松山城跡
まつやまじょうあと
愛媛県松山市にある、江戸時代に存在した城の跡。
国指定史跡。
現在は
松山市城山公園となっている。
遺構としては
現存十二天守の一つである
天守を始め、多くの櫓・門・塀、石垣、土塁、堀が残っている。
明治維新後にほとんど破却されなかったため、多くの建造物が残っている。また、放火や戦災で焼失した建造物も図面等を作成していたことから、正確な木造による復元が行われている。
松山の中心部、132mの勝山に構えられている連郭式
平山城。日本三大平山城に数えられる。
別名、金亀城、勝山城。
城郭
勝山山頂の南北二つの峰を平らに削って南北に長い郭としている。
本丸北端に本丸より高く、天守郭である本段が築かれている。
築城当時の天守は5層であったが、後に3層に改築されている。(これには多くの説があるが、基礎が弱いため3層に改築されたとされている)
1784年(天明4年)に落雷により焼失。
1854年(安政元年)時の藩主・松平勝善により再建。
沿革
1602年(慶長7年)、加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)により築城開始。なお、加藤嘉明はこの時を持ってこの地を「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕生した。
その後、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)、松平定行に代わり、明治維新まで松山藩は松平家の所領だった。
天守は昭和に入り放火・空襲による焼失が2回あったが、戦後の昭和40年代に復元され現在に至る。
1923年(大正12年)久松家(明治に入って松平家が姓を返上し旧姓に戻した)より松山市に寄贈し、以後、松山市の所有となっている。
1955年(昭和30年)ロープウェイが設置された。
1968年(昭和43年)登山リフトが設置された。
県庁裏登城道を上る。
戸無門。
戸が無いので戸無門。形式は
高麗門。現存の門で
重要文化財に指定されている。
左に180度まわって、筒井門。
木造で復元。この門をくぐると、本丸。
太鼓門。木造で復元。
その右側、巽櫓。
太鼓櫓、太鼓門、巽櫓が連なり、本丸前の防衛線。
これらは松山空襲で焼けたが、木造で復元されている。
本丸の南部から見た天守曲輪(本壇)。
正面が大天守。左が小天守。
右の一ノ門から入る。
大天守、小天守、一ノ門櫓の三方向から攻撃できる堅い守り。
三ノ門をくぐって、右を見る。小天守と筋鉄門。どちらも木造の復元。
小天守の手前の塀、筋鉄門東塀は現存で、
重要文化財。
筋鉄門をくぐって、中庭へ。
大天守と内門。どちらも現存で、
重要文化財。
玄関。木造による復元。
小天守から見た、南櫓。
大天守から見た、本丸南部。
大天守から見た、小天守と南櫓。
本壇石垣と南櫓。
乾門。木造による復元。
古町口登城道で下る。
三之丸北側から見た堀。
関連項目
最終更新:2011年05月29日 14:14