長栄山 大国院 本門寺(池上本門寺)
ちょうえいざん だいこくいん ほんもんじ(いけがみほんもんじ)
日蓮入滅の霊場。
日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつ、七大本山のひとつ。
- 1282年(弘安5年)9月18日:病身の日蓮が湯治のために、身延山から常陸(茨城県)へ向かう途中、池上宗仲の館に到着。池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名。
- 同年10月13日:日蓮死去。池上宗仲が法華経の文字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進。日蓮の弟子・日朗が本門寺を継承。
- 鎌倉・室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、近世に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり栄えた。
- 第二次世界大戦の空襲によって五重塔、総門、経蔵、宝塔を除く堂宇を焼失したが、戦後順次復興した。
伽藍
総門
元禄年間(17世紀末〜18世紀初め)の建立と伝わる。
此経難持坂
表参道96段の石段坂。
慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられている。
妙法蓮華経(法華経)宝塔品の偈文の96文字にちなんで石段を96段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名としている。
仁王門
大堂正面に建つ二重門。
旧国宝の山門は、1945年(昭和20年)空襲で焼失。仁王門として1977年(昭和52年)に再建された。
日朝堂
ここに祀られる日朝は身延山11世で、61歳の時に失明したが後に視力を回復したことから、眼病平癒、学業成就の利益があるとされている。
鐘楼
1958年(昭和33年)の再建。
旧梵鐘は、1647年(正保4年)加藤清正の娘で、徳川頼宣の室となった瑤林院が寄進したもの。空襲で破損したため、現在は再建された鐘楼の脇に保存されている。
大堂
祖師(日蓮)を祀ることから「祖師堂」ともいう。
1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により再建された3代目の大堂は、1945年(昭和20年)4月の空襲により焼失。
1948年(昭和23年)仮祖師堂と宗祖奉安塔を建設。
1964年(昭和39年)再建。
- 設計:根崎建築設計事務所
- 構造:鉄筋コンクリート造
- 高さ:27メートル
- 建立:1608年(慶長13年)
- 高さ:31.8メートル
江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により建立。後に現在の位置へ移築。
全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、屋根は初層と二重は本瓦葺き、三重以上は銅板葺きとする(当初はすべて本瓦葺き)。
建築様式は初層は和様、二重から上は禅宗様になる。
初層の各面は中央を桟唐戸、両脇間には格狭間(ごうざま)形の装飾を入れ、蟇股(かえるまた)には十二支の彫刻を入れる。
多宝塔
重要文化財
日蓮の荼毘所と伝えられる場所に建つ。
1828年(文政11年)日蓮の550遠忌を記念し、犬山城主・成瀬氏らを本願主として再建された。
円筒形の塔身に宝形屋根を載せた宝塔形式の塔。
関連項目
最終更新:2025年02月17日 21:35