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東大寺 - (2011/08/09 (火) 18:35:14) のソース

*東大寺
とうだいじ
&FURIGANA(とうだいじ)

#ref(東大寺.jpg)

[[奈良県]][[奈良市]]にある、華厳宗大本山の寺院。
「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」ともいう。

本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。

現境内を含む約12ヘクタールが東大寺旧境内として国指定史跡になっている。
多くの建造物、工芸品が国宝、重要文化財に指定されている。
[[古都奈良の文化財]]の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されている。

|所在地|[[奈良県]][[奈良市]]雑司町406-1|
|料金|境内自由、大仏殿・法華堂・戒壇堂は各500円|
|時間|8:00~16:30(季節により30分前後する)|
|URL|[[>>http://www.todaiji.or.jp/]]|
|地図|&HTML(<iframe width="490" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=205510817128870103752.00048acf1225c65441a83&hl=ja&brcurrent=3,0x6006c72a378527d3:0xea476003f6e9c172,0&ie=UTF8&ll=34.699425,135.843544&spn=0.049396,0.084114&z=13&iwloc=00048acf1cf0569af17ce&output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=205510817128870103752.00048acf1225c65441a83&hl=ja&brcurrent=3,0x6006c72a378527d3:0xea476003f6e9c172,0&ie=UTF8&ll=34.699425,135.843544&spn=0.049396,0.084114&z=13&iwloc=00048acf1cf0569af17ce&source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">奈良県</a> を表示</small>)|

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**伽藍

奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。


***南大門
[[国宝]]
・竣工:1199年(正治元年)
平安時代の962年に台風で倒壊したものを再興。
俊乗坊重源が宋から伝えたといわれる[[大仏様]]を採用した。
門内左右には金剛力士像(国宝)と石造獅子1対(重文)を安置する。


***中門
[[重要文化財]]
・竣工:1716年(享保元年)
・屋根形状:入母屋
・階数:2階
金堂(大仏殿)の手前にある[[楼門]]。


***金堂(大仏殿)
国宝
・竣工:1691年
・屋根形状:寄棟、一重[[裳階]]付
・屋根材:瓦葺
・規模:高さ46.8m、間口57m、奥行50.5m
近年まで世界最大の木造建築であった。現在でも木造軸組建築としては世界最大。


***念仏堂
重要文化財
・竣工:鎌倉時代
地蔵菩薩坐像(重要文化財)を安置する。


***鐘楼
国宝
・竣工:鎌倉時代、13世紀初頭
吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。


***法華堂(三月堂)
国宝
・竣工:743年(天平15年)以前
境内の東方、若草山麓にある。東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)の羂索堂(けんさくどう)として建てられたもので、記録により743年(天平15年)までには完成していたと思われる。


***二月堂
国宝
・竣工:1669年
旧暦2月に「お水取り」が行われることからこの名がある。
平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったが、1667年(寛文7年)お水取りの最中に焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。
本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも秘仏である。


***開山堂
国宝
・竣工:内陣1200年(正治2年)、外陣1250年(建長2年)
開山(初代住職)良弁(ろうべん)の肖像を安置するための堂。
南大門とともに、大仏様建築の数少ない遺作。
本尊木造良弁僧正坐像(国宝)は平安初期9世紀の作品で、良弁の命日の12月16日のみ公開される。


***三昧堂(四月堂)
重文
本尊千手観音像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。


***大湯屋
重文
・竣工:鎌倉時代
内部に鉄湯船(重文)が残る。


***転害門
国宝
境内西北、正倉院の西側にある八脚門。
平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火に焼け残った寺内で数少ない建物の1つ。鎌倉時代に修理されているが、基本的には奈良時代の建物である。

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**歴史
・733年(天平5年):若草山麓に創建された金鐘寺(こんしゅじ)が東大寺の起源であるとされる。
・742年(天平14年):前年の国分寺建立の詔(みことのり)により、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ、金光明寺と改められた。
・747年(天平19年):大仏の鋳造が始まる。この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと思われる。
・752年(天平勝宝4年):大仏開眼会(かいげんえ)が挙行され、その後大仏殿の建設工事が始められる。
・758年(天平宝字2年):大仏殿竣工
・1180年(治承4年):平重衡の兵火で、近隣の興福寺とともに壊滅的な打撃を受け、大仏殿をはじめとする多くの堂塔を失った。
・1190年(建久元年):大仏殿を再建
・1567年(永禄10年):三好・松永の戦いの兵火により、大仏殿を含む東大寺の主要堂塔はまたも焼失した。
・1691年(元禄4年):大仏の修理が完成
・1709年(宝永6年):大仏殿を再建。この3代目の大仏殿(現存)は、高さは天平時代とほぼ同じだが、間口は天平創建時の3分の2に縮小されており、徳川幕府の援助をもってしても、当初の規模を再現することは不可能だった。また、講堂、食堂、東西の七重塔などは近世以降はついに再建されることはなく、今は各建物跡に礎石のみが残されている。

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**関連項目
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