大好きな紫堂恭子さんの本ですが、三巻目で最終回。今回は割と早く終わったんですね。他のお話に比べると、主題がちょっと弱いかなと思いました。期待が大きすぎたのかも…。
戦地で大けがを負ったクリストファーは、敵地なのに手当をしてくれた恩人を捜すべくエルダーという土地で職を見つけます。そこで恩人探しをする筈が変な鳥みたいな喋る生き物「ちゅん」を拾ってしまい、その子に振り回されるお話です。題名の意味は三巻目で解明されます。
このちゅんのキャラクターがあまり今までにない感じだったのですよね。不条理な性格で実はそんなに好きにはなれませんでした。クリスの人の良さにいらいらしたり。笑いとシリアスの割合が、いつもより笑いに傾いていたように思います。他のキャラは好きです。
多分三巻の不死鳥の独り言「人間も大いなるものからちぎれたものだと、いつ気付くのだろう(うろ覚え)」ってとこが主題だったと思うんですけれど、ちょっととばしすぎかなと感じました。そこに行くまでにはもう少し足場を固めないと。
(2006/12/09)

紫堂恭子さんは大好きな漫画家さんの一人です。その中でもこのお話が一番好きかも。とても難しいことを穏やかな口調と分かり易い言葉で教えてくれる、考えさせられる作品です。ファンタジーというフィルタを通しているから気づき辛いけど、主題はとても深いと思います。
この人の作品はファンタジー要素が入ったお話が多いようですが、これもその内の一つ。古代からの妖魔や精霊と人間が共存している世界でのお話です。
ちんけな詐欺師のサイアムは旅の途中でグラン・ローヴァと呼ばれる老人に出会います。実はこの人世界の賢人達の中でも一番偉いのですが、放浪癖のあるただのおじいちゃんに見えます。良く言えば「何にも縛られない」、悪く言えば「何も考えていない」。この人の傍にいれば何か変わるかもしれない、とサイアムは一緒に旅を続けることにしました。途中で巨大な水蛇が化けた綺麗な少女イリューシア出会い、道行きを共にします。イリューシアの目的は大きな力を持つという銀晶球。世界が汚れて力が無くなってしまった彼女は、古代の生物が生きていけるという西の国へ行きたいのですが、今のままではその力すら残っていません。そこで動きやすい小さな体に化け(本体は湖の底で眠っている)、銀晶球を探していたのです。
要はサイアムの成長物語なのですが、私が考えてしまったのは「あまりにも大きな力を手にしてしまった時、人はどうするべきか」ということです。物語の世界ではその「大きな力」とは銀晶球を指しています。それ故にファンタジックなお話になっているのですが、私はそれが「ダイナマイト」や「核」として現世界でも通用する考え方だと思うのです。
男性にも女性にもお勧めです。絵も綺麗で読みやすいので、一度読んでみられてはいかがでしょうか。
ここから先はネタバレになります。
サイアムが銀晶球の力を取り込んでしまった時、賢人や精霊達はこぞってサイアムを隔離すべきだと言い立てます。パナケアはそうやって大きな力(言葉)を人間に与えた為、罰を受け永遠に幽閉される身となった友人を嘆き、同じく人間を信用していません。自分が触れる人間に銀晶球の力を分けてしまうことを知ったサイアムですら、「人がそんなよいことばかりに使うとは思えない」と閉じこもってしまいます。対してグラン・ローヴァとイリューシアは、そのままの状態を受け容れようとするのです。あるがままに。人間を信じて。
イリューシアは悲観的になるサイアムを見て泣きます。「自分が出会った人間は善い人ばかりだった。皆が銀晶球の力を得られるのなら、私は今よりもっと力を分けて貰いやすくなる。何故希望を持ってはいけないの?」と。私はこの件に関しては答えを出せませんでした。人間を心から信じる気にはなれない。きっと誰かが悪用するだろう。だけどそれを止めてしまうのは果たして良いことなのだろうか。良い方向に変わる要素だって少しはあるのに、それを出さないのは罪なのだろうかと。
ダイナマイトは最初岩を崩す為に作られたと聞いたことがあります。苛酷で労働条件の悪い鉱山での仕事に、それは大きな進歩を与えた筈なのです。人の命を救った筈なのです。ですがダイナマイトは戦争にも使われました。多くの人の命を奪いました(ノーベルはこれを非常に哀しみ、ノーベル平和賞を作ったとか)。ならノーベルはダイナマイトを開発すべきではなかったのか、誰にも作り方を教えなければよかったのか。そこで私は迷うのです。薬も過ぎると毒になるように、物事には全て二面性があります。それの悪い面ばかりを見続けなければならないのか。
物語の最後、サイアムは諸国を放浪するようになります。人間に力を分け与えることを選んだのです。そしてイリューシアはグラン・ローヴァと一緒に西の国へ旅立ちます。イリューシアは泣きながら「西の国へずっと行きたいと思っていた。でも本当はここにいたかった。産まれたところだもの」とサイアムに別れを告げます。人間達が生き辛くした世界を捨てざるを得なかったのに、決して人間を恨まず。だけど多くの人間はそうやって何も言わず退いていく種族がいることにも気付かないままなのです。このお話は、何も言わないからこそ気付かなければいけないのだと、主張したいのだと思います。
私はどれが一番良い道なのか決めかねました。でもサイアムが選んだ道を応援できる気がします。信じているのではなく、信じたいのです。
(2006/05/22)
久しぶりに読み返してみると、やはりこの漫画はまるでギターや津軽三味線のように、ビシバシと私の琴線を弾きまくります。取り立てて泣けるようなシーンじゃないのに、じんわり泣けてくるのです。なので、ちょっとだけ好きでしょうがないシーンと台詞を列挙します。ネタバレしまくりです。
・旅の途中で金銀の細工師と知り合ったところ。水蛇の腕輪が水に逃げてしまって「綺麗だったのに」と惜しむサイアムに「…さあねえ でも 誰にほめられなくても 何ひとつ残らなくても 人間のやる”いいこと”なんて そんなもんじゃないかのう―」
・その後イリューシアがグラン・ローヴァに「とても不思議なの こんなにいい人たちにばかり会えたことが- …これからどんなにイヤな人間に会っても 怖くて悲しい思いをしても サイアムがわたしを人間の女の子のようには好きになってくれなくても ぜったい 人間を嫌いにはならないわ」
・サイアムが人間を信じられないシーンでのおじいちゃんとの会話。「ねえサイアム わしらよく魚や鳥を食べたけど 魚に恨まれたことあるかね? 魚は水の中で気持ちよく生きてたんだと思うけど わしらが食べるのを許してくれてるんじゃよ 相手がいい人でも悪い人でも関係なしにね この木は木の実をくれたり 枯れ枝は体をあたためてくれるし 魚はあんなにきれいな体を食べさせてくれる わしはいつでも忘れたことないよ たった今 こうして息をしていられるのも 世界中ぜんぶが 生きることを許してくれてるんだってね-」「俺も許してもらってるのかなあ…」「うん わしはたいして何も知らないけど それだけはずっと前から知ってたよ ほんとは誰でもわかってることなんじゃがね どうもみんなすぐ忘れてしまう」
・そのあとのサイアム。「…いつか いつか俺の子や孫たちが このやさしい生き物たちを追い払ってしまう時が来るのだろうか 彼らは許してしまう そして果てしなく退いてしまう 傷つけられ 住む場所を追われても 人間が自分たちのために世界の力を使い果たしてしまっても 許してくれるからこそ傷つけてはいけないのだと こんな-こんな簡単な真実を ほんとうに人間は忘れずにいられるんだろうか?」
イリューシアが、ダシが、純粋で無垢で本当に切ない。嫌な思いをしても一途に怖れずに愛するところが。読む度に考えさせられるし、どうすべきなのかいつまで経っても結論が出ません。「地球に優しく」というフレーズがとても傲慢に聞こえます。私達は許されていて、だからこそ考えねばらないのでしょう。ファンタジーですがとても現実に沿っていると思います。人生で何回かは「出会えて良かったー」と思える本がありますが、この本もそうです。大切にしたいです。ああ、この想いを分かりやすい言葉にできないことは本当にもどかしい!
(2007/08/30)
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最終更新:2007年08月31日 00:54