久しぶりに浅田次郎作品を読みました。とは言っても、かなり前の本なのですが。
内容はラスベガスのカジノで、同タイミングで当たりを出した三人の日本人のお話。割と軽い読み物でした。テンション低めで読み出したので、「めちゃめちゃ面白い!」って感じではなかったかな。コメディ寄りの内容だけど勿論浅田節は効いていて、テンション低いながらにもさくさく読めたし、じんわり泣けるところもあったし、具体的な文句はないんだけど。今一つ気分が乗らないままに読み終えてしまいました。んんん、ハードカバーで読んだからかしらん。
「椿山係長の七日間」でもそうだったんですが、感動しつつもどこか「あー来た来た」と思っている冷めた自分がどこかにいるのです。私の問題なので、作品がどうこうではないのだと思います。読む側(この場合私)に謙虚な気持ちがないというか、「さぁ泣かせてみやがれ」と横柄な態度でいるのです。もっとニュートラルな気持ちで読み始めなければ。古本屋で浅田次郎の本を見つけた、あのときめきよもう一度。
この作者さんの好きなところは、ここぞというところの盛り上げ方です。うわーっと怒濤のように熱くてでも淡々とした言葉をぶつけて、今までの伏線も回収しつつ、どかーんと泣けるところが本当に好きです。ものすごく好みです。尻切れトンボにならないところも好き。だからこんな風に読んでしまうのは、とても勿体無いし、失礼だなぁとも思います。あーもったいないことした。
(2009/02/13)

「さこうろうきたん」と読みます。連作短編です。
色んな分野で成功した人達が夜な夜なひっそりと高層ビルのペントハウスに集まります。迎えるそこの女(?)主人はこう言います。「沙高楼へようこそ。今宵もみなさまが、けっして口になさることのできなかった貴重なご経験を、心ゆくまでお話くださいまし。--お話になられる方は、誇張や飾りを申されますな。お聞きになった方は、夢にも他言なさいますな。あるべきようを語り、巌のように胸にしまうことが、この会合の掟なのです。」これはおおっぴらにできないような話を、百物語のように語るお話です。
短編は全部で五つ。「小鍛冶」「糸電話」「立花新兵衛只今罷越候」「百年の庭」「雨の夜の刺客」。泣かせのシーンは無く、随分浅田節は抑え目だと思います。それでも「立花~」で武士が、「雨の~」ではヤクザの親分が出てくるところは、手馴れてる感がしました。どれも少しはっきりしない結末で、ちょっともどかしさが残るのが残念ですが、それを狙ったのかなぁ。
またどれもちょっとホラー風味でした。「百年~」は短編ながらも薄気味悪くてとてもまとまっているように感じました。綺麗であろう庭と、淡々と話す老婆がどんどん怪しくなってきて。「雨の~」は一番浅田次郎っぽく感じました。それまで全て見通しているかのように思えていた女(?)主人が、俗物に見えたのもこの回です。
ん~、めっちゃ感動するわけではなかったので、お勧めってわけでもないです。私の好きな時代物の連作短編て感じで、休日のお昼に深く考えたくない時に読むのは持って来いです。
これを映像化するなら、是非とも女(?)主人は三輪明宏にやってもらいたいものです。登場のシーンからそれを思ってました。
(2007/07/15)

明治時代初期、大政奉還直後の御江戸の武士のお話です。将軍家に忠誠を誓った武士が、政局が大きく変わった後にどう生きていったか、どう折り合いを付けていったかが描かれています。舞台は歴史の転換期ですが、主人公はその時に何千人(何万人?)もいた、歴史の決定に流されるしかない一般的な武士のお話です。
次郎節は健在なのですが、これはちっと弱かったように思います。堅苦しい部分が多かったです。最後のお話はちょっと泣けました。
幕末の歴史を知らないと、このお話はよく分からないでしょう(私は厳しかった…。薩長とかよう知らん)。短編なので背景はあまり説明されておりません。歴史で習うと「大政奉還」で終わってしまうけれど、武士の暮らしはこんなに変わったんですね。想像もしてみませんでした。現代で言えばクーデターが起こって天皇が実権を握ることになりました、各省庁を始めとする公務員は全て解雇、これはその公務員個人にスポットを当てましたってな感じの話でしょうか。ちょっと規模が違うかな。武士は徳川に忠誠を誓っていたのでしょうし、考え方も違いますね。
100年続く旧態依然とした武士中心の世界からいきなり放り出され、それでも生きていく為には働かなくてはならない。でも自分が持っていた矜持は守り抜くべきか、捨てるべきか?その狭間で決断する男が、泣けます。あまり重くないお話もあって、面白かったです。
(2007/03/10)

ちょっとファンタジックなお話でした。叩き上げの中年デパートマン椿山課長は過労の為、バーゲン真っ最中に過労死します。死後の世界で成仏するか否かを迫られた椿山は、死ぬに死にきれない理由があり、現世に期間限定で戻ることになります。生きているときには見えなかった人間関係を目の当たりにした椿山は…?というお話。(読んでから間が空いているので的はずれかも。名前間違ってたらごめんなさい)
これも映画化されるようです。椿山課長は西田敏行。私は「ラブレター」に出てた彼の号泣シーンがとても印象に残っていて、彼を見るために映画見ようかしらという気になっています。釣りバカ日誌は見たくないんですけどね。それにしても浅田作品は次々と映像化されますね。「地下鉄に乗って」も映画化されますし、「月のしずく」もドラマ化されましたし。
感想なんですが、とても浅田次郎らしいお話だなぁと思いました。はずしていないというか、面白かったです。ただなぜか、あまりわくわくはしませんでした。なんでだろう。泣けるシーンもあるし、昔気質のおじさんも妙に大人びた子供も出てくるし、立派な人物ばかりでもないし。
すごく贅沢な話なんですが、あまりに浅田次郎らしくて、お腹一杯になってきたのかもしれません。だからこのお話は是非、今まで浅田作品を読んだことのない人に読んで貰いたいです。この人はこんな人間像を描くんだよと知って貰いたいです。私の独断と偏見ですが、この人の真骨頂は歴史物だと思います。「壬生義士伝」しかり、「蒼穹の昴」しかり、「日輪の遺産」しかり。またこの人の描く江戸弁は、歌うようなリズムがなんともいいです。ただ、普段本をあまり読まない人にとっては、仮名遣いやらで敷居が高いのではないかと思います。そういう人には、この本はお薦めです。
このお話に出てくる死人は、椿山課長とやくざと小学生(以下蓮)が出てきます。彼等三人は、現世に降りるのですが、そのストーリーが交互に出てきます。この小学生がもうなんというか可愛くて可哀想で。あることが原因で彼は自分を責めているのですが、子供はそんなこと考えんでええんじゃーと抱きしめたくなります。またやくざも義理と人情に満ちあふれた男で、人間的には椿山が一番できていないかもしれません。
椿山は生きている時に見えなかった、妻と部下の不倫、父親が自分に気を遣ってぼけた振りをしていたこと、それを息子が知っていたこと、自慢の息子が自分の子供ではないこと、割り切った関係の友人が実は自分を愛して独身を通していたことを、死んでから立て続けに知ることになります。椿山はやり直せないのですから、ある意味救いのない話です。ただ最終的に椿山は全てを受け入れました。それはやっぱり死んでしまったからかな。何日かの間に浄化されたんでしょうか。
蓮が現世でルール違反をした罪を被った椿山の父と、やくざは地獄に堕ちます。悪事を行って本来なら地獄行きの人間が、反省ボタンを押しただけで天国へ行くのに、男気を見せた人が地獄へ行くのは救われないというか、最後まで「どんでん返しがあるんじゃないのか」と期待していました。でもそのまま地獄に行っちゃいましたね。ハッピーエンドが好きな私は、無理矢理の大団円ではなくともどうにかして欲しかったです。特に椿山の父は報われなさ過ぎる。父をとうとう越えることができなかった椿山も。
天国がお役所化していたり、地獄行きもかなり緩かったり、全体的に軽い感じでした。別に重くせぇとは言いませんが、なんでこんなんにしたのかな。軽さを出して、泣けるところを際立たせたかったのかな。確かに軽くて読みやすいのに、泣けましたが。うんと心に残るお話ではありませんでしたが、読みやすくてよかったです。
蓮の「僕はカンダタなんだ」みたいなくだりが一番ほろりときました。こういう台詞に弱いんです。あとじいちゃん(椿山の父)と椿山息子。だから年寄りと子供は反則なんだって…(泣)。お年寄りが我慢してるってシチュエーションだけで泣けてきます。涙スイッチです。
感想書いてるうちに、もう一回読み返すべきな気がしてきました。うーん。
(2006/11/11)

浅田次郎作品で私が一押しする時代物。涙なしには読めません。
新撰組を扱う作品は数あれど、これはその中でも吉村貫一郎を主人公にしたお話です。
セリフも徹底して方言を喋っています。岩手弁は関西人の私には聞き慣れないものですが、読み終わった後はなんとなく喋れるような感じがしてしまいました。
物語は貫一郎の独白を随所に挟み、貫一郎の人生をなぞるかのように、様々な人が彼について語る形式を採っています。これがもう…、泣ける!また彼を取り巻く人々も一本芯が通った人ばかりで、自分を顧みて少し情けなくなっちゃう作品でした。私の好きな男気が生きている話です。時代劇調が苦手な人には取っつきにくいかもしれませんが、それをごり押ししてでも勧めたい!永久保存版です。
もうどのエピソードが面白かったかなんて、全部面白かったんじゃー!って言うしかありません。その中でも心に残ったものを、と断腸の思いで挙げてみます。
- 貫一郎がしずに惚れていたことを切々と語るところ
- 千秋が貫一郎が死んでから泣くところ
- 子供同士が別れるところ
守銭奴で無口ででも慕われている貫一郎がイメージできなかったけど、単にまっすぐで純粋な男性なんだなと自分を納得させた。何を大切にするかって人によって違うんだなぁと思った。そして私はこの登場人物の中の誰にもなれないと思った。少なくとも今は、こんな風に生きることなんてできない。
家族の為にお金を使わず、死ぬ為に与えられた刀さえも息子にと残し、自分は切れ味の悪いぼろぼろの刀で死んだ。家族の幸せが自分の幸せだなんて、なんと哀しくて潔いうらやましい男だろう。お金の為に働きながら、その忠誠の尽くし方は一体なんなのだろう。守銭奴と一言で切って捨てられない、貫一郎の人物描写は見事だと思う。
大野千秋の描き方もとてもよかった。私は明確な悪役は好きではない。正義の味方を描く時に、彼の正しさをアピールする為にだけ作られたような悪役を見ると、寒々しい気分になる。大野千秋は、時に貫一郎の友であり、上司であり、味方であり、そして死神だった。その冷たさのあとの変わり様は、彼にも止まれぬ事情があったと納得するに充分だった。「悪い奴だと思っていたけど実はいい人でした」というエピソードは、その必然性がないと一気に冷める。千秋の変わり様は劇的であったけれども、私はその必然性に綻びはないと感じる。
なにがなんでも難点を挙げよと言うなら、貫一郎死ぬまでがながすぎ!ってとこくらいかな。でもそんなには気にならなかった。そういえば漫才ではよく「くっ、苦しい。し、死にたくない。俺……………。(ぱたり)……ううっ」「はよ死ねや!」っていうネタがあったなぁ。
私はご都合主義のお話は嫌いだけど、それを踏まえた上でそれでも面白いお話は大好きだ。
つまり面白けりゃなんでもいい。例えば「お金持ちでハンサムで強くて皆の人気者が、何の取り柄もない平凡な女の子にメロメロ」っていう設定だって、それが面白ければそれでいい。問題なのはそのベタ設定の上で面白いものを作れるかというところだ。
だから面白ければ貫一郎が生き返ったっていい。面白くできるのならば。逆もしかり。瀕死の人間がそんな長い時間回想できるかってツッコミは確かに的確なのかもしれないけれど、私は面白かったからそんなのどっちでもいい。歴史という事実を曲げるのはどうかと思うけど。でも沖田総司は実は女だったとか、そんなんは有りかな。
(2006/03/21)
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最終更新:2009年06月07日 17:18