第2問 民族の対立や共存
(1) 近代以降の中国における民族意識の強まり
(a) 漢の武帝の時代、中国の北辺の支配をめぐり激しい攻防を繰り返した騎馬遊牧民国家の前3世紀末頃の状況について、2行以内で記しなさい。
【解答例】
(a)匈奴は冒頓単于の下、白登山の戦いで前漢の高祖を破るとともに西域の月氏を圧迫し、ユーラシア東方初の遊牧国家を確立した(orモンゴル高原を統一した)。(59字/52字)
【解説】
(b) 清末には、漢民族自立の気運がおこる一方で、清朝の下にあったモンゴルやチベットでも独立の気運が高まった。辛亥革命前後のモンゴルとチベットの独立の動きについて、3行以内で記しなさい。
【解答例】
(b)清による中央集権化や漢語教育に対する不満を背景に辛亥革命の勃発に際し外モンゴルは独立を宣言、後にチョイバルサンらが社会主義国を樹立、チベットはダライ=ラマ13世が独立を布告した。(90字)
【解説】
- 辛亥革命「前」における「清の政策への不満」に関しては、相当マイナーな内容であり、記述するのが厳しいと思われる。
(2) 近代以降の西洋列強による植民地支配の拡大とそれに対する抵抗
(a) 図版は、19世紀後半の世界の一体化を進める画期となった一大工事を描いたものである。その施設を含む地域は、1922年に王国として独立した。どこで何が造られたかを明らかにし、その完成から20年程の間のその地域に対するイギリスの関与とそれに対する反発とを、4行以内で記しなさい。
【解答例】
(a) エジプトのスエズで運河が建設されたが、インドとの連絡を図るイギリスがスエズ運河会社株を買収してこの地における影響を広げた。ウラービー=パシャが「エジプト人のためのエジプト」を掲げて蜂起するとイギリスはこれを鎮圧し、エジプトを保護国とした。(120字)
【解説】
- スエズ運河の完成=1869年から1889年までの20年間に着目。
- 1875年におけるイギリスによるスエズ運河株買収については必ず触れる。
- 1882年のウラービーの乱についても触れる。
- エジプトがイギリスの事実上の保護国となったのはウラービーの乱のときであるが、正式に保護国となったのは1914年。
(b) オーストラリアは、ヨーロッパから最も遠く離れた植民地の一つであった。現在では多民族主義・多文化主義の国であるが、1970年代までは白人中心主義がとられてきた。ヨーロッパ人の入植の経緯と白人中心主義が形成された過程とを、2行以内で記しなさい。
【解答例】
(b)イギリスの流刑地だったが牧羊の発達で移民が増加、金鉱発見で中国移民が増加すると非白人移民を制限する白豪主義が採された。(60字)
(3) アメリカ合衆国における移民の排斥
(a)
第一次世界大戦後、1920年代のアメリカ合衆国では、移民や黒人に対する排斥運動が活発化した。これらの運動やそれに関わる政策の概要を、3行以内で記しなさい。
【解答例】
イタリア系移民を冤罪のまま処刑するサッコ・ヴァンゼッティ事件、KKKの活動が活発化して黒人を迫害したほか、東欧からの移民数を制限し、アジア系移民を全面禁止する移民法が制定された。(90字)
【解説】
- 移民に関しては、1924年の排日移民法については必ず触れる。
(b) アメリカ合衆国は、戦争による領土の拡大や併合によっても多様な住民を抱えることになった。このうち、1846年に開始された戦争の名、およびその戦争の経緯について、2行以内に記しなさい。
【解答例】
明白な天命を掲げるアメリカによるテキサス併合によりアメリカ=メキシコ戦争が勃発、アメリカはカリフォルニア等を獲得した。
【解説】
- 問題文の「領土の拡大や併合」とあることから、戦争の結果についても触れる。
第3問 言語・思想
(1)ソロン
(2)墨家
(3)コルドバ
(4)ガザーリー
(5)全真教
(6)トンブクトゥ
(7)考証学
(8)バーブ教
(9)マルサス
(10)フロイト
最終更新:2023年12月05日 21:19