漫画の感想を書くのなら、これを最初にしようとなんとなく思っていた。この漫画は暗くて理屈っぽくて文字が多くて、読後感が良いとはお世辞にも言えない。万人にお勧めできるかと言えば、それもできない。私は面白いと思ったものは、誰彼構わずお勧めしてしまう癖があるのに、だ。
小学生の頃にこの本を読み、心の底に重く残った。薄い布をピンと張った状態があって、それまで読んだ漫画の感想は布の上に乗っかってもそれを沈めることはなく、均等に散らばっていたのに、この本だけは布を重く重く沈ませてしまい、そしてそれからの全ての漫画の感想がその上にのっかってしまった、この漫画は私にとってそんな本だ。我ながら例えがよくわかりませんな。
小学生の頃は母も今程寛容ではなく、あまり漫画を与えてくれなかった為、私は同じ漫画を繰り返し繰り返し、それこそ暗記する程に読み返した。当時私が所有していたはみだしっ子は、ほんの2~3冊であったと思う。時折パラレルワールドの様な番外編を挟んでいたこの本を、前後関係の分からぬまま、果たして幼い私が理解していたのか。
所有していた何冊かも中学生になった時には既に無くなっていて、長らく思い出すこともしなかった私が、再びこの本に出会ったのは社会人になってからだった。20年程の時間を超えて尚、私のはみだしっ子に対する感想は変わらなかった。暗くて理屈っぽくて文字が多くて重い。だのにこの四人の子供達のなんと魅力的なことか。なんて愛しくて、それ故に彼らの不幸な境遇に胸が痛むことか。
物語は四人の少年達を軸に話が進む。はみだしっ子とは、普通の子供が努力せずに与えられる幸せからはみだしてしまった子供という意味だと、勝手に私は予想する。彼らが誰にも邪魔されない居場所を求める旅が、この何冊かで語られる。
それを決めるのは私ではないということを承知で言うならば、軽い読み物が好きな人には向かないと思う。なんとなくだけど、男性にも向かないんじゃないかとも思う。かといって考え込むタイプの人が読むと引きずられてしまうんじゃないかと思う。非常に好き嫌いの激しい話だとも思う。それでも面白い。胸を張って私はこのお話が好きだと言える。
四人の少年達は個性的で、斜めな見方をすればキャラクターの書き分けは抜群であると思う。どの子が好きか、と聞かれれば甲乙つけがたいが、悩んだ末に私はアンジーを選ぶだろう。私の好きになるキャラは、皆どこかアンジーに似ている。私の好みを凝縮したのがアンジーなのか、アンジーを好きな故にその匂いを感じられるキャラを選んでしまうのか、今ではもう分からない。少しだけ物を軽く見ることができ、周りを見ることができ、それ故にフォロー役に回ってしまうアンジー。例えば自分の責任感に押しつぶされ、一番真面目だとされるグレアムも、思ったことをうまく伝えることができず空回りしてしまうサーニンも、無垢であるが故に愛され、又傷付いてしまうマックスも、アンジー程に不幸ではないと思う。皆が自分の不幸に目を向けることができるなか、自分の為に悩むことのできないアンジーは一番不幸ではないか。他人に目がいく為自分を後回しにしてしまうその性格を、私は好ましく思ってしまう。勿論他の三人も大好きだ。
この物語には嫌な人がたくさん出てくる。明確に悪意をぶつける人、そして四人が普通の生い立ちを背負っていないことに眉をひそめる人々。世の中はいいことばかりじゃないんだよ、とたくさん、そこまで言わなくてもいいんじゃないの?って言いたくなるくらい出てくる。たくさんの不幸とちょっとだけの幸せ。救いは少ないし、私はこれが漫画じゃなければ嫌いだったかもしれない。それから、誰かを思いやる気持ちあっても「伝わった!心を開いた!あぁ幸せ!」な展開にはなかなかならないということ。パムは自身も辛い経験があるけど明るい持ち前の性格で、克服しようと四人もの男の子を引き取る。愛情はたくさん。だけどどう伝えていいかわからない。四人は彼女の愛情を感じても、今まで辛い目に遭ってきたからそうそう心を開けない。漫画を見ている私には、パムには心を開いたっていいのに!とやきもきする。そして私はそういうところを好きだとも感じる。「今まで辛い目に遭ってきたのね、もう大丈夫よ私が居るわ。」「うわぁあん、本当はずっと寂しかったんだ。お母さんって呼んでもいい?」のような、ハッピーエンドはもういらないのだ。割と現実的な、どちらかというと悲観的なこの話に魅せられたのはそういう理由かもしれない。
はっきり言ってあのラストはよく分からない。グレアムが一体どうなったのか、どこに折り合いを付けたのか、読んだ後の消化不良ベストファイブに入るだろう。それでも何度読んでも、その都度新しい発見が可能な、私の愛読書である。
(2006/03/12)
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最終更新:2008年12月03日 00:17