*高松城跡 たかまつじょうあと &REF(http://art22.photozou.jp/pub/293/106293/photo/31405073.v1265198513.jpg) [[香川県]][[高松市]]にある、安土桃山時代から江戸時代にかけて存在した城の跡。 現在は高松市立玉藻公園となっている。 海沿いに築かれ、堀には海水を引き入れられた水城で、日本三大水城のひとつ。 |所在地|[[香川県]][[高松市]]玉藻町2-1| |電話|玉藻公園管理事務所 087-851-1521| |料金|200円| |時間|日の出~日の入| |休園日|12/29~31| **城郭 ・本丸 城の中央にある。周りを内堀に囲まれ、木造の鞘橋で北側の二の丸と繋がっている。 面積は狭く、多聞櫓と天守があるのみだった。 東西に細長く、東端に天守があった。 ・内堀 北側を二の丸、北東・東側を三の丸、南・西側を桜の馬場に囲まれていた。 二の丸の東西を通して海と繋がっていた。 現在は、本丸西側は埋め立てられ、現在は高琴電鉄琴平線が通っているが、それ以外は玉藻公園となっている。 ・二の丸 本丸北側の郭。北側は海に面しており、残りの三方向は内堀に面している。 全域が玉藻公園となっている。 ・三の丸 本丸北東・東側の郭。北側は海に面している。北東側にはL字型の北の丸に接し、南東側は中堀に面している。南側で桜の馬場と繋がっている。全域が玉藻公園となっている。 ・北の丸 三の丸と、東の丸の間の郭。北側は海に面している。全域が玉藻公園となっている。 月見櫓、水手(みずのて)御門、渡櫓が現存している。 ・東の丸 三の丸の東の郭。北側は海に面し、東・南は外堀、西は中掘に面し、北西で北の丸と繋がっていた。 現在は、ホールや博物館が建っている。艮(うしとら)櫓が現存していたが、桜の馬場の太鼓櫓跡に移築されている。 ・ |別名|玉藻城(たまもじょう)| |文化財区分|[[国指定史跡]]| |城郭構造| 輪郭式平城| |遺構|櫓・門・渡櫓、石垣、内堀・中堀の一部| |再建|御殿| **歴史 ・1587年(天正15年) 生駒親正が讃岐国17万6千石の大名に封ぜられ引田城に入城する。同年、引田城は手狭であったので聖通寺城に移る。 ・1588年(天正16年) 聖通寺城でも不便を感じ、香東郡篦原庄玉藻浦に高松城の築城を開始する。 ・1590年(天正18年) 高松城完成。 ・1639年(寛永16年) 生駒氏4代・高俊、生駒騒動により出羽国矢島藩1万石に転封となる。 ・1642年(寛永19年) 水戸藩初代藩主・徳川頼房の子の松平頼重が12万石で入封。城の整備に着手する。2代・頼常にも改修が引き継がれる。 ・1644年(正保元年) 頼重、城内の飲料水確保のため水道を造り、城下の亀井・大井戸・今井戸より水を引く。 ・1669年(寛文9年) 小倉城を模した3層5階の天守が完成。同年、頼重隠居。隠居所として城の南西に栗林公園を造築する。 ・1671年(寛文11年)松平氏による城の大改修が始まる。 ・1869年(明治2年)版籍奉還に伴い廃城となる。 ・1884年(明治17年)老朽化のため天守が破却される。 ---- &REF(http://art21.photozou.jp/pub/293/106293/photo/31405137.v1265334124.jpg) 月見櫓([[重要文化財]])、水手御門([[重要文化財]])、渡櫓([[重要文化財]]) ---- **関連項目 #RELATED ----