「最近は生意気な子が多いでしょ。お仕置きの意味も込めて時々ここに連れ込んで遊んでたんだ。
筋弛緩剤は使い方が難しいけどさ、意識があるまま人形にできて愉しいんだよ」
反論しようにも、遼子の舌は動かない。かすかに開いたままの唇から、涎が垂れた。
その涎を川添がハンカチで拭いた。
ポケットから眼薬を出すと、遼子の目に差した。
「まばたきもできないからね。薬が切れるまではお世話しないといけないんだ」
部屋の壁に掛けられている刃物は包丁ではなく、拷問するための道具…。
川添の勤務する病院のある町で、女子高生や女子大生が行方不明になっている事件が
連続していたことを思い出した。
そしてそのうちのひとりの、腐乱した腕と足だけが海に浮いていたのを発見されたことも。
指が全て切断され、拷問とおぼしき傷が多数残されていたことがセンセーショナルに報じられた。
まさか…。
遼子の顎に指をやり、川添が上を向かせると、遼子の顔をまじまじと見つめた。
「もう若くはないけど、きれいな顔だ。愉しめそうだな」
端正な顔を歪めて川添が笑った。
吐き気がするほど下衆な微笑みだった。
立ち上がり壁にかけられていたナイフを手にすると、川添は遼子の前にしゃがみ、遼子のシャツの襟元に差し込む。
「こっちはどうかな」
川添はボタンがひとつひとつ弾け飛ぶ音を愉しむように、手慣れた動作でゆっくりと刃を滑らせた。
「年の割にきれいな色だね」
ブラを切り裂き、その下の乳房を見て川添が口元を歪めた。
乳房の蕾を指ではじき、親指をいたぶる様に押し付けしばらく遼子の体を嬲っていた。
恐怖より怒りで沸騰しそうだが、遼子は瞼すら動かせずただ川添が自分の体を弄ぶのを見ている
しかなかった。
「それよりも先にやることがあるか…」
名残惜しそうにそう言って川添が立ちあがった。
壁にかけられていた魚屋がするような白い防水エプロンをすると、川添が部屋を後にした。
意識のない鷹藤を引き摺りながら戻ってくると、鷹藤を遼子の目の前に置いた。
「まず、邪魔なこの男から始末しよう。君の眼の前でね。助けたい?助けたいよね。動けるか頑張ってみて。
僕がこの男の頭を潰す前に」
川添が目を輝かせながら遼子を見た。
手には小さな斧。それは顔が映るほどきれいに磨きあげられている。
遼子は叫ぼうとするが、体が言うことを聞かない。
目を背けることすら許されていなかった。
閉じられない瞼と、動かない体で遼子は鷹藤が殺されようとする現場を凝視するしかない。
ただただ脳髄の中で狂ったように叫ぶことしかできなかった。
自分の死より、鷹藤が死ぬことへの恐怖が遼子へ押し寄せる。
―――助けて…お兄ちゃん、お願い助けて!
喉の奥で、声にならない声で、思わず遼子はこの世にいないはずの兄へと叫んでいた。
「一発で殺せるかどうか見ててよ」
引き攣る様な笑みを浮かべながら、川添が手斧を持ち上げた。
「それくらいにしてもらおうか。癪に障る男だが、そいつが死んだら妹が悲しむんでな」
「誰だ!」
川添がそれまではなかった怯えを声に含ませながら叫んだ。
遼子は声の方向へ頭を動かすことができず、ただ床の上で眠る鷹藤を見つめているだけだった。
だが、遼子はその声に聞き覚えがあった。
怒気を含んだ声だが、遼子の耳には胸がしめつけられるほど懐かしく、哀しいくらいに優しく響いた。
次の瞬間、耳を弄する数度の轟音とともに川添の体が吹き飛び、壁に激突した。
床にうつぶせに倒れうめき声を上げる川添の肩のあたりで血の花が滲むように拡がっていく。
銃を撃った男の足元だけ遼子の視野に入った。
川添の服をまさぐっているようだった。
「手錠の鍵は…これか」
男が、コートを脱ぎながら遼子の傍へ来た。遼子のはだけた胸が男のコートで覆われる。
コートにはまだ男の温もりと、匂いが残っていた。
その温もりと匂いの懐かしさに、遼子はそれまでの恐怖を忘れていた。
それから男の手が、優しく遼子の掌を包みながら手錠を外していく。
戒めを解かれても力が抜けたままでいる遼子が前のめりに倒れようとした時、男がそっと抱きとめた。
男が遼子の顔を覗き込む。
ほっとしたような顔で、兄が遼子を見ていた。
「間一髪だったな。まったく、どうしてお前の取材はいつもこんなことになっちまうんだ」
洸至が遼子を抱きあげスチールワゴンの上にそっと下ろした。
それから川添の元へ行くと遼子が縛り付けられていたところまで川添を引き摺り、右手に手錠にかける。
洸至が開いたままの遼子の目を閉ざした。
「お前医者だろ。頑張って手当するんだな。早くしないと、冬眠開けのクマのエサになるか、出血多量で死ぬかだ。
生き残って逮捕されても死刑だがな。好きな方選べよ」
うめく川添に洸至はそう言い残すと、遼子を抱きあげた。
額に兄の頬の感触。
まるで遼子の感触を懐かしむように兄が頬を合わせていた。
抱きあげた腕に力を込め、遼子の体が密着するようにすると洸至が歩き始めた。
うねうねと下り坂の山道を洸至が運転する車がひた走る。
新緑の季節まではまだ遠く、木々の緑もまだ薄い。
垂れこめるような雲が、雨の降りだすのがまもなくだと告げていた。
「鷹藤君はまだ目が覚めなさそうだな」
バックミラーで後部座席の鷹藤を見ながら洸至が言った。
鷹藤はまだ薬のせいで眠りこけていた。
「お前もまだ、口がきけないか。筋弛緩剤と他に何か混ぜてるな…早い所病院に行こう」
助手席の遼子も押し黙ったまま静かに座っている。
聞きたいことは山ほどあるのに、伝えたいことも山ほどあるのに、体が動かない今の状況に
遼子は沈黙しながら焦れていた。
「お前たち、俺がいなくなったあとも同じ調子で取材するから、こんな目に遭うんだ」
呆れたように洸至が言った。
「今まで俺に何度助けられたと思ってる?それなのに危険な取材ばっかりするからだぞ。
俺がいなくなった後、自重すると思ったら、前以上に突撃取材だ。しかもそれが核心をつくもんだから、命を狙われる」
遼子は耳を疑った。
兄がいなくなったあとも取材はしていたが、命を狙われたことなど今までなかったはずだ。
最終更新:2010年11月08日 22:12