高橋家住宅
たかはしけじゅうたく
長野県松本市にある、江戸時代に建てられた武家住宅。
松本市
重要文化財に指定されている。
現在は松本市が所有し、一般公開されている。
所在地 |
長野県松本市開智2-9-10 |
料金 |
無料 |
時間 |
9:00~17:00 |
観覧日 |
土日祝日(12~2月は日曜日のみ。12/29~1/3は休み。) |
地図 |
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松本市内に現存する数少ない武家住宅のひとつ。
高橋家は、美濃国加納(現在の岐阜県岐阜市)で戸田家に召し抱えられてから、代々戸田家に仕えており、1726年(享保11年)に戸田光慈が、志摩国鳥羽(現在の三重県鳥羽市)から松本に移る際に松本に移り住んだ。
この建物は、松本藩が藩士の住まいとして所有していたもの。
建築年代は、高橋家のある徒士町(おかちまち)ができた17世紀前半から、高橋家が移ってきた1726年(享保11年)までの間と推定される。
現存する武家住宅としては、長野県内でも最も古い時期の建物の一つとされる。
所有者からの寄贈を受けた松本市が、1883年(明治16年)頃の古文書に記載されている間取りをもとに、幕末から明治時代初めころの姿に復元修理した。
敷地は間口約7間半(13m)、奥行約26間(47m 現在公開している部分は北側の半分)で、南北に細長い形をしている。
建物主屋部分は、間口約6間半(11.6m)、奥行4間半(8.2m)。建物の間口は、以前は7間でしたが、昭和20年代に東側に通路を作った際に、半間縮められている。
間取りはげんかんを入ったところにとりつぎの間があり、この奥に田の字型に4部屋が配置されています。この4部屋の東側にだいどころと通り土間が設けられている。
田の字型の配置は農家と変わらないが、中床や押し入れがつく点や、げんかんにとりつぎの間がある点が異なる。
田の字型の部屋境にも1間毎に柱が設けられている(ふすまの中央に柱がある)点、軒高が低い点が、ともに江戸時代としては古い特徴を示す。
歴史
- 17世紀前半~1726年(享保11年):建築
- 1969年(昭和44年):松本市重要文化財に指定
- 2004年(平成16年):故高橋桂三氏が松本市へ建物を寄附
- 2007年度(平成19年度)~2008年度(20年度):松本市が復元工事を実施
- 2009年(平成21年5月2日):松本市立博物館の分館として一般公開
関連・参考サイト
関連項目
最終更新:2018年09月01日 18:22