◇歴史的な立ち位置
武器として
現代の日本では「武器は基本的に戦争で使うもの」というイメージは強く、『実戦=戦争』という誤った大前提で語られがちである。
この日本刀という武器は、平時の私闘にもよく使われており、そもそも剣術というのも戦争で使う技術というよりも、些細なきっかけで斬り合いになったときや強盗に襲われたときといった平時の荒事に対処する技術だったという説がある。
というのも、普段我々が知る剣術の基礎が生まれた
鎌倉時代末期~
戦国時代までの期間というのは、現代の日本からすれば
犯罪者の楽園といっても過言ではないほど
治安が悪く、口喧嘩が刃物を使っての殺し合いに発展することは珍しくない時代であった。
特に室町時代からは庶民でも帯刀する人が増えたので、
護身術や治安維持として剣術が発達したとされている。
例えば剣術が活躍した例としては、
応仁の乱で活躍した武将、細川勝元は幼少期に友人と喧嘩になり、刃傷沙汰になりかけた際、剣術を修練していたためにこれを切り抜ける事に成功している。
また別の場面では成人後は今度は愛人♂との痴情のもつれによる襲撃を受けているが、これも同様に切り抜けている。
いずれにしても合戦のさなかで起きた出来事ではなく、日常生活上のものである。
戦乱のない平和な時代のイメージが強い江戸時代でも、戦国時代よりはマシとはいえ、警察不足により治安が悪かったのは否めず、剣術を始めとする武道・武術が幕府から奨励されたのも、犯罪者から身を守る力を養ったり、警察不足を補うために庶民にも治安維持を担ってもらったりするためだったという裏話もある。
この辺の事情はかなり複雑であり、時代劇を始めとするフィクションでは(アカデミズムのようなごく限られた場を除いて)まず合戦や政治以外の日常生活方面の要素があまり注目されてこなかったことも大きいが、時代劇ではたまにある「強大な暴君側と無力で虐げられる民衆側」という、定番のわかりやすい構図がやりにくいこともあり、フィクションでは基本的には描かれない。
シンボルとして
日本刀は「刀は武士の魂」と称され、日本刀はサムライのシンボルであるというイメージが浸透しているが、このような標語が普及したのは、実は(制度上の)武士がいなくなった明治時代以降である。
一応、江戸時代にはその前身となる「刀は武士のシンボル」的な『意識』はあったが、刀そのものは武士の象徴というわけではなく、長めの刀と短めの刀を各一振りずつ携帯する、大小二本差という行為をしている事が重要だった。
さらに戦国時代まではというと、
弓矢こそが武士のシンボルだった。これは武士の始祖達が、
馬を乗りこなしながら、弓矢で戦う専門兵だったからである。
実際には時代が下るにつれて武士が合戦で使う、主な
表武器は室町時代には
薙刀や長大化した日本刀へ移り、戦国時代には
槍へと変わっていったが、優れた武士のことを「弓取り」と呼んでいたのはこの名残である。
もっとも平安時代の末期には既に、刀剣類の携帯は男児の嗜み的な思想があったようだ。
室町時代からは「一般庶民であっても打刀か短刀を身に付けることが一人前の大人の証」という文化が浸透していったが、身分統制が進んでいるイメージの強い江戸時代でも似たような風習が幕末まで残っていたりする。
◇百人斬りと耐久性
たまに漫画で百人斬り等と言われるが、日本刀の強度には限度があり、3人~4人斬ると刃に血と脂が付き斬れ味がかなり落ちるとされている。
そもそも論として、平時の私闘にしろ合戦時の乱戦にしろ、刀や槍で敵を立て続けに数人切り殺したり刺殺するだけでも自身に圧倒的な強さがないと逆に戦闘不能になるリスクがあり、捕虜の虐殺でもない限り実行は困難であるという指摘もある。
サムライが二、三振り刀を持つのはカッコ付けや威張る為ではない。
いざ戦いとなった時のストック(銃の予備
マガジンみたいな感覚)のようなものである(ただし、どの程度一般化されていたのかは不明)。
中には床に大量の刀を床に刺してとっ換えひっ換えしながら戦ったなんていう、江戸の暴れん坊もびっくりな
室町将軍もいるとか、いないとか。
だが刀の耐久性には異論もある。
上記の説が始めて登場したのは山本七平氏の「私の中の日本軍」であるが、その内容もおおざっぱにいえば「日本刀で斬れるのはせいぜい3人まで」程度の記述。
その根拠も氏自身の体験によるものとしているが、血や脂の付着によるものとも、刃毀れによるものとも、一言も記していない。
またその体験というのも、戦死した「戦友の遺体を軍刀で切り取った際に、最初はうまくいかず、二度目チャレンジでどうにか切り取ることができたものの、柄に不具合を感じた」といった感じの体験談しか出てこず、あとは軍刀に対する不評が伝聞情報として記してある程度である。
江戸時代の死体を用いた試し斬りでは10体弱は背骨ごと叩き斬れていたり、そもそも
包丁ですら簡単に脂巻きで切れ味が落ちることは無いので、数人斬ったら駄目になる、ということも無い。
(もっとも、刃先は繊細なので、扱い次第では刃毀れするが)
また、日頃から錆落としや油分の拭き取り等の手入れをしなければならない。
それを怠ると上記のようにあっさり駄目になる。これは洋の東西を問わず、中世の刃物全般にいえることである。
自動で刃こぼれなどを修復してくれたり、いくら人を斬っても殺傷力を保つ刀…というのは、我々の常識では説明しようのない不思議な力が当然のように跋扈しているフィクションだからこそである。
なお合戦で使用された刀の中には、峯などに相手の刀などによる切り込み傷のあるものが多い。
たとえば無銘正宗(名物石田正宗)には大きな切り込み傷が多数存在し、実戦で使用されたことを窺わせている。
また桜田門外の変で奮戦した彦根藩士永田太郎兵衛の刀は斬りこみ傷が多数あり、同じく彦根藩士の河西忠左衛門の刃こぼれした刀も現存している。
◇各種技法について
打ち合い・斬り結び(鍔迫り合い)
漫画やアニメでよく見かける「打ち合い・斬り結び」は、実際にすると刀身は驚くほどにすぐボロボロになり使い物にならなくなるとされる・
そもそも鍔迫り合いは名前通り鍔同士を当てることであって、アニメ等のように刀身同士で意図的に狙ってやるような物ではない。
なおその刀身を打ち合わせる事全般を「鍔迫り合い」と称したりするケースも多いが、実際はこれは誤用。
鍔迫り合いはあくまで言葉通り「鍔同士がぶつかり合って迫り合う」状態まで至った(つまり打ち合いや斬り結びを経て生じるのが「鍔迫り合い」)物をのみを指し、それ以前の刀身のみがぶつかっている状態は正確には「打ち合い・斬り結び」である。
しかしながら、斬り結びは偶発的に起きることは有りうる話で、幕末の剣豪であった
斎藤一も
「実戦では相手の攻撃を受け流したり、躱したりするのは中々難しい。」としている。
慣用句の「火花を散らす」という言葉も、互いに刀の刃を激しく打ち合わせて火花を散らして戦っていた様子が語源となっている。
しばしば「相手の攻撃は刀身の鎬で受け流す」または「弾くように捌く」のが防御手段として主流であるかのような言説も見られるが、実際にはここら辺は剣術の流派により対処法が大きく違うため、「刃で受ける」か「鎬で受ける・受け流す」かはバラバラであり、一概にこれが正しい使い方と断言することはできない。
とはいえ日本剣術全体で見ると単純な受けを忌避する傾向が強く、刃と刃が触れあったら股間を蹴り上げたり、相手の体勢を崩したりすることが推奨されている流派もあれば、二天一流のように相手を突くような姿勢で刃を受けるというものもある。
ぶっちゃけ「相手の刃を自分の刀で受けることはタブー」というのは極論であり、厳密には「相手の刃を自分の刃で受けないのが理想」だが実戦では困難であると共に、刀はあくまでも使用者の命を守る為のモノ。
使用者が破損を気にして命を落とすのは本末転倒であるため、「相手の刃を受ける必要がある時はカウンターや牽制、体勢崩しを同時に行う」「カウンターや体制崩しをより効率良く行うため受け流しを行えば尚良い」というのが正確である。
しかし、現在我々が知るこれ等の剣術の技法は、平均的な使い手よりも優位に立つための「知る人ぞ知る裏技」的な面もあったことも否定できず、全ての刀持ちがこのような使用法を守っていたわけではないことに注意しなければならない。
剣術における刀剣の使い方と当時の平均的な刀剣の使い方は=ではないのである。
峰打ち
漫画やアニメ等ではよく相手を気絶・無力化するのに「峰打ち」を使うことがあるが、峰打ちとは本来
鈍器として相手の骨を砕く為の技術、戦術である。
しかし
日本刀の峰部分は脆弱部であり、峰打ちをすると刀身が痛むため、
「峰打ちの存在自体が創作ではないか?」という意見や、
「峰打ちには刀身を痛めないように打つコツがある」という反論もあるが、
剣術の流派は何通りもあるため、(日本刀の技法に関しての)統一見解はないということに留意するべきである。
要は峰打ちというのは
鋼鉄の棒でぶん殴っているのと同義なのだ。
現実の人体がそんなもので殴られたら気絶だけですむ筈がない。骨折ならまだ良い方、加減を誤れば内臓破裂で死に至る可能性もある。
「安心しろ。峰打ちだ」が常套句だが
実際は何の安心も出来ない訳だ。
全力の峰打ちを脇に食らって気絶してもものの数時間で平然と立ち上がり「イテテ、あの野郎、派手にやりやがって…」で済むのは、やはり人体構造が常軌を逸した、不思議な現象豊かなフィクションの超人だからなのである。
介者剣術/介者剣法
甲冑を着ている者同士の戦いで使用される剣術であり、普段着で行われる素肌剣術と分別されることが多い。
江戸時代より前の時代の剣術は介者剣術が主流であった
……といわれているが、実際には柳生心眼流など一部の流派が伝承で伝えているのみであり、本当に主流であったかは微妙である。
とまぁ、各種技法関係の実用性、実在性の是非はきりがないので、ここら辺でやめておこう。
◇基本動作関連
突く
日本刀に限らず、刀剣類の突きは相手を絶命させやすいが、斬撃は絶命させにくく、厚手の衣服でも効果が落ちやすい。
反面、突きは斬撃よりも衝撃力が少なく致命傷を追わせても、相手の攻撃動作を止めることができず、相討ちで落命する可能性が高かった。
突きのもうひとつの弱点として、頭に血が上ったり、恐怖心などで平常心を失うと、無意識に『斬る』『叩く』動作を行ってしまう問題があり、これは突きが人間の本能に反した動きだからといわれる。
切(斬)る、打つ
棒などで強めに叩く動作を表す「打つ」という表現と(刃物で)切るという表現は、少なくとも刀剣類を使う上で明確に区別していなかったようである(太刀「打ち」、「打」刀、「打」太刀など)。
全体的にはどうも「打つ」は主観的または技法的なもので剣術の伝書や軍記物語によく見られ、「切る」は客観的な表現であり、こちらは軍記物以外の記録や戦の手柄を記録した感状に多いらしい。
◇持った感じの重さ
現実の刀剣は結局のところ鋼鉄の塊なので、世の少年少女が思っているよりかは大抵重たい(それでも両手持ち用の刀剣としては軽い部類にあたる)。
刀の扱いに慣れれば一振り位なら普通に出来るが(そのまま斬り倒せるかはまた別の話)、セーラー服が似合う手足に筋肉の欠片も見受けられない美少女が縦横無尽に駆け回りながらその細腕で刀を踊るように振り回す・すれ違いざまに複数の斬撃を同時に叩き込む…なんて芸当は、女性どころか剣術を熟知した
ガチムチ体型なビルダーであってもまず無理。
仮に出来るとしても、無駄な体力消耗や身体への無駄な負荷に繋がるので振りまくることはまずない。やはり色々な物理法則などが都合のいい時だけ丁度いい塩梅で差っ引かれたフィクションの超人だからこそ(ry
実際問題振った後いかに早く態勢を整えられるか、いかに相手の反撃を回避するかなどは重要なので、結局刀に振り回されないだけの体幹や腕力は必要となる。
ちなみに重たいといっても現代における日本刀の代表例とされる打刀の場合、重量は700~1400g前後と、アマチュア用の金属バットは規定で900g以上と定められているので、大体それよりちょっと重たい程度。
これだけ聞くと軽そうに思えるかもしれないが、実際は重心の違いや持ちやすさの違いがあるので、実際に振ろうとすると金属バットやそこらの軽いダンベル(5kgとか)よりも明確に重たいと感じやすい。
全体としてはそこまで重くはないのである程度成長した男女ならば、単純に持ち上げるだけならばそう困らないだろう(危険物なので注意は必要だが)。
余談だがYouTubeには横からの一撃や上段から振り下ろす一撃ではあるが、女性が片手持ちで巻藁を切断している動画が存在する。
◇形状の変化とか
よく西洋剣が叩き切るのに対して日本刀は切断する、と言われることもある。
……が、実際は西洋剣にも切れ味のいいものが多く存在するし、日本刀も時期によってかなりの違いがあるので何とも言えない。
俗に、甲冑合戦が主流の平安~鎌倉初期には打撃力と丈夫さを重視したつくりになっており、そうした刀が元寇で蒙古兵の強靭な革鎧に苦戦し、
正宗や
薙刀が辛うじて斬れたことから
蒙古軍の三度目の襲来を懸念し、鎌倉時代末期には切れ味を重視したつくりになるも、その後は元の打撃力や丈夫さを重視したものに戻っている。
……といわれているが伝承の類いであり、確かな根拠があるわけでも検証したわけでもない。
また、鎌倉~室町時代と戦国時代とでは戦模様も大きく異なっていて、この時は太刀が主流とされていて今の日本刀よりも大きくて重たかったとされる一方で、持った感じが後世の短めの刀よりも軽いという意見もある。
しかし、規格化されたものでもない故、各個体毎のバラツキが大きいので、これまた一概にこうだったとは言えなかったりする。
一応伝承の類いではない学術的な方面では、室町時代半ば辺りからは文化が変わり、より小型で反りの浅い今の日本刀の形である打刀が増えていったが、太刀を使う武将も普通に居たとされている。この頃から武将が太刀(名刀)を打刀に打ち直したというケースも割と見られる。
また、戦国時代からは刀が大量生産されるようになり、技術の進歩が大きかった一方で品質の低下も見られる……とされているが、これば美術品としての話であり、実用品としては江戸時代のモノよりは良かったのではないかという意見もある。
江戸時代には刀の長さにも規制が入り、その他諸々の都合から、打刀は残っているが太刀に関しては表舞台からほとんど消え去っている。
因みに漫画『るろうに剣心』の
相楽左之助が使ってた斬馬刀は日本刀ではない(そもそもアレは形が斬馬刀ですらないのだが……)。
斬馬刀とは古代中国で発明された、長い柄の先についた長い刃で足を切る為の物である。「再筆」では日本刀型になっているが、これも厳密には別種の武器である。
なのだが、るろうに剣心以前の漫画で斬馬刀といえばその形式であったというややこしい経緯がある。