自分が恵まれていることくらい、分かっていた。
朝の生放送番組はツラかったけれど、こうやって愚痴を吐けるくらいに充実しているのだと分かっていた。
モーニング娘。という場以外での活動もできるのだと。
チャンスを与えられて、それを活かせるのは凄いことなんだと。
自分にしかできないことをやっているんだと、堂々と胸を張って良いのだと。
モーニング娘。という場以外での活動もできるのだと。
チャンスを与えられて、それを活かせるのは凄いことなんだと。
自分にしかできないことをやっているんだと、堂々と胸を張って良いのだと。
そんなこと、分かっていた。
分かっていたのに、衣梨奈の心は日に日に閉ざされていった。
楽しいことばかりじゃないから、ツラいことも同じくらいにたくさんあるから。
だから衣梨奈は、知らず知らずのうちの、心のどこかで願っていた―――
分かっていたのに、衣梨奈の心は日に日に閉ざされていった。
楽しいことばかりじゃないから、ツラいことも同じくらいにたくさんあるから。
だから衣梨奈は、知らず知らずのうちの、心のどこかで願っていた―――
「えりぽん、着いたよ」
絵里の言葉に衣梨奈はハッと目を開けた。
気がつくと、ふたりを乗せたタクシーは事務所前に到着していた。
お金を払うと慌てて外に出る。夜の闇に照らされた事務所は何処か不気味で怖かった。
ふたりは裏口へと回り、中へと入っていった。
気がつくと、ふたりを乗せたタクシーは事務所前に到着していた。
お金を払うと慌てて外に出る。夜の闇に照らされた事務所は何処か不気味で怖かった。
ふたりは裏口へと回り、中へと入っていった。
「なんか、考えてた?」
「え?」
「タクシーの中で。寝てるようには見えなかったけど」
「え?」
「タクシーの中で。寝てるようには見えなかったけど」
事務所を歩きながら、絵里は衣梨奈に話しかけた。
衣梨奈の頭の中に先日から浮かんでは消える、ある事実。
過去の記憶のような、ぼんやりと靄がかかったような想いは、何処か“願い”にも近い気もした。
ハッキリとした色を持たない分、衣梨奈はそれを口に出すことを憚った。
だが、なにか、なにかが頭に引っ掛かる。
なんだろう、なにを私は忘れてしまっているのだろう?
衣梨奈の頭の中に先日から浮かんでは消える、ある事実。
過去の記憶のような、ぼんやりと靄がかかったような想いは、何処か“願い”にも近い気もした。
ハッキリとした色を持たない分、衣梨奈はそれを口に出すことを憚った。
だが、なにか、なにかが頭に引っ掛かる。
なんだろう、なにを私は忘れてしまっているのだろう?
「って、着いちゃったね」
絵里はそうして立ち止まると、目の前に広がる白い階段を見た。
衣梨奈も思わず息を呑む。
衣梨奈も思わず息を呑む。
そう、すべては此処から始まった。
この階段をふたりが同時に落ちたことで、生田衣梨奈は亀井絵里に、亀井絵里は生田衣梨奈になった。
入れ替わりという非現実的なことが発生し、ふたりは非日常の生活を強いられることとなった。
この階段をふたりが同時に落ちたことで、生田衣梨奈は亀井絵里に、亀井絵里は生田衣梨奈になった。
入れ替わりという非現実的なことが発生し、ふたりは非日常の生活を強いられることとなった。
「あれからもう2ヶ月なんだね……」
絵里は懐かしむようにそう言うと階段の先を見た。
「絵里ね、やっぱり寂しかったと思うんだ」
絵里は問わず語りのように口を開いた。
衣梨奈は彼女をじっと見つめるが、その視線は相変わらず階段の先に向いたままだった。
衣梨奈は彼女をじっと見つめるが、その視線は相変わらず階段の先に向いたままだった。
「自分で決めたことなのにね、やっぱり寂しくて、もう一回……って思っちゃったんだ」
入れ替わったあの日から、絵里は衣梨奈として再びモーニング娘。となり、あの輝いた舞台に上った。
嬉しかったし、楽しかった。
新曲を覚えることも、ダンスの振りを確認することも、あの頃いっしょに活動したメンバーと同じ空間を過ごすことも。
すべて絵里にとって懐かしく、そして楽しくて、ずっと此処にいたいと思った。
嬉しかったし、楽しかった。
新曲を覚えることも、ダンスの振りを確認することも、あの頃いっしょに活動したメンバーと同じ空間を過ごすことも。
すべて絵里にとって懐かしく、そして楽しくて、ずっと此処にいたいと思った。
「でも、えりぽんとして生きてきて分かったの。ああ、絵里の居場所は此処じゃないんだって」
先に進む同期を見るたびに、どんどん台頭していく9期メンバーや10期メンバーを見るたびに、絵里は確信した。
この場に立つべきは亀井絵里ではないのだと―――
亀井絵里は自分の意志で、自分と闘うということを選んだ。
だれに強制されたわけでもない。だれのせいで自分の体が不調になったわけでもない。
この場に立つべきは亀井絵里ではないのだと―――
亀井絵里は自分の意志で、自分と闘うということを選んだ。
だれに強制されたわけでもない。だれのせいで自分の体が不調になったわけでもない。
「絵里は絵里でしか、ないんだよね」
ひとつの決意のように絵里は呟いた。
すべては絵里が選んだ道。
モーニング娘。第6期メンバーオーディションに応募したのも、横浜アリーナで卒業したのも、すべては自分の意志だった。
それは、亀井絵里として生まれてきたことで、亀井絵里として生きることを選んだからだった。
その道から、決して逃げてはいけない。だって、絵里は、絵里でしかないのだから。かけがえのない、絵里ただひとりなのだから。
すべては絵里が選んだ道。
モーニング娘。第6期メンバーオーディションに応募したのも、横浜アリーナで卒業したのも、すべては自分の意志だった。
それは、亀井絵里として生まれてきたことで、亀井絵里として生きることを選んだからだった。
その道から、決して逃げてはいけない。だって、絵里は、絵里でしかないのだから。かけがえのない、絵里ただひとりなのだから。
そんな彼女の言葉を聞いた瞬間、衣梨奈の頭の中にひとつの光が弾けた。
記憶が急に邂逅する。扉が一斉に開き、樽の栓を開けたワインのように、波となって押し寄せる。
記憶が急に邂逅する。扉が一斉に開き、樽の栓を開けたワインのように、波となって押し寄せる。
ああ、そうだ。と衣梨奈は心の中で呟いた。
「そう、なんですよね……」
衣梨奈はそっと呟いた。
そうだ、思い出した。
私はあのとき、心の中で願っていたんだ。
私はあのとき、心の中で願っていたんだ。
「衣梨奈……逃げたかったのかもしれないです、この場所から」
衣梨奈の言葉に絵里は「え?」と聞き返した。
彼女は寂しそうな瞳をして笑って見せたあと、言葉を繋いだ。
彼女は寂しそうな瞳をして笑って見せたあと、言葉を繋いだ。
「みんな成長してるとに、衣梨奈はなんもできんて思ってたんです」
生田衣梨奈の進んできた道のり。
4年振りの新メンバーとしてモーニング娘。に加入した。
しかし、決して歌が飛び抜けて上手いわけでも、華麗なステップを踏んで踊れるわけでもなかった。
自分なりに必死に頑張って練習を重ねても、一朝一夕で上手くなるはずなんてなかった。
だが、そんな間にも同期はどんどん成長していった。
4年振りの新メンバーとしてモーニング娘。に加入した。
しかし、決して歌が飛び抜けて上手いわけでも、華麗なステップを踏んで踊れるわけでもなかった。
自分なりに必死に頑張って練習を重ねても、一朝一夕で上手くなるはずなんてなかった。
だが、そんな間にも同期はどんどん成長していった。
鞘師里保のダンスセンスは高く、新世代のエースとして常に9期をリードしている。
鈴木香音は初心者でありながらも成長が早く、ダンスも歌も磨けば光るとだれもが感じている。
譜久村聖はエッグ上がりということもあり、伸びのある歌声と柔らかい高音がファンを魅了した。
鈴木香音は初心者でありながらも成長が早く、ダンスも歌も磨けば光るとだれもが感じている。
譜久村聖はエッグ上がりということもあり、伸びのある歌声と柔らかい高音がファンを魅了した。
それぞれにまだ欠点もあるし、伸ばさなければいけない部分もたくさんある。
しかし、衣梨奈はただひとり、そんな同期の中で置いて行かれているのではないかと不安を感じていた。
しかし、衣梨奈はただひとり、そんな同期の中で置いて行かれているのではないかと不安を感じていた。
「おはスタ任されたのは嬉しかったけん……朝が早くて疲れたって思うこと、たくさんあったんです」
モーニング娘。から離れ、ひとりで活動するようになった朝の生放送番組。
ひとりというプレッシャーもありながらも、共演者やスタッフとともに必死に番組をつくっていった。
早朝からの仕事、中学生としての活動、さらにはモーニング娘。としての活動どれひとつも手を抜くことはできない。
そんな中で衣梨奈は段々と、自分という存在を見失っていった。
ひとりというプレッシャーもありながらも、共演者やスタッフとともに必死に番組をつくっていった。
早朝からの仕事、中学生としての活動、さらにはモーニング娘。としての活動どれひとつも手を抜くことはできない。
そんな中で衣梨奈は段々と、自分という存在を見失っていった。
「とにかく休みたくて…逃げたくて……少しで良いから、代わってほしかったのかもしれないです私と、だれかを」
楽しいことばかりではなかった。ツラいこともたくさん経験してきた。
笑って誤魔化す日々もあったが、耐えられないような哀しみもあったからこそ、衣梨奈は心の何処かで願っていた。
笑って誤魔化す日々もあったが、耐えられないような哀しみもあったからこそ、衣梨奈は心の何処かで願っていた。
少しだけ、休みたいと―――
「でも、亀井さんといっしょに過ごしてきて、改めて生田衣梨奈って存在を見て、分かったんです」
絵里は彼女の言葉を黙って聞いた。
「衣梨奈もやっぱり、衣梨奈でしかないんです。私の居場所は此処じゃないんです」
力強く発したその言葉を、絵里は復唱するように頷いた。
たとえ何処まで逃げたとしても、生田衣梨奈は生田衣梨奈でしかない。
福岡から上京し、自分で掴んだ夢の舞台。此処で活躍するんだと決めたのは、自分自身だった。
たとえ何処まで逃げたとしても、生田衣梨奈は生田衣梨奈でしかない。
福岡から上京し、自分で掴んだ夢の舞台。此処で活躍するんだと決めたのは、自分自身だった。
いまはまだ、なにもできない自分かもしれない。
後輩が入ってきても、ちゃんと示せないし、背中で語ることもできないかもしれない。
だけど、それでも私は、生田衣梨奈なんだ。モーニング娘。第9期メンバーの生田衣梨奈なんだ。
後輩が入ってきても、ちゃんと示せないし、背中で語ることもできないかもしれない。
だけど、それでも私は、生田衣梨奈なんだ。モーニング娘。第9期メンバーの生田衣梨奈なんだ。
「亀井さんになって、よく眠れました。もう、充分です」
衣梨奈はそこで、もしかしたら、と気付いた。
絵里の体を受け入れることで、衣梨奈はたくさんの睡眠を取ることができた。
自分自身と向き合うという時間を取っていた絵里は、衣梨奈にもまた、生田衣梨奈と向き合う時間を与えていた。
絵里の体を受け入れることで、衣梨奈はたくさんの睡眠を取ることができた。
自分自身と向き合うという時間を取っていた絵里は、衣梨奈にもまた、生田衣梨奈と向き合う時間を与えていた。
「うん。絵里も、楽しかったよ。もういちどステージに立つっていう夢を叶えられたんだもん」
絵里は衣梨奈になることで、再び仲間と輝いた舞台に立った。
闇の中で孤独に闘うのが嫌で逃げ出したくなった。それでも絵里の心の中に、いままで刻まれた想い出が消えることはない。
自分が経験してきた、輝いてきた日々は、色褪せたとしても、確かに此処に存在し、失われることはない。
闇の中で孤独に闘うのが嫌で逃げ出したくなった。それでも絵里の心の中に、いままで刻まれた想い出が消えることはない。
自分が経験してきた、輝いてきた日々は、色褪せたとしても、確かに此処に存在し、失われることはない。
「もう、だいじょうぶだよ」
自分の中にはたくさんの弱さがある。
逃げ出したくなることも、遠くへ行きたくなることも、折れそうになることもある。
逃げ出したくなることも、遠くへ行きたくなることも、折れそうになることもある。
それでも、私は私でしかない。
此処にある弱さも、此処にある想いも、全部全部背負って、それでも自分として生きていく。
自分で選んだ道、選んだ人生、つづいていく未来を、つづけてきた過去を背負って、自分のシアワセを掴もうともがいていく。
今日も、明日も、明後日も、そしてこれからも、私は私として、歩いていこう―――
此処にある弱さも、此処にある想いも、全部全部背負って、それでも自分として生きていく。
自分で選んだ道、選んだ人生、つづいていく未来を、つづけてきた過去を背負って、自分のシアワセを掴もうともがいていく。
今日も、明日も、明後日も、そしてこれからも、私は私として、歩いていこう―――
瞬間、世界が優しい光に包まれた。
ふたりの前に存在した階段もまた光を放っている。
ああ、いまなんだと、ほぼ同時に確信した。
なぜそんなことが分かるのかは分からない。分からないのにふたりはなぜか、理解っていた。
ふたりの前に存在した階段もまた光を放っている。
ああ、いまなんだと、ほぼ同時に確信した。
なぜそんなことが分かるのかは分からない。分からないのにふたりはなぜか、理解っていた。
「行こっか」
そうして絵里は衣梨奈に手を差しのべた。
衣梨奈も恐れることなくその手を握り締める。
衣梨奈も恐れることなくその手を握り締める。
不思議と恐れはなかった。
肉体の奥底にある魂が呼んでいる気がした。
肉体の奥底にある魂が呼んでいる気がした。
「ありがとうございました」
「うん、ありがとうね」
「うん、ありがとうね」
それだけ言うとふたりは同時に光の階段に一歩踏み出した。