川越城跡
かわごえじょうあと
埼玉県川越市にある、室町時代から江戸時代にかけて存在した城の跡。
江戸時代は川越藩の藩庁だった。
概要
別名 |
河越城、初雁城、霧隠城 |
文化財区分 |
埼玉県史跡 |
城郭形式 |
平山城 |
遺構 |
堀・土塁・御殿の一部・移築物3棟 |
遺構
本丸御殿 玄関、大広間、家老詰所
当時は16棟、1025坪の規模であったが、多くの部分は明治時代に解体された。
玄関・大広間部分は、入間県県庁、入間郡公会所、煙草専売局淀橋支局川越分工場、川越武道奨励会修練道場、市立第二中学校校舎・屋内運動場として使用された。
家老詰所は、上福岡市(現
ふじみ野市)の民家に移築されていたものを再移築した。位置は以前とは異なっている。
歴史
- 1547年(長禄元年):上杉持朝が太田道真・道灌に築城を命じる。
- 1537年(天分6年):北条氏綱が奪取。以降北条氏の武蔵国支配の拠点となる。
- 1653年(承応2年):松平信綱により拡張され、寛文年間に完成。近代的城郭となる。
- 1848年(嘉永元年):松平斉典により、現在の本丸御殿が造営される。
- 1868年(明治元年):松平康英が、明治政府への恭順の意を示し堀を埋める。
- 1869年(明治2年):部分的取り壊しが始まる。
- 1873年(明治6年):廃城令…に伴い、建物等が売却される。
- 1924年(大正13年):川越城跡が埼玉県指定史跡となる。
- 1967年(昭和42年):本丸御殿が埼玉県指定有形文化財となる。
関連項目
最終更新:2011年05月29日 02:13