浄光寺
じょうこうじ
本堂及び経蔵は、恵那市指定
有形文化財となっている。
寺は元々岩村の北部にあったが 1649年 (慶安2年/江戸初期) に現在の場所へ移された。
内田祐正
(うちだすけまさ)。三河牛窪 (愛知県豊川市牛久保町) 出身。
上宮寺の檀家であった内田氏は三河一向一揆に参加し、祐正は親兄弟を亡くす。
たった数歳で身寄りを失った祐正を哀れんだ上宮寺の僧に引き取られ育てられ、19歳で仏門に入る。
当時上野国那波郡 (群馬県伊勢崎市) に居た松平家乗に気に入られそこに浄光寺を建てたが、家乗が岩村藩に転封されたのに従って 1601年 (慶長6年/安土桃山) に浄光寺を岩村へ移した。家乗が亡くなり乗寿が浜松へ転封された後も祐正は岩村に留まったが、祐正が亡くなると子の弥右衛門は今井姓を名乗り乗寿に従って浜松へ移っていった。
本堂
1821年(文政4年)瓦葺に改修
参考サイト
関連項目
最終更新:2011年10月10日 21:31