その日も、あたしは待っていた。いつも帰りの遅い父のことを
父は賭け事が好きだ。ギャンブルを愛していると言ってもいい。口を開けばそのことばかり出てくる
……お蔭であたしはギャンブルに詳しくなった。それと、イカサマにも詳しくなった
父はこう言う「バレないイカサマは、イカサマじゃないんだよ」……正直あたしには分からん
父は強いギャンブラーらしかった。連戦連勝、負けなしの男。そう酒場(ゼロ・ピース)のごろつきが噂しているのを聞いたことがある
でもあたしは知っている。父だって負ける時は負けることを
父が負ける時は、いつだって胸騒ぎがする。それがギャンブラーとしての血なのかはわからないけれど、とにかくそうした日は、外をふらつかず
家で父の帰りを待つことにしている。今日みたいに。……何だか、普段よりも胸が騒いだ
カラン、と家の扉が開く。父の帰宅だ。あたしに母はいないから、来るとしたら父しかいない
「おかえり」
と父を迎えに行く。お酒を持って。負けたときの父は、いつも機嫌が悪いからだ
「…………あぁ、ただいま。娘」
父は血塗れだった。顔も、上着も、ズボンも、手も、足も、何もかも。瀕死の重傷で、ようやっと家に逃げ帰った。そんな風に見えた
「……どうしたの!?」
驚いたあたしは慌ててワインボトルを抱えて父に走り寄ろうと──
ガチャン。次にあたしが聞いたのは床にワインボトルが落ちて割れた音だった
あれ……何で? 咄嗟に思う。けれど、理由は明白だった。身体が震えている。目の前の異様な父の姿に、何故だか知らないけれど、怯えている
「……娘、よ」
父が血塗れの指先をこちらに伸ばす
「ひっ」
小さく悲鳴を上げて、あたしは後退る。本能が叫ぶ。あれは、父であって父でない。もっと……狂気的な何かだ
父の指先が迫る。あたしは必死で背中を向けて逃げ出そうとして……捕まった
元より、瀕死の父とはいえ、幼いあたしに逃げ切ることは不可能だった、ただそれだけのこと
「……背中を向けるか。なるほど、丁度いい」
父であった何かがそう呟いた。あたしは、一体何をされるのかと怖くなって、ぎゅっと目を瞑る。次の瞬間──
「があああああああああ」
背中に焼けつくような激痛が走った。聞こえてくる獣のような絶叫が、自分が発しているものだと気が付くのに、暫く時間がかかった
熱いあついアツいアツイ痛いいたいイタいイタイ──
気づけば激痛はなくなっていてあたしは零れたワインの海に倒れ伏していた。着ている服が、ワインの色に染まっている
顔を上げる。血だらけでも満面の笑みの父だった何かの顔があった
「……起きたか、娘よ。そら、これを見るといい」
父だった何かが鏡を持ち上げる。そこには……
真っ白なあたしの肌に、床に零れるワインよりも遥かに赤黒い、グロテスクな紋様が走っていた
「……これ、は?」
気づいた途端、自分が自分でなくなったような感覚がした
「それか?それはな……」
「冥府の烙印だ」
目の前にいる男が、異言語を話しているような感覚に陥った。アイツハナニヲイッテイルノダロウ
「お前は幼い。そして俺には時間がなかった。あの術式を教えてやることも……出来ない」
「だから、代替措置だ。そいつは、他人の魂を喰らうことで生き延びるようになることが出来る」
「人生そのものがギャンブルだ。素敵だろう!浪漫だろう!スリル溢れる最高の人生だろう!」
「生きたければ勝って奪い取れ!魂という賭け金を奪い取れ!」
「はは、ははははははははははは」
言葉が耳に入らなかった。入って、来なかった。ただ、漠然と。あいつに自分がどうしようもないものにされてしまったことだけを……感じた
「そいつの欠点は、自分の魂が賭けられないところだ。ギャンブルとしては余りに致命的過ぎる」
「だが許せ、さっきも言ったが、時間がなかったんだ。後は自分で研究して術式を進化でもさせろ。俺の娘なら出来るだろう」
「そこで、代わりと言っては何だが、ギャンブラーの決まりを教えてやろう」
「ギャンブラーはな、人に背中を預けねぇんだぜ。これで、お前もギャンブラーだ。いつまででもギャンブルが出来るぞ。人の魂を、対価に」
「……あぁ、お前はいいな。まだまだこれからも、ギャンブルが出来るんだから」
……その言葉を最後に、そいつは事切れた
それを確認して、あたしは確かめるように背中の紋様に触った
「ひぃっ」
鳥肌が立った。ザラザラする、どうしようもなく不快な手触りだった。誤魔化すように、服を着直す
触ったことで、実感が湧いた。あたしはもう、まともでなくなった。なくなって、しまった
心を感情の濁流が暴れる。哀しみ?絶望?──否、違った
それは、強いて言えば、怒り。自分の理不尽な状況に、自分をこんなことにしたあの男に、あの男の語った、ギャンブラーの存在に
……その日を境に、あたしには大きな生きる目標が出来た
いつの日か、この忌まわしい烙印を消して。願わくば、大切な誰かと、普通に過ごす
こんな自分にそんな相手が出来るか分からないけれど、そう、願った
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