江戸六地蔵
えどろくじぞう
江戸時代に建立された6つの地蔵菩薩像。
建立の年代が異なる2つの江戸六地蔵があり、区別する場合は「始の六地蔵」と「後の六地蔵」と呼ばれる。
後の六地蔵が現存しているものが多いため、一般的に江戸六地蔵と言った場合、後の六地蔵の方をさす場合が多い。
始の六地蔵
1691年(元禄4年)に、慈済菴空無上人が開眼供養した、銅造地蔵菩薩立像。
開眼当初の像は専念寺のみ。
第一番 |
桂芳山 瑞泰寺 |
東京都文京区向丘2-36-1 |
第二番 |
一心山 正定院 専念寺 |
東京都文京区千駄木1-22-22 |
第三番 |
法輪山 浄光寺 |
東京都荒川区西日暮里3-4-3 |
第四番 |
影向山 心行寺 |
現・東京都府中市紅葉丘2-32-14 |
第五番 |
福聚院 |
現・東京都台東区上野公園16-13・地蔵尊像現存せず |
第六番 |
正智院 |
現・東京都台東区浅草2-31-3・地蔵尊像現存せず |
後の六地蔵
江戸時代中期に、江戸の出入口の街道沿い6カ所に設置された銅造地蔵菩薩坐像。
現在はそのうちの5つが現存する。
江戸深川の地蔵坊正元が、病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、宝永3年(1706年)に発願し江戸市中から広く寄進者を得て、京都の六地蔵に倣って造立した。
神田鍋町の鋳物師、太田駿河守藤原正儀による。像高はいずれも270cm前後。
造立時には鍍金が施されていた(東禅寺の第二番は弁柄色の漆)が、現在では金箔の痕跡をわずかに残すだけとなっている。
それぞれの像内には小型の銅造地蔵菩薩坐像や寄進者名簿などが納められていた。
像や蓮台には寄進者の名前が刻まれており、寄進者は合計すると72000名を越える。
第6番は
富岡八幡宮の二の鳥居付近にあったが、明治元年(1868年)の神仏分離令による廃仏毀釈により、旧永代寺が廃寺になり取り壊された。
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寺号 |
街道名 |
所在地 |
造立年 |
像高 |
備考 |
第1番 |
品川寺 |
東海道 |
東京都品川区南品川三丁目5-17 |
1708年(宝永5年) |
2.75m |
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第2番 |
東禅寺 |
奥州街道 |
東京都台東区東浅草二丁目12-13 |
1710年(宝永7年) |
2.71m |
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第3番 |
太宗寺 |
甲州街道 |
東京都新宿区新宿二丁目9-2 |
1712年(正徳2年) |
2.67m |
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第4番 |
眞性寺 |
旧中山道 |
東京都豊島区巣鴨三丁目21-21 |
1714年(正徳4年) |
2.68m |
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第5番 |
霊巌寺 |
水戸街道 |
東京都江東区白河一丁目3-32 |
1717年(享保2年) |
2.73m |
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第6番 |
永代寺 |
千葉街道 |
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1720年(享保5年) |
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現存せず |

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関連項目
最終更新:2025年02月15日 23:21