問1

知覚は知覚自身を超えていく=超越=

(解く段階においては…見えない・足りない部分を補う。今知覚している情報以上のものを把握する。その認識が人間にはある。これが把握できてれば問題ない。)

人間の知覚=ある種有限! ex.コップ→表象としては平面的!これをある種全体的なこととして把握できるのはなんでか、という問題がある=見えている主観というものを超えて、客観というものに人間はいかに関与していくか?という超越の問題(かなり古典的、哲学的な問題)が前提とされている。
→こういう前提知識があったほうがいいが、読めなくても理解できるだろう、と出題者は思ってるはず。

客観的読解、論理的読解 →あんまり好きな言葉じゃない
素朴に書いてある通りに読め!

その努力→「そうした努力」→具体例飛ばして→抽象・具体の区別→一行目へ→「知覚自身を~」→そのまま使うのはきつい。書き換えるのがベスト!

いろいろな記憶や一般観念
→「知性の解釈」…知性によってもろもろによって付け加えられた解釈(ex.リンゴの可視光線が目に届く→脳の神経系で処理する→それだけでは単なるイメージでしかない→そこになんらかの今までの記憶や一般観念を道具として知性が表象を解釈する)…受験生が解くレベルでこれを使うのは悪くない。

知識→哲学的にも結構広い意味を持つ
記憶や一般観念→分節したほうがよい→経験や知識

主知主義…知性、感情、意志のうち知性に優位を置く立場!
→具体的に言うと、デカルト。

日本ではやりの映画批評←→主知主義

悟性≒知性(哲学上、悟性=知性。悟性と理性は区別したほうがいい。→カントなどを勉強したら分かる。)

シニカルな裏返し…描く上でいろいろな補いが生じる→モネですらそういう補充(=知覚という努力≒自分が信じているものを描く)によって絵を描いた!
見えているものに集中しても、結局知覚自身を超えていかざるを得ない。(主知主義の裏返し!)

主知主義


モネの懐疑主義…写実主義(合理的・主知主義的・モノをリアルに書くことがいい)に対する批判・懐疑!
(モネ…印象派…物をぼかして描く。それまでは写実主義だった。はっきり書くほうがよかった。印象派ぐらいから物から見受けられる印象を描こうという意識が高まった。画像検索するとよい。)
→物じゃなくて光を見ている
ex.モネの「日の出」→光の分散そのものを書いてる!輪郭が不明瞭!

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最終更新:2023年12月06日 12:38