衣梨奈は絵里とともに、家で個人ダンスレッスンを行っていた。
哀しいこともツラいことも、そこにはたくさん混在している。
だけど、立ち止まる暇なんてなかった。
時間は動きだしているし、いまさら戻ることなんてできない。
だとするならば、いまは必死に前に進むしかなかった。
涙が溢れるような毎日だとしても、理不尽ばかりの現実だとしても、絵里と衣梨奈は歩くしかない。
出口の見えないトンネルに、光が射し込んで来るその瞬間まで。
哀しいこともツラいことも、そこにはたくさん混在している。
だけど、立ち止まる暇なんてなかった。
時間は動きだしているし、いまさら戻ることなんてできない。
だとするならば、いまは必死に前に進むしかなかった。
涙が溢れるような毎日だとしても、理不尽ばかりの現実だとしても、絵里と衣梨奈は歩くしかない。
出口の見えないトンネルに、光が射し込んで来るその瞬間まで。
「えりぽん…」
神妙な面持ちをして、衣梨奈は絵里にそう話しかけられた。
「すみません、私、間違えました?」
「あ、ううん、そうじゃなくてさ……」
「あ、ううん、そうじゃなくてさ……」
慌てて謝ってくる衣梨奈に対し、絵里は苦笑しながら答える。
モーニング娘。の春ツアー終了までもう時間はない。それなのに、ふたりは未だに戻れずにいる。
敬愛してやまない新垣里沙の卒業に立ち会えないかもしれないというのに、衣梨奈は必死に振りを覚え、ボイストレーニングをする。
絵里はそんな衣梨奈に応えようとし、毎日、時間を削って衣梨奈に付き合っていた。
モーニング娘。の春ツアー終了までもう時間はない。それなのに、ふたりは未だに戻れずにいる。
敬愛してやまない新垣里沙の卒業に立ち会えないかもしれないというのに、衣梨奈は必死に振りを覚え、ボイストレーニングをする。
絵里はそんな衣梨奈に応えようとし、毎日、時間を削って衣梨奈に付き合っていた。
「ちょっと……ワガママ、聞いてほしいんだ」
絵里は絞り出すようにそう訴えた。
彼女の真意が掴みきれなかった衣梨奈はきょとんとしている。
そんな彼女に絵里は申し訳なさそうな瞳を見せるが、どうしても、このワガママを、貫きたかった。
彼女の真意が掴みきれなかった衣梨奈はきょとんとしている。
そんな彼女に絵里は申し訳なさそうな瞳を見せるが、どうしても、このワガママを、貫きたかった。
光井愛佳はひとり、自宅で音楽を聴きながらフリの確認をしていた。
左脚に激しい負荷をかけることはできないため、上半身のみのパフォーマンスになるが、それでも必死に体を動かす。
せっかく去年の秋ツアーには最終日しか参加できなかったが、今年の春ツアーは初日から参加できている。
ただそれだけで、愛佳は喜びを感じていた。
左脚に激しい負荷をかけることはできないため、上半身のみのパフォーマンスになるが、それでも必死に体を動かす。
せっかく去年の秋ツアーには最終日しか参加できなかったが、今年の春ツアーは初日から参加できている。
ただそれだけで、愛佳は喜びを感じていた。
音楽が終わったところで「ふぅ」とひと息つき、汗で濡れたシャツを着替えながら愛佳は時計を見た。
彼女との約束の時間まではあと10分程度だが、どうせ彼女のことだから、時間通りには来ないんだろうなと苦笑する。
あの人と待ち合わせをして、ちゃんと時間通りに着いたことなど1度もなかった。
さすがに4時間も待たされることはないのだが、1時間弱の遅刻はザラにある。
それを見越して、待ち合わせ場所に行けば効率も良いのだろうが、愛佳はどうしても、集合の15分前にはいつも到着し、その人を待っていた。
それは気遣いなのか、はたまたそれ以上の感情があるからかは、判別できない。
彼女との約束の時間まではあと10分程度だが、どうせ彼女のことだから、時間通りには来ないんだろうなと苦笑する。
あの人と待ち合わせをして、ちゃんと時間通りに着いたことなど1度もなかった。
さすがに4時間も待たされることはないのだが、1時間弱の遅刻はザラにある。
それを見越して、待ち合わせ場所に行けば効率も良いのだろうが、愛佳はどうしても、集合の15分前にはいつも到着し、その人を待っていた。
それは気遣いなのか、はたまたそれ以上の感情があるからかは、判別できない。
「今日は何分遅刻するんやろ」
そうして着替えを終えた愛佳が苦笑交じりに立ち上がると、家のチャイムが鳴った。
思わず時計を見るが、先ほどから長針も短針もほとんど動いていない。
まさか待ち合わせの10分前に来たのだろうか?あの遅刻常習魔が?いや、それとも宅急便とか?
愛佳は服の乱れを整え、玄関先へと歩く。
覗き穴から確認すると、そこには、待ち合わせの人物ではない人がいた。
思わず時計を見るが、先ほどから長針も短針もほとんど動いていない。
まさか待ち合わせの10分前に来たのだろうか?あの遅刻常習魔が?いや、それとも宅急便とか?
愛佳は服の乱れを整え、玄関先へと歩く。
覗き穴から確認すると、そこには、待ち合わせの人物ではない人がいた。
「生田……?」
愛佳は慌ててドアを開ける。
そこには、後輩の生田衣梨奈―――中身は亀井絵里である衣梨奈、が立っていた。
そこには、後輩の生田衣梨奈―――中身は亀井絵里である衣梨奈、が立っていた。
「どうしたの、生田…?」
「すみません光井さん…突然来ちゃって……」
「すみません光井さん…突然来ちゃって……」
本当に突然の出来事だった。
愛佳が今日会う約束をしていたのは、先輩である亀井絵里だった。
だが、約束の10分前とはいえ、やってきたのは後輩の生田衣梨奈。
どういうことだろうと頭を回転させるが、立ち話をさせるのも悪いと、愛佳は彼女を中へ入れた。
愛佳が今日会う約束をしていたのは、先輩である亀井絵里だった。
だが、約束の10分前とはいえ、やってきたのは後輩の生田衣梨奈。
どういうことだろうと頭を回転させるが、立ち話をさせるのも悪いと、愛佳は彼女を中へ入れた。
「ごめん、約束してたっけ?」
「あ、違います…ちょっと、どうしても、会いたくて……」
「あ、違います…ちょっと、どうしても、会いたくて……」
歯切れの悪い彼女を愛佳は不思議そうに見ながら自分の部屋へと通した。
とりあえずココアでも出そうかと、愛佳は台所へと向かう。
やって来た本人、衣梨奈の中に入っている絵里はといえば、「はぁ」と深くため息をついた。
とりあえずココアでも出そうかと、愛佳は台所へと向かう。
やって来た本人、衣梨奈の中に入っている絵里はといえば、「はぁ」と深くため息をついた。
今日、此処へ来る3時間前、絵里は衣梨奈にひとつの「ワガママ」を言った。
それは、「本当の自分」で、話をしてきてほしいというものだった。
それは、「本当の自分」で、話をしてきてほしいというものだった。
「それは…」
衣梨奈は汗で濡れた前髪を整えながら絵里に探るように聞いた。
彼女はまだ真意が分かっていないようだったが、絵里は深く頷き、彼女の言葉を先に紡いだ。
彼女はまだ真意が分かっていないようだったが、絵里は深く頷き、彼女の言葉を先に紡いだ。
「ガキさんに、ちゃんと言ってきてほしいんだ、自分のこと…」
「でも、それは」
「分かってる。なんのためにいまのいままで黙ってきたかってことも…」
「でも、それは」
「分かってる。なんのためにいまのいままで黙ってきたかってことも…」
絵里と衣梨奈がふたりで決めたこと。
だれにも迷惑をかけたくないから、入れ替わりのことはだれにも言わないというひとつの約束。
「秘密」を共有することで、ふたりが歩んでいく道は、まさに茨の道だった。それが分かっていても、ふたりはその道を選んだ。
だが、衣梨奈がだれよりも慕っている里沙の卒業が決まったことで状況は変わった。
大好きな先輩と同じステージに立てないことは、想像以上の痛みと哀しみを伴っていた。
それでも衣梨奈は立ち止まらずに、自分にできることをやっていた。
暗闇の中で泣き腫らすのではなく、元に戻れる事を信じ、あこがれの人と同じ舞台に立てるように努力してきた。
だれにも迷惑をかけたくないから、入れ替わりのことはだれにも言わないというひとつの約束。
「秘密」を共有することで、ふたりが歩んでいく道は、まさに茨の道だった。それが分かっていても、ふたりはその道を選んだ。
だが、衣梨奈がだれよりも慕っている里沙の卒業が決まったことで状況は変わった。
大好きな先輩と同じステージに立てないことは、想像以上の痛みと哀しみを伴っていた。
それでも衣梨奈は立ち止まらずに、自分にできることをやっていた。
暗闇の中で泣き腫らすのではなく、元に戻れる事を信じ、あこがれの人と同じ舞台に立てるように努力してきた。
だが、武道館まではあと残り日数が僅かでしかない。
最悪の事態を想定した絵里は、そうなる前に、衣梨奈を里沙と会わせたかった。会ってちゃんと、自分の口で話をしてほしかった。
それはひとつの、ワガママだった―――
最悪の事態を想定した絵里は、そうなる前に、衣梨奈を里沙と会わせたかった。会ってちゃんと、自分の口で話をしてほしかった。
それはひとつの、ワガママだった―――
「で、でも……」
「えりぽんは、ガキさんと、会いたくない?」
「そんなことないです!」
「えりぽんは、ガキさんと、会いたくない?」
「そんなことないです!」
衣梨奈はすぐに否定した。
いまでも、会いたくて仕方がない。あの優しい笑顔に、あの優しい声に、包み込んでくれる新垣里沙と言う存在に。
衣梨奈はいつの間にか、あの大きくて遠い背中に、知らぬうちに憧れ以上の想いを持っていたのかもしれない。
それを差し引いたとしても、衣梨奈は里沙に会いたかった。
いまでも、会いたくて仕方がない。あの優しい笑顔に、あの優しい声に、包み込んでくれる新垣里沙と言う存在に。
衣梨奈はいつの間にか、あの大きくて遠い背中に、知らぬうちに憧れ以上の想いを持っていたのかもしれない。
それを差し引いたとしても、衣梨奈は里沙に会いたかった。
「……会うなら、亀井さんもいっしょに」
「うーん、それは出来ないよ」
「うーん、それは出来ないよ」
絵里はそうしておどけて話した。
どうして?と言わんばかりの表情を見せる衣梨奈に、絵里はいたずらっ子のような笑みを見せて返した。
どうして?と言わんばかりの表情を見せる衣梨奈に、絵里はいたずらっ子のような笑みを見せて返した。
「邪魔はしないよ」
それがどういう意図なのか、衣梨奈にだって分かった。
でも、本当にそれで良いのだろうか?
会いたい・会いたくないという二択を迫られたとき、衣梨奈は迷わず会いたいを選ぶのだけれど、心になにかが引っ掛かる。
でも、本当にそれで良いのだろうか?
会いたい・会いたくないという二択を迫られたとき、衣梨奈は迷わず会いたいを選ぶのだけれど、心になにかが引っ掛かる。
「その代わりなんだけどさ……絵里はみっつぃーに会いたいんだ」
「え?」
「あの子、ああ見えて弱いからさ」
「え?」
「あの子、ああ見えて弱いからさ」
そうして絵里は優しく笑った。
その表情は確かに生田衣梨奈そのものなのだけれど、衣梨奈はその向こうに、確かに亀井絵里を見た。
いつでも優しく微笑んで、知らない内に人をシアワセにする力のある人、それが絵里だった。
モーニング娘。として、いっしょに過ごした時間はなかったけれど、それでも衣梨奈はなんとなく、絵里を理解する。
彼女はどうしようもなく、メンバーを想っているのだと。
その表情は確かに生田衣梨奈そのものなのだけれど、衣梨奈はその向こうに、確かに亀井絵里を見た。
いつでも優しく微笑んで、知らない内に人をシアワセにする力のある人、それが絵里だった。
モーニング娘。として、いっしょに過ごした時間はなかったけれど、それでも衣梨奈はなんとなく、絵里を理解する。
彼女はどうしようもなく、メンバーを想っているのだと。
だから衣梨奈は、彼女の「ワガママ」に付き合おうと思った。
きっとそれは、衣梨奈も心の底で願っていた、ワガママだったのだから―――
きっとそれは、衣梨奈も心の底で願っていた、ワガママだったのだから―――
そうしてふたりはいま、自分自身として、それぞれの卒業していくメンバーに向き合っている。
恐らくいまごろは、衣梨奈も「生田衣梨奈」として、リーダーである里沙に会っているはずだった。
ちゃんと会話が成立しているかは、果てしなく微妙ではあるが。
絵里はひと息吐いて、ぽつんと床を見つめる。
恐らくいまごろは、衣梨奈も「生田衣梨奈」として、リーダーである里沙に会っているはずだった。
ちゃんと会話が成立しているかは、果てしなく微妙ではあるが。
絵里はひと息吐いて、ぽつんと床を見つめる。
自分で決めたひとつの「ワガママ」。
亀井絵里として愛佳に会うことを決めたのに、いざとなると、なんて言って良いのかが分からなくなる。
自分自身になって会いたいと思ったのは、衣梨奈の気持ちを感じ取ったからだけではなかった。
それは、武道館コンサートを控えた2週間前に、愛佳の卒業が決まったからという理由もあった。
亀井絵里として愛佳に会うことを決めたのに、いざとなると、なんて言って良いのかが分からなくなる。
自分自身になって会いたいと思ったのは、衣梨奈の気持ちを感じ取ったからだけではなかった。
それは、武道館コンサートを控えた2週間前に、愛佳の卒業が決まったからという理由もあった。
どうしても、彼女に自分の口でなにか伝えたかった。
普段は自分の気持ちを正直に表現することが苦手な彼女に、なにか伝えたかった。
普段は自分の気持ちを正直に表現することが苦手な彼女に、なにか伝えたかった。
「お待たせー」
そのとき愛佳が部屋へと戻ってきた。
その手にはマグカップがふたつ握られており、愛佳はひとつを絵里に差し出した。
その手にはマグカップがふたつ握られており、愛佳はひとつを絵里に差し出した。
「すみません、急に来たのに……」
「ううん、かめへんよ。まだ時間あるし」
「ううん、かめへんよ。まだ時間あるし」
そうして愛佳は時計を見ると、愛佳が「絵里」と約束した時間になった。
3時間ほど前、愛佳は「絵里」から、今日いまから会えないかというメールをもらい、ふたつ返事でOKをした。
もともと綺麗な部屋であるので、少し片付けをしてしまえば、いつでも人を呼べる状態にあるのが愛佳の部屋だった。
愛佳は軽く片付けを済ませ、ひと息ついたところで、ダンスレッスンをしていたのである。
3時間ほど前、愛佳は「絵里」から、今日いまから会えないかというメールをもらい、ふたつ返事でOKをした。
もともと綺麗な部屋であるので、少し片付けをしてしまえば、いつでも人を呼べる状態にあるのが愛佳の部屋だった。
愛佳は軽く片付けを済ませ、ひと息ついたところで、ダンスレッスンをしていたのである。
「ホンマは亀井さんと約束してるんよ、これから」
そうして愛佳は笑ってココアを飲む。
冷たいココアが喉を潤していく感覚が好きだった。
冷たいココアが喉を潤していく感覚が好きだった。
「ま、時間通りには来ぇへんと思うけど」
愛佳のその表情に絵里は胸が痛む。
どうして彼女は、こうやって笑顔を向けられるのだろう。
私が卒業を決めたときも、こうして笑顔でいられただろうかと絵里はぼんやり思う。
いつだって、彼女はそうなのだ。
自分が苦しいこともツラいこともその胸に秘め、痛みや哀しみを外に出そうとはしない。
だから、彼女がツラいということに、気付きにくい。
どうして彼女は、こうやって笑顔を向けられるのだろう。
私が卒業を決めたときも、こうして笑顔でいられただろうかと絵里はぼんやり思う。
いつだって、彼女はそうなのだ。
自分が苦しいこともツラいこともその胸に秘め、痛みや哀しみを外に出そうとはしない。
だから、彼女がツラいということに、気付きにくい。
どうしようもない切なさを、彼女は携えている。
急遽決まった卒業。そしてその瞬間は、里沙と同じ、武道館。
たくさんの人を混乱させてしまったことへの哀しみと、里沙に最後まで迷惑をかけてしまうという痛み。
それでも前を向いて、いま自分にできることをすると歩き出す彼女が、どうしようもなく、絵里には愛しかった。
それはひとつの恋愛感情とはまた違う、愛しさなのかもしれないと絵里は想う。
ともに同じステージに立ち、キラキラと輝きを放っていたあの瞬間、絵里はなんども愛佳に助けられた。
だからこそ今度は、絵里が愛佳を助けたかった。
急遽決まった卒業。そしてその瞬間は、里沙と同じ、武道館。
たくさんの人を混乱させてしまったことへの哀しみと、里沙に最後まで迷惑をかけてしまうという痛み。
それでも前を向いて、いま自分にできることをすると歩き出す彼女が、どうしようもなく、絵里には愛しかった。
それはひとつの恋愛感情とはまた違う、愛しさなのかもしれないと絵里は想う。
ともに同じステージに立ち、キラキラと輝きを放っていたあの瞬間、絵里はなんども愛佳に助けられた。
だからこそ今度は、絵里が愛佳を助けたかった。
「あの……」
「うん?」
「うん?」
絵里は、意を決した。
今日はもう、逃げない。
不器用でも良い。愛佳にちゃんと伝えたかった。
「なにを」かは具体的には分からない。
でも、分からなくても、絵里は愛佳に向き合いたかった。
志半ばで、それでもメンバーを想いながら卒業していく、あなたに―――
今日はもう、逃げない。
不器用でも良い。愛佳にちゃんと伝えたかった。
「なにを」かは具体的には分からない。
でも、分からなくても、絵里は愛佳に向き合いたかった。
志半ばで、それでもメンバーを想いながら卒業していく、あなたに―――