大戸関所跡

おおとせきしょあと


群馬県東吾妻町にある江戸時代に設置された関所の跡地。

国定忠治の関所破りで知られる。

所在地 群馬県吾妻郡東吾妻町大戸
地図
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1623年(元和9年)5月:将軍秀忠上洛の時に、要害の此の地を守護したのが始まりといわれる。
寛永7年:幕府目付によって、関所見立の巡検
寛永8年:正式に関所を設置。以降幕府代官の管理の下に運営される。
明治元年9月:廃止

中山道の脇往還で、碓氷関所の裏固めの意味を持っている。
通行手形によって往来の旅人を厳重に取締り、関所破りは重罪として処刑された記録がある。
通行の門限は明六つから暮六つ(午前6時から午後6時)までと定められていた。
また要害地域を守る関所付の村として、大戸、荻生、本宿の3ヶ村は関所番人を出し、警備に当たったり、関所破りを監視するなどの負担を義務づけられ、近隣の11ヵ村は関所普請村に充てられていた。


2012-08-27


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関連項目










最終更新:2024年08月16日 03:04