解答
問一 ③
問二 ⑤
問三 ②
問四 ⑤
問五 ②
問六 ⑤
問七 ③
問八 ①
問九 ⑤
問十 ②
問十一 ④
問十二 ②
解説
問一
「原典至上主義」の説明が入ることを意識してください。「原典」が「至上」なのです。とすれば、「原典を」という修飾語がつく空欄Aには「大切」などプラスな表現が入ることが分かります。この段階で③か④の2択です。あとは空欄Bに「軽蔑」「称揚」のどちらを入れるか、ということですが、原典が至上である以上、翻訳は原典ほどは重視しないのですから「称揚」はおかしいでしょう。もう少しひねってほしかったですね。
問二
問一同様、三木清の翻訳論の説明をしている範囲内に空欄が設置されていることをまず大前提として押さえてください。彼の「翻訳」に対する「見方」をまとめているのがこの文です。「外国文化が」という主語が受ける述語部分を確定させろという問題です。直後に「日本文化になった」、とあり、これは次の段落で述べられている「意味の転化」と同じです。
どの選択肢もだいたい方向は一緒に見えますが、意味の「転化」というニュアンス、いわば生まれ変わりのようなニュアンスを成立させる選択肢はどれか、と考えてやれば⑤「咀嚼」しかありません。咀嚼というのはなにかを噛み砕くことで、必ず変化を生みます。よく分からない人は、食べ物に置き換えて考えてみてください。食べ物は体内で咀嚼されることで消化・吸収され、栄養へとまさに「転化」します。
とまあ、ここまで考えずとも直感的に「咀嚼」を選びきれた人は多いと思いますが、それが悪いとは思いません。このような語感を問う問題は私大では頻出ですが、変に理屈をこねくり回すよりは言語感覚に任せて解いてしまったほうが速いのかもしれません。
問三
これを迷って解く人がいたら顔が見たいです。「〜なのか、〜なのか」と2人の考えが並列されていて、空欄Dが設置されているのは「丸山真男」の翻訳論の説明箇所です。そして直前に「原語文化と日本文化」と2つ並べられているんですよ。一行前に「異質性」という表現がありますが、そこに戻らずとも「違い/差異」といった内容が入ることは推測可能です。②「異質性」が一瞬で選べます。逆にこれが答えじゃないとしたらどれが答えになるんでしょうか。消去法や深読みはこの問題では不要です。
問四
「三木清」の翻訳論を説明している段落です。直後に「知らない者にその思想を伝達することにつきるものではない」とあり、これが大きなヒントです。つまり、ただの伝達ではないということです(問二の④「伝達」が明確に切れます)。そして、問二でも押さえた「意味の転化」という内容を改めてつかまえてください。
外国文化が単につたわるということではないんだ、という観点から、②「思想を伝達」は明確に切れます。
また、③のように「相違を明らか」は、異質性を理解せよ、という「丸山真男」の立場と重なりますから、これも選べません。
そして、①④には共通して「勝れている」という表現がありますが、勝ち負けや優劣、という趣旨ではないのも明白です。
というわけで、消去法で⑤しか絵r場得ません。しかも、「外国の思想」を「自国の思想の基礎」「とする」と言っているのですから、「転化」のニュアンスとばっちり合います。英語でいう「make O C」のような構文になっていますからね。
しかも面白いことに、これで問二の「咀嚼」が合っていることも同時に確認できます。食べ物を咀嚼したら「栄養」になるのと同じで、外国文化も翻訳されたら自国文化の「基礎」になるわけです。
問五
脱文挿入という私大ではよく出る厄介な問題ですが、なんてことはありません。「このとき(=指示語)」「外国の思想であることをやめて」とあり、傍線部aの2行後の「外国の思想ではなくなっている」と表現的にかぶります。この辞典でアかイに絞りましょう。
そして、面白いことに、「一般的な基礎が与えられる」とあり、問四の正解選択肢に含まれていた「基礎」がここで再登場しました。つまりこの問題は、問四との連動問題なのです。外国の思想を自国の思想の「基礎」とすることこそが、「翻訳というものの意味」である、という問四の理解を活かすなら、脱文は「翻訳の重要な意味はここにある」の直前に入れるのが自然です。
念のため、なぜアがダメかも厳密に考えてみると、アの直前は「翻訳」の「意味」に関する説明ではありますが、否定文になっています。単なる「思想の伝達」ではない→「このとき」→「外国の思想であることをやめて」、では通りが悪いですね。
よって、答えはイとなります。
問六
「三木清」の翻訳論の説明であることを前提に、「原典への( E )から解放」という言葉を見てやれば、何度も繰り返していた「原典至上主義」を否定する内容であることに気付けます。つまりこの空欄には、原典を尊重する、というニュアンスの内容が入っている必要があります。となると②「随伴(=くっつく)」か⑤「従属」なのですが、「解放」という表現と相性がいいのは、と考えてあげれば⑤が選べたはずです。
なお、④の「支配」は、「支配からの解放」と入れてみれば通りがいいですが、「原典への支配」と読むと通りが悪いことに気付きます。ここでミスを犯してしまうタイプの人は、言葉を代入した後に一文丸々読み直す癖をつけるといいでしょう。
問七
「文明史的」という表現はピンと来ないかもしれませんが、選択肢がすべて「世界の文明の歴史を見渡した時」で始まっており、ここに「文明史的」の言い換えが表れていることは分かります。
あとは、これまでの問二・四・五で押さえてきた「転化」「咀嚼」「基礎」といったキーワードをもとに片付けてみてください。もちろん直前の問六「原典への従属から解放」は最も直接的なヒントになりえます。
①は「悪影響」「恥辱」という否定的な内容が、「解放」に合いません。同じく、②も「誤った翻訳」の「影響」、と言ってしまうとマイナス評価になってしまいます。
④の「外来の思想に反発」では、外国の思想を否定していることになりますが、あくまで「三木清」は原典「至上」を否定しているだけで、原典の思想そのものは否定していません。
残った③と⑤でパッと見、迷うかもしれませんが、⑤をよく読んでください。「自国の思想」が「外来の思想」に「とってかわられる」、ということは、外国の思想が優位に立つ、という内容になってしまいますが、これまで押さえてきた内容はそういう内容でしたか? 「単に外国の思想ではなくなった」という表現もあったぐらいですから、外国の思想が前面に出るニュアンスになっている⑤は絶対に選べません。それに対して、③の「文化の発展」であれば、自国にベクトルが向いていると解釈できます。
⑤を明確に外すことができるならば、消去法にはなりますが、自信をもって③が選べたはずです。
問八
「和臭」=「日本のにおい(雰囲気)」、と考えて「日本風」とある④を選んだそこのあなた。そんなひねりゼロの問題をここで出題すると思いますか?
中学校レベルの語彙問題ならそれでいいかもしれませんが、あくまでここは読解問題として取り組むべきですし、なんらかの「ひねり」を出題者の意図として常に受け取りながら解く姿勢を大切にしてほしいです。
まずそもそも「和臭」に二重カギカッコ『 』がついているのですから、特別な意味で使われている可能性が十分高いことは分かります。これで、出題者がここに傍線部を設置した意図をまず感じ取ることができます。
あとは丁寧に文脈を追ってください。ここは、丸山真男が荻生徂徠について語っているところです。彼は中国語に堪能だったわけですが、それでも中国語を異国語として読んでいる。つまり異質性を意識していたんだ、というのが基本線です。そういった中国語と日本語の異質性を「自覚しなければ」、「翻訳を読んでいるという意識がない」。つまり、もし異質だと思わないと、翻訳された日本語を日本語の文章として読んでしまう(もともと中国語であったことを意識せずに読んでしまう)、と言っています。ここはあくまで仮定法の話です。では実際はどうなのでしょうか? ここの内容をひっくり返してやれば、「異質性を意識することで、もともとの原典を意識しつつ、なおかつ日本語としても読む」という翻訳読者のあり方が想像できるはずです。
となれば、もう彼らの読み方は理解できましたよね。引用すると、
「『和臭』をつけて、日本語の匂いをつけて読んでいるのに、中国の古典をじかに読んでいるつもりになっている」
こうなりますが、途中に逆接が入っていることに気付けます。ここは逆説(パラドックス)になっていて、「実際に」読んでいるのは日本語だが「まるで」原典の中国語を読んでいるかのように読んでいる、というのです。一つの文章を読みながら両国の文化を同時に体感している、といったイメージでしょうか。
とすれば、「実際」の読み方とはなんでしょうか?ここで、「中国語を翻訳したもの」が具体的にどんなものかをイメージできたかどうかがポイントです。ただの現代語訳であれば、それは日本語そのものなのですから、「日本語の匂いをつける」という言い方はわざわざしません。とすれば・・・そう、ここで連想すべきは「白文▶訓読文▶書き下し文」という流れです。もともとの中国語はただの白文ですが、そこに送り仮名と返り点をくっつけて訓読文の状態にすることで、一応、日本語(といっても古文のような感じ)で漢文が書き下せるようになっている、という原理をイメージできれば、ここでの「和臭」というのは、物理的には、送り仮名や返り点のことを言っているのかな、と分かります。もうここまで来れば答えは明確で、①「日本語で読み下す」しかありません。
問題数が多いからと言ってざっくり読んで答えていてはこういう問題で羽目を外してしまいます。なんの話をしているのか、とせめて近辺の文脈を確認し、接続語(今回で言えば接続助詞「のに」)も活用しながら論理的な整合性を確認しましょう。
問九
ここでいう「オリジナルな思想」は、外国の思想のことを言っています。この文だけ見てもピンと来ませんが、直後に「朋あり、遠方より来たる・・・」と中国の古典が例示されていることから明確です。そこにプラスで、「異質性を自覚」したときに「オリジナルな思想」が出ると言っていることを合わせて考えてください。すると、ここでいう「オリジナル」とは、外国の思想それ自体の独自性みたいなものを示しているのかな、と分かります。漢字にすると「原」、という感じです。
ここまで押さえれば迷うことなく⑤が選べます。
②の「新たに作り出した」は完全に矛盾しますし、③の「唯一無二」は本文不在ですしここでのポイントから外れます。また、①や③は「理解」「読解」の仕方についての考えとなっているため、ズレます。
問十
問八や九で押さえたように、荻生徂徠が異質性を強く意識していた、ということを前提に考えましょう。もちろん、本居宣長が『古事記伝』の著者であり国学研究者であることを知識として持っておいたほうが考えやすい問題ではあります。
いずれにせよ、「異質性」を意識するという価値観が荻生から本居に引き継がれている、という点を押さえることが大切です。
選択肢を見れば、前半の荻生徂徠の説明が既に選択肢間で大きく異なっており、ここで決着が着きそうな感じがします。「異質性」が入っている②③④に着目し、③「否定」、④「乗り越え」、を外しましょう。「乗り越える」とか「超える」というのは基本的に否定語です。答えは②です。
問十一
信長と徂徠の共通点を問うているのですから、事実上、問十とポイントはほぼ変わりません。「異質性」がポイントです。
ですが、先ほどの傍線部eから傍線部fに移る中で、この「共通点」の中身がかなり具体化されています。それは傍線部fの2行前「いまの言葉のイメージで古典を解釈してはいけない」という箇所に明確に表れています。外国文化を翻訳した徂徠と違って、本居宣長は、自国の文化が研究対象ではありますが、古事記という古代の文化を対象にしているのでどっちにしろ「異質」なものを扱っているのです。ここが分かったかどうかです。
選択肢を見ると、①⑤のように「中国語を学ぶ」というのはポイントではありませんし、③の「古代の言語体系を」「今の時代に投影」では向きが逆です。②は「異質性」というポイントは含まれていますが、日本文化の「優越」という内容は本文不在です。答えは④です。
問十二
これをなんの尺度も持たずにいきなり選択肢を見るのは非常にもったいない解き方です。
本文を見れば、冒頭部と最終部に、傍線部や空欄の設置が全くないことに注目してください。少なくとも最終部に設問の設置がないことは気付きやすいはずです。
とすれば、そこの内容を「後片付け」的にこの
内容一致問題で問うてくるに決まっています。
最終部で言っていることは非常にシンプルです。本文末尾に「異文化表現」と「自文化咀嚼」の療法が翻訳者の仕事だ、とまとめられています。(ここで「咀嚼」という表現が出てきていることが、問二の答えの再確認にもなります。)筆者は、本文中に出てきた2つの翻訳論について、その両方が大切であると言っているのです。なんだか弁証法的な匂いを感じますね。
そして、最後から2段落目の冒頭を見てください。「どちらを選ぶべきかは問題(=重要)でない」という否定文があります。否定は、内容不一致の選択肢をつくるきっかけになりやすいことを考えれば、おそらく、どちらか片方について「これ(だけ)が重要」と言っている選択肢を今回は作ってくるのではないでしょうか? そして、それをもし発見することができれば、今回は不一致のものを選ぶのですから、それが正解となるわけです。
すると、見事に、片方に固執している選択肢が出てきてくれました。それは②です。「初めて」という表現が限定表現として機能していることを意識してください。(英語に直すと「only」です。)つまり、②は言い換えると「異質性を認識することによって
しか、異文化・自文化の理解はできない」となってしまいます。これだと「丸山真男」の翻訳論のほうに偏ってしまいます。「三木清」の言っていた「自文化咀嚼」も大切だと筆者は言っているのです。
最終更新:2023年12月29日 05:49