富士塚は前方後円墳に近い形状で、古墳ともいわれている。
江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人(えどはっぴゃくやこう、こうちゅうはちまんにん)」といわれるほど流行した富士講のなかでも、最も古い組織の一つがあり町火消の間で深く信仰された。
火消頭の組長などから奉納された町火消のシンボルマークを彫った石碑が数多く飾られている。
周辺にあった鷹匠屋敷、名産の駒込茄子とあわせて、初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」がそろうことから、「駒込は一富士二鷹三茄子」と川柳に詠まれた。
縁日の山開き(現在6月30日~7月2日)では土産の茄子が人気だったが、現在では周辺の宅地化により茄子の生産は全くなく、土産の茄子も売られていない。
鷹匠屋敷跡は現在、駒込病院が建っている。
2006年(平成18年)に文京区指定民族
有形文化財に指定された掛軸5幅、祭具類1式などの資料の多くは文京ふるさと歴史館にある。