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高松城跡 - (2010/02/27 (土) 16:49:09) のソース

*高松城跡
たかまつじょうあと

&REF(http://art22.photozou.jp/pub/293/106293/photo/31405073.v1265198513.jpg)

[[香川県]][[高松市]]にある、安土桃山時代から江戸時代にかけて存在した城の跡。
現在は高松市立玉藻公園となっている。

海沿いに築かれ、堀には海水を引き入れられた水城で、日本三大水城のひとつ。


|所在地|[[香川県]][[高松市]]玉藻町2-1|
|電話|玉藻公園管理事務所 087-851-1521|
|料金|200円|
|時間|日の出~日の入|
|休園日|12/29~31|

**城郭
・本丸
城の中央にある。周りを内堀に囲まれ、木造の鞘橋で北側の二の丸と繋がっている。
面積は狭く、多聞櫓と天守があるのみだった。
東西に細長く、東端に天守があった。

・内堀
北側を二の丸、北東・東側を三の丸、南・西側を桜の馬場に囲まれていた。
二の丸の東西を通して海と繋がっていた。
現在は、本丸西側は埋め立てられ、現在は高琴電鉄琴平線が通っているが、それ以外は玉藻公園となっている。

・二の丸
本丸北側の郭。北側は海に面しており、残りの三方向は内堀に面している。
全域が玉藻公園となっている。

・三の丸
本丸北東・東側の郭。北側は海に面している。北東側にはL字型の北の丸に接し、南東側は中堀に面している。南側で桜の馬場と繋がっている。全域が玉藻公園となっている。

・北の丸
三の丸と、東の丸の間の郭。北側は海に面している。全域が玉藻公園となっている。
月見櫓、水手(みずのて)御門、渡櫓が現存している。

・東の丸
三の丸の東の郭。北側は海に面し、東・南は外堀、西は中掘に面し、北西で北の丸と繋がっていた。
現在は、ホールや博物館が建っている。艮(うしとら)櫓が現存していたが、桜の馬場の太鼓櫓跡に移築されている。

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|別名|玉藻城(たまもじょう)|
|文化財区分|[[国指定史跡]]|
|城郭構造| 輪郭式平城|
|遺構|櫓・門・渡櫓、石垣、内堀・中堀の一部|
|再建|御殿|


**歴史
・1587年(天正15年) 生駒親正が讃岐国17万6千石の大名に封ぜられ引田城に入城する。同年、引田城は手狭であったので聖通寺城に移る。 
・1588年(天正16年) 聖通寺城でも不便を感じ、香東郡篦原庄玉藻浦に高松城の築城を開始する。 
・1590年(天正18年) 高松城完成。 
・1639年(寛永16年) 生駒氏4代・高俊、生駒騒動により出羽国矢島藩1万石に転封となる。 
・1642年(寛永19年) 水戸藩初代藩主・徳川頼房の子の松平頼重が12万石で入封。城の整備に着手する。2代・頼常にも改修が引き継がれる。 
・1644年(正保元年) 頼重、城内の飲料水確保のため水道を造り、城下の亀井・大井戸・今井戸より水を引く。 
・1669年(寛文9年) 小倉城を模した3層5階の天守が完成。同年、頼重隠居。隠居所として城の南西に栗林公園を造築する。 
・1671年(寛文11年)松平氏による城の大改修が始まる。 
・1869年(明治2年)版籍奉還に伴い廃城となる。 
・1884年(明治17年)老朽化のため天守が破却される。

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&REF(http://art21.photozou.jp/pub/293/106293/photo/31405137.v1265334124.jpg)
月見櫓([[重要文化財]])、水手御門([[重要文化財]])、渡櫓([[重要文化財]])

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**関連項目
#RELATED


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