全部全部、分かっていた。彼女の視線が捉える相手も、自分が裏切り者になっているという事実も。
気まぐれでも何でも良かった。一瞬でも私の方を見てくれるなら。
優しく触れる指先に、切なく揺れる瞳に何度も期待したけれど、行為が終わったらすぐに帰ってしまう後ろ姿に、現実を思い知らされる。
気まぐれでも何でも良かった。一瞬でも私の方を見てくれるなら。
優しく触れる指先に、切なく揺れる瞳に何度も期待したけれど、行為が終わったらすぐに帰ってしまう後ろ姿に、現実を思い知らされる。
あの時楽屋を出なければ、彼女の姿を見て立ち止まらなければ、あんな会話など聞かなくて済んだのに。
いや、あの会話を聞こうが聞かまいが、二人の関係も自分の犯した罪も事実として揺るがない。
もう、こんなことはやめよう。過ぎ去った時間は戻らないが、これからは誰も傷つかない方法を選ぼう。
それは真面目すぎる里沙らしい決断だった。
いや、あの会話を聞こうが聞かまいが、二人の関係も自分の犯した罪も事実として揺るがない。
もう、こんなことはやめよう。過ぎ去った時間は戻らないが、これからは誰も傷つかない方法を選ぼう。
それは真面目すぎる里沙らしい決断だった。
「久しぶりやね、こんなん」
目の前に並ぶお肉を前にし、れいなは笑った。怒ってないみたいで、衣梨奈は安堵する。
「元気しとった?嫌われたとかいなとかよりまず心配やったっちゃん」
「うん、元気やったとよ・・・そう、元気だった」
「うん、元気やったとよ・・・そう、元気だった」
故郷のなまりにつられて思わず口をついた。なんそれーと笑うれいなに、れいなの真似ーと笑い返す。
ふと、嘘をつくことにすっかり慣れている自分に気付いた。仕方がないとは言え、良い兆候では無い。
いつか、自分を失ってしまうんじゃないか。衣梨奈でも絵里でもなく、絵里の体に入った誰でもない人間になってしまうのでは。
想像すると寒気がした。
ふと、嘘をつくことにすっかり慣れている自分に気付いた。仕方がないとは言え、良い兆候では無い。
いつか、自分を失ってしまうんじゃないか。衣梨奈でも絵里でもなく、絵里の体に入った誰でもない人間になってしまうのでは。
想像すると寒気がした。
「ほんと寂しかったっちゃん・・・まあ今日会えて良かったけど」
何があったと?と聞かないのが、大人だなあと思った。
絵里とれいなは、今の衣梨奈と聖くらいの年からずっと一緒にいるのだ。
その時間が作り出した絶妙な距離感なのだろう。いつか衣梨奈たちもそうなりたいと思う。
今はまだ、些細なことで喧嘩して、全力でぶつかり合うけど――無くしてしまった日々が酷く懐かしかった。
絵里とれいなは、今の衣梨奈と聖くらいの年からずっと一緒にいるのだ。
その時間が作り出した絶妙な距離感なのだろう。いつか衣梨奈たちもそうなりたいと思う。
今はまだ、些細なことで喧嘩して、全力でぶつかり合うけど――無くしてしまった日々が酷く懐かしかった。
「絵里も嬉しい。ほんとごめんね」
お肉は美味しかった。焼肉は元々大好物だったし、野菜も食べなくて済むから良かったのだが、何故か寂しかった。
きっと、隣にあの人がいないから。自分の手のひらを握るのが、あの人じゃないから。
きっと、隣にあの人がいないから。自分の手のひらを握るのが、あの人じゃないから。
お店を出て、タクシーを捕まえようと手を上げるれいなの後ろ姿に声をかける。
「ごめん、れいな・・・もう帰らなきゃ」
「え、もう帰ると?」
「うん、ちょっと明日早くから用事があって・・・そうそう、お兄ちゃんにこないだ赤ちゃん産まれてさ」
「え、もう帰ると?」
「うん、ちょっと明日早くから用事があって・・・そうそう、お兄ちゃんにこないだ赤ちゃん産まれてさ」
嘘をつき、話を反らした。れいなは何も詮索してこなかった。
れいなの自宅まで送り届け、別れる。再びタクシーに乗り込み、あの人の住む場所を告げた。
どうしても、会いたかった。いけないと分かっているのに。
どうしても、会いたかった。いけないと分かっているのに。
タクシーを降りてすぐ電話をかけた。出てほしいような出てほしくないような――そう思った瞬間、どこかで同じような感情を抱いたことを思い出す。
それがいつだったか思い出すより先に、電話が繋がった。
それがいつだったか思い出すより先に、電話が繋がった。
『もしもし?』
「あの、絵里なんですけど」
『うん、分かるよ』
「あの、絵里なんですけど」
『うん、分かるよ』
低く優しい声が耳に響く。それだけで胸が高鳴って、どうしようもなく会いたくなる。
「今、ガキさんちの近くにいるんです」
『へ、なんで?』
「・・・会いたくて」
『へ、なんで?』
「・・・会いたくて」
あの決意もどこへやら、慌てて用意をする自分に苦笑する。
こんな風に会うのは初めてだった。いつも、里沙が泊まるホテルに絵里が来るという形だった。
無機質なホテルの部屋には何も残らない。愛しさも温もりも切なさも何もかも、跡形も無く消えていく。
代わりに心に残るのははっきりと輪郭を持った罪の意識だった。
こんな風に会うのは初めてだった。いつも、里沙が泊まるホテルに絵里が来るという形だった。
無機質なホテルの部屋には何も残らない。愛しさも温もりも切なさも何もかも、跡形も無く消えていく。
代わりに心に残るのははっきりと輪郭を持った罪の意識だった。
エスカレーターが一階に着いて扉が開いた途端、走り出す。
暗闇の中ベンチに座る絵里の姿を認めて、胸が苦しくなった。
暗闇の中ベンチに座る絵里の姿を認めて、胸が苦しくなった。
「ごめん、待たせた?」
「いえ、てか呼び出したの絵里なんですから、謝らないでください」
「いえ、てか呼び出したの絵里なんですから、謝らないでください」
里沙の姿を見た瞬間、どうしようもなく抱き締めたい衝動に駆られた。
でも、絵里とれいなの関係を知ってしまった今はそれはしてはいけないと分かっていた。
今こうして会っているだけでも、充分いけないのだが。
でも、絵里とれいなの関係を知ってしまった今はそれはしてはいけないと分かっていた。
今こうして会っているだけでも、充分いけないのだが。
「なんかあった?」
「ふふ、ガキさん髪乱れてる」
「ふふ、ガキさん髪乱れてる」
直してあげようと手を近づけた瞬間、顔を背けられた。拒絶されたと気付いて、手を引っ込める。
「・・・あのさ」
春は近づいていると言えど、外は寒い。冷たい外気に、里沙の声ははっきりと響いた。
これから先に告げられるであろう言葉に身構える。
これから先に告げられるであろう言葉に身構える。
「もう会うの、よそう?」
うつ向いたままそう呟く里沙の姿に、胸が締め付けられた。
いつかこうなることは分かっていた。むしろ、これで良かったのだ。
でも、素直に頷くことは出来なかった。
いつかこうなることは分かっていた。むしろ、これで良かったのだ。
でも、素直に頷くことは出来なかった。
立ち上がろうとする里沙の腕を掴む。そのまま強引に引き寄せ、抱き締めた。
華奢な体に、胸がときめく。このままずっと、一緒にいられたらいいのに。
自分の立場も何もかも捨てて、側にいたかった。そもそも、自分が絵里の姿じゃないといけないとは分かっている。
生田衣梨奈になった瞬間、自分はただの後輩に変わる。
あの頃は想っているだけで充分だったのに、ぬくもりを知ってしまった今は手放したくない。
華奢な体に、胸がときめく。このままずっと、一緒にいられたらいいのに。
自分の立場も何もかも捨てて、側にいたかった。そもそも、自分が絵里の姿じゃないといけないとは分かっている。
生田衣梨奈になった瞬間、自分はただの後輩に変わる。
あの頃は想っているだけで充分だったのに、ぬくもりを知ってしまった今は手放したくない。
「カメには、田中っちがいるじゃんか・・・!」
怒鳴る口調に抱き締める力が緩む。今まで怒られることは何度もあったが、こんなに感情的な姿は初めて見た。
「・・・そう、ですね」
冷めた現実を思い知らされた。亀井絵里でいる間は、好きでいることも許されないのだ。
何の躊躇いも無く好きだと言って、いつも側にひっついて、歌ってる姿にキュンとして、
誉められたら喜んで怒られたらしゅんとして、でもそのあと笑ってくれたらどうでも良くなって、メールして電話して――
何の躊躇いも無く好きだと言って、いつも側にひっついて、歌ってる姿にキュンとして、
誉められたら喜んで怒られたらしゅんとして、でもそのあと笑ってくれたらどうでも良くなって、メールして電話して――
ただ体を重ねる今よりも、ずっと幸せだったと気付く。
中途半端なぬくもりは何の意味も持たないのだと知る。
里沙を抱いているのは絵里であり、里沙が見つめているのも、絵里なのだ。
一気に虚しさに襲われる。里沙と重ねていたのは、何も生み出さないどころか傷つくだけの時間だったと気付く。
自分だけでなく里沙も、絵里も、れいなも。
中途半端なぬくもりは何の意味も持たないのだと知る。
里沙を抱いているのは絵里であり、里沙が見つめているのも、絵里なのだ。
一気に虚しさに襲われる。里沙と重ねていたのは、何も生み出さないどころか傷つくだけの時間だったと気付く。
自分だけでなく里沙も、絵里も、れいなも。
彼女が手を離そうとしている。ならば、私も離さなきゃ。
これで良いんだ。正しい選択だったはずなのに、涙が溢れて止まらない。
走る後ろ姿が、目に焼き付いて離れなかった。
走る後ろ姿が、目に焼き付いて離れなかった。