解答・解説
問二
- 「何が」本来の真実なのか。
- それが、「なぜ」本来の真実なのか。
(なぜ本来性が失われたのか)
を明確に!
- 古代人の心的プロセスを述べた後の傍線部。
- 「もともと稲には精霊いたんだけど、農業続けていくうちに有用性ばかり追い求めて、精霊ぽさ忘れちゃったよねー。だからそれを回復する手段としては、供犠だよねと」
- 視点を意識して読むことがかなり重要。
傍線Aの主語は何か。→古代人。
※そもそも、現代人は精霊を信じないし、生贄にしない。
古代人と現代人の対比ではない。
①霊のあり方を、もとにただす。
②稲には霊が宿っているという考えを、本来のあり方として位置付ける。
↓
古代人の視点で述べられている以上、②はありえない。
古代人はそもそも、稲に霊が宿ることを「必ず意識」しているから。
①霊をすっげー存在に戻すために、祭りとかをやって富や資材を破壊すべきだ。
②稲に霊が宿るという考えを普及させるために、祭りとかをやって稲を破壊すべきだ。
- ①の方向性で書く以上、「稲は」など、稲を主題ともこの文章は、稲の話ではない。
タイトルの「贈与の系譜学」もヒント。
運がよければ分かる。
日本倫理・哲学グランプリに出てくる博学な高校生なら、普通にわかる。
結構な割合で、誤読する人も出てくる、
- キーワードは、「自然的生命体」「究極・目的」「有用性」「連続性」「精霊的真実」
- 霊はこういうものだ、と言い聞かせる。そのために、破壊して、そういう存在に戻す。という話。
- 自然的生命体には、もともと精霊的事実(=精霊)があった。しかし、人間が、有用性を求めて、それをダメにしてしまった。だから、それをもとに戻そうという話。
- そして、精霊的事実は、目的・究極であり、人間との連続性でもある。。
- 読点の打ちすぎでくどく見えないように注意
【タブー答案】
古代人が意識していたように、稲は元来、農業生産の単位としての有用な作物ではなく、それ自体が固有の目的を秘めたもので、精霊的な真実をもつ自然的生命体であったということ。(90字)
× 古代人と現代人の対比を暗に前提としている
× 「稲」を主題として、まとめてしまっている
【正解例】
もともと自然的生命体が、それ固有の目的・究極として有していたが、人間が生産物としての有用性を追求したことで失われてしまった、人間との深い連続性を伴う、精霊的真実のこと。(84字)
もともと自然的生命体が有していたものの、人間が生産物としての有用性という価値を追求したことにより失われてしまった、それ固有の目的・究極であり、人間との連続性、すなわち精霊的真実のこと。(92字)
問三
Bは、日常における有益な行動や活動の循環のなかで、享受・利用される生産物であり、個々人の消費によりそこから新たな活動エネルギーを得ることで再生産に役立つといった、有用性という価値をもつものとして稲を捉える次元である。一方、Cは、供犠や祝祭において、それ自体は何にも役立つことはなく、神々への捧げ物や贈り物として破壊され消失されるものとして稲を捉える次元である。(180字)
問四
- やはり、対比は明確に。
- 「本質」、つまりは根本的に何が大事なのかをきちんと述べる。
供犠や祝祭では、肥えた羊や豊かに実った稲を、交換や消費というやり方で殺害するのではなく、荘厳かつ晴れやかな様態で神々に贈与するという形で破壊することで、稲のもつ事物性を破壊することに意義があるということ。(102字)
問五
- 「稲」に限定された文脈でないことに注意。
- やはり、対比は明確に。
- 「瞬間」を説明することを強く意識。
供犠において、生産された富や資材が、保存や持続という価値という次元から切り離され、純粋な贈与という形で消失されていく瞬間。(61字)
問六
- 最終段落で述べられた、「供犠」の定義を確実に押さえる。
古代人にとって、供犠の場で行われる富や資材の殺害という行為は、有用性という価値のために消費や交換という形で行われるのではなく、神々への純粋な贈与という形で行われるものであり、そのふるまい方は本来的なものである。(105字)
最終更新:2024年06月21日 20:30