はじめに 〜京大現代文総論〜

 京都大学の現代文は、まず形式の不定性が目立つ。東京大学に限らず、だいたいどの大学もある程度同じような形式の出題を守っているが、京大は設問、素材文ともに不定。評論や随筆はもちろん、文理の別を問わず小説が出題されることもあれば、またその長さも短かったり長かったり(最大で4300字程度であり、東大の第一問が基本的に3000字程度なのを考えればそれなりの長文だとみてよい)、設問の要求も基本的には傍線部問題であるものの、例外も少なくない。
 このような外見的相違をいったん措けば、ひとまず次のような特徴が指摘可能であると思われる。

①設問数自体は少ないが、本文の長さと比べるとじつは少ないとは言えず、むしろ多いと言ってもいい場合すらあり、またいずれの年度も解答欄はかなり広く設定されている(平均して20行前後の記述量。最大で28行)。
 →本文を丁寧にじっくり読み込み、一つひとつの問題を深く掘り下げるような意識が求められている。使い古された言い回しに頼るなら、「思考力」が求められている。
 →他の大学の現代文の問題よりも、かなり粘り強く解答要件を拾う必要がある。随筆や小説であれば、さらに自分で(大胆に)補充する必要も少なくない。

②本文の論理整理に留まらず、レトリカルな表現などの理解を問う問題が頻出。
 →しばしば傍線部に四字熟語や慣用句に含まれていることがある。(2010年文系第二問の問三のように、日本語として「不自然な」表現の理解が問われることさえある。)
 →古い文章が出題されやすい傾向も否定できないことからも、過去問演習の中で語彙力の増強が必要と感じられることもあるだろう。このあたりは(京大は科目数も多いのだから)全体のバランスをうまく考えて対策をすることが望ましい。

③出題は評論から随筆、小説など多岐にわたり、素材文に拘泥しない。
 →2004年など、過去には書簡さえもが出題されたことがあり、大学教授からすれば素材文の違いには大きなこだわりをもっていないと考えられる(※)。与えられた言語情報を要求に応じて的確に整理できるかどうかを問うているのであって、それが問えるのであれば何でもよい。(むしろ、高い能力をもっているのであればそのような素材文の違いに惑わされず柔軟に論理が整理ができると考えているとみてもよいだろう。)
 →もちろん素材文の違いによって、解答を記述する際の「自由度」にいくらか差が生じるものの、最終的にはどのような素材文であっても同じことを問うていると認識できるようになることが望ましい。

(※)もう少し正確に述べれば、素材文をどこからもってくるかに関心を抱いていないということであると思われる。すなわち、東大がある種のイデオロギーツールとして素材文を採択していると考えられる(それは当然、いわゆる「メッセージ性」を含ませているというよりは、東大の出題が入試現代文全体の傾向に大きく影響を与えうることへの自覚にもとづき、おそらく出題者であると思われる駒場の教員たちが、学生たちに自分たちの講義を受けてもらうべく、「こういう文章を読んだことがあれば講義内容にも興味をもってもらえるだろう」という考えから文章を選んできている、ということである)のに対して、京大はそのような意識がなく、比較的新しい学者から選ぶこともあれば、永井荷風など「古典的」という評価を獲得しつつある筆者、さらには過去に使用したことのある素材(2011年理系)から出題することがある。

また、京都大学の二次試験自体は、合格最低点は低めに設定されている。
 実際に2017年の京大文学部を受験したと考えてみる。センター試験の得点率を8割(200/250)と仮定すると、2017年の合格最低点は465/750点であるから、二次試験で465―200=265点獲得すればよいことになる。文学部の配点は、国語150点、英語150点、数学100点、社会100点であるから、265/500点、つまり5割程度の得点(53%)で合格することになる。(ちなみに2017年の東大文三であれば、合格最低点が344点で、センターの得点率を同じ条件で考えると二次試験で58%必要となる。東大京大いずれも実際の受験生は基本的にセンターでもう少し稼ぐことを考えれば、やや極端ではあるが京大二次試験は4割程度の得点でも合格している場合があると考えてもよいように思われる。)
 数学や社会など他教科の事情もあるとはいえ、あの解答欄に書かれた答案に対してそれなりに部分点を与えられているとすればもう少し全体の合格最低点は上がっても良さそうに思える。このようなデータが出ていることから、採点は(少なくともそれなりには)厳しいことが想定可能である。(さらにまたこのような事情から、京都大学の入試全般に共通する特色として挙げられる「高校生のレベルを遥かに超えた能力を問おうとしている」という出題傾向に対して、そのような高いレベルに達していなくても、あくまで高校生の範囲で十分な能力をもっていれば合格は普通に可能であることが推測できる。あまり入試ゴシップに惑わされないようにしてほしい。)

 たとえば東大現代文であれば、センター試験のように類似した出題形式・コンセプトの試験が存在しているが、京大現代文は存在しない。
 →そのため、京大対策には他の大学よりも過去問演習が重要となる。擬古文を除き、07年以降(つまり、文系と理系とで出題が分かれて以降)を中心に過去問を解けるようにしておくことが重要。とくに理系の問題は「標準的な」出題が多く、(厳しい要求かもしれないが、文系は可能であれば満点近くとるぐらいのつもりで)得点できるようにしておくことが望ましい。
 また学校の資料室などで後期入試の過去問が手に入るのであれば、04、05、06年後期に手を出してみてもよいが、重要なことは全体のバランスと各科目の時間配分である。京大だからといって先に述べたような合格最低点の事情があるのだから、センター試験の練習も疎かにすべきではない。

 とにかく、まずは「膨大な」解答欄を徹底的に埋め尽くす意識を養成すること。余計なことを書けばそれだけ減点されるリスクも負うことになるが、読める程度の字で解答要件と思われるポイントを徹底的に詰め込んでやること。さらに言えば白紙答案に点数は与えられないのだから、一行でもいいからなにか書くこと(字数が設定されていないのだから、当然ポイントが押さえられていれば一行でも点数はもらえる)。記述への抵抗や苦手意識を減らすこと。
 そのうえで、的確で緻密な処理ができるように訓練を図っていくべきである。時にはテクニカルな論理の整理が要求されることもあるし、随筆や小説では大胆で攻撃的な補充が求められることも少なくない。やや精神論じみてしまうが、本文と真正面からじっくり向き合って、一つひとつの問題を丁寧に解く――京大のアカデミズムが要求しているのはそうした「深い思考力」であり、その養成こそが京大合格にとって最も重要なことである。

問題

三 次の文を読んで、後の問に答えよ。

今日ごく当たり前に使われている「言文一致体」は、明治二〇年頃から明治四〇年近くまで、およそ二〇年かけてようやく一般化していった。たとえば『吾輩は猫である』(明治三八年~三九年)なども、この文体が一気に広まっていく渦中に世に問われた小説だったのである。猫に「~である」という演説調で語らせるなど、それまで思いもよらなかった実験が可能になったわけで、小説の表現領域や発想はこれを機に急速に広がっていくことになる。漱石が齢四十近くなって初めて小説の筆を執ったのも、また森鴎外が長い中断を経て現代小説の執筆を開始するのも、この新しい文体に触発された側面が大きい。文体をめぐるそれまでの伝統を見切ったことを代償に、近代小説は一気にその全盛時代を迎えることになったわけである。
言文一致の利点は、なんと言ってもその平明な「わかりやすさ」にあったのだが、これと並び、当時しばしばその長所とされたのが、記述の「正確さ」であった。物事を正確に写し取っていく写実主義の浸透にともない、「言文一致体」は日常のできごとを ありのまま に描写していくのにもっともふさわしい手立てであると考えられたのである。
だが、考えてみると、(1)これはそもそもおかしなことではないだろうか
口語(会話)は、本来きわめて主観的なものであるはずだ。表情やみぶりで内容を補うこともできるし、あらかじめ共有されている話題であれば、自由に内容を省略することもできる。当時の描写論議、あるいは言文一致論議を見ていて奇妙に思われるのは、主観的な口語を模したこの文体がもっとも「客観的」で「細密」である、とまじめに信じられていた形跡のあることだ。急速に広まっていく写実主義の風潮の中で、過度に客観性が期待されてしまった点にこそ、おそらくはこの文体のもっとも大きな不幸と矛盾、同時にまた、それゆえの面白さがあったのではないだろうか。

田山花袋の「平面描写」論(『『生』に於ける試み』明治四一年)は、「客観の事象に対しても少しもその内部に立ち入らず、又人物の内部精神にも立ち入らず、ただ見たまま聴いたまま触れたままの現象をさながらに描く」ことをめざしたもので、言文一致体にいかに客観的なよそおいを凝らしていくか、という課題から生み出された、当時を代表する描写論である。言い換えるなら、「客観」への信仰があったからこそこうしたよそおいもまた可能になったわけで、ここから話者である「私」を隠していくためのさまざまな技術が発達していくことになったのだった。結果的に叙述に空白  目隠し  が生み出され、読者の想像の自由が膨らんでいくことになったのは (2)大変興味深いパラドックスであったと言わなければならない
一方で、こうした「話者の見えない話し言葉」の持つ 欺瞞 に対する疑問も、同時にわき起こってくることになる。特に次にあげる岩野泡鳴の「一元描写論」とは正反対の立場に立つ考え方なのだった。



作者が自分の独存として自分の実人生の臨む如く、創作に於いては作者の主観を移入した
人物を若しくは主観に直接共通の人物一人に定めなければならぬ。これをしないではどんな
作者もその描写を概念と説明とから免れしめることができぬのだ。その一人(甲なら甲)の
気ぶんになつてその甲が見た通りの人生を描写しなければならぬ。斬うなれば、作者は初め
てその取り扱ふ人物の感覚的姿態で停止せずに、その心理にまでも而も具体的に立ち入れる
のである。そして若し作者が乙なり丙なりになりたかつたら、さう定めてもいいが、定めた
以上は、その筆の間にたとへ時々でも自分の概念的都合上乙若しくは丙以外のものになつて
見てはならぬ。 (『現代将来の小説的発想を一新すべき僕の描写論』大正七年)

「話者の顔の見えない話し言葉」に対して、はっきりと一人の人物の視点に立ち、その判断で統一を図れ、という主張である。(3)この主張をさらにおしつめれば、明確に「顔」の見える「私」を表に出すのが一番明快である、という考えに行き着くことになるだろう。それを極端な形で実践したのが明治の末から大正初頭にかけ、反自然主義として鮮烈なデビューをかざった白樺派の若者たちなのだった。彼らは一人称の「自分」を大胆に打ち出し、作中世界のすべてをその「自分」の判断として統括しようと企てることになる。
(安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』より)

問一 傍線部(1)について、筆者がこのように考えるのはなぜか、説明せよ。

問二 傍線部(2)について、このように言えるのはなぜか、説明せよ。

問三 傍線部(3)について、このように言えるのはなぜか、説明せよ。


解答例

問一

新たな文体である言文一致体こそが、写実主義の目指す正確で客観的な表現に最適であるという

期待は、口語が本来は話者の主観的な言葉遣いで、非言語的な文脈に依拠した補完や省略を許す

ものでもある、といった点を軽視(or看過)しているように思われるから。(115字)

問二

客観的描写の実現という、言文一致体の登場を契機として直面した課題に応えるべく、話者の一

人称性を消去する(隠す)ための数々の技術が発達した過程で生じた、文章中で明示的には描

かれない部分は、その当初の意図に反して読者の自由な想像を促す結果となったから。
(120字)

問三

口語体から話者の一人称性を消そうとするのではなく、明確に一人の話者を設定し、作中世界の

すべてをその視点からの判断に統一すべきだとする信条のもとで小説を執筆するとき、一人称視

点からの叙述は、人物や物事の外面的描写のみに留まらず、その話者の心理までもを具体的に描

写でき、より豊かな作中世界の表現を可能にするから。(154字)

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最終更新:2023年12月06日 09:25