問題
講評
例年と比べて選択肢数が1つ減りましたが、かといって簡単になったわけでもありません。なんとなくのニュアンスで(浅い解像度のままに)選択肢を判定すると間違えてしまうようにできています。傍線部の前後の表現を詰め合わせたものが正解、ということではもちろんありません。本文をよくにらめっこして、「この問題の正解に絶対外せないポイントは何か?」と考えることが近道です。
ただ、選択肢が少ない分、核となるポイントが分かっていれば解答に即座にたどり着けるのも大きなポイントです。特に選択肢後半(述部)に注目し、正解っぽいものを見つけたらその選択肢全文を精読して「検算」し、問題なければ一旦それを選んで次に行く、というやり方で十分に現代文では高得点を狙えます。(もちろん、時間が余ったら消去法も適用し正答以外の選択肢が不正解であることも確かめましょう。)
さらに、原点に立つなら、入試問題とはそもそも選抜機能を果たさなければならないため、本文の表現通りの選択肢を正解にしてしまうと正答率が高くなり過ぎて試験問題として成立しません。「正解だとパッと見分かりにくいものが正解の選択肢になる」という原則があります。一方で、入試問題のもう一つの性質は「解答が割れる」ことは断じて許されないということ。特に共通テストは全国で50万人以上の人が受ける試験です。正解の選択肢に「これって正解でいいの?」と突っ込まれるような傷があってはいけないのです。ということは、本文の内容をねじ曲げて勝手に解釈を押し進めたものは正解になりにくいのです。すると必然的に「ツッコミどころがなく、独特な意味付けのない無難な内容」が正解になりやすいのです。これらの出題者視点のポイントを忘れてはいけません。
例えば、問4とかはストレートにそれっぽいものを述部に探しに行くと③がよさそうなのですが、選択肢前半部分に決定的なミスがあります。そこで他の選択肢も見ざるを得なくなる。だいたい、どの問題もこのように躓くポイントが入り込んでいます。(もちろんストレートに一発で正解にたどり着ける場合も多い。)
全体解説
評論文に関しては、「各傍線部を軸とするブロックとして本文を再構成する」整理力が求められているのはセンター試験時代から変わりません。
文章が長い分、具体例、引用、比喩などの補強部分で冗長になってしまうのを、本質を掴み取って単純化して捉えることが求められています。
しかも、今回は最終問に「
内容一致問題」がなくオール傍線問題であるため、上記の「整理」ができていれば全ての問題がスパッと解けます。(分かっている人からすれば最後の問6が一番サクッと解けるというのも皮肉めいてて面白い構造です。)
音楽として捉える
ここで、今回の文章を一曲の音楽として捉えてみましょう。
- メトロノーム(文のリズム)に乗り、フィルイン(流れや主張が切り替わる合図/接続語などの談話標識)を押さえ、ダイナミクス(強弱)の変化を感じながら読むと、筆者の主張が自然に浮かび上がる。
- 傍線部は文脈依存性の高い箇所に設置され、だいたいは直後の具体で花火のように広がる(「解凍されてない圧縮フォルダ」)か、前の具体をまとめて収束するかである。ここを見極める。
- ダイナミクスの変化=筆者の感情の強弱 → フォルテ(強い主張)の箇所が傍線部や正解の鍵になることが多い
- 今回の文章は、静かなイントロから始まり、転調と反転を繰り返しながらピークを迎え、最後に皮肉の余韻を残してフェードアウトするプログレッシブなロックのような構成。
上記を踏まえて実際に本文の内容を傍線部を軸に再構成すると、4つのパートに分かれることに気付きます。
全体の曲構造
- ① イントロ+「見る」の暴力性(ゆったりしたピアノで雰囲気を作り、徐々にフォルテへ)
- ② 「見る」の暗転(転調してマイナー調)
- ③ 「見る」と「する」の融合・パフォーマンス的転回(全楽器が一気に乗っかり具体の花火が上がるピーク=サビ)
- ④ 「見る」と「見られる」の対等・相互性(フォルテから静かにピアノに戻り、余韻を残すエンディング)
傍線部ごとの解説
① イントロ+「見る」の暴力性
傍線部A(問2)「観光地住民の『戦略』は常に綱渡りである」
→イントロの終わり部分。「文化的なメガネ」や「まなざしの枠組み」といった抽象的な表現でテーマを提示しつつ、観光の「見る」行為に暴力性が潜んでいることを伏線として示す。
ここはまだ解凍されてないフォルダのような状態。具体例は控えめだが、筆者は「見る」側による「見せる」側への押し付けや強要が行われているという状況を「綱渡り」という言葉で表している。万国博覧会の具体例が示すように、「見せる」側が「見る」側に服従しているような感覚。ありのままを見せなきゃいけないというのは本性をえぐられて丸裸にされるような感じ。
問2の正解は、この「押し付け」「服従」感を捉えた選択肢。
② 「見る」の暗転
傍線部B(問3)「『見る』ことは『する』こととの対比において価値がない)
「見る」の権力的な強さを語ってた文脈から「反転」という言葉が示すように、「見る」行為は「無意味」になった、と明確にマイナス評価が下されるパート。
「『する』(旅人)から『見る』(観光客)への転換」というフィルイン(標識)で観光の成り下がりについて語られている。
問3の正解は、この没落的変化構造を正確に読み取ったもの。
③ 「見る」と「する」の融合・パフォーマンス的転回
傍線部C(問4)「ことはそれほど単純でもない」
→ここでまた反転のフィルインが入り、「見る」を否定する単純な二項対立ではないことが示される。ここから「する→見る→見る+する」という形で21世紀以降の観光現象・観光研究のありさまについて語られる。
傍線部D(問5)「ともに踊る」
→ここが曲の最大のピーク。解凍されてないフォルダが一気に解凍され、まなざし(見る)とパフォーマンス(する)が融合。
両者が「ともに踊る」関係になることで、従来の暴力的な見方がひっくり返る。
具体の花火が連続して上がり、ダイナミクスはフォルテ全開。
問4・問5の正解は、この転回と融合のポイントを押さえた選択肢。
④ 「見る」と「見られる」の対等・相互性
傍線部E(問5)「ともに踊る」
→サビの余波。パフォーマンス的展開を前提に「身体性」を軸として「ともに踊る」をさらに深める。「都市空間」の類比を活用し、「見る」「見られる」の相互性を強調する。
傍線部F(問6)「サファリパークは示唆的である」
→フィナーレの大転調。人間動物園の伏線を完全回収。「見る/見られる」が対等化されるサファリパークの例で皮肉の不協和音を最後に軽く響かせて静かにフェードアウト。
問6の正解は、この皮肉構造を捉えたもの。
解答
問1 ③②②④①
問2 ④
問3 ③
問4 ②
問5 ②
問6 ②
解説
問2は③が引っかけ。「観光地住民が」「ゆがめてしまいかねない」。本当か?それが綱渡りの内容か?
問3は②が引っかけ。「本来」のところに注目。現地住民が主役、とはあったが、体験が本来の旅のあり方だ、とまでは定義していない。あくまで、彼の主張に呼応する(追いつく)ように21世紀から体験学習が取り入れられるようになったよね、と言っているだけ。
問4は③が引っかけ。「かつての旅人による能動的な旅」のところに注目。「能動的な旅」が重視されるようになったのは合っているが、筆者は「旅人(トラベラー)」と「観光客(ツーリスト)」を区別しているので、「旅人」の地位が復活したとするのはおかしい。そんな文脈は本文になかった。
問5は、「見る」「する」、「見る」「見られる」というキーワードが露骨に出ている④が引っかけ。冒頭部の「高度なコミュニケーション」は本文を参照すると観光客と現地住民のコミュニケーションなので、「見る」人と「する」人のコミュニケーションではない。ただ、本文を見ずとも、「見る」人と「する」人、という区分けがそもそも違和感だし、「互いに」というキーワードは傍線部Dではなく傍線部Eでのキーワード。あくまで傍線部Dの段階では観光のあり方に「見る」と「する」が融合しているということしか言ってない。これさえ分かれば④は瞬時に弾けるはず。
ただ、正解の②は「見る」=「まなざし」、「する」=「身体」はまだ分かるものの、「都市を彩るイメージ」という表現が本文の「資本が演出する記号」と重なっているのはあまりに巧みな言い換えであり、解いている時にすんなり選べた人はあまりいないはず。
ここでソシュールの言語論に出てくる「記号」という概念について解説しておこう。「記号」とは、「何か(形)と意味が結びついたもの」の総称(例:赤信号(形) → 「止まれ」という意味、ハートマーク(形) → 「愛」という意味、ブランドロゴ(形) → 「高級」「おしゃれ」という意味)で、記号表現(シニフィアン=目に見える・聞こえる「形」の部分=音、文字、画像など)と記号内容(シニフィエ=その形が表す「概念・意味・イメージ」の部分)が結びついて初めて「記号」になる。本文中の「資本が演出する記号」とは、渋谷の「パルコ」(シニフィアン)とそれが象徴する「若者文化[注6]」(シニフィエ)のセット全体を指すものの、選択肢②の「都市を彩るイメージ」は特にシニフィエの部分(記号がもたらす意味・イメージの側面)を強調した言い換えになっている……とまあここまで解釈できないと積極的に選べないため、実は結構難しい。この箇所が仮に曖昧でも他の選択肢が明らかに違うから、とこの大問で唯一「消去法」で答えてもいい問題である。
問6は、設問にもあるように、本文中に既に出てきていた「事例」との「関係」が求められている。その「事例」とは「サファリパーク」→「人間動物園」の連想でも分かるし本文の最終行にも明示されているが、万国博覧会の事例である。万国博覧会の話は傍線Aの直前で出てきていて、「植民地住民の展示を欧米の人たちが見る」という構図であり、明確な上下関係があった。つまり、サファリパークの事例とは真逆である。この時点で「一方で」とある①②に絞られる。
あとは「相互性」「対等性」というキーワードをどれだけ理解しているかである。①は「違う」「非対称性」といった表現で瞬時に外せる。③は「主役は動物」とある時点でアウト。④は「観光者相互」となっており、「相互」の対象が違う。だがここまで見なくても、「見る側(人間)にも向けられる」と書かれた②に一発で飛び込むのは難しくない。選択肢の長さの割にはある意味1番ストレートに正解にたどり着ける問題。
最終更新:2025年12月29日 17:46