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川越 - (2009/12/17 (木) 09:21:07) の編集履歴(バックアップ)
川越
かわごえ
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1639年(寛永16年)老中松平伊豆守信綱のとき、整備され、武家屋敷・社寺領・町屋など職種によって居住地を定めた。
また、江戸に向けた物資の集積地として新河岸川の舟運が整備され、商業を中心に繁栄した。
現在残る川越の歴史的町屋の大半は明治以降に建てられた蔵造りである。
1893年(明治26年)3月の川越大火で蔵造りが焼け残ったので、復興時から明治末期にかけて多くの蔵造りが建てられた。
現在ではかなりが姿を消しているものの、幸町・仲町を中心に多くの蔵造りが残り、1999年に
重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
歴史
- 中世 河越と表記され、鎌倉幕府の有力御家人である河越氏の本拠地であった。
- 1457年(長禄元年) 上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が川越城を築城。
- 戦国時代 後北条氏の武蔵国支配の拠点
- 江戸時代 江戸の北の守りとして重視された。歴代藩主は、松平信綱や柳沢吉保などの江戸幕府の重鎮や、親藩が就任。川越街道や新河岸川の舟運(貨物輸送)で江戸と結ばれた衛星都市として発展し、「小江戸」と呼ばれた。
- 明治時代 城下町の伝統と地理的な条件により、埼玉県最大の商業都市となり、穀物の中継地や織物、箪笥の生産地として発展。
関連項目