遼子がゆっくりと緋山を見上げた。
「わたし…?違うわ。あなたが欲しいのはお姉さんでしょ」
緋山の眼の端が不愉快そうに一度だけ痙攣した。
「知っていたんだ」
「あなたが好きなのはお姉さんだけ。わたしはその代わり」
手がスカートの中に入れられた。緋山の指先が遼子の太ももの感触を確かめるようにゆっくりと上へと辿る。
「やめ…やめてください!」
遼子が緋山の手を払いのけると、ドアへ向けて駈け出した。
その遼子の腕を緋山が掴む。
「お兄さんに会えなくなるぞ」
「こんな方法で情報を得てお兄ちゃんのところに辿りついたとしたら、わたし、きっとお兄ちゃんの顔を
まっすぐに見れない。そんな私がお兄ちゃんに自首しろなんて言えない」
「きれいごと言うなよ。君がお兄さんに会いたいのは何のためだ?ずっと育ててくれたその胸に甘えたい
からじゃないのか。それとも両親を殺された恨みを晴らすためか。自首なんて嘘はやめて本当のこと言えよ」
「違う!そんなのじゃない!わたしは罪を…償ってほしいの。それだけよ」
「きれいごとだけじゃ、兄さんのいる世界には辿りつけないぞ」
歩きかけた遼子の足が止まった。
「どうして女ってのはこうも面倒なんだ。素直になったらどうだ。なりふり構わず欲しいんだろ。
兄さんの情報が。違うな――兄さんが欲しいんだ。君も僕と一緒だ」
「違う…違う!」
「嘘はよせって。僕は君より正直だよ。自分の中の気持ちを自覚している。僕は姉さんが憎くて憎くて
たまらないんだ。君だって兄さんが憎いだろ?あれだけ君に迷惑をかけたんだ。だけど君はその兄さんの
温もりが忘れられないんだ。だから部屋に入ったらどうなるかわかっていてもここに来た。他の
男に抱かれてでも欲しいんだろ。兄さんのことが。すごいよ、僕にはそこまでの想いは無い」
「違う…」
反駁する遼子の言葉は弱かった。
男として兄を見たことなどなかった。だけど――。
別れる直前に全てを明かしたホテルの部屋で、兄が放つ空気と熱はそれまでの兄とはまるで違っていた。
そこに恐怖を覚えつつも、心の奥底で遼子は兄が見せた翳りに惹かれていた。
兄が警察に連行されていく時、思わず駆け寄り兄の背中に身を預けたあの一瞬、遼子の躰の芯の熱が上がったのを
憶えている。
そのことを言い当てられたような気がして、遼子の眼の前が暗くなる。
「その口調だと違うようには思えないけどね」
緋山が冷ややかに笑った。
「あの女は好きでもない男と結婚する羽目になって、結婚前、部屋でよく泣いていたよ。そのくせ、今は夜
になるとその男に散々啼かされてるんだ。楽しげにね。家じゅうに響くほどの声だ。うんざりだよ。
そんな姉にも、その姉が欲しくてたまらない僕自身も。だけど姉に似た君を抱けたら…少しは気が晴れるかもしれない」
緋山が腕を引くと、力の抜けた遼子を抱き寄せた。
「やめて!わたしは自力でお兄ちゃんに辿りついてみせる。だから離して!」
緋山の腕の中で正気に返った遼子が抗う。
「そう。じゃあ好きにすればいい。僕も好きにするから」
腕の中の遼子に唇を押し付ける。ナメクジのような舌の感触に遼子が嫌悪感も露わに唇を離した。
「やめて!誰か…」
遼子が身をよじり、そこから逃れようとしたとき、緋山が遼子の頬を撲った。
「な…」
「素直になれって」
「嫌…」
今度は反対側を撲つ。
「好きなんだろ。こうされるのが」
「誰の事を…きゃっ」
遼子をベッドに押し倒すと馬乗りになりまた遼子の頬を撲つ。
塗りつぶされたような黒目の奥で見ているのは遼子ではないようだった。
「好きですって言わないのかよ。いつも男にこうされて啼いてるだろ」
「違う…わたしじゃ…」
「もっとって言えよ。あなたもっと、って。いつも言っているみたいにさ。夜通しよがりながら言ってるだろ」
緋山は止まらなかった。痛みに遼子が悲鳴を上げると、楽しげに笑いながら遼子撲ち続けた。
「いや…やめて」
遼子叫び声を上げようと開けた口を緋山が唇で塞ぐ。
その細い躰のどこにそんな力があるのか、緋山が遼子のシャツの襟元を引くと、ボタンが音を立てて飛び散った。
シャンパン色のブラが露わになる。それを乱暴に引き下ろすと、遼子の柔らかな乳房を形が変わるほど強く揉む。
恐怖と痛みから遼子の視界が涙で滲んだ。
「鷹藤くん…お兄ちゃん…助けて…」
遼子が弱弱しく呻いたときだった。
けたたましいベルの音が鳴り響いた。
緋山が手を止める。
「火事…?」
その隙を見逃さず遼子が緋山を押しのけると、一目散にドアに駈け出した。
「待て!」
その声を無視して廊下に躍り出る。廊下でも非常ベルが鳴り響いていた。
それぞれの部屋からも客が各々顔をだして、訝しげに見あっている。
「こっちだ」
誰かが遼子の手を取った。
「いや…」
「俺だって。逃げるぞ」
聞き覚えのある声。顔を上げると、鷹藤が遼子を見ていた。
遼子の胸元を合わせてから、自分のジャケットを遼子にかけた。
「鷹藤くん…」
「君の荷物だ。返すよ」
背後からかけられた声に二人が振り向くと、緋山が遼子の鞄を手に廊下に立っていた。
悪鬼のようだった表情から一転、爽やかな貴公子然として緋山が微笑んでいた。
「ただで済むと思うなよ。なんてことしたんだよ」
鷹藤が緋山を睨みながら鞄を受け取った。
鞄を手渡す時に見た緋山の瞳の奥にある冷たさに、遼子は本性を見る思いだった。
鷹藤と歩きだした遼子の背に、緋山の冷ややかな声が投げかけられた。
「君の方から僕を誘ったんだ。三流週刊誌のたわごとなんて誰も信じない。女性記者が取材対象を誘惑なんて
よくある話だからね」
「…なんだと?これみりゃわかるだろ?襲ったのは手前だろうが!」
鷹藤がいきり立って、拳を固め向っていくのを遼子が手を引いて止めた。
その様子を緋山が楽しげに見ていた。
「ここで殴ったらこの人の思うつぼよ。…いつかきっと記事にするから。それより、よくこの階にいるって
わかったね。美鈴さんから教えてもらったの?」
緋山を無視して二人はまた歩きだした。
「いや…美鈴さんじゃない。やっぱりあんたと一緒に帰ろうと思ってさ、この辺うろついてたんだ。
そしたら見たことのないアドレスからメールが来た。あんたが危険だからすぐにこの階に行けって」
「それって一体…」
「メールにはこんなことも書いてあった。そんな男は知らない、罠だって」
二人は顔を見合わせた。
「このメールの送り主って…」
最終更新:2011年02月10日 19:26