自分が恵まれていることくらい、分かっていた。
ピンチヒッターとはいえ始まった、「おはスタ」という生放送番組。
天気予報を読んだり、被り物をしてみたり、ゲームをしたり、バトンの練習をしたり。
得意のハンドスプリングを披露しすると、共演者やスタッフから拍手をもらった。
番組に来るファンレターを読み、なんども励まされた。
天気予報を読んだり、被り物をしてみたり、ゲームをしたり、バトンの練習をしたり。
得意のハンドスプリングを披露しすると、共演者やスタッフから拍手をもらった。
番組に来るファンレターを読み、なんども励まされた。
それでも衣梨奈は、楽しいことばかりではなかった。
毎回完璧なことなんてできない。
台本を読むだけでも精一杯で、感情の起伏がなく、それでいてなんども噛んでしまう。
バトンも、モーニング娘。としての仕事の合間を縫って練習しても、本番ではミスしてしまう。
笑顔がつくれずに、表情が硬く、スタッフやマネージャーに説教されることもしばしばあった。
毎回完璧なことなんてできない。
台本を読むだけでも精一杯で、感情の起伏がなく、それでいてなんども噛んでしまう。
バトンも、モーニング娘。としての仕事の合間を縫って練習しても、本番ではミスしてしまう。
笑顔がつくれずに、表情が硬く、スタッフやマネージャーに説教されることもしばしばあった。
そして、いちばんの難点は、早朝の仕事ということだった。
衣梨奈はモーニング娘。の9期メンバーでもあると同時に、中学校2年生でもあった。
学校に通い、苦手な数学や英語の勉強をし、宿題を抱えながら、仕事をしていた。
ゆっくり朝の6時まで眠っていたいという願望はあるものの、それを許さないのがこの仕事だった。
早朝4時半には起床し、眠い目をこすりながらスタジオへと入る。
あくびをかみ殺し、メイクをして、その日のリハーサルや打ち合わせに臨む日々を送っていた。
衣梨奈はモーニング娘。の9期メンバーでもあると同時に、中学校2年生でもあった。
学校に通い、苦手な数学や英語の勉強をし、宿題を抱えながら、仕事をしていた。
ゆっくり朝の6時まで眠っていたいという願望はあるものの、それを許さないのがこの仕事だった。
早朝4時半には起床し、眠い目をこすりながらスタジオへと入る。
あくびをかみ殺し、メイクをして、その日のリハーサルや打ち合わせに臨む日々を送っていた。
恵まれているからこそ、ツラいこともたくさん経験してきた―――
目を覚ますと最初に真っ白い天井が見えた。起き上がるとズキッと頭が痛む。
えーと此処は何処だろうと痛む頭を押さえて辺りを見回すと、どうも事務所の空き部屋であることに気づいた。
あれ、こんな場面、前にもあったような…と衣梨奈はいつかの既視感を覚える。
えーと此処は何処だろうと痛む頭を押さえて辺りを見回すと、どうも事務所の空き部屋であることに気づいた。
あれ、こんな場面、前にもあったような…と衣梨奈はいつかの既視感を覚える。
「あー、起きたぁ?」
その声に振り向くと、入口には里沙が立っていた。
やれやれと言わんばかりに溜め息を吐きながら、里沙は衣梨奈の近くに腰を下ろす。
やれやれと言わんばかりに溜め息を吐きながら、里沙は衣梨奈の近くに腰を下ろす。
「倒れたからビックリしたんだよ、生田ぁ」
「あ…私……そう…え?」
「あ…私……そう…え?」
未だに痛むこめかみを押さえながらなにか言葉を探すが、その前に衣梨奈はその言葉に引っ掛かった。
いま、里沙が発した言葉の中に、確かに聞き捨てならないものがあった。
私…まさか…と思い、里沙を見つめるが、その瞳はなにも語らない。
いま、里沙が発した言葉の中に、確かに聞き捨てならないものがあった。
私…まさか…と思い、里沙を見つめるが、その瞳はなにも語らない。
「どうしたの?」
「え……いや…私は…」
「え……いや…私は…」
衣梨奈は慌てて周りを見渡すが、此処には里沙と自分以外に誰もいない。
鏡を探して自分の姿を見ようにも、室内には不自然なほどに鏡が見当たらない。
もしかして、戻れたのだろうかと思うが、いったいどうして?
鏡を探して自分の姿を見ようにも、室内には不自然なほどに鏡が見当たらない。
もしかして、戻れたのだろうかと思うが、いったいどうして?
「あの…新垣さん……」
「なに?」
「えっと…あの……」
「なに?」
「えっと…あの……」
衣梨奈が襲われた急激な頭痛。
あの原因がなんなのかは不明だが、それがもとで、ふたりは戻れたのだろうか。
だとするならば、本来、生田衣梨奈として此処にいた亀井絵里は何処にいる?
亀井さんは大丈夫なのだろうかと、衣梨奈は必死に頭の中で考える。だが、考えても言葉が出てこない。
なにを言っても、どう足掻いても、良い結末が見えてこない。
あの原因がなんなのかは不明だが、それがもとで、ふたりは戻れたのだろうか。
だとするならば、本来、生田衣梨奈として此処にいた亀井絵里は何処にいる?
亀井さんは大丈夫なのだろうかと、衣梨奈は必死に頭の中で考える。だが、考えても言葉が出てこない。
なにを言っても、どう足掻いても、良い結末が見えてこない。
「あの……私っ!」
そのとき、扉がノックされた。
里沙はそちらに目を向けると、室内に入ってきたのは、9期メンバーの鈴木香音だった。
香音は衣梨奈の姿をその目に認めると、「あ…」と口に出したあと、ぺこりと頭を下げた。
里沙はそちらに目を向けると、室内に入ってきたのは、9期メンバーの鈴木香音だった。
香音は衣梨奈の姿をその目に認めると、「あ…」と口に出したあと、ぺこりと頭を下げた。
「新垣さん、スタッフさんが呼んでます」
「うん、分かった、いま行く」
「うん、分かった、いま行く」
そして里沙は「よいしょ」と立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
「じゃあ、ちょっと休んでるんだよ、カメ」
最後の言葉に衣梨奈は胸を射抜かれた。
もう、答えはそこにある。
どうして?とかなぜ?とか頭の中にはさまざまな疑問が浮かぶのだけれど、どれひとつ、明確な理由づけにはならない。
それでも衣梨奈は、そんなことを気にせずに「新垣さんっ!」と叫んだ。
もう、答えはそこにある。
どうして?とかなぜ?とか頭の中にはさまざまな疑問が浮かぶのだけれど、どれひとつ、明確な理由づけにはならない。
それでも衣梨奈は、そんなことを気にせずに「新垣さんっ!」と叫んだ。
呼ばれた里沙は一瞬立ち止まるが振り返らない。
香音はどうしたんだろうという不思議そうな表情を見せる。
香音はどうしたんだろうという不思議そうな表情を見せる。
一瞬の静寂のあと、里沙はなにも言わずに部屋を出ていった。
閉められた扉を見つめ、衣梨奈は苦しそうに顔を歪める。
閉められた扉を見つめ、衣梨奈は苦しそうに顔を歪める。
「気付いとぉ……」
深く吐いた息とともに抜けた言葉は、だれもいなくなった部屋に反響する。
いまのやり取りで衣梨奈は確信した。里沙はもう、いまふたりが置かれている状況に気付いている。
カマをかけたのか、それとも確信を持っているのかまでは定かではないにしろ、だが。
いまのやり取りで衣梨奈は確信した。里沙はもう、いまふたりが置かれている状況に気付いている。
カマをかけたのか、それとも確信を持っているのかまでは定かではないにしろ、だが。
「………行かんと…」
未だに痛むこめかみを押さえながら、衣梨奈は立ち上がる。
先ほど、最後に聞こえた声を頼りにするならば、衣梨奈が倒れたとほぼ同時に、絵里もまた倒れている。
絵里になにが起きたのか、確認しに行く必要がある。
衣梨奈は重い頭を支えるようにして、部屋を飛び出した。
先ほど、最後に聞こえた声を頼りにするならば、衣梨奈が倒れたとほぼ同時に、絵里もまた倒れている。
絵里になにが起きたのか、確認しに行く必要がある。
衣梨奈は重い頭を支えるようにして、部屋を飛び出した。
「あ……」
すぐそこに立っていたのは、先ほどまで一緒にいた、愛佳だった。
愛佳は一瞬驚いた顔を見せたあと、探るように衣梨奈に聞いた。
愛佳は一瞬驚いた顔を見せたあと、探るように衣梨奈に聞いた。
「………生田、なの?」
衣梨奈はもう、誤魔化すことはしなかった。
ただ黙って愛佳の言葉に頷いたあと、「会わなきゃいけないんです」と告げた。
愛佳も聞きたいことは山のようにあったが、それ以上は追及しなかった。
起こってしまった不可解な事件の苦しみは、当事者にしか分からない。
その当事者が、もうひとりの当事者に会いたいというならば、それを止めて良い理由にはならない。
ただ黙って愛佳の言葉に頷いたあと、「会わなきゃいけないんです」と告げた。
愛佳も聞きたいことは山のようにあったが、それ以上は追及しなかった。
起こってしまった不可解な事件の苦しみは、当事者にしか分からない。
その当事者が、もうひとりの当事者に会いたいというならば、それを止めて良い理由にはならない。
「行こう」
愛佳はそうして衣梨奈の隣を歩いた。
目指す場所はただひとつしかなかった。
目指す場所はただひとつしかなかった。
目を覚ますと見慣れた天井が目に入った。
ああ、こんなこと前にもあったなぁと感じていると、次に目に飛び込んできたのは「同期」の聖だった。
ああ、こんなこと前にもあったなぁと感じていると、次に目に飛び込んできたのは「同期」の聖だった。
「えりぽん!」
その声に現実に引き戻された。
ああ、相変わらず戻ってないんだなと苦笑しながら絵里はその重い体を起こした。
ああ、相変わらず戻ってないんだなと苦笑しながら絵里はその重い体を起こした。
「だいじょうぶ?」
「うん……なんか、急に頭痛くなっちゃって」
「いま、香音ちゃんが新垣さん呼びに行ってるから…」
「うん……なんか、急に頭痛くなっちゃって」
「いま、香音ちゃんが新垣さん呼びに行ってるから…」
その言葉が終わるか終らないかのとき、里沙は部屋に入ってきた。
絵里はなにか口にしようとするが言葉にならず、里沙は絵里の頭に肩を置いてぽんぽんと叩いた。
絵里はなにか口にしようとするが言葉にならず、里沙は絵里の頭に肩を置いてぽんぽんと叩いた。
「貧血みたいだね、さっきスタッフさんから聞いた」
里沙はそうして立ち上がると、「今日はもう帰んな」と伝えた。
「明日からまた練習すれば良いし、あまり体調悪いのにやっても無意味になっちゃうから」
彼女の言葉に、絵里は返すものはなかった。ただ単純に「はい」と頷き、痛む頭をおさえて立ち上がった。
聖や香音が心配そうに見つめているが、彼女たちにもなにも言葉を出せず、絵里はノロノロと帰宅の準備を始めた。
聖や香音が心配そうに見つめているが、彼女たちにもなにも言葉を出せず、絵里はノロノロと帰宅の準備を始めた。
「えりぽん……だいじょうぶ?」
聖がようやくそう口にするが、絵里は曖昧に笑うだけでなにも言えなかった。
荷物をまとめると、絵里は深く頭を下げ、部屋を後にした。
香音は聖と、そしてリーダーである里沙を交互に見るが、だれもなにも言わなかった。
静寂の空間が広がり、ただそこにぽつんと里沙の溜息だけが残った。
荷物をまとめると、絵里は深く頭を下げ、部屋を後にした。
香音は聖と、そしてリーダーである里沙を交互に見るが、だれもなにも言わなかった。
静寂の空間が広がり、ただそこにぽつんと里沙の溜息だけが残った。
絵里は長い廊下を歩いた。
どうして急に頭痛に襲われたのか、その原因は分からない。
ただ、なにかの異変が起きているのかもしれないと絵里は思う。
その“なにか”というのは、結局のところ分からないのだけれど。
どうして急に頭痛に襲われたのか、その原因は分からない。
ただ、なにかの異変が起きているのかもしれないと絵里は思う。
その“なにか”というのは、結局のところ分からないのだけれど。
「……そんなことよりレッスンせんと…」
絵里はそう呟いた。
もうすぐハロープロジェクトのコンサートがある。そのレッスンが遅れてしまうのは避けたいことだった。
家に帰ったら練習しないとと思いながら、痛む頭をおさえた。
もうすぐハロープロジェクトのコンサートがある。そのレッスンが遅れてしまうのは避けたいことだった。
家に帰ったら練習しないとと思いながら、痛む頭をおさえた。
「新垣さんも、聖も心配するっちゃ……」
そう言葉にしたとき、絵里は立ち止った。
未だに鈍い頭痛に苛まれるが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
未だに鈍い頭痛に苛まれるが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
「……いま…私…」
絵里は思わず口をおさえる。
さっきから廊下で、絵里はなんと呟いた?
―――レッスンせんと…
いつもの口癖だからだと思った。
彼女の言葉を練習しているうちに、ふいに出てしまったのだと感じていた。
彼女の言葉を練習しているうちに、ふいに出てしまったのだと感じていた。
―――新垣さんも、聖も心配するっちゃ……
だが、次の言葉は明らかに違う。
慣れたように飛び出した博多弁と、新垣さんと聖という呼び方は、まさに衣梨奈そのものだった。
まさか…と絵里は思うが、それを認めたくはない。
ぶるぶると頭を振って、最悪の想像を振り払おうとするが、いちど思いついた予感は離れない。
慣れたように飛び出した博多弁と、新垣さんと聖という呼び方は、まさに衣梨奈そのものだった。
まさか…と絵里は思うが、それを認めたくはない。
ぶるぶると頭を振って、最悪の想像を振り払おうとするが、いちど思いついた予感は離れない。
「同化……してる?」
それは最も恐れていたことだった。
絵里が衣梨奈と入れ替わって1ヶ月以上経っている。
元に戻る方法は見つけられず、ただ周囲にばれないように、互いのフリを振るまう日々を送ってきた。
言葉遣いや笑い方、性格やクセなど、出来る限り、絵里は衣梨奈になれるように努力してきた。
絵里が衣梨奈と入れ替わって1ヶ月以上経っている。
元に戻る方法は見つけられず、ただ周囲にばれないように、互いのフリを振るまう日々を送ってきた。
言葉遣いや笑い方、性格やクセなど、出来る限り、絵里は衣梨奈になれるように努力してきた。
だけど、絶対に忘れてはいけないことがあった。
それは、絵里は亀井絵里であり、衣梨奈は生田衣梨奈であるということだった。
それは、絵里は亀井絵里であり、衣梨奈は生田衣梨奈であるということだった。
あくまでも、肉体は衣梨奈であるかもしれないが、魂は絵里そのものだった。
亀井絵里として生きてきた23年間は、生田衣梨奈の肉体の中に存在している。
それを否定することはできない。
いつかきっと、元の肉体に戻れる日のために、ふたりは毎日を送っていたのだから。
亀井絵里として生きてきた23年間は、生田衣梨奈の肉体の中に存在している。
それを否定することはできない。
いつかきっと、元の肉体に戻れる日のために、ふたりは毎日を送っていたのだから。
だが、いまの絵里は、絵里ではなくなってきていた。
一瞬ではあるが、彼女は確かに「生田衣梨奈」になっていた。
一瞬ではあるが、彼女は確かに「生田衣梨奈」になっていた。
「えり…は……」
絵里は自分の両手を見つめる。
14歳の生田衣梨奈の手は少しだけ小さくて、だけど綺麗だった。
慣れ親しんだ自分の肉体はそこには存在しない。
14歳の生田衣梨奈の手は少しだけ小さくて、だけど綺麗だった。
慣れ親しんだ自分の肉体はそこには存在しない。
「えりはっ!」
絵里は絵里だと心の中でなんども呟く。
自分は亀井絵里だ、私は絵里なのだと叫ぶ。
忘れないように、刻むように、なんどもなんども確かめた。
自分は亀井絵里だ、私は絵里なのだと叫ぶ。
忘れないように、刻むように、なんどもなんども確かめた。
「亀井さんっ!」
そのとき、後方でだれかの声が聞こえた。
それが自分の声だと気づくのに、絵里は数秒かかった。
振り返るとそこには、亀井絵里の肉体を持った生田衣梨奈と、彼女の横には光井愛佳が立っていた。
それが自分の声だと気づくのに、絵里は数秒かかった。
振り返るとそこには、亀井絵里の肉体を持った生田衣梨奈と、彼女の横には光井愛佳が立っていた。