井草八幡宮
いぐさはちまんぐう
平安時代末期に、神社としての形態を整えたといわれる。
当初は春日神を祀っていた。
源頼朝が奥州討伐の折、八幡神を合祀して戦勝を祈願した。
文明9年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるに当たり、戦勝祈願をしたと伝えられている。
江戸幕府三代将軍の徳川家光は、寺社奉行井上正利をして社殿を造営し、 慶安2年に朱印領六石を寄進している。以降幕末まで歴代将軍から朱印地の寄進があった。
明治以降も氏子崇敬者によって社殿の改修や増築が繰り返され、同時に植林も行われた。
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最終更新:2025年01月29日 23:03