬような風がある。
 この時代の鐔の模様には、されこうべの他に五輪塔やら経文やらが多く見られるが、これを仏教思想の影響というような簡単な言葉で片附けてみても、Bどうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。戦国武士達には、仏教は高い宗教思想でもなければ、難かしい形而上学でもなかったであろう。仏教は葬式の為にあるもの、と思っている今日の私達には、彼等の日常生活に糧を与えていた仏教など考え難い。又、考えている限り、クウ(イ)バクたる問題だろう。だが、彼等の日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか、そういう彼等の感受性のなかに居るのである。
 何時だったか、田辺尚雄氏に会って、平家琵琶の話になった時、平家琵琶ではないが、一つ非常に古い琵琶を聞かせてあげよう、と言われた。今でも、九州の或る処には、説教琵琶というものが遺っているそうで、地鎮の祭などで、琵琶を弾じながら、経文を誦する、それを、氏の音楽講座で、何日何時に放送するから、聞きなさい、と言われた。私は、伊豆の或る宿屋で、夜、ひとり、放送を聞いた。琵琶は数分で終って了ったが、非常な感動を受けた。文句は解らないが、経文の単調なバスの主調に、絶えず琵琶の(ウ)バンソウが鳴っているのだが、それは、勇壮と言ってもいいほど、男らしく明るく気持ちのよいものであった。これなら解る、と私は感じた。こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない、と感じた。仏教を宗教だとか思想だとか呼んでいたのでは、容易に解って来ないものがある。室町期は時宗の最盛期であった。不明なところが多すぎるが、時宗は民衆の芸能と深い関係があった。乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行僧は、従軍僧として戦場に入り込んでいたであろう。彼等は戦うものの最期を見届け、これをその生国の人々に伝え、お札などを売りつけて、生計を立てていたかも知れない。そういう時に、あのような琵琶の音がしたかも知れない。金家の「野晒し」にも、そんな音が聞えるようである。

 鉄鐔は、所謂「下剋上」の産物だが、長い伝統的文化の一時の中断なのだから、この新工芸の成長の速度は速かった。平和が来て、刀が腰の飾りになると、鐔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鐔は、もう私の興味を惹かない。鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。
 鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧であり、彫や象嵌が発達しても、鐔の基本的な装飾たる事を止めない。刀匠や甲冑師は、ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りたのだが、いつの間にか、星だとか花だとか或は鎌だとか斧だとか、日常、誰にでも親しい物の形が、文様となって現れて来た。地鉄を鍛えている人がそんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、そんな事は、決して解る筈がないという処が面白い。Cもし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。装飾は、実用と手を握っている。透の美しさは、鐔の堅牢と軽快とを語り、これを保証しているところにある。様々な流派が出来て文様透がだんだん巧緻になっても、この基本の性質は失われない。又、この性質は、彫や象嵌の世界ででも、消極的にだが守られているのであり、彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えもどうでもよくなって来れば、鐔の装飾は、大地を奪われ、クウ(エ)な自由に転落する。名人芸も、これに救うに足りぬ。

先日、伊那にいる知人から、高遠城址の桜を見に来ないかと誘われた。実は、この原稿を書き始めると約束の日が来て了ったので出掛けたのである。高遠には、茅野から杖突峠を越えて行く道がある。峠の下に諏訪神社の上社がある。雪を残した八ヶ岳の方から、冷たい強い風が吹いて、神社はシン(オ)カンとしていた。境内の満開の桜も見る人はなかった。私は、高遠の桜の事や、あそこでは信玄の子供が討死したから、信玄の事など考えていたが、ふと神殿の後の森を見上げた。若芽を点々と出した大木の梢が、青空に網の目のように拡がっていた。その上を、白い鳥の群れが舞っていたが、枝には、近附いて見れば大壺ほどもあるかと思われる鳥の巣が、幾つも幾つもあるのに気附いた。なるほど、これは桜より余程見事だ、と見上げていたが、私には何の鳥やらわからない。社務所に、巫女姿の娘さんが顔を出したので、聞いてみたら、白鷺と五位鷺だと答えた。樹は何の樹だと訊ねたら、あれはただの樹だ、と言って大笑いした。私は飽かず眺めた。そのうちに、白鷺だか五位鷺だかは知らないが、一羽が、かなり低く下りて来て、頭上を舞った。両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は延びて、硬い空気の層を割る。D私は鶴丸透の発生に立会う想いがした
                             (小林秀雄「鐔」による)

(注)
1  鐔――日本刀で、柄や刀身の間にはさむ装具(次ページの図を参照)。
2  帯取にさげ佩いている――帯取(太刀を結び付けるひも)で腰からさげている。
3  打刀――相手に打ち当てて切りつける実戦用の刀。
4  標格――象徴(シンボル)。
5  甲冑師――かぶとやよろいなどの武具を作る職人。
6  信家――桃山時代の代表的な鐔工。金家も同じ。
7  写して貰った――この文章にはもともと写真が添えられていた。ただし、ここでは省略した。
8  井戸茶碗――朝鮮半島産の茶碗の一種。
9  節奏――リズム。
10 甲陽軍鑑――武田信玄・勝頼二代の事績、軍法などを記した、江戸時代初期の書物。
11 高坂弾正――高坂昌信(1527~1578)。武田家の家臣。「甲陽軍鑑」の元となった文書を遺したとされる。
12 野晒し――風雨にさらされた白骨。特に、されこうべ(頭骨)。
13 五輪塔――方・円・三角・半月・団の五つの形から成る塔。平安中期頃から供養塔・墓塔として用いた。
14 形而上学――物事の本質や存在の根本原理を探求する学問。
15 田辺尚雄――東洋音楽を研究した音楽学者(1883~1984)。
16 平家琵琶――「平家物語」を語るのに合わせて演奏する琵琶の音曲。
17 バス――低音の男声。
18 時宗――浄土教の一派。一遍(1229~1289)を開祖とする。
19 遊行僧――諸国を旅して修行・教化した僧。
20 象嵌――金属などの地に貝殻など別の材料をはめ込んで模様を作る技法。
21 鉄の地金のこと。


問1 傍線部(ア)~(オ)の漢字と同じ漢字を含むものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は( 1 )~( 5 )。

(ア)ドウリョウ  ( 1 )
  ①若手のカンリョウ ②チリョウに専念する ③荷物をジュリョウする 
  ④なだらかなキュウリョウ ⑤セイリョウな空気

(イ)クウバク  ( 2 )
  ①他人にソクバクされる ②冗談にバクショウ ③サバクを歩く
  ④江戸にバクフを開く ⑤バクガトウを分解する

(ウ)バンソウ  ( 3 )
  ①家族ドウハンで旅をする ②ハンカガイを歩く ③資材をハンニュウする
  ④見本品をハンプする ⑤著書がジュウハンされる

(エ)クウソ  ( 4 )
  ①ソエンな間柄になる ②ソゼイ制度を見直す ③緊急のソチをとる
  ④被害の拡大をソシする ⑤美術館でソゾウを見る

(オ)シンカン  ( 5 )
  ①証人をカンモンする ②規制をカンワする ③ユウカンな行為をたたえる
  ④勝利にカンキする ⑤広場はカンサンとしている

問2 傍線部A「日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 6 )。

①鐔は応仁の大乱以前には富や権力を象徴する刀剣の拵の一部だったが、それ以後は命をかけた実戦のための有用性と、乱世においても自分を見失わずしたたかに生き抜くための精神性とが求められるようになったということ。
②鐔は応仁の大乱以前には特権階級の富や権力を象徴する日用品としての美しさを重視されていたが、それ以後は身分を問わず使用されるようになり、平俗な装飾品としての手ごろさが求められるようになったということ。
③鐔は応仁の大乱以前には実際に使われる可能性の少ない刀剣の一部としてあったが、それ以後は刀剣が乱世を生き抜くために必要な武器となったことで、手軽で生産性の高い簡素な形が鐔に求められるようになったということ。
④鐔は応仁の大乱以前には権威と品格とを表現する装具であったが、それ以後、専門の鐔工の登場によって強度が向上してくると、乱世において生命の安全を保証してくれるかのような安心感が求められるようになったということ。
⑤鐔は応仁の大乱以前には刀剣の拵の一部に過ぎないと軽視されていたが、乱世においては武器全体の評価を決定づけるものとして注目され、戦いの場で士気を鼓舞するような丈夫で力強い作りが求められるようになったということ。

問3 傍線部B「どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える」とあるが、そこには筆者のどのような考えがあるか。最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 7 )。
①仏教を戦国武士達の日常生活の糧となっていた思想と見なすのは軽率というほかなく、彼等と仏教との関係を現代人が正しく理解するには、説教琵琶のような、当時滲透していた芸能に携わるのが最も良い手段であるという考え。
②この時代の鐔にほどこされた五輪塔や経文の意匠は、戦国武士達にとっての仏教が、ふだん現代人の感じているような暗く堅苦しいものではなく、むしろ知的な遊びに富むものであることを示すのではないかという考え。
③戦国武士達に仏教がどのように滲透していたかを正しく理解するには、文献から仏教思想を学ぶことに加えて、例えば説教琵琶を分析して当時の人々の感性を明らかにするような方法を重視すべきだという考え。
④この時代の鐔の文様に五輪塔や経文が多く用いられているからといって、鐔工や戦国武士達が仏教思想を理解していたとするのは、例えば仏教を葬式のためにあると決めつけるのと同じくらい浅はかな見方ではないかという考え。
⑤戦国武士達の日用品と仏教の関係を現代人がとらえるには、それを観念的に理解するのではなく、説教琵琶のような、当時の生活を反映した文化にじかに触れることで、その頃の人々の心を実感することが必要だという考え。

問4 傍線部C「もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。」とあるが、それはどういうことをたとえているか。最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 8 )。
①実用的な鐔を作るためには鉄が最も確かな素材であったので、いくつもの流派が出現することによって文様透の形状は様々に変化していっても、常に鉄のみがその地金であり続けたことをたとえている。
②刀剣を実戦で使用できるようにするために鐔の強度と軽さとを追求していく過程で、鉄という素材の質に見合った透がおのずと生み出され、日常的な物をかたどる美しい文様が出現したことをたとえている。
③乱世において武器として活用することができる刀剣の一部として鉄を鍛えていくうちに、長い伝統を反映して必然的に自然の美を表現するようになり、それが美しい文様の始原となったことをたとえている。
④「下剋上」の時代において地金を鍛える技術が進歩し、鐔の素材に巧緻な装飾をほどこすことができるようになったため、生命力をより力強く表現した文様が彫られるようになっていったことをたとえている。
⑤鐔が実用品として多く生産されるようになるにしたがって、刀匠や甲冑師といった人々の技量も上がり、日常的な物の形を写実的な文様として硬い地金に彫り抜くことが可能になったことをたとえている。

問5 傍線部D「私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。」とあるが、その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 9 )。
①戦乱の悲劇が繰り返された土地の雰囲気を色濃くとどめる神社で、巣を守り続けてきた鳥の姿に、この世の無常を感じ、繊細な鶴をかたどった鶴丸透が当時の人々の心を象徴する文様として生まれたことが想像できたから。
②桜が咲きほこる神社の大樹に棲む鳥がいくつも巣をかけているさまを見て、武士達も太刀で身を守るだけでなく、鐔に鶴の文様を抜いた鶴丸透を彫るなどの工夫をこらし、優雅な文化を作ろうとしていたと感じられたから。
③神社の森で巣を守る鳥が警戒しながら飛びまわる姿を見ているうちに、生命を守ろうとしている生き物の本能に触発された金工家達が、翼を広げた鶴の対称的な形象の文様を彫る鶴丸透の構想を得たことに思い及んだから。
④参拝者もない神社に満開の桜が咲く華やかな時期に、大樹を根城とする一羽の鳥が巣を堅く守る様子を見て、討死した信玄の子供の不幸な境遇が連想され、鶴をかたどる鶴丸透に込められた親の強い願いに思い至ったから。
⑤満開の桜を見る者もいない神社でひたむきに巣を守って舞う鳥に出会い、生きるために常に緊張し続けるその姿態が力感ある美を体現していることに感銘を受け、鶴の文様を抜いた鶴丸透の出現を重ね見る思いがしたから。

問6 この文章の表現と構成について、次の(i)・(ii)の問いに答えよ。
(i) 波線部X「現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。」と、波線部Y「だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。」とに共通する表現上の特徴について最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。解答番号は( 10 )。

①「言葉だけ」の「だけ」や「面白くも」の「も」のように、限定や強調の助詞により、問題点が何かを明確にして論じようとするところに表現上の特徴がある。
②「と言ってみても」や「と言ったところで」のように、議論しても仕方がないと、はぐらかしたうえで、自説を展開しようとするところに表現上の特徴がある。
③「意味がない」や「面白くもない」のように、一般的にありがちな見方を最初に打ち消してから、書き手独自の主張を推し進めるところに表現上の特徴がある。
④「思わせぶりな」や「拙劣な」、「事実ではあるまい」のように、消極的な評価表現によって、読み手に不安を抱かせようとするところに表現上の特徴がある。

(ii) この文章は、空白行によって四つの部分に分けられているが、その全体の構成のとらえ方として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。解答番号は( 11 )。
①この文章は、最初の部分が全体の主旨を表し、残りの三つの部分がそれに関する具体的な話題による説明という構成になっている。
②この文章は、四つの部分が順に起承転結という関係で結び付き、結論となる内容が最後の部分で示されるという構成になっている。
③この文章は、それぞれの部分の最後に、その部分の要点が示されていて、全体としてはそれらが並立するという構成になっている。
④この文章は、人間と文化に関する一般的な命題を、四つのそれぞれ異なる個別例によって論証するという構成になっている。


解答

問1 (ア)① (イ)③  (ウ)①  (エ)①  (オ)⑤
問2 ①
問3 ⑤
問4 ②
問5 ⑤
問6 (i)③ (ii)①

解説

テーマは「鐔(つば)」。かなり親しみにくいテーマですが、筆者の主張を愚直に追っていくしかありません。
2段落で「鐔の歴史」と来たので、変化が語られる文脈だと思って読んでいると、傍線部A「変って了った」。予想通りです。変化の表現は、対比をつくりますから、「AからBへ」と整理してやればおしまいです。必要に応じて変化の理由(きっかけ)もしっかり拾いますが、きっかけは「応仁の大乱」とだけ押さえておけば十分でしょう。
「鐔」への「見方(=考え方)」がどう変わったんだろう、と傍線部以降を追っていけば、「太刀(=象徴)」→「打刀(=実戦)」という変化は一瞬で押さえられます。特権階級の人たちがシンボルとして身につけていたものが、実践用の刀へと変わったので、鐔も単なる飾りではなくなったと言っているわけです。
問題はその次の段落です。「誰も、乱世を進んで求めはしない」という書き出しからは、「変化」の話が続いているのかどうか一瞬わかりかねます。ですが、そのあと「少しずつ、鐔に仕立てて行く」と来ますから、やはり変わらず「変化」の文脈です。そして、もう少し注意深く見ると、「そういう止むに止まれぬ人心の動きが」という主語になっており、まさに傍線部にあった「日本人の」「見方」「考え方」といったものがここに示されているのではないでしょうか。「そういう」という指示語の指す内容は、「平常心」「秩序」「文化」を求める気持ち、です。
ここまで押さえれば、問2は①で問題ないでしょう。そもそも「象徴→実戦」という内容を忠実に反映したのがこれしかないですからね。最後の「精神性」という表現はまさに先ほど述べた「人"心"の動き」という箇所にきれいに対応しています。そして、「有用性と、……精神性とが」と書かれていますから、第2・3段落が並列関係であると出題者が読み取っていることがわかります。

本文に戻ります。その次の段落は「信家作」という書き出しで始まり、具体例のような匂いを感じます。そして波線部X(このページでは傍線部になってしまっていますが・・)が現れますが、傍線部の種類が異なるので特殊な設問になることが予想されます。とはいえ、いつでもどこでも内容を押さえることは絶対条件ですから、素直に押さえていくと、現代人を批判している文脈であることがわかります。直後に「これは文句ではない」とありますから、「言葉だけ見て、『文句だ』と多くの人は言うが、違うぞ」と筆者は言っている。このことが分かれば通過してしまっていいでしょう。やはり、同一語句(ここでは「文句」)が繰り返されると主張はとらえやすいですね。
そこからしばらく固有名詞だらけの具体的説明が続き、波線部Yが来ます。「だが」という逆接が来て、「面白くもない」とこれまた批判的な文脈です。伝説、という一般論を否定しています。
この段階で問6の(i)は③でいいでしょう。そもそも、選択肢ごとに着眼している言葉が異なっているわけで、否定に触れているのは③のみです。

そのままペースを崩さず傍線部Bに突入しましょう。面白いことに、またここも否定の文脈であることに気付きましたか。どうやらこの筆者は否定するのが大好きなようです。そして、否定は対比を生み出します。今回は、「仏教思想の影響」という「言葉」で片付けてしまうことを「知識の遊戯(お遊び)」だと否定しています。その直後で「難かしい形而上学でもなかった」と同内容を別の言い方で繰り返しています。
では、言葉で片付けるのがダメだとすれば、どう片付ければいいのでしょうか? そう問いを立てながら本文と対話してください。すると・・・すぐに筆者は答えてくれましたね。「今日の私達には、彼等の日常生活に糧を与えていた仏教など考え難い」。ここで「私達」と「彼等」の対比が明確に示されます。「私達」は難しい言葉で片付けてしまいがちですが、「彼等」は仏教を日常生活に糧を与えるものだと考えていることが読み取れました。そして、段落末尾で「彼等の感受性」と来ます。ここで、言語的なものと感覚的なもの、という対比になっていることに気づいたうえで問3の選択肢の述部だけ並べて見てみれば、「実感」という熟語の入っている⑤が一瞬で浮き彫りになるはずです。「感性」という言葉の入っている③も気になるかもしれませんが、「学ぶ」とか「分析」とか「明らかにする」とか、明らかに話が学問的で、むしろここで答えるべき方向とは逆でしょう。

その後、平家琵琶の話が入ってこのパートが終わります。どうやら、空白で区切られている一つのパートにつき傍線問題が一問設置されているようです。次のパートでは、また話が鐔に戻ります。そう、先程のパートは回想シーンだったのです。(第1パートの末尾と第2パートの末尾の対応関係に気付けていれば、分かるでしょう。)鐔の考察をしていたら他のことを思い出して脱線してしまったのです。何が言いたいのかよくわからない人も多いと思いますが、第2パートの最後のほうで「乱世」「戦場」「戦う」といった話が出てきているところから、乱世における当時の人々の考え方について述べているんだと認識できればいいのでしょう。ですが、少し踏み込んで言うなら、鐔に実用性を求めるようになった当時の人々の価値観を、仏教の浸透と筆者は関連付けて論じているという感じでしょうか。
ここまで読解しきるのは短い試験時間の中では難しいことかもしれませんが、なにも固有名詞をすべて拾って具体例まで100%読み切れ、と言っているわけではありません。文章というのは一つのメッセージを伝えようとあの手この手工夫した結果、どうしても長くなってしまったのです。その長くさせている要素一つ一つに対して、それがなんのための要素なのかと役割を考えていくことが、本文全体の理解に繋がっていくのです。

話を戻して、次のパートの読解に入りましょう。どうやら鐔の「成長」、という話になっていますが、「そうなった鐔は、もう私の興味を惹かない」とまたもや否定文です。ここで、「乱世」と「平和」という対比を引き出せたでしょうか。そして、「じゃあ、筆者は何に興味をもっているのか?」と問いかけられましたか。問いかけたら、答えてくれます。今回も、「鐔の面白さは・・・」と即答です。このあたりから、筆者の声が聞こえてきますね。
平和な状態だと刀はただの飾り。戦争が起こると実戦の道具となる。後者のときに鐔が化粧して行くのが面白い。
こんなふうに受け取れましたか。そしていよいよ傍線部Cですが、「水をやれば」「芽を出した」という表現から比喩になっていることに一瞬で気が付きます。この比喩を一般化できるか、という設問になることも予想できます。いきなりこんな比喩を使うわけありませんから、傍線部の前からの流れを読み直しましょう。同時に、「文様透」という言葉を理解しなければならない以上は、それについても理解する必要があります。この言葉自体は傍線部で初めて出てきたものの、これを分解した「文様」と「透(すかし)」という言葉は段落冒頭に初登場していますから、そこから追ってください。
そうすれば、鉄鐔になんらかの模様をつけているという話であることは読み取れます。これもある種の「変化」であり、「鉄[=素材]→(化粧)→文様透」と図式化できます。こうした変化を、「芽を出した」という比喩が表現していることに気付きましたか。本文中から取り出すなら、「文様となって現れて来た」という箇所に対応します。
そして、「水をやれば」が何を表しているかに気付くのは少し難しいかもしれませんが、「鉄」を植物のように扱っていることを考えれば、植物は水をやれば時間の経過とともに勝手に芽を出すのですから、それは本文中の「いつの間にか」(=自然と)とニュアンス的に対応していることがわかります。
したがって、問4は「おのずと」「生み出され」「出現した」と書かれた②が正解です。

この正答選択肢②の冒頭部に「実戦」や「鐔の強度と軽さとを追求」という、第1段落で述べられた内容がまた出てきました。乱世に入ったことで実用性を求めるようになった、というのがこの文章全体にわたるテーマであることが改めてわかりますし、多くの評論が時代性、時代変化を語るものであるというスキーマを活かせばよりそのことは理解できるでしょう。やや随筆風で、評論という評論でないがために読みにくかった人も多いと思いますが、変化の構造を練習するには格好の素材です。

さて、最後のパートにいきましょう。また「先日」と来て、筆者の体験が語られます。固有名詞がつらつらと並びますが、神社に来て鳥などの自然に触れているという文脈をさらっと押さえてください。そして最後の傍線部Dですが、「〜想いがした」と、まさかの心情問題が設置できそうな傍線部になっています。
まずは落ち着いて「鶴丸透」という初出の単語を処理することと、この心情描写の背景にあるものを押さえていくこと(つまり小説の問題を解くように「原因→心情」という流れを捉えることを行ってください。
「文様透」という話が第3パートで出てきたことを考えれば、「鶴丸透」とは、鶴の模様の鐔だとわかります。では、なぜそんなものを筆者は想像したのでしょうか? 原因なしに勝手にそんなものが浮かぶわけありません。そう思って直前の鳥の描写を参照できたかです。「両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は延びて、硬い空気の層を割る」とありますが、単純化してください。「翼」「脚」「嘴」という3つのものが描写されていて、それぞれ「強く」「整然と」「硬い空気の層を割る」・・・すべてに共通するのは「強さ」ではないでしょうか。そこから鶴の柄を描いた堅固な鉄鐔を想像した、と解釈するしかありません。
以上を踏まえて問5の選択肢を見たときに、④の「強い」という表現に反応した人も多いと思いますが、「親の」「願い」って関係あるんでしょうか。一旦④を除外し、他に類似したものを探せば、⑤の中央にある「力感」という表現に反応できたはずです。選択肢全体を読んでみても、傍線部直前の内容+傍線部の内容をきれいに反映しています。さすがセンター試験、解答は明確です。

ここまで解いたうえで、全体の構成もある程度は明確になりました(鮮明に描けた人はあまりいないと思いますが・・)。第2パートが回想でしたが、なんと第4パートも回想でした。この2つのパートはあきらかに本文のテーマから照らしてみれば具体性の高い内容になっています。文章のジャンルが評論文であれ随筆文であれ、抽象と具体を何往復しながら一つのメッセージを伝えていくのは変わりません。今回については、これまでの設問を解いていくなかで、筆者が「乱世」や「実戦」という言葉を繰り返し用いながら、全体を通して、当時の時代が産んだものを「鐔」を素材に語ろうとしていることが分かったでしょうか。その観点から、最後に問6の(ii)の選択肢を見てください。具体の連続、という観点から①が正解なのはすぐに勘づきます。
ですが、念のため消去法も活用しましょう。抽象パートと具体パートの段差が明確であることから、③の「並立」、④の「四つの…個別例」は切れます。②の「起承転結」、特に最終パートの回想シーンが「結」であるなんて、ありえません。
ですからどう考えても①が答えなのですが、第3パートの抽象度がどれほどのものか、とふと思った人もいたのではないでしょうか。このパートにおけるテーマも結局のところ「鐔」であることには間違いないのですから。しかし、問4で確認したように「文様透」という話がここでは出てきていたり、また、第3パートの冒頭文に「"新工芸"の成長の速度は速かった」とあることを考えると、鐔の「デザイン」というより専門性の高い話が展開されていることがわかります。第1パートは書き出しということもあり、乱世における変化そのものがメッセージの大半を占めています。ここまで踏まえれば、第2〜4パートが「具体的な話題による説明」であるという出題者の解釈に問題はないとわかるはずです。

時間が余れば、誤答選択肢のリーズニング(理由付け)を徹底的にやってください。
誤答の作られ方から学べることも多いです。例えば今回で言えば、
本文不在の強調表現 問3①「軽率というほかなく」「最も良い手段」、問4「最も確かな素材」「常に鉄のみ」
本文不在の価値判断 問2⑤「軽視」、問3④「浅はかな見方」
このような誤答選択肢の典型というものも出ています。

しかし、あくまで大事なのは、本文をよく読んで傍線部と対応するように内容をきちんと整理し、ポイントを押さえたうえで選択肢にいくことです。軸をもっていれば、はじめから誤答の相手なんかする必要はないのです。その感覚を身につけてこそ、制限時間の枠の中で解答できるスピード感まで身につくはずです。

P.S.2016年に行った以下の公開授業で、この設問を扱いました。動画で見たい人は是非どうぞ。
センター現古直前特講(2016.1.10)
https://youtu.be/UPerTb4bBUM

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最終更新:2023年11月28日 07:30