恩田陸

夜のピクニック



みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう。

 とても良い本でした。面白かった、というより、良かった、という印象。この全編に漂う不思議な感覚は一体なんて言葉にすればいいんだろう。特に事件は起こらず、歩行祭という高校のイベントがあるだけです。この歩行祭というのは、朝の八時から翌朝の八時までただ歩き通すだけ。その間に起こる小さな心の動きだけが、語られています。読み終わるのが惜しい、そんなお話でした。続きは気になるけれど、もう少しゆっくり読めばよかった。多分この本は一回目が一番面白い。
 お勧めの本ですが、できれば周りが静かなところで読む、もしくは電車の中とか物語に入り込める環境で読むのがお勧めです。映画化されたみたいですけど、この雰囲気を出せるのかなぁ。
 高校が舞台なので、登場人物は大目です。主人公は貴子と融なのかな。二人は異母兄弟で、それぞれ母子家庭で育ち、偶然高校三年生で同じクラスになります。自分を拒絶する融に対し、貴子はある一つの賭けをします。歩行祭の間限定の小さな賭け。さてその賭けとは何か。
 他にも二人のクラスメイトやら、融に恋する少女やらの登場人物がいて、小さなイベントはいくつも発生します。ただそれが全然読みにくくないんですよね。すんなり頭に入ってくる。登場人物が五人を上回ると混乱する私なのに、こんなに読みやすいのはすごいと思いました。
 このお話で一番大切なのはその雰囲気だと思います。高校生の思考。未熟なところ。純粋なところ。とげとげしているところ。私はとうに通り過ぎてしまい、もう到底そんな感覚は味わえないもの。それを少しだけ感じさせてくれたような気がします。年を取ってから、学生時代のあの独特の雰囲気を感じさせてくれるお話に弱いです。先日読んだサウスバンドもそうですが、「もう戻れない」というキーワードに弱いのかも。ノスタルジーとでも言うのか。このお話にはこれといった事件も、人生を変える様な教えもありません。どうでもいいような高校生の会話や、足の痛みをとつとつと語るシーンや、謎かけというにはおこがましい伏線や、そんなもので構成されています。でもそれがとてもしっくりくる、穏やかに読み進められる作品でした。まるで私も一緒に歩いているように感じました。
 しみじみ読めたせいか、心にすっと染み入る言葉が多かったです。小さい時にナルニア国ものがたりを薦められたのに、結局高校生になってから読んだ忍が、読んだ後の一番の感想が「しまった!」だった時。「せめて中学生でもいい。十代の入口で読んでおくべきだった。そうすればきっと、この本は絶対に大事な本になって、今の自分を作るための何かになってたはずだったんだ。」と、ものにはタイミングがあるんだ、遅すぎるということがあるんだ、と融に説教するところ。
 貴子が歩きながら時間の感覚は不思議だ、と思うところ。「なぜ振り返った時には一瞬なのだろう。あの歳月が、本当に同じ一分一秒毎に、全て連続していたなんて、どうして信じられるのだろうか、と。」
 貴子がきっちり計画的な美和子に対し、自分を振り返るところ。「あの、夏休みの嫌な感覚。すぐそこまで終わりが近づいている。一日一日と確実に近づいてくる。今始めればまだ間に合う。少しでも早く始めれば、始めただけなんとかなる。そう頭では分かっているのに。どうしても手を付けられないというあの悪循環。一応机には向かってみるものの、他のことをしたり、どうでもいいことを始めたりして、本題の周りをうろうろして、肝心のものがちっとも始められない。一日ずつ先送りにしているうちに、本当に、のっぴきならない状況に陥って、後悔の念に苛まれながら、片付けなければならないものの量に愕然とする夏の終わり-。」これは私がそういうタイプだからでしょうね。耳の痛い文章でした。うまいこと言うなぁと思ったので。
 融と忍なら忍の方がいい男ですよね。融はまだ子供っぽいなぁ。それとも一般的にモテルのはやっぱり融みたいな少年みたいなタイプなのかな。あと天文学部の芳岡君は出番はなかったけど達観してそうでいい感じ。
(2006/11/26)

ライオンハート


 不思議な感覚のお話でした。ファンタジーなんでしょうか。どのように感想を書いてよいのかはっきりわかりません。ただ時間が経つにつれてこの感想がどんどん曖昧になっていくような気がしますので、急いで。
 舞台はイングランド、時代は過去から現代を行き来します。イングランドの歴史を把握していないので、それがいったいどんな時代なのか、なかなか私には実感できませんでした(例えば日本なら江戸時代って言われただけで、あぁ武士や町人がいて徳川の御世なのね、と思いつける)。一編読みきりになっていて全部で五話。ただ一編ずつ丁寧に読み解くとそれらの関連がわかるように作られているようです。エドワード、エリザベスという人物が繰り返し登場しますが、一話一話別人です。そしてそれぞれの話で彼らは出会います。いろんなシチュエーションで。輪廻転生といえばわかってもらえるでしょうか。そしてライオンハートというキーワード。
 ちょっと曖昧な言い方になったのは、さっと読んだだけでは疑問が残ったからです。じっくり読むと関連が見えてきて、もっと面白いとは思います。ただ、物事にはっきり説明をつけないと気がすまない人には、あまりお勧めできません。読後に余韻を残し、想像の余地を与えるように作られているので、全て言葉では説明されていません。読み返して想像を働かせないと、「あれ?終わった?結局どういうことなん?」と思って終わりでしょう。最後のページでパズルの最後の一片がはまるような、そんな終わり方を好む人には不向きだと思います。つまり私。
 恩田さんの作品はこれで三作品目ですが、そんな書き方をされている本ばかりのように思います。全てを言葉で説明しない、なんだか不思議な感じを残しておく。本題があるとすればいろんな角度からその本題を掠める話を数話作り、その数話の輪郭をそれぞれつなげて本題を導き出してね、って感じ。私のようなタイプには少しストレスでした。
 ただこうやって感想を書くのだから「よくわかりませんでした」じゃなんやしな~と思い、斜め読みで二回目を読むと、ちょっとわかったような気がします。一冊の本を何度も読む人にはよいと思います。また一話一話にもちゃんとストーリーがあり、読みにくいことはないです。私は特に「エアハート嬢の到着」が好きですね。
 それにしてもこの人の文章は普通に読み易いのですが、時々強調したい部分を太字にするのは何とかならないのでしょうか。私は逆にこれは気分が萎えてしまうのですが。

 「エアハート嬢の到着」でのエリザベスは本当にいじらしくて、特に死ぬ間際の台詞が切なくてよかったです。この回は一話目だったのでなぜエリザベスがこんなにもエドワードを求めているのかわからないのに、その一途さが胸に染みました。「私のライオンハート」意味はよくわかりませんが、印象に残る台詞でした。
 ついでに私なりに整理してみることにします。エドワードはエド、エリザベスはベスとしますね。
 「プロムナード」に出てくる大学の教授であるエドは「エアハート嬢の到着」で出てくる若いエドですよね。彼はこの若い時にまず幼いベスに会い(①)、そして老成した後記者であるベスに会う(②)。①はエドが初めてベスに会う時で、②ではベスが初めてエドに会う。この場合初めてというのは、それまでに夢を見なかったという解釈でいいのかな。あとハンカチはこの①と②をぐるぐるしてるのかな。
 次に「記憶」のエドとベス(エレン)。これは時の流れをぐるぐるしていた二人がやっと出会って添い遂げられたって回。この時エドがつけていたベスについての日記が、「春」で登場するエド(この場合「記憶」のエドの孫)の手に渡る。
 「イヴァンチッチェの思い出」のエドとベスは、どこともリンクしてないように思います。
 そして全ての始まりとなった「天球のハーモニー」。ここからエドとベスの長い旅が始まる。といいたいとこですが、これが一番よくわかりませんでした。つまりベスは、イングランドのエリザベス女王なんですよね。でもなぜエドというものを作り出したのか?ってとこ、全然分からずにちょっとイラっとしました。説明を求める私の方が無粋なのでしょうか。でも「魂は全てを凌駕する」って言われても納得できるかと言えば…。
 他にも分からないところはたくさんありましたが、挙げ連ねてもしょうがないのでやめておきます。他の人の解釈を探したいと思います。
(2006/04/06)

光の帝国-常野物語-


 初めて読んだ恩田陸作品でした。常野一族という不思議な能力を持った人達を描いた連作短編集です。短編なのでとても読みやすいです。登場人物はほとんどかぶっていません。時代もばらばらでした。
 常野一族にはそれぞれいろんな能力が授けられていて、例えば読んだ本を全て暗記してしまう能力や、瞬間移動みたいな能力を持っています。彼らは長い歴史の中で、迫害されたり利用されたりして、それでも一族の者が安心して暮らせる所を探し続けているような、そんなお話でした。長い歴史を全て描ききるのではなく、時代の一場面一場面を切り取ってその歴史を感じさせるような、そんな作りになっています。
 不思議な能力が、ありきたりな言葉で説明されているのが面白かったです。例えば「しまう」「響く」「虫干し」「裏返す」。普通の言葉なのに、能力を説明しているのです。なんとなく意味が分かって、よくそういう表現ができるなぁと感心してしまいました。
 恩田陸作品はまだ三作しか読んでいませんが、今のところこれが一番面白かったです。文章が優しく、少しきついお話(光の帝国)もあるのですが、この人の筆致のせいでしょうか、ただただ美しく哀しく描かれているように思えます。三作読んで思ったんですが、この人は「説明」をしませんね。「なぜ」「どうやって」という点に重きを置いていないというか。想像の余地を残してくれるのはありがたいのですが、少しだけ物足りないです。ただそれを語ると逆にくどくなる気もするし、この人の持ち味はこれなんだと納得するしかないんでしょうね。腹八分目、もう少し食べたいなぁってとこでやめておくのが健康の秘訣ですか。
(2006/04/24)

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最終更新:2009年06月07日 17:33
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