多々良先生シリーズというものがあるのかな?私は初めて読んだ。でも、う~ん。もう続きはええかな~と思った。
妖怪オタク大先生と、妖怪オタク小市民が、市井の言い伝えを求めて全国をフィールドワークするお話。妖怪オタク大先生とかは勝手に私がつけた名前で、この人が多々良先生である。妖怪が大好きで、こと妖怪話になると後先考えない、空気が読めない人。それに振り回される助手みたいな語り手。
お話自体は短編集で読みやすいっちゃー読みやすいんだけど、妖怪に関する薀蓄が多くて、読み疲れた。妖怪好きな人は面白いかもしれないけど、私はこの作者の描くキャラが好きで妖怪にはあんまし興味がないので参った。妖怪について深く掘り下げすぎだ!って文句言ってもしゃーないし。そういう本なんだろうし。事件はそれなりに面白かったけど。活躍しなさぶりも意外によかったけど。
結論としては、よっぽど読む本がない限りこの続きは読まないような気がする。でもこの作者さんは、別シリーズの人を他シリーズにも出すから、やっぱり読みたいような…。ううん、悩む。
ここから先はちょっとだけネタバレ。
京極堂出てたところだけ、テンション上がった。かっこええ…!
多々良先生が京極堂シリーズと違うのは、謎を溜め込んで溜め込んで、最後に妖怪知識で解決!したと思ったら、真相は全然違った。という肩透かしがあるところじゃないかな。京極堂はそれで気持ちよくするすると解決しちゃうんだけど。カッコいい登場人物がいない、という点は可愛いと思う。
(2011/05/08)
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巷説百物語の続編です。一冊に何話か詰まっていますが、短編と言うにはちょっと苦しい長さ。巷説百物語では登場人物は必殺仕事人みたいなことをしていましたが、今回はそれに登場人物の過去が絡んできます。それぞれの過去があきらかになりながら、物語は進んでいきます。それ故に続きが気になり、一気に読んでしまいました。いきなり読み始めても問題ないように描かれていますが、前作を読んでからの方が面白いのは言うまでもありません。
前作のような描き方をしていれば、続きはどんどん描けたと思うんです。事件さえ考えつけばいいのですから。でも今作は登場人物に絡んできて、それぞれの過去があきらかになって行きます。それが面白くもあり、また同じ様な話を描くつもりはないのだという意思を感じられることもあり、複雑な気分で読みました。
ここから先はネタバレです。
実際最後の辺りで、又市達は主人公の前から姿を消します。主人公は百物語の出版はできないものの、他の出版物が当たり生計を得ます。主人公の長いお休みは終わりを告げたのです。同じように話を進めるのはもう無理でしょう。
望みをかけるとすれば又市でしょうか。彼の過去はあきらかにならず、謎のままで終わったのでまた何らかの形で登場してくれるかもしれません。また風来坊である主人公を元に話を書くのは無理かもしれませんが、ある程度大人になった彼でお話を紡ぐのも可能性としてはあるかもしれません。
何にせよ続きは読みたいのですが、こういった潔さにも好感を感じてしまうので、複雑な心境です。前作のように話を続けるのは可能だと思うのです。人気シリーズになるでしょう。でもその場合、主要人物を成長させる訳にはいきません。浅見○彦のように、永遠に成長しない青年でないと話は進まないのです。確かにキャラのファンにとってはよいことでしょう。ずっと読み続けられますから。あるいは彼がばりばりの小説家になり実家を出、誰かと大恋愛しても続けられるかもしれません。ただ事件と出会うのが難しくなるでしょう。それも一つのシリーズ物です。ただ「そんなに事件に行き当たるか?」「自分はいつも安全圏」という疑問が出てくるでしょう。出てきてしかるべきだと思うのです。
私はこの「自分はいつも安全圏」というのに疑問を持ってしまいます。そりゃ探偵役は楽でいいですよね。どんだけ事件に出会っても、家に帰れば怖い母上とお手伝いさん、尊敬する兄上と義姉と甥姪がいる変わらない日常が待っていますから。それが安心して読めるシリーズ物たる所以であり、どこか現実味を帯びない原因でもあると思います。
断っておきますがシリーズ物が嫌いと言う訳ではありません。あれはあれで安心して読めるという利点があるのです。またどちらかというとキャラに思い入れを持ってしまう私としては、シリーズ物は非常に嬉しいものでもあるのです。
長くなってしまいましたが、作者が二冊目で一旦の終わりを告げたことを、寂しくも思い、また潔いとも思いました。その辺りの疑問を持たなくても心から楽しめるような続きを読めることを楽しみにしています。そして
京極夏彦はそういうことをやってのけられる人だと思うのです。
追記:2006年3月本屋で同シリーズ新作を見かけました。未読ですが、どのような展開になっているか楽しみです。(感想を書いたのとアップした日付はかなり離れています。)
(2007/02/06)
どすこい。

京極夏彦の本です。表紙を見て「おかしいな、いつもと違うな」と思いつつ購入したのですが、やられました。京極堂や時代物のように期待して読むと、猛烈な肩すかしをくらいます。
どうしてこういう類のものを書くようになったのか非常に興味がありますが、この本はお笑いでした。う~ん、適切な言葉が見つかりません。読者を笑わせようとして書かれていました。
まずお相撲さんが出てきます。題名からして予想できますよね。短編が寄り集まって構成されているのですが、全てにお相撲さんが絡んできます。執拗に。
そして短編毎にパロディ元の小説が設定されています。例えば「すべてがFになる」は森博嗣の代表作ですが、それをもじって題名が「すべてがデブになる」です。「パラサイト・イブ」は「パラサイト・デブ」。それぞれに作者名も変えてあります。新京極夏彦とか京極夏場所とか両国踏四股(りょうごくふみしこ)とか。お相撲さんを味付けに使われているんですね。一作一作は微妙に繋がりを持っていますが、そのへんは読んでのお楽しみということで。
私はあとがきや解説は本編後に読むタイプなのですが、今回は「この小説のコンセプトは一体なんなんだろう」と戸惑いを覚えてしまい、ついつい後ろのページを見てしまいました。もしかして「何かのイベント用に書き下ろした」とか「こういう経緯があってこんなの書いたんだよ」みたいなのが載ってるかも!と望みをかけたのです。ところが意に反して巻末に載っていたのは漫画。しかもちょっと面白かったよ。解説の必要性をこれほど強く感じたのは初めてです。結局読み進めるしか手はなかったのですが、最後まで意味わかりませんでした。
推測するに「文学界に割と詳しい人」「パロディ元の小説を読んだ人」「洒落の分かる人」は面白いのではないでしょうか。私はどれもちょっとかすっている位なので、途中で疲れてしまいました。「メタ」という単語がちょくちょくでてきていましたが、そもそも「メタ」の意味を私ははっきり説明できませんし。
他人に何かを伝えようとすると、共有できる背景がないと難しいです。例えば日本人なら、夜柳の下に白い着物を着たざんばら髪の女性が立っていたら、何となく怖いっていうのがあるじゃないですか。あれは結局柳は幽霊に通じ、白い着物は死に装束って言う知識が土台としてあるからですよね。和式便所や井戸が何となく怖いのも、それに似てる。「何度目だナウシカ」って聞いたら、「風の谷のナウシカはしょっちゅうTVで放映される」ことを知ってる人は面白いですよね。でもTVドラマトリックを見ている人は、そのネタ自体がドラマで扱われているから、二重で面白い。笑いのツボというのは狭い程ウケると聞いたことがあります。確かに芸能人の物真似をされるより、共通の友人の物真似をされる方が面白いと思うのです。かなり話がそれちゃいましたけど、結局作中に出てくる人や物を知っている人程面白いのでしょうし、私はネタが全部わからなかったので面白くない部分もあったということです。
それでも文章が上手い人が人を笑わそうとするとこういう描き方になるんだ、と感心しました。背景を知らないネタは笑いようがありませんが、オチやツッコミやボケがなんせ面白いんですよね。漫画や映画では身振り手振りや表情で、言外の意味を含めることができますが、活字は書かれていることが全てじゃないですか。あまり説明しすぎても面白くないし、かと言ってWebみたいにフォントいじりや顔文字使うのも本ではやって欲しくないし。この本はちゃんとした日本語を使っていて、それでいてちゃんと笑えて、すごいなぁと思いました。
でも読み返すか聞かれると否定します。一回でいいです。
(2006/07/18)
巷説百物語
京極堂シリーズではない、京極作品です。時代は江戸時代、相変わらず妖怪話は出てきますが、これにも「不思議なことなど何もありません」。
語り部は武家生まれの商人というちょっと変わった経歴の持ち主で、商売を番頭に任せ肩身の狭い隠居暮らしを送っています。趣味は全国津々浦々の怪談話を集めることで、いつかはその本を出版したいと考えており、旅を続けています。色や金たいして欲がなく、それ故にどこか世間に引け目を感じている性格で、京極堂の関口、もしくは
内田康夫の浅見光彦みたいなキャラです。
主人公はいわば語り部兼目撃者で、実際にことを為すのは人別帳にも載ってない、裏社会の人間です。又市、山猫回しのおぎん、事触れの治平と、個性の強いキャラが登場します。彼らは合法では解決できない恨みを、妖怪ネタを使ってはらし、主人公がそれに巻き込まれるという一話完結話で進んでいきます。
これも相変わらず面白いです。短編なので京極堂より読みやすいですし。
ただ江戸時代ということで、難しい言い回しは京極堂より増えているかもしれません。時代物に慣れていない人は、何を言ってるか分からないこともあるんじゃないでしょうか。私は江戸時代の市井物好きなんですが、読み流しているので分からないとこたくさんありました。あと、勧善懲悪を基本としているのか、後味が悪い話はそんなにないと思います。
京極夏彦を誰かに勧めるとしたら、上位に出ますね。続きの「続巷説百物語」が出たのも頷けます。なんていうか日本人が好きそうな話です。必殺仕事人みたいな感じ。
(2006/10/15)
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最終更新:2011年05月09日 01:40