木本隧道
きもとずいどう
熊野市木本町と熊野市大泊町の間にある松本峠を越えるトンネル。
熊野と尾鷲を結ぶ国道の一部として大正時代に造られたが、他区間の工事が遅れたため、国道として供用されたのは戦後となり、完成後24年経ってからだった。
すれ違いが困難な幅員はすでに時代遅れとなっており、新たに海側に鬼ヶ城トンネルが造られ、国道はそちらに移った。
木本隧道が国道として使われたのは15年間だけだった。
現在は、歩道のない鬼ヶ城トンネルのための歩行者
自転車用トンネルとして主に使われている。
歴史
江戸時代まで、熊野と尾鷲を結ぶ主要路は海沿いを通る熊野路(現在いう熊野古道伊勢路)であった。
明治時代に車道を通すのを検討した際、険しすぎて不可能と判断された。
1879年(明治12年)木本町(現在の熊野市の中心地)から西郷川沿いを上り、評議峠、小阪峠を越えて飛鳥村(現・熊野市飛鳥町)に至る道路が整備された。
これに替わる、木本町と泊村(現・熊野市大泊町)の間の松本峠をトンネルで越え、宮川沿いを上り、小阪峠をトンネルで越えて飛鳥村に至る経路が計画された。
1925年(大正14年)木本町と泊村を結ぶ木本隧道が開通。
当時の泊村は、車の通れる道路は開通しておらず、紀勢本線も開通していなかった。
西の木本町へは松本峠を、東の新鹿村へは大吹峠を越えなければならなかった。
1938年(昭和13年)小阪隧道が開通。
戦争により工事が中断。
1949年(昭和24年)佐田坂新道全線開通。これにより木本トンネルが
国道42号に組み込まれる。しかし、すでに設計が古く、交通量に対して狭すぎた。
1964年(昭和39年)鬼ヶ城トンネルの開通により、熊野市道となる。鬼ヶ城歩道トンネルに改称。
参考サイト
木本町側
大泊町側
関連項目
最終更新:2013年06月07日 21:01