はじめに

早稲田や慶應をはじめとする難関私立の問題は、多くはマーク形式の問題ですが、正解と不正解の差がセンター試験と比べるとかなり小さい、つまりひっかけの選択肢に引っかかりやすい構造になっているというのが特徴です。予備校間で解答が割れることだってあります。
 では、どうすればそういった問題に対応できるようになるのか? 共通テストや国公立大の問題への対応とは、どのような点を変える必要があるのか? その上でヒントになるようなことを次に示していきますから、自分なりの答えを探ってみてください。

《ヒント》
①読みながら解く? 読んでから解く?
②悪問に対してはどういう態度を取ればよいか?
③最後の内容一致問題 ― 読む前に選択肢を見ておいたほうがいいのか?
④内容は100%理解しなければならないか?
そもそも100%の理解を求める問題になっているのか?
 やはり日常での読書量がものを言うのか?

問題

PDFで解きたい方は、以下の【三】をご参照ください。
https://drive.google.com/drive/folders/1iMN5jiN0QjLCd_pTuEm2oS8KAQxQAMG9

次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。

見田宗介は、竹田青嗣の文体について興味深いことを述べている。そこでは「ほんとうの」ではなく「ほんとうに」という言葉が、重要な役割を果たしているというのだ。

「世界」は存在するのではない、人びとの欲望の相関者としてはじめて色めき立つ
  ものだ、という竹田の世界感覚は、自分にとってのもののみえ方が、まわりの人び
とにとってのもののみえ方と、どうしようもなくズレている、という事実を、日常の
経験としてきた人間の感覚ではないかと思う。
   竹田の文章が要所で放つ「ほんとうに」という副詞は、書くことの外部からくる
息づかいのように、彼の論理の展開の、生きられる明証性のようなものを主張してい
る。宮沢賢治は「ほんとうの」しあわせとか考えとか世界を求めた。竹田の断念は、
〈真実〉を方法の場所に、形容詞ではなく副詞の場所にまでしずめている。

世界はあらかじめ【 A 】の存在としてあるのではなく、生きられることによって可能になる。だがその生の形式の裡にとどまるものは、世界を自明なものとして生きてしまう。それに対して、「あるのが当たり前」だと周りが考えているのを手に入れられない、あるいは失ってしまった人々は、その自明性の裡にあることができない。だからこそ「自明なもの=ほんとうの何か」ではなく、自ら生きることによって「ほんとうに」可能になる「それ」へと差し向けられることで、彼らは世界を獲得することができるのである。
哲学史的には、こうした世界獲得は、ハイデガーからレヴィナスを経由してサルトルに至る、「存在すること」と「存在」の差異という現象学的命題、そして実存主義の主張として知られている。形容詞から副詞へ、名詞から動詞への転回は、「ほんとうの幸せ」を求めることではなく、「ほんとうに幸せになる」ことの意義を、私たちに示している。
私たちが「ほんとうに」幸せになることで、世界の意味を獲得することは、見られる対象として名詞化されることではなく、見る主体として動詞化する可能性へと、私たちを誘う。宇多田ヒカルは唄う、「幸せになろう/当然の野望」(「幸せになろう」)。「幸せにして」とは、彼女は決して唄わない。不確かな世界を受け入れ、その中でせめてもの幸福を手に入れようと望むことは、世界を諦めることとは違う。1世界を見ることで、わたしたちは世界を手に入れるのだ
それは具体的には、私たちが私たち自身を、社会科学的な分析の対象にとどまらない存在として自己承認するということを意味している。多くの「ロストジェネレーション論」が私たちに向けるまなざしは、私たちがいかに「社会科学的に」【 B 】な存在であるかということを証明するというものである。それはもちろん、科学的に正しい態度だ。しかしその裡にとどまる限り、私たちは調査データの一部として、何パーセントかの困窮者の一人として、人称性を欠いた客体の一部として抽象化されざるを得ない。それは果たして、私たち実存を満たすものだろうか。
なぜ「苦しい」ということを言うために、わざわざ社会科学的な根拠を持ち出さなければならないのか。【          C          】。だとすれば私たちに必要なのは、社会科学的な客体として苦しみを正当化することではなく、文芸的な言葉を紡ぐ美的な主体として、実存そのものの金切り声を上げることであるはずだ。
繰り返すが、社会科学的な施策は絶対に必要だ。しかし、それだけでは私たちは「ほんとうに」幸せになることはできない。それどころか、過剰な社会科学の呼び出しによって私たちは、実存的主体ではなく政治的な主体としてしか、世界に関わることができなくなってしまう。「そんなに苦しいなら、現政権を倒すために、私たちと一緒に闘おう」と呼びかけられるとき、私たちの苦しみは「投票する有象無象の中の一票」へと切り縮められる。求めていたのは、闘って誰かから何かを奪うことではなく、当たり前に幸せになるということであったはずなのに。
ただ普通に幸せに「なる」ということを宣言し、実践するためにこそ、豊かな「サブカル社会ニッポン」のリソースは使われなければならない。そこで声を大文字の政治の中で主体的にすることや、まして、サブカルチャーそのものを政治化することが求められているのではないのだ。それは生きるための手段ではなく、生きること、幸せになることそれ自体として、私たちの周りに存在しているのである。
いつか訪れる救済に【 D 】を託す革命の論理が機能し得たのは、世界をラディカルに変えていくことが、私たちがほんとうに手に入れるべきものを教えてくれる最良の手段だと見なされていたからである。だがそれは現在の私たちが、未来に対する負債を背負っているという意識の下でしか可能ではない。そしてその負債を払わされているという認識が当然のように求められるようになるとき、「いつか訪れる革命」のごときメシアニズムは、未来のための自己犠牲と献身を要求するカルトへと堕す。他方で、世界のラディカルな変革が進めば進むほど、希望は後悔へと変貌し、どちらを向いてもユートピアは(字義通り)存在しないことが明らかになってしまう。
「あいつらの取り分を奪えばいうまくいく」といった考えの持つ限界を克服するために、私たちに貧困や格差や競争や強さを要求しているなにものかを捉え、批判し、現在を食い被っていくためにこそ、それらは必要とされている。新自由主義というモードに浸されたサブカル・ニッポンは、しかしそれゆえに、2私たちの実存の声を上げる場へと反転する力を有しているのである。
必要なのは「苦しい」と率直に言うことであり、そして互いにそれを聞き合うことだ。根拠などなくていい、美しく飾り立てる必要すらない。「このまま殺されるくらいなら、いっそみんなを殺してやる」と自らを追い込まないためにこそ、語り合い、聞き合うことが求められている。そして、そのための場所は、サブカルチャーを通じて、この社会には無数に用意されているのだ。
社会科学の言葉と、文芸の言葉。形式としての客体と、声を上げる主体。いずれも私たちが生きていく上で、欠かすことができないものだ。「苦しい」と語り合う声が、いつしか「楽しい」と語り合う場を生み出すなら、そこにこの社会の希望がある。その希望こそは、私たちが「ほんとうに」幸せになるための【 E 】を促す力となるだろう。
(鈴木謙介『サブカル・ニッポンの新自由主義』による)

問一 空欄【 A 】に入る言葉を、次のイ~ホの中から一つ選び、その解答欄にマークせよ。
  イ 外部  ロ 可能  ハ 生  ニ 自明  ホ 日常

問二 傍線部1とはどういうことか、その説明として最も適切なものを、次のイ~ニの中から選び、その解答欄にマークせよ。
  イ 社会科学的な分析で客体化されてしまう私たちは、自ら見ることで主体をとり
もどし主客のバランスを維持するのが、「ほんとうに」幸せを求めて世界を獲得
するのにつながる、ということ。
  ロ 私たちにとっては、まず自分に可能な範囲を見さだめることからはじめて、そ
こに「ほんとうに」幸せになるのを求めることが、より大きな世界を獲得するこ
とにつながる、ということ。
  ハ 「ほんとうの幸せ」を求めて行動するのは終点のない試みであり、私たちにとっ
て世界を獲得するとは、まず世界を自分の目で見て、「ほんとうに」可能な幸せ
だけを求めることだ、ということ。
  ニ 見られる対象として客体化された私たちが、自ら見る主体へとすすみでて、ど
んなにささやかであっても「ほんとうに」幸せになろうとするのが、世界を獲得
することになる、ということ。

問三 空欄【 B 】に入る語句を、次のイ~ホの中から一つ選び、その解答欄にマークせよ。
  イ 不幸  ロ 客体的  ハ 必要  ニ 抽象的  ホ 不確か

問四 空欄【 C 】に入る文を、次のイ~ホの中から一つ選び、その解答欄にマークせよ。
  イ 苦しみは社会的というより、実存的といったほうがよい。
  ロ 苦しみは社会的でもあるが、同時にすぐれて実存的だ
  ハ 苦しみは社会的ではなく、個の実存にかかわるものだ
  ニ 苦しみは社会的でもなければ、ただちに実存的でもない
  ホ 苦しみはまず社会的で、ついで実存的なものである

問五 空欄【 D 】に入る言葉を、次のイ~ホの中から一つ選び、その解答欄にマークせよ。
  イ 実存  ロ 現在  ハ 希望  ニ 変革  ホ 世界

問六 空欄【 E 】に入る語句を、次のイ~ホの中から一つ選び、その解答欄にマークせよ。
  イ 社会変革  ロ 自己実現  ハ 限界克服  ニ 社会分析  ホ 世界感覚

問七 本文が述べている内容と合致するものを、次のイ~ホの中から一つ選び、その解
答欄にマークせよ。
  イ 「ほんとうの」幸せや考えを求めた宮沢賢治は、世界を手に入れられず、世界
を諦めるしかなかった。
  ロ 「ロストジェネレーション論」の流行は、私たちに主体化を絶対に許さない社
会を浮き彫りにする。
  ハ 集団的行為から離れ、個々人が自由な政治的な主体になれば、新自由主義の乗
り越えは可能である。
  ニ サブカル・ニッポンのリソースは豊かなので、私たちが当たり前に幸せになる
ことを可能にする。
  ホ 文芸の言葉が社会科学の言葉に対し優位にたつのは、文芸がサブカルチャーに
分類されるからである。

解答

問一 ニ  問二 ニ  問三 イ  問四 ロ
問五 ハ  問六 ロ  問七 イ  問八 ニ

難易・良し悪しの峻別

問一 易問。絶対に正解すること!
問二 きわめて標準的な問題。センターで出てもおかしくないレベル。
問三 悪問。本文の文脈を踏まえればロも答えとしておかしくはない。
   論理よりも感覚が優れた人が正答に至れる問題。
問四 易問かつ良問。これが出来ないようでは、早稲田合格は厳しい。
問五 やや難問。段落内の論理関係を的確に整理できたかどうか。
   いわゆる本文の論理整理力を問うている。
問六 難問。しかし誤答選択肢は、ほとんどがかなり明確に消去出来るので、悪問ではない。
問七 標準的な問題。ホが消しにくい。
「本文と矛盾」「本文に不在」というレベルの選択肢だけではなく、「因果関係がおかしい」
等、論理関係の不適切さを指摘させるような選択肢が多い印象。

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最終更新:2023年12月06日 09:55