問題

https://www.toshin.com/center/2011/kokugo_mondai.html
次の文章を読んで、後の問い(問2〜6)に答えよ。
※問1(漢字の問題)は省略しています。

① わたしは思い出す。しばらく前に訪れた高齢者用の(注1)グループホームのことを。
② 住むひとのいなくなった木造の民家をほとんど改修もせずに使う(注2)デイ・サーヴィスの施設だった。もちろん「バリアフリー」からはほど遠い。玄関の前には石段があり、玄関の戸を引くと、玄関間がある。靴を脱いで、よいしょと家に上がると、今度は襖。それを開けてみなが集っている居間に入る。軽い「認知症」を患っているその女性は、お菓子を前におしゃべりに興じている老人たちの輪にすぐには入れず、呆然と立ち尽くす。が、なんとなくいたたまれず腰を折ってしゃがみかけると、とっさに「どうぞ」と、(注3)いざりながら、じぶんが使っていた座布団を差し出す手が伸びる。「おかまいなく」と座布団をおし戻し、「(注4)何言うておすな、遠慮せんといっしょにお座りやす」とふたたび座布団がおし戻される・・・・。
③ 和室の居間で立ったままでいることは「不自然」である。「不自然」であるのは、いうまでもなく、人体にとってではない。居間という空間においてである。居間という空間がもとめる挙措の「風」に、立ったままでいることは合わない。高みから他のひとたちを見下ろすことは「風」に反する。だから、いたたまれなくなって、腰を下ろす。これはからだで憶えているふるまいである。からだはそんなふうに動いてしまう。
④ Aからだが家のなかにあるというのはそういうことだ。からだの動きが、空間との関係で、ということは同じくそこにいる他のひとびととの関係で、ある形に整えられているということだ。
⑤ 一方でバリアフリーにつくられた空間ではそうはいかない。人体の運動に合わせたこの抽象的な空間では、からだは空間の内部にありながらその空間の〈外〉にある。からだはその空間にまだ住み込んでいない。そしてそこになじみ、そこに住みつくというのは、これまでからだが憶えてきた挙措を忘れるということだ。ただっぴろい空間にあって立ちつくしていても「不自然」でないような感覚がからだを侵蝕(しんしょく)してゆくということだ。単独の人体がただ物理的に空間の内部にあるということがまるで自明であるかのように。こうして、さまざまなふるまいをまとめあげた「暮らし」というものが、人体から脱落してゆく。
⑥ 心ある介護スタッフは、入所者がこれまでの「暮らし」のなかで使いなれた茶碗や箸を施設にもってくるよう「指導」する。洗う側からすれば、割れやすい陶器製の茶碗より施設が供するプラスチックのコップのほうがいいに決まっているが、それでも使いなれた茶碗を奨(すす)める。割れやすいからていねいに持つ、つまり、身体のふるまいに気をやる機会を増すことで「(注5)痴呆(ちほう)」の進行を抑えるということももちろんあろう。が、それ以上に、身体を孤立させないという配慮がそこにはある。
⑦ 停電のときでも身の回りのほとんどの物に手を届けることができるように、からだは物に身をもたせかけている。からだは物の場所にまでいつも出かけていっている。物との関係が切断されれば、身は宙に浮いてしまう。新しい空間で高齢者が転びやすいのは 、比喩(ひゆ)ではなく、まさに身が宙に浮いてしまうからである。 まわりの空間への手がかりが奪われているからである。「バリアフリー」で楽だとおもうのは、あくまで介護する側の視点である。まわりの空間への手がかりがあって、他の身体、──それは、たえず動く不安定なものだ──との丁々発止のやりとりもはじめて可能になる。とすれば、人体の運動に対応づけられた空間では、他のひととの関係もぎくしゃくしてくることになる。あるいは、物とのより滑らかな関係に意を配るがために、他者に関心を寄せる余裕もなくなってくる 。そう、たがいに「見られ、聴かれる」という関係がこれまで以上に成り立ちにくくなる。空間がいってみれば、 中身を失う・・・・。
⑧ X 「中身」
⑨ この言葉をいきいきと用いた建築論がある。(注6)青木淳『原っぱと遊園地』(王国社、二〇〇四年)だ。青木によれば、「遊園地」が「あらかじめそこで行われることがわかっている建築」だとすれば、「原っぱ」とは、そこでおこなわれることが空間の「中身」を創(つく)ってゆく場所のことだ。原っぱでは、子どもたちはとにもかくにもそこへ行って、そこから何をして遊ぶか決める。そこでは、たまたま居合わせた子どもたちの行為の糸がたがいに絡まりあい、縒(よ)り合わされるなかで、空間の「中身」が形をもちはじめる。その絡まりや縒り合せをデザインするのが、巧(うま)い遊び手のわざということであろう。
⑩ 青木はこの「原っぱ」と「遊園地」を、二つの対立する建築理念の比喩として用いている。 そして前者の建築理念、つまりは、特定の行為のための空間を作るのではなく、行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインするような建築を志す。「B空間がそこで行われるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない」というわけだ。
⑪ では、造作はすくないほうがいいのか。(注7)ホワイトキューブのようなまったく無規定のただのハコが理想的だということになるのだろうか。ちがう、と青木はいう。

⑫  まったくの無個性の抽象空間のなかで、理論的にはそこでなんでもできるということではない。たとえば、工場をアトリエやギャラリーに改装した空間が好まれるのは、それが特性のない空間だからではない。工場の空間はむしろ逆に、きわめて明確な特性を持っている。工場には、様々な機械の自由な設置を可能にするために、できる限り無柱の大きな容積を持った空間が求められる。そこでの作業を考え、部屋の隅々まで光が均等に行き渡るように、天井にはそのためにもっとも適切な採光窓がとられる。その目標から逸脱する部位での建設コストは切り詰められる。工場はこうした論理を徹底することでつくられてきた。この結果として、工場は工場ならではの空間の質を持つに至る。 工場は、無限定の空間と均一な光で満たされるということと引き替えに、一般的な意味での居心地の良さを捨てるという、明確な特性を持った空間なのである。工場は、単に空間と光の均質を実現した抽象的な空間なのではない。工場は、そこでの作業を妨害しない範囲で、柱や梁(はり)の(注8)トラスが露出されている、きわめて物質的で具体的な空間なのである。
⑬ このような空間に「自由」を感じるのは、そこではその空間の「使用規則」やそこでの「行動基準」がキャンセルされているからだ。「使用規則」をキャンセルされた物質の塊が別の行為への手がかりとして再生するからだ。原っぱもおなじだ。そこは雑草の生えたでこぼこのある更地であり、来るべき自由な行為のために整地されキューブとしてデザインされた空間なのではない。そこにはいろんな手がかりがある。
⑭ 木造家屋を再利用したグループホームは、逆に空間の「使用規則」やそこでの「行動基準」がキャンセルされていない。その意味では「自由」は限定されているようにみえるが、そこで開始されようとしているのは別の「暮らし」である。からだと物や空間とのたがいに浸透しあう関係のなかで、別のひととの別の暮らしへと空間自体が編みなおされようとしている。その手がかりの充満する空間だ。青木はいう。「文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえずは結びつけていた機能以上に成熟し 、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか」、と。そのかぎりでC高齢者たちが住みつこうとしているこの空間には「文化」がある
⑮ 住宅は「暮らし」の空間である。「暮らし」の空間が他の目的を明確にもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれることにある。何かを見つめながら、まったく別の物思いにふけっている。食事をしながら、おしゃべりに興ずる。食器を洗いながら、子どもたちと打ち合わせをする。電話で話しながら、部屋を片づける。ラジオを聴きながら、家計簿をつける。食事、労働、休息、調理、育児、しつけ、介護、習い事、寄りあいと、暮らしのいろいろな(注9)象面がたがいに被(かぶ)さりあっている。これが住宅という空間を濃くしている。(犬なら、餌(えさ)を食いながら人の顔を眺めるということができない? 排尿しながら、他の犬の様子をうかがうということができない?)
⑯ 住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。リヴィングルーム、ベッドルーム、仕事部屋、子ども部屋、ダイニングルーム、キッチン、バスルーム、ベランダ・・・・。生活空間がさまざまの施設や(注10)ゾーニングによって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。当然、ふるまいも切り分けられる。襖を腰を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、歩きながら食べ、ついでにコンピュータのチェックをするというふうに 、(注意されながらも)その形をはみだすほどに多型的に動き回らせるのも住宅である。D行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。かつての木造家屋にはいろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、からだを眠らせないという知恵が、ひそやかに挿し込まれていた。木造家屋を再利用したグループホームは、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている。
(鷲田清一「身ぶりの消失」)

(注)
 1 グループホーム──高齢者などが自立して地域社会で生活するための共同住居。
 2 デイ・サーヴィス──高齢者などのため、入浴、食事、日常動作訓練などを日帰りで行う福祉サービス。
 3 いざりながら──座った状態で体の位置をずらしながら。
 4 「何言うておすな」・「お座りやす」──それぞれ「何をおっしゃっているんですか」・「お座りなさいませ」の意。
 5 痴呆──認知症への理解が深まる前に使われていた言葉。
 6 青木淳──建築家(一九五六〜)。
 7 ホワイトキューブ──白い壁面で囲まれた空間、美術作品の展示などに使う。
 8 トラス──三角形を組み合わせた構造。
 9 象面──ここでは暮らしのなかの場面のこと。
 10 ゾーニング──建築などの設計において、用途などの性質によって空間を区分・区画すること。


問2 傍線部A「からだが家のなかにあるというのはそういうことだ 」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から選べ。

① 身体との関係が安定した空間では人間の身体が孤立することはないが、他のひとびとと暮らすなかで自然と身に付いた習慣によって、身体が侵蝕されているということ。
② 暮らしの空間でさまざまな記憶を蓄積してきた身体は、不自然な姿勢をたちまち正してしまうように、人間の身体はそれぞれの空間で経験してきた規律に完全に支配されているということ。
③ 生活空間のなかで身に付いた感覚によって身体が規定されてしまうのではなく、経験してきた動作の記憶を忘れ去ることで、人間の身体は新しい空間に適応し続けているということ。
④ バリアフリーに作られた空間では身体が空間から疎外されてしまうが、具体的な生活経験を伴う空間では、人間の身体は空間と調和していくことができるのでふるまいを自発的に選択できているということ。
⑤ ただ物理的に空間の内部に身体が存在するのではなく、人間の身体が空間やその空間にいるひとびとと互いに関係しながら、みずからの身体の記憶に促されることでふるまいを決定しているということ。

問3 傍線部B「空間がそこで行われることに先回りしてしまってはいけない」とあるが、それはなぜか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

①  原っぱのように、遊びの手がかりがきわめて少ない空間では、行為の内容や方法が限定されやすく空間の用途が特化される傾向を持ってしまうから。
② 原っぱのように、使用規則やそこでの「行動基準が規定されていない空間では、多様で自由な行為が保証されているためにかえってその空間の利用法を見失わせてしまうから。
③ 遊園地のように、明確に定められた規則に従うことが自明とされた空間では、行為が事前に制限されるので空間を共有するひとびとの主体性が損なわれてしまうから。
④ 遊園地のように、その場所で行われる行為を想定して設計された空間では、行為相互の偶発的な関係から空間の予想外の使い方が生み出されにくくなるから。
⑤ 遊園地のように、特定の遊び方に合わせて計画的にデザインされた空間では、空間の用途や行為の手順が誰にでも容易に推測できて興味をそいでしまうから。

問4 傍線部C「高齢者たちがすみつこうとしているこの空間には『文化』がある」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、人のふるまいが制約されているということとひきかえに、伝統的な暮らしを取り戻す可能性があるということ。
② 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、多くの入居者の便宜をはかるために設備が整えられているので、暮らすための手がかりが豊富にあり、快適な生活が約束されているということ。
③ 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、そこで暮らす者にとって、身に付いたふるまいを残しつつ、他者との出会いに触発されて新たな暮らしを築くことができるということ。
④ 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、空間としての自由度がきわめて高く、ひとびとがそれぞれ身に付けてきた暮らしの知恵を生かすように暮らすことができること。
⑤ 木造家屋を再利用したグループホームという空間では、さまざまな生活歴を持ったひとびとの行動基準の多様性に対応が可能なため、個々の趣味に合った生活を送ることができるということ。

問5 傍線部D「行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 現在の住宅では、仕事部屋や子ども部屋など目的ごとに空間が切り分けられており、それぞれの用途とはかかわらない複数の異なる行為を同時に行ったり、他者との関係を作り出したりするような可能性が低下してしまっていること。
② 現在の住宅では、ゾーニングが普及することでそれぞれの空間の独立性が高められており、家族であってもそれぞれが自室で過ごす時間が増えることで、人と人とが触れあい、関係を深めていくことが少なくなってしまっていること。
③ 現在の住宅では、空間の慣習的な使用規則に縛られない設計がなされており、居住者たちがそのときその場で思いついたことを実現できるように、各自がそれぞれの行為を同時に行えるようになっていること。
④ 木造家屋などかつての居住空間では、居間や台所など空間ごとの特性が際立っていたが、現代の住宅では、居住者が部屋の用途を交換でき、空間それぞれの特性がなくなってきていること。
⑤ 木造家屋などかつての居住空間では、人体の運動と連動して空間が作り変えられるような特性があったが、空間ごとの役割を明確にした現在の住宅では、予想外の行為によって空間の用途を多様にすることが困難になっていること。 

問6 この文章の表現について、次の(i)・(ii)の問いに答えよ。

(i)傍線部Xの表現効果を説明するものとして最適なものを次の中から一つ選べ。

① 議論を中断し問題点を整理して、新たな仮説を立てようとしていることを読者に気づかせる効果がある。
② これまでの論を修正する契機を与えて、新たに論を展開しようとしていることを読者に気づかせる効果がある。
③ 行き詰まった議論を打開するために話題を転換して、新たな局面に読者を誘導する効果がある。
④ あえて疑問を装うことで立ち止まり、さらに内容を深める新たな展開に読者を誘導する効果がある。

(ii)筆者は論を進める上で青木淳の建築論をどのように用いているか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 筆者は青木の建築論に異を唱えながら、一見すると関連のなさそうな複数の空間を結びつけ、「暮らし」の空間として木造家屋を再利用したグループホームに関する主張をしている。
② 筆者は青木の建築論の背景にある考え方を例に用いて、それぞれの作業ごとに切り分けられた現代の「暮らし」の空間を批判し、木造家屋を再利用したグループホームの有用性を説く主張を補強している。
③ 筆者は青木の建築論を援用しながら、空間の編みなおしという知見を提示することで、「暮らし」の空間として木造家屋を再利用したグループホームに価値を見いだす主張に説得力を与えている。
④ 筆者は青木の建築論を批判的に検証したうえで、現代の「暮らし」と工場における空間とを比較し、木造家屋を再利用したグループホームに自由な空間の良さがあると主張している。

全体講評

建築というテーマを扱った問題でしたが、いかがでしたでしょうか。
解説に入る前にこの文章がどういう文章だったかということについて、結論を言ってしまおうと思います。
文章をすべて読み終わったあとに、頭の中に以下のような対比構造が思い浮かべられていれば、あなたの読解は成功していると言えるでしょう。

対比項A グループホームの木造家屋(従来の住宅) 「原っぱ」 新しい行動が生み出される
対比項B バリアフリーの空間(現在の住宅) 「遊園地」 行動が制限される

逆に、
  • 2つの対比項にうまく分けられず、ごちゃごちゃになってしまった
  • 上記の対比で整理していたつもりが、途中からおかしくなった
  • ここまで綺麗な対比だとは思わなかった(もっと複雑だと思った)
という感想を持ってしまった人は、どこかで読解ミスをしているはずです。

たしかに、僕自身、この文章が読みやすかったかと言われてみれば必ずしもそうとは思いません。具体的には解説の中で語っていきますが、「接続語が省略されていて読みにくく、誤読しかねない」箇所があったことも事実です。しかし、接続語をいつも使うことが必須ルールではありませんし、日本語はその辺のルールは非常にゆるいのです。
今回の文章は「グループホーム」「バリアフリー」などきわめて身近で具体的な言葉が沢山出てきており、接続語に頼らずとも筆者の頭の中の対比項は十分に想像できるはずです。誤読を招いてしまった人は、どう読めていればよかったのか、ということを意識して以下の解説を読んでいくようにしてください。

解答

問1 (ア)⑤ (イ)④ (ウ)② (エ)④ (オ)①
問2 ⑤
問3 ④
問4 ③
問5 ①
問6 (i)④ (ii)③

解説

では頭からいきましょう。
はじめの数行で、建築に関する言葉が頻発しており、注もついています。
筆者は、「木造民家」を使う「デイ・サーヴィス」の高齢者用の「グループホーム」を思い出した、と言っています。
それが具体的に描写され、傍線部Aで「そういうことだ」とまとめられます。
傍線部A内には「からだが家のなかにある」というややレトリカルで比喩的な表現が入っています。これを直前で説明されている「和室の居間」での「ふるまい」の内容から理解できたかどうかですが、簡単にまとめるなら、
和室の居間では立ったままいることは不自然であり、自然と腰をおろしてしまう
ということです。もう少し抽象化するなら、
その空間に合った(応じた)「からだで憶えているふるまい」を自動的にしてしまう
と言ってもいいでしょう。
傍線部直後の「空間との関係で」「他のひとびととの関係で」などといった表現もかなりヒントになります。

問2は、以上を押さえた⑤が正解です。選択肢後半を並べてみて一覧してみると、③の「空間に適応」という箇所に反応したくなりますが、中央部に「記憶を忘れ去る」とあり本文の内容と矛盾します。残ったものに関しては、以下のように見ることができれば、すぐに不正解だと判定できるため、正解はすぐに浮き彫りになったはずです。
  • ①:「身体が侵蝕」?
  • ②:「完全に支配」× (「支配」という表現は①の「侵蝕」とも似ている)
  • ④:「自発的に選択」×(自然と腰を下ろすわけなので、選択というステップは入ってこない)

次の段落ですが、冒頭部
「バリアフリー」に作られた空間ではそうはいかない
という箇所を見た瞬間に、「木造家屋(筆者が今回テーマにしているもの)」と「バリアフリー」の対比を意識することができます。こういうところに反応できるためには、否定語(赤字の箇所)に反応する習慣をつけることが大切です。
人によってはここで冒頭部をもう一度チラ見して振り返れたことでしょう。冒頭部(本文2〜3行目)に、「『バリアフリー』からはほど遠い」という表現がありました。「遠い」や「隔たる」といった表現も、対比を構成するのに立派な表現ですが、冒頭を読んだときに気付けなくても、今回、この段落で対比に気付くことができたはずです。

そして、「バリアフリー」の空間を筆者は「抽象的」であり、からだが「空間の〈外〉」にある、と言っています。先ほどの傍線部Aに「なか」という表現がありましたから、ここでも内容的に「外⇔中」という対比を確認することができます。そして、面白いことに、この段落の3行目に出てきた「忘れ去る」「からだを侵蝕」という表現は、先ほどの問2の誤答選択肢③①にそれぞれ対応していることに気付けましたでしょうか。これらの表現は、「バリアフリー」を説明した表現であり、「木造家屋」の話では全くないのです。こういう観点から見ても、改めて、問2は対比の整理を問うていた問題であったと言えます。

その次の2段落分は、バリアフリーの空間についてより具体的な説明が行われています。「物との関係が切断されれば」「物とのより滑らかな関係に」など、相同表現が反復されていますし、前の段落に出てきた「人体の運動に合わせた」という表現も「人体の運動に対応づけられた」、と反復されています。こういった表現を通して、バリアフリー空間がどんなものかについて少しずつ輪郭が明確になっていくのではないでしょうか。設問が設置されているわけではないので、あまり時間をかけて読むべきではありませんし、あくまで対比を忘れないでいることがここでは重要です。

そして、「中身」を「失う」という話が出てきました。これも、「抽象的」であることを繰り返しているととればいいでしょう。
そして波線部X以降、『原っぱと遊園地』の援用に入ります。早速、
「原っぱ」=「そこでおこなわれることが空間の『中身』を創ってゆく場所」
「遊園地」=「あらかじめそこで行われることがわかっている建築」
と定義されました。こうした「定義」の箇所というのは読解においても設問を解く際においても絶対的な参照軸になりますから、強く押さえておくべき内容です。
そして、「原っぱ」の定義の中に「中身」という言葉が出てきたことから、波線部Xの箇所への理解も深まってきます。すなわち、木造家屋とバリアフリーの対比をする中で自然と「中身」という表現が出てきてしまったことから、ふと青木淳の論を思い出したということです。

問6(i)は④です。ほかは、①「新たな仮説」、②「これまでの論を修正」、③「話題を転換」、あたりが誤りです。

ちなみに、この時点ではまだ解ききれないのですが、問6(ii)も①「異を唱えながら」、②「批判的に検証」の2つは明確に切れることがわかりますね。

そして傍線部Bがやって来ました。
直前部で、青木が「原っぱ」の空間を推していることが分かります。そこには
行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインするような建築
という説明があります。「デザイン」という表現は直前段落にも出てきており、そういう箇所を読み直すことによって「原っぱ」の概念を深く理解していくことが大切です。
そうすれば、傍線部中の「先回りしてしまってはいけない」という箇所に対するイメージも湧いてくるはずです。先回りしないというのは、遊園地のように「はじめから役割が決まっていない」ということを言っているに過ぎません。

問3ですが、すべての選択肢が「・・・てしまう」と、批判的な文脈で書かれていることをまずは意識してください。となれば、今回の文脈は「遊園地」を否定し「原っぱ」を肯定する文脈ですから、①②のように「原っぱではこうなってしまう」と説明するのはおかしいはずです。③④⑤の述部だけ見比べてみてください。すると③の「主体性」や⑤の「興味」を切ってもらってもいいですし、「デザイン」や「『中身』を創る」というニュアンスを出している選択肢は④しかありません。(「生み出され」という表現です。)「偶発的」が気になった人もいたと思いますが、これは遊園地の定義である「あらかじめ・・・分かっている」という内容を裏返せば十分理解できるものですし、もし本文に戻る暇があれば、戻ってみると、傍線部Bの3行くらい前に「たまたま」という表現が見事にあるんですよね。いずれにしても、④を落としてしまった人は語彙力・読解力不足と言わざるを得ません。

その後、「では」で一歩話題が前進・展開し、深まります。「造作はすくないほうがいいのか」「ホワイトキューブのような・・・ハコが理想的だということになるのだろうか」という問題提起が並びました。問題提起も、先ほどの定義文同様、論理展開を押さえるうえでの絶対的な参照軸になりますから、強く押さえてください。
問題提起として「果たして〜だろうか」というような言い方をした場合、多くは反語表現であり、事実上の否定です。すなわち、「原っぱの空間というのは、そこから初めて中身を創り出すような場ではあるけれども、はじめからなんにもないということではないよ」と筆者は言いたいのでしょう。(あくまで推測です。)

この推測が合っているかどうかを、その後の引用文を読解する中で確認していけばいいのです。すると、具体例として「工場」が出てきて、そのなかで「明確な特性」という表現が二度繰り返され、さらには「物質的」「具体的」と出てきました。

ここで、冒頭のほうで、筆者が「バリアフリー」の空間を「抽象的」と言っていたことを思い出してください。辻褄を合わせられますか?
A 木造家屋 「原っぱ」「工場」 具体的
B バリアフリー 「遊園地」 抽象的

こういうことです。(余談ですが、引用文の中に「均質」という表現が出てきており、近代空間について触れていた2008年のセンター試験第1問を彷彿とさせます。空間についての評論文というのがこの数年間で複数回出ているというのは非常に興味深いですね。)

引用文直後の段落で「使用規則」「行動基準」の「キャンセル」、という言い方が出てきました。そして、「工場」や「原っぱ」では「キャンセルされている」のに、「木造家屋」では「キャンセルされていない」と言うのですから、少しここは複雑です。今回の文章で厄介なところがあるとすればここでしょうね。本文の内容を表で整理し直すならば、このようになります。

A 木造家屋 使用規則・行動基準○ 自由は限定されているように見える 別の「暮らし」が開始されようとしている ・具体的
・中身を創っていく場所
原っぱ(工場) 使用規則・行動基準× 自由を感じる 別の行為への手がかりとして再生する
B バリアフリー
遊園地
・抽象的
・あらかじめそこで行われることがわかっている建築

こう見てみると、「工場」の話はかえって話を混乱させているだけのように見えますが、問題提起を改めて参照するならば、筆者は「(造作が少ないほうがいいなんていうことはなく、)造作が少しでもあることでそれが手がかりとなって中身が創られていく」と言っているだけに過ぎません。「手がかり」という言葉がこの文章では多用されており、正直しっくりこない人もいると思いますが、完全に理解する必要はありません。解くことを考えるならば、基本線としては「原っぱ(工場)」と「木造家屋」は対比ではなく類比の関係であり、ともに「中身を創っていく場所」だと大枠をしっかり押さえておけば問題ありません。「どこまで読めればいいのか」については正直慣れも肝心で、文章量を設問数で割り算することで1問あたりで問われている内容がどの程度のものかを、演習を通じて学んでいき感覚的につかんでいくことが大切です。上記の表のレベルの細かい理解をセンター試験・共通テストが問うことは非常に考えにくいです。

改めて、大枠をまとめるならば、

A 木造家屋 「原っぱ」 具体的 用途自由
B バリアフリー 「遊園地」 抽象的 用途制限

このくらいの理解で問題ありません。用途が「自由」だからこそ、そこでは「別の」暮らしが始まるんだと筆者は言っています。そして、再び青木の引用をしながら、「文化」の定義を行っています。
文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえずは結びつけていた機能以上に成熟し、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか
これが傍線部Cに繋がっています。

傍線部C中の「この空間」というのはもちろん「木造家屋」のこと。とすれば、
  • 木造家屋は用途が自由であり新しい(別の)空間がそこで作られるんだ
  • 文化というのは新しい機能を探っていく段階のことだ
  • だから木造家屋は文化である=傍線部C
と、いわゆる三段論法のような構成になっていることに気付けたでしょうか。そこまで論理的な整理が行えなくても、「文化」についての定義を拾うことが、そのまま設問に解答することに繋がっていきます。

問4は、個人的には今回の大問の中で一番の易問でした。述部に「新しい空間」「新しい機能」といった内容が入っているのは③しかありません。他の選択肢は、本文と矛盾しているから消えるというよりかは、「文化」の定義を含んでいないためピンぼけしている、と解釈すべきで、消去することに苦労しているようでは得点できない、そんな問題になっていたと言えるでしょう。そもそも「文化」の定義を外して説明している(=必要条件を無視した説明になっている)時点で正解の候補からは外れるわけで、これが正解の選択肢を一瞬で炙り出すコツだとも言えるでしょう。「他者との出会いに触発」という箇所に引っ張られてこの選択肢を選べなかった人もいるかもしれませんが、「別のひととの別の暮らし」と本文にあるので問題ありません。

残すところ2段落となりました。
さて、段落冒頭、対比の存在に気付きましたか。
住宅は「暮らし」の空間である。A「暮らし」の空間がB他の目的を明確にもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれることにある。
分かりやすいように着色したりしてみました。
「異なる」とあるので対比は明確です。そもそも、「暮らし」という一般名詞にわざわざカギカッコがついている理由が分かりますか。それは、直前段落に出てきた「別の暮らし」へと編み直していく、という論点・文脈を受けていることを表しています。ですから、「暮らし」の空間というのは「木造家屋」や「原っぱ」に対応します。一方で「他の目的を明確にもった空間」が「バリアフリー」や「遊園地」に対応することは、「明確」という表現からまさに「明確」に分かりますね笑。

そして、ここで新しい論点として「複数の異なる行為」が「同時並行」で行われるという話が出てきました。そして具体例の羅列がかなりの量、続いてます。
これを頭に入れた上で最終段落に突入。今回、読みにくい文があったとすればこの最終段落ではないでしょうか。接続語なしで対比項のそれぞれが混ざるように出てきます。

先に傍線部Dを見てほしいのですが、ここでは「現在の住宅」について述べられています。そして、「密度を下げている」というネガティブな表現から察してほしいのですが、これは「中身を創る」という概念とは真逆であることが分かりますか。
これまで、
  • 問2「家のなかにある」
  • 問3「先回りしてしまってはいけない」
  • 問4「この空間には『文化』がある」
の3問は、すべて、紛れもなく「木造空間」や「原っぱ」についての理解を問うていいましたが、実は、今回の傍線部は、それと対比される概念である「バリアフリー」や「遊園地」のほうについて直接的に問うている唯一の設問だったのです。(たしかに、同じことを何度も何度も問うてしまうのは入試問題の構造としてはあまりよくないですね。幅広く問うたほうが受験生の総合的な理解を問うことができます。)

最終段落を引用しつつ、分析するとこうなります。

住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。
生活空間が、・・・ゾーニングによって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。
当然、ふるまいも切り分けられる
襖を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、
・・・多型的に動き回らせるのも住宅である。
D行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である
かつての木造家屋には、いろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、・・・。
※可塑性=形を変えやすいこと。変化しやすい状態。

冒頭の「いつのまにか」という表現が、時代の変化というものを示唆しています。この時点で皆さんは「過去(従来・本来)」と「現在(実際)」という対比軸を意識して読まなければなりません。ここで気付けなければ、「であった」という過去形の表現から気付くこともできるでしょう。
太字にした箇所は、「バリアフリー」や「遊園地」といった、現代における抽象的な空間を説明した箇所です。
一方で、黄色で着色した箇所は、「木造家屋」や「原っぱ」といった、筆者がこの文章でテーマにしている具体的・物理的・創造的な空間を説明した箇所です。最後の「可塑性」という言葉を知っていればラッキーです。(こういうところで語彙力が活きてきます。)

今回、この問題を難しいと感じた人は、おそらく、直前の文と傍線部の関係が押さえられなかったのです。直前の文は筆者にとっての「本来の住宅(=木造家屋)」、傍線部は「現在の住宅」の話なのですが、傍線部Dの直前に「しかし」などの接続語もないため、苦戦したのでしょう。しかし、ヒントはこれだけ沢山そろっていたのです。

問5ですが、「現在の住宅」について聞いているのが本設問だと分かっていれば、④⑤は一瞬で切れます。残ったものについても、③は「行える」という肯定形になっている時点で正解の候補にはしにくいです。迷うなら①と②ですが、②の「ゾーニング」は都市空間における区画に関する用語であり、ここでは持ってくるべきではありませんし、何よりも、「家族」など「人」との「触れあい」が少ないというのは一般論としてはアリですが、「行為と行為をつなぐ」というのはそういうことではありません。その内容はこれまでの設問で確認してきたように、「予想外の使い方を生み出す」(問3)、「新たな暮らしを築く」(問4)、といった内容であるはずです。答えは迷わず①です。

ここまで振り返ってみると、面白いことに、問3〜5の正解の選択肢はすべて共通して、
  • 問3:「生み出され」
  • 問4:「築き」
  • 問5:「作り出し」
といった表現が入っており、いかにこの文章が一貫して書かれているものであるかを物語っています。

▶最後に、残していた問6(ii)ですが、②と③の違いに気付けましたか。それは、「『暮らし』の空間」扱いです。まとめると以下の表のようになりますが、②の選択肢は「暮らし」に「現代の」という修飾語をくっつけているのが気になります。それを差し置いたとしても、現在の住宅について筆者は「批判」しているとは言い過ぎです。この文章は、木造家屋とバリアフリーを対比しているのが文章の中心です。その最終的な価値判断については、本文の最終文「木造家屋・・・は、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている」という書き方であり、あくまで「こういう見方ができるよね」という言い方です。それを言っているのは③の「(価値を)見いだす」という表現であり、②の「有用性を説く」という表現にも疑問が残ります。いずれにしても、③を差し置いて②を選ぶというのは困難です。

A 木造家屋 用途自由 「暮らし」の空間 本来の空間
B バリアフリー 用途制限 目的を明確にもった空間 現在の住宅

いかがでしたか。
試験時間内にすべての言葉を理解して100%読解するのは難しいのかもしれませんが、具体例や引用文による説明も充実しており、文章全体を貫通する対比を頭に入れて読んでいれば、大きく踏み外すことはなかったのではないでしょうか。パッと見で不正解の選択肢の「合っている部分」に反応することはあっても、問6(ii)のようなものを除いて、「迷う」に値する選択肢はなかったと断言できます。ケアレスミス含め、1問でも間違えた人はよく復習してください。

なお、漢字の問題は、(ア)だけ難易度は高かったかもしれません。「措」→「暴」で⑤ですが、②「去就」なんかもそう多く出てくる熟語ではないですからね。ここに関しては日々の訓練あるのみ、としか言いようがありません。(なお、「挙措」は「振る舞い」という意味ですから、知らなかった人は是非覚えておいてください。)

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最終更新:2024年01月22日 16:14