2005年8月20日(土)
今日は井波の
キャンプ場に行くが、
金沢から近いので夕方出発することにして、それまでは金沢観光。
雨宝院…
室生犀星が幼年期に養子として引き取られたお寺。
前田家の手厚い保護を受けた金沢五社のひとつ、
神明宮…へ。
災難厄除けに御利益があり、地元の人には「おしんめさん」と呼ばれている。
境内の樹齢1000年の大ケヤキ。
大木だいすき。ずっと前からここで変わらず生きている。それを見るとなんともいえない気持ちになる。
妙立寺
利常が幕府からの攻撃に備えて建てたもので、地下道・隠し部屋・どんでん返しなどがあり別名忍者寺とも呼ばれている。
楽しそう!!でも予約制なので入れなかった。
このへんは寺院が密集する寺町。3代藩主前田利常が、城下の寺院を集めて整備したところで、今でも多くの寺が立ち並ぶ。
伝統的な建物のまま営業している落雁屋さん。
入りたかったのだが、定休日だったっぽい。
北陸鉄道石川線の野町駅まで行って、住宅街をぶらぶら歩きながら、
にし茶屋街まで戻る。
金沢市内は水路だらけ。水路沿いに家が建っている。
別に観光地でもなんでもなけど、その土地らしさが感じられればどこでも楽しい。
自転車をとめる場所が見当たらなくて、金沢城公園の百間堀通り沿いにある公衆トイレの前にとめて、石川県観光物産館をひやかして、桂坂口から
兼六園に入る。
桂坂口から時計回りに回ることにした。休日なので人が多い。団体客多すぎ。
有名な徽軫(ことじ)灯篭のところなんて写真撮るのに並んじゃって大変。
東の端っこのほうは人が少なくていい。緑がきれい。
兼六園には入り口がいくつかあって、入場券を見せれば一日出入り自由。随身坂口から出て、
金城霊沢へ。
昔、芋を掘って暮らしていた芋堀藤五郎が砂金を見つけ、ここで洗ったため金洗い沢とよばれ、金沢の地名の由来になった。今でも水が湧き出してて、とてもきれい。
入りたかったけど、時間がないので外観を見ただけ。
再び
兼六園へ。第二次世界大戦の末期に、燃料として松脂を集めるときにつけた傷。
茶室「夕顔亭」1774年に建てられた園内で最も古い建物。
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瓢(ひさご)池に霞ヶ池から翠滝が流れ落ちる。
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日本庭園に噴水。1861年につくられた日本最古の噴水。
霞ヶ池を水源にして、高さ3.5m噴き上げる。
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桂坂口から出て、石川橋を渡り
金沢城へ。橋の下は、今は道路だが、当時は百間堀と呼ばれた広いお堀だった。
正面は石川門。1788年築で重要文化財。
屋根瓦が鉛でできていて白っぽい。溶かせば鉄砲の弾に作り変えられるようになっている。
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三の丸広場と、五十間長屋。
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旧陸軍第六旅団司令部庁舎
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石川門に戻ってきた。
すでに午後四時。さすがにもう移動しないとやばい。
石川県道・富山県道27号を走る。
三年前、この道を逆向きに走って、アップダウンの多い道と覚えていたが、思ってた以上にきつい。
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山を越えて、
道の駅福光で休憩。
三年前の夏合宿の最終日、ここの広場でお昼ご飯を食べて昼寝した。なつかしい。
ここで日が暮れてしまった。ちゃんと走り出したのは今日からなので、走りなれてなくヘロヘロ。
道の駅井波に到着し、直行組の数人と出会った。
近くのスーパーで買出しをして、道の駅井波のお風呂、
木の香浴泉ゆら湯らに入る。
閑乗寺公園キャンプ場は山の上で、暗い道を一人で登るのはイヤだったので、北條プレを待って一緒にキャンプ場に登った。
最終更新:2011年08月16日 21:57