問題
講評
昨年からの傾向で、語彙問題が消えていきなり傍線問題から始まる構成となっていました。
そして、今年ならではの特徴をあげるとすれば、傍線部が6本も設置されているということです。
最後には共通テストならではの資料問題が出ていて、そこでのマーク数は2つですから、全体のマーク数は8。
昨年と比べれば1つ減りましたが、それでも「語彙問題3問+傍線問題4問+表現問題1問」という従来のセンター試験の形式と比べれば、全体としての負担は大きいでしょう。
しかも、資料問題として出てきた2問は、片方を間違えるとおそらくもう片方も間違えてしまうという、連動問題の形をとっていました。ということは、出題者の誘導に乗っかれないと両方落として6点+7点=13点引かれてしまい、大撃沈となります。
そういう意味で、本文の理解や登場人物の心情理解といった基本的「読解」ができるのは当然のこととして、その先の「出題者の意図」を理解して「解く」という作業ができないと高得点化が難しかったのは確かです。
その代わり、(個人的な見解にはなりますが)本文の内容は易しく、問6までの傍線問題はなにひとつひねりがなく、スラスラ解いていけるものでした。
となれば、余った時間で問7を熟考できるわけですから、決して「満点をとることが無理」な大問でもなかったように思います。
ですが、このページを参照してくれているということは、いまいち解けなかったか、あるいは解けても「この選択肢はうまく切れなかった」というような箇所が部分的にあったということでしょう。
ですから、その点を意識して、正解を見つける過程はもちろんのこと、不正解が明確に不正解である理由についても詳しく解説させていただきます。
残念なことに、巷にわたっている解説のほとんどは、思考過程を明示せず、選択肢のおかしい部分を列挙して終わっており、参考になりません。根拠を持って正解を選ぶわけですが、正解を選ぶ基準が明確であれば不正解も明確に切れるはずなのですが、どうも、そこの思考過程が言語化されていないんですよね。
逆になにか特別な武器を強みに解説される先生方もいて、そういうのは一見きらびやかに見えて頼もしいのですが、創造性に富んだ文学作品なのですから一律な読解方法というのはなかなか難しいのです。例えば、「原因・状況→認識・評価→心情・言動→新たな状況」といったモデルはある程度使えますが、すべての問題でこのモデルに当てはめて解こうとするとむしろ破綻しますし、やはり入試問題である以上はその場その場で出題者と対話して解くのが正解ということになります。
また、想像せずに「書かれていること」を客観的に読み取って、とか、主観で読まないで、というような指導もされやすいのですが、もってのほかです。小説は「匂わせの文学」であり、書かれていないことを想像することにこそ醍醐味があるのですから。
ですから、僕は解説の中で「想像してください」「あとは皆さんの想像力次第です」という言い方を多用します。そうやって一つ一つの描写や世界観に浸かって解釈できるかどうかを問うのでなければ、評論文と別にわざわざ小説文を出す意味が分かりませんよね。
そもそも、書かれていることだけ抜き取って正解できるのであれば難易度も下がり問題としての意味を成しません。
小説文の性質、入試問題の性質。この両方を目を向けながら、どういう判断基準(尺度)で選択肢を見ていけばいいのかを徹底的に解説しますので、是非、皆さん自身の思考過程と比較検討する中で、新たな気付きを得て頂けたらと思っています。
解説
まずはリード文をしっかり熟読してください。
時代設定的には、共通テストやセンター試験では頻出の、戦後となっていますね。
かといって日本史選択者が有利ということもありません。「終結後」「食糧難の東京」という場面の中で、「私」が「広告会社」で働いているんだ、ということを意識して読めば、誰だって読める内容のはずです。
冒頭の場面はすごくシンプルですね。
自分の提出した構想に対して、「このような私の夢が飢えたる都市の人々の共感を得ない筈はなかった」と自信満々で、「晴れがましい気持」と明示されます。
心情を整理していく中で、この文章が一人称視点で書かれたものであることを強く認識できるとなおいいです。すなわち、地の文が既にセリフのようになっているので、必然的に心情の情報量が多くなります。ということは問題もかなり解きやすくなることが想像できますし、「根拠が薄くて解けない」なんていうことは全くないはずです。
注1が出てくるあたりから「会議」に場面が替わります。構想は「悪評」で、「てんで問題にされなかった」とあります。会長に突っ込まれて、「あわてて説明した」という傍線部に至ります。直後に来ているセリフは、当然、あわてて発した内容。素直に「私」が自分の提案内容について解説しています。
〈原因〉会長に突っ込まれる 「一体何のためになると思うんだね」
↓
〈心情〉あわてて説明=自分の提案内容の解説
という流れであることは明白です。ここで、ポイントを押さえるうえで大切なことを二つ言います。一つは、心情を具体化すること。これは小説読解の基本で、直接描写としての心情表現はもちろんのこと、セリフ、表情、行動、情景描写などの間接描写も徹底して拾うことです。傍線部中に指示語があってその内容を追うことも多く、評論文の問題を解くときと似たような作業も多々あります。いずれにしても、どの受験生もだいたい鍛えているようなことです。
そしてもう一つ、小説の問題を解く際に大事なのは、場面を意識して原因を的確に捉えることです。読みながら解いても全文を読んでから解いてもなんだって構わないのですが、他の場面にある内容を混ぜて解釈することだけはないようにしてください。例えば、この後「私」は自分の考えの愚かさに呆れて自責の念に駆られますが、そういう気持ちはまだこの段階における「私」の心情とは無関係です。このように場面を明確に他の場面と切り分けて認識できることで、皆さんの頭の中に明確な判断軸が生まれ、正答の選択肢が選びやすくなります。
▶問1ですが、これ、めちゃくちゃ簡単です。選択肢も二行マックスではなく一行半と、そんなに長くはないうえに、心情部分だけ横に並べてみるだけで、答えを出すには十分ではないでしょうか。①「戸惑い、理解を得よう」、②「動揺し、・・・名誉を回復しよう」、③「その場を取り繕おう」、④「気まずさを解消しよう」、⑤「うろたえ、急いで・・・補おうとしている」。さあ、どれがいいですか、と言われて絶対に外さなければならないのが②③④です。この3つのどれかを選んだ人は読解力が足りなさすぎます。先ほども説明したように、セリフの内容から、「私」は構想内容を素直に解説しているのですから、②③④すべてに共通するような「取り繕い」のニュアンスはゼロです。(また、③「未熟さにあきれ」、④「現実を見誤っていたことに・・・気付き」というのはこの先の場面の話です。)残った2つのうち、原因部分が合致するのは①のほうで、⑤の「テーマとの関連不足」は誤りですし、会長が「テーマ」云々と話すのはこの後です。一方、①の「構想の主旨」というのは直前の会長の質問をうまく抽象化していて文句なしですね。①があまりに本文と対応度の高い選択肢であるため、迷うことなく正解できてほしいところです。
ここから会長の主張が始まっていきます。
「現在何が不足しているか。・・・たとえば家を建てるための材木だ」
「電燈の生産はどうなっているか。マツダランプの工場では、・・・」
具体的かつ現実的な話題が続いているのはなんとなく分かりますね。
「そしてマツダランプから金を貰うんだ」
「そのとき土地を買うなら何々土地会社へ、だ。そしてまた金を貰う」
ここで、実利的な話が二連続しました。そして、「私」自身の言葉で、「たんなる儲け仕事にすぎなかった」とコメントされます。
そして傍線部Bが来て、直後では、
- 「私の夢が侮蔑されたのが口惜しいのではない」
- 「この会社の・・・営利精神を憎むのでもない」
- 「冷笑的な視線が辛かったのでもない」
と否定の構文が連発し、
- 「ただただ私は自分の間抜けさ加減に腹を立てていた」
と肯定形で締めくくります。
否定は誤答選択肢にも利用されやすく、これが出てくると判断軸はかなり明確です。「私」の怒りの矛先は「自分の間抜けさ加減」なのです。そして、この「間抜けさ」の内容は、「たんなる儲け仕事にすぎなかったことは、少し考えれば判る筈であった」という箇所からはっきり分かります。会社のそういう理念を理解できなかったことを「間抜け」と言っているわけですね。
このように、形容詞的表現(今回であれば「間抜けさ」)を具体化することは非常に重要です。
▶問2ですが、「間抜けさ加減」=⑤「愚かさ」、という対応関係にぱっと目がいきます。また、理由を問う問題であることを考慮した際に、「愚かさ」に「気づき始めた」(認識・評価)→だから→傍線部=「腹が立ってきた」(心情)となり繋がりもいいですし、「愚かさ」の中身の説明もバッチリです。他を選んでしまった人は「こんな素直に言い換えた選択肢が答えになるとも思えない」と裏を読んだか、あるいは本文の情報整理が足りていないかのどちらかです。以下の表を見てください。選択肢を3つの観点で捉えたとき、①〜④はすべて誤りなんですよ。特に、「トートロジー(同義反復)」と言って、「腹が立ったから腹が立ったから」というように心情の理由を心情で説明するという因果関係の破綻に気付ければ、実は迷いようがないのであり、どう考えても⑤を選ばざるを得ないのです。
選択肢 |
会社の説明の誤り =経営方針の誤読 |
「私」の説明の誤り =提案内容の誤読 |
述部のずれ =トートロジー |
① |
「理想を掲げた」× 「真意を理解せず」× |
「自らの欲望」× |
「嘆かわしく思えたから」× |
② |
「方針転換」× |
「経営に加担」× |
「反発を覚えたから」× |
③ |
「戦後に営利を追求」× |
「無能さ」× |
「恥ずかしくなってきたから」× |
④ |
「東京を発展させていく意図などない」× |
「飢えの解消」× |
「自嘲の念が少しずつ湧いてきたから」× |
以下、詳細に文章で解説します。
- ①:「営利精神」を「私」は読み取っただけであり、そもそも会社は「理想」を「掲げた」わけではありません。また、「真意を理解せず」がダメなことに気付けますか。会社の理念の「真意」=「真の意味」が理解できなかったと言ってしまうと、理念の「意図」や「背景」まで分かっていない自分を間抜けと言っていることになります。そうではなく、単に会社の理念に気付けなかったというだけです。「真意」という言葉の使い方が問われていると言われたらすごく些細なことのように聞こえますが、「私」の「間抜けさ」を捉えられていれば明確に切れる箇所であり、まさにここが本質的な誤りです。もちろん、構想の説明部分もずれています。「飢えをしのぎたい」という「自らの欲望」というよりは、「皆」(=「都民ひとりひとり」)に「夢を見せてやりたい」という思いが構想の軸であるというのは、傍線部A直後のセリフから分かりますよね。問1で押さえた内容がここでも効いてくるわけです。
- ②:まずそもそも、「方針転換」は明確な誤りです。戦時中、情報局と繋がっていたことは「儲け仕事」であることの象徴ですから、戦時中も戦後も変わらず実利主義なのです。そして、一番いけないのは怒りの対象です。そういう実利への「加担」、に焦点を当ててしまえば、これは本文で「私」が否定していた「営利精神を憎む」というところとリンクしてしまいます。そうではないですよね。
- ③:「無能さ」に反応してこれを選んでしまった人がいるかもしれませんが、残念なことに二重のミスを犯しています。まず「無能さ」が「間抜けさ」と一致するでしょうか。「無能」とは能力がないということなのでレベルとしてはかなり下です。一方で、今回の場合、「私」が会社の理念に気付けなかったという一つのアクションを「間抜け」と言っているだけで、それを「無能」とは言い表せないでしょう。たしかに「無能」であれば十分「間抜け」ですが、必ずしも「無能」である必要はありません。(「無能」な人は「間抜け」でしょうが、「間抜け」だから「無能」にはなりません。ベン図を書けば分かりますが、「無能」は「間抜け」の中のあくまで一形態に過ぎず、「間抜け」であるための十分条件となっています。十分条件の選択肢というのは原則正解にできません。)少し細かい話をしてしまいましたが、これに気付けなくても、選択肢冒頭「戦後に営利を追求」は②と同じ理由で誤りです。
- ④:会社が「東京を発展させていく意図などない」かどうかについては本文からは分かりません。あくまで本文で示されているのは会長の発言と「私」の捉え方のみですから、そこから読み取れる範囲のことを書いてやらないといけません。また、構想の内容として「飢えを前面に打ち出す」というのは、冒頭に出てきた「理想の食物都市」の話を踏まえているんだと思いますが、どうなんでしょうか。傍線部A直後では「食糧事情がわる」い状況のなかで「夢を見せてやりたい」と言っているので、「飢えの解消」は「夢」の中の一部分であり、仮にこれが記述問題ならば減点を食らうところです。そういう意味でも、「夢」「理想」と抽象化できている⑤がいいんですよね。
解説が異常に長くなってしまってすみません。次の展開に進んでいきましょう。
「夕方」、「老人」に声をかけられ、乞食ムーブをかましてきます。「旦那」という声かけから、「私」の性別もはっきりしましたね。女性ではなく、男性です。
そして何度も「お願いです」と頼まれ、傍線部Cに近づくのですが、傍線部Cの直前にある、あまりに具体的すぎる心情描写を決して見逃さないでください。
- 「私の方が頭を下げて願いたかった」
- 「あたりに人眼がなければ」「これ以上自分を苦しめて呉れるなと」「頭をさげていたかも知れない」
と来て、「しかし」からの傍線部Cです。傍線部Cには「邪険な口調」とありますが、「なんて答えたのか」が気になります。ページの切れ目ですが、集中力を切らさずに次のページ冒頭のセリフ「駄目だよ」まで押さえ、きっぱり断っていることを把握できていれば問題ありません。
「しかし」という接続語を挟んで複数の心情が描かれていることに気付きましたか。我慢の爆発ととった人もいるでしょう。こういう、心情の交錯(や変化)は単純な心情と比べれば難度が上がり、誤答選択肢も作りやすい箇所なので、出題者としてはおいしいところであり、設問が設置されやすいです。この「しかし」は「そこで」などの順接の接続語に置き換えても大差はないのですが、逆接を用いることで心情の交錯(アンビバレンスとも言います)が強調されているのです。ここでの「私」の心情をはっきりと言語化するのであれば、
「しかし」の前 |
自分も飢えている =対応してあげたいものの物理的に対応できない苦しさ |
「しかし」の後 |
きっぱり断った =解放されたいのに解放されない苦しさ |
このような対比になっています。前者は、どちらかと言えば老人に向き合ってあげる優しい姿勢から来る苦しさと言ってもいいでしょう。後者はその反対です。
ですから、こういう箇所が設問になると、必ずといっていいほど、片方だけで済ませたり、片方だけを誇張したりするような選択肢が出てきます。したがって、内容的な正しさではなく、「複数」の心情があるかどうかが選択肢を見る際の重要な尺度になってきます。
▶問3ですが、案の定、すべての選択肢に「が」や「つつ」などの逆接表現があります。後半を見てみると、①は「いら立った」、②は「自分へのいら立ち」、③は「厚かましさ」、④は「嫌悪感」、⑤は「逃れたい衝動」となっていますが、この時点で⑤に反応できませんか? 消去法をとっても変わりません。「怒りか否か」の判別は問題としてよく狙われますが、今回、怒りの心情は明示されていないのでまず①②は誤りです。そして、心情のベクトルという観点から見たときに、今回は老爺への不満をあらわにしているわけでもないし、自己嫌悪的でもありません。つまり、誰かにネガティブな心情をぶつけていると解釈することはできません。そう考えると、「老爺」にベクトルをぶつけている①③④、「自分」にベクトルをぶつけている②は誤りだと分かります。逆に選択肢前半部分は、解釈に微差はれども、「老爺」に向き合っている内容になっているという意味で本文の流れからは大きく外れてはいないので、本質的な誤りはないと思って構いません。予備校の小説対策で「心情の解釈は人それぞれなので、心情部分ではなく客観的事象の部分で正誤を判断する」ということがよく言われるため、上記のような判別ができない受験生もいるかもしれませんが、場面や状況を的確に捉えるからこそ心情の微差も判別できるわけであって、ここだけ注目すれば解ける、という視点に基づいた解法は非常に危険だと考えます。正解は文句なしに⑤です。
「暫くの後」と来て、「食堂」の場面です。(注4=昌平橋を見ていれば、「食堂」が出てくる流れは予想できていたはずです。)ここから、「私をとりまくさまざまな構図」が「去来」し、さまざまな人や物が回想されていきますが、総じて「貧乏」や「飢え」を言いたいんだということはぱっと見て分かります。そして「それ」という指示語が含まれているところに傍線部Dが設置されました。
ここも、問3と方針は似ていて、心情の原因を確定させるよりは、心情そのものを具体化することがなにより大切です。食堂で何かが具体的な出来事が起こったわけでもなく、これまでのいろいろなことが「私」の頭になんとなくよぎったのですから、原因を分析するという姿勢はここではナシです。「それ」の直接的な指示内容は「一体どんなおそろしい結末が待っているのか」なので、未来に対する不安とでも言うべき内容です。非常にシンプルなのですが、果たしてどんな誤答で引っ掛けてくるのでしょうか。
▶問4ですが、上記のように指示内容の整理を意識していた人からすれば、一瞬にして解答が浮き上がります。なんと「未来」を直接的に言及している選択肢は①しかありません。しかも「自身の」という修飾語がついており、自分にベクトルが向いている点も合っています。その観点からいけば、⑤「社会の動向」は切れますね。②「空想にふける自分」、③「不器用な生き方しかでいない我が身」はやはり「今」の自分に焦点を当ててしまっており「未来」という観点が抜け落ちています。④の「さらなる貧困に落ちるしかない」というのは「未来への不安」には対応しているととれますが、もし迷ったのであれば本文を一瞬でもいいので改めて見てください。「一体どんなおそろしい結末が」と、疑問詞Howで書かれており、結末が「こうなる」とまでは断定していないのです。どちらかというと漠然とした不安、という感じです。その観点から④を切るのが、切り方としてはいいのかなと思います。
空白行で場面が切り替わり、「月末の給料日」の場面です。「庶務課長」とのやりとり(会社の中にいることは明白)のなかで、「日給三円」の「衝動」→「水のような静かな怒り」、と明確な心情描写が行われたのちに、辞表を提出しています。
さて、面白いところに傍線部が引かれました。「食えないことは、やはり良くないことだと思うんです」という、一般的命題と言ってもいい部分に設問が設置されていることから、ここで心情問題が出されることはちょっと想像できません。辞表のセリフに傍線部を引くなら分かるのですが、辞表の理由を伝え説得する部分に傍線が引かれています。傍線問題が6つも設置されておりこのあとすぐ次の傍線部Fがやってくるという設置構造(まるで私立の問題みたいです)を見てみると、どうも違和感があります。
▶そう思って問5を見てみると、案の定、「発言の説明」を問う問題であり、事実上の表現問題となっています。どう想像するかは人それぞれで、僕は「食えないことは」「良くない」というのは当たり前すぎる一般論だなとまず思ったんですよね。つまり、当たり前のものをあえて言葉で伝えることで「それすらもできないこの会社は・・・」と会社の異常性を暗に伝える文脈ではないか、と。もちろん必ずしも選択肢がこの通りになっている必要はないのでしょうが、このように思考を巡らせ、理解を深めるという「向き合い方」が大切ですよ。厳しい時間制約なのは分かりますが、出題者としては表層的な読解しかできない受験生に合格サインを出そうとは思いません。さて選択肢ですが、文末の部分に「言い方」と言えるような内容が露骨に出ています。①「淡々と」、②「感情的に反論」、③「ぞんざい(=乱暴)な言い方」、④「ぶっきらぼう」(=③)、⑤「負け惜しみ」。どう考えても感情的だったり不満を顕にした言い方ではないので②③④がまず切れて、⑤も選択肢全体で見てみれば相当ひねくれた解釈です。答えは①です。「承服」という聞き慣れない二字熟語が出てきましたが、皆さんの知っている二字熟語で組み合わせるなら「承認+服従」です。よく分からない言葉でも漢字から意味を考えられますか、という、語彙力というよりは漢字力とでも言うべきものも問われていました。
傍線部E直後に「そう言いながらも」とあり、ここでも心情の交錯が見られます。「会社にいても食えない(=つらさ)。だが、会社をやめても・・・(=不安・危惧)」という具合ですね。会社に居続けるか外で生きるか、の2択で揺れ動いていることが分かりますか。どちらにもデメリットがあるのですから、揺れるのは分かりますね。
ですが、「しかしそんな危惧があるとしても」と来ますから、やはり会社をやめて外で生きるほうに軍配が上がっています。そして
- 「私の道を自分で切りひらいてゆく」
- 「他に新しい生き方を求めるよりなかった」
と来ます。そしてその具体例が並び、傍線部Fを含む段落に突入します。
なかなかいいところを突いてきました。「勇気」の内容を問うているわけですが、傍線部を見た瞬間、以下のように構造を把握できた人は、この問題には3つのポイントがあることにすぐ気付けたのではないでしょうか。
〈原因〉「それ(=人並みな暮し/静かな生活)が絶望であることがはっきり判った」
↓「瞬間」
〈心情〉「むしろ」「ある勇気が」「のぼってくるのを感じていた」
「むしろ」というのは比較選択や言い直しの接続語とでも言うべきもので、AとBを比べBのほうを選ぶ表現です。これを見た瞬間に、先ほどの心情の交錯と結びつけて考えることができたかがポイントです。単純化するなら、「私」はA=「会社(の世界)」とB=「外(の世界)」を天秤にかけ、Bに軍配が上がっていましたよね。これを決定づけた、すなわちAを捨ててBをとることを決意・覚悟したのがここの場面なのです。曖昧模糊としていたものが決定付けられた「瞬間」なのです。
ですから、
①「会社にいることによる絶望が明確になった」
ことで、
②「会社に居続ける」
ことを捨て、
③「外の世界で生きる」
覚悟を決めた。
と説明してやれば、「勇気」の説明は完了です。「ある勇気」と書かれていたので想像しなければいけないと思った人もいたかもしれませんが、そうではなく、これまでのアンビバレンスを描写した箇所と対応させて「勇気」を言い換えられたかが問われていたのです。1ポイント、と考えてもいいですが、①「〜瞬間、」と明示された原因と、②「むしろ」が示唆する比較対象、さらには③「勇気」の内容、と考えれば3ポイントとなります。
▶問6ですが、上記の把握をもとにして選択肢を見ていけば、瞬く間に④「新たな生き方」を選んでおしまいです。しかもよく見たら、「将来の生活に対する懸念はあるものの」というフレーズが入っています。これは、傍線部中の「むしろ」を意識していて、「将来の生活に対する懸念」というリスクを背負ってでも会社を捨てて外の世界で生きる選択をとったんだ、という比較選択のニュアンスを明示しているのです。他の選択肢ですが、あくまで「外で」生きる覚悟をつけただけなのに、②「自分がすべきことをイメージできるようになり」や③「物乞いをしてでも」のように、まるで「どう生きるか」まで決まりかけているかのように書いてしまっては本文とずれますよね。たしかに「物乞い」が「私」の頭によぎっている記述もありましたが、ここでの決意の主旨はそこではないですよね。また、②は「課長」の言葉を肯定的に捉えている点もダメで、同じ理由で⑤も切れます。「課長」が「私」の心情に影響を与えたのは事実ですが、それは「絶望」という認識に影響を与えているのであって、「勇気」には繋がっていません。「課長の言葉▶絶望▶勇気」という三段階の因果関係を押さえるべきです。最後に①がダメな理由を言っておきますが、「会社の期待に添って生きるのではなく」という箇所が先ほど説明した比較選択の部分を誤読しています。会社に居ても「生活が変わらない」から辞めたのであって、会社に居ると「期待に添わなければならない」から辞めたのではありません。これだと「しがらみからの解放」という主旨になってしまいますが、あくまでここは「生活」や食い扶持のことに話を限定すべきですから、実は①は「自由」という表現も本当はいけないんです。
では最終問、問7を解きましょう。
解いてみた人は分かると思いますが、いやあ、こういうのをオ○○ーって言うんですよ笑。つまり、本文の理解を問うというよりは「出題者の解釈」を理解してくれよ、と。本文の内容に対して出題者が横やりを入れて聞いてくるのが入試現代文の基本構造なのですが、この問題は出題者自身が「我々の考えに付き合ってくれよ」と言っているような感じがするのです。しかもこれで計13点、だいぶ大きいです。
問題の是非は置いといて、資料をまずはきちんと読み取ってください。戦後の広告では途中に空白ができたわけですが、戦前はそこに「御家庭用は少なくなりますから」というフレーズが入っていたというのです。これをどう解釈するかは少し難しいかもしれませんが、家庭用「は」少なくなる=軍事用のものが多くなる、ということを意味しています。戦後はそうでなくなった、ということです。(だから(i)①の「軍事的圧力の影響」はバツなのです。)
さて、【文章】を見てみましょう。
最初の空欄【 Ⅰ 】にはどうやら「広告」と「焼けビル」の共通点が入るのですが、空欄直後を見ると「会長の仕事のやり方」とも共通していると分かります。はっきり言って、「焼けビル」が何を意味するかはかなり捉えにくいので、ここは「広告」と「会長」を考え、その中で「焼けビル」の意味について輪郭をはっきりさせていけばよく、それが【 Ⅱ 】につながるという設問構造になっていたのです。
となれば、まずは資料内の限られた文言から「広告」についてのポイントを押さえましょう。すると、
- 「戦後も物資が不足している」
- 「戦時中の広告を終戦後も再利用」
とあるのですから、戦時中も戦後も変わっていないんだ、ということが伝わってきます。
一方、「会長」の「仕事のやり方」はどうでしたか。設問で言えばこれは問2の話です。問2で、戦中と戦後で方針が転換したかのように捉えている選択肢を複数消したことを思い出してください。いずれにせよ、会社の方針は戦後も戦中と変わらず「実利主義」「利益重視」でした。
では「焼けビル」はどうか、と言えば、注3にもある通り「焼け残ったビル」であり、そこで「私」は戦後仕事していたのですから、結局のところ「広告」も「会長の仕事のやり方」も「焼けビル」も、戦中・戦後で変わっていない、というのが「共通点」だと分かりました。
項目 |
特徴 |
共通点 |
広告 |
戦後も再利用 |
戦中・戦後も変わらず変わらず |
会長の仕事のやり方 |
戦後も利益重視 |
焼けビル |
戦後も焼け残った |
▶問7の2問はこれで一気に解けますね。(i)は「生き延びている」とある③が正解。(ii)は「継続している」とある②が正解です。出題者の与えた手がかりにのっとって「共通点」を抽出することができないと、結局「出題者がどう解釈しているか」ではなく「どう解釈できるか」という視点で考えてしまうためどの選択肢も正解に見えてしまいます。となると消去法を使うしかなくなるため、枝葉の部分を見なければならなくなり異様に時間がかかってしまいます。例えば、(ii)を答える際に、①「会社の」象徴でいいのだろうか、③「決別の」象徴でいいのだろうか、と。はっきり言って、そんなことは考える余地すらもありません。ちなみに、「かなしくそそり立っていた」という表現について考察することにもほぼ意味がありません。ただただ、資料の内容をもとに膨らませて出題者の意図を察して、ポイントを押さえるだけの問題ですから、要領のいい人は1〜2分くらいで本質を捉えて2問とも同時に正解できたはずです。
出題者のかなり自己満足的な問題でしたが、誘導に乗れなかった人からしたらたまったもんじゃありませんよね。でも、これを、面倒くさいなあと思いながらも「はいはいそういうことですよね」と本質を捉えて解くことができれば、枝葉や雑音にとらわれなることなく正解に至ることができます。
そういう意味では、出題者の与えた手がかりにピンポイントで目を向けられる観察力が大切になってきます。この手の資料問題が苦手な人は、過去問や試行調査を解く中で是非その観察力を意識的に鍛えていって頂けたらと思います。
最終更新:2023年12月18日 12:29