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南禅寺 - (2011/05/13 (金) 22:16:25) のソース

*瑞龍山 南禅寺(太平興国南禅禅寺)
ずいりゅうざん なんぜんじ(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)
&FURIGANA(なんぜんじ)
&REF(http://art19.photozou.jp/pub/293/106293/photo/31092604.v1262018178.jpg)

[[京都府]][[京都市]]にある寺院。境内は[[国指定史跡]]となっている。

臨済宗南禅寺派の大本山であり、京都五山及び鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を持つ。

|所在地|[[京都府]][[京都市]]左京区南禅寺福地町86|
|URL|[[>>http://nanzenji.com/]]|

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**伽藍

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**歴史

南禅寺建立以前は、1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が造営した離宮の禅林寺殿があった。
この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれ、「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅院」と称した(現存する南禅寺の[[塔頭]]南禅院の前身)。

1291年(正応4年)に亀山法皇が、禅林寺殿を寺にあらため龍安山禅林禅寺と名づけた。無関普門を開山とした。
1299年(永仁7年)に二世住職の規庵祖円により[[伽藍]]が整った。
正安年間(1299 - 1302年)に寺号が「太平興国南禅禅寺」に変わった。

1393年(明徳4年)と1447年(文安4年)の火災により主要伽藍を焼失したがほどなく再建。
しかし1467年(応仁元年)、応仁の乱の市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建は進まなかった。

1605年(慶長10年)徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わった以心崇伝が入寺してから復興が進んだ。

明治時代に建設された、境内を通る琵琶湖疏水[[水路閣]]は、古都の景観を破壊するとして反対があった一方、見物人が殺到したという。現在では京都の風景として定着している。

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**関連項目
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