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「さて、と」

洸至が鷹藤の方へ歩き出した。
そして、自然な動作で、革靴の爪先を鷹藤の鳩尾に叩きこむ。
フリスクで満たされた胃から、熱いものがせりあがる。
鷹藤の神経が、胃に集中した刹那、また目がハレーションを起こした。
目の前が白く飛ぶ中、鼻に強い衝撃を感じる。

それから先は、痛覚がパニックを起こしているのか、それとも正しい信号を送っているのか、腹に、胸に、顔に、頭に、
その全てに痛みを感じていた。
痛みに意識が遠のきかけると、また鳩尾に蹴りが飛んだ。
「…藤君。鷹藤君」
耳元で洸至が囁いた。

「で、どうするって?もう一度、教えてくれないか」
「ぁが、はっ。あ、あ…んたに、わ、た、さ…だ」
「根性があるな。さすがは梨野の弟だよ」

目を開けて洸至を睨みつけようとしたが、瞼が開かない。
いや、瞼は開いているのだが、腫れあがって充分な視界を提供できない状態になっていた。
鼻のあたりは血にまみれ、歯も何本かぐらついている感覚がおぼろげながらあった。
その口に洸至がガムテープを貼る。

「今、君の元から遼子を連れ去るよりいいことを思いついたよ。 
 遼子も君もお互い思いあってるようだ。 
 なあ、こういうのは障害があると盛り上がるって言うが本当かな。 
 どう思う?遼子。例えば、思いを寄せる男の前で、他の男に抱かれるってのは。
 しかも、そいつがその男にとって、家族の仇だとしたら」

ドアの方へ走り出した足音がしたが、次の瞬間、その足が止まり、
くぐもった小さな悲鳴があがった。
そのあと、ベッドに深く沈みこむような音がした。

「そんな顔するなよ、遼子。お前が鷹藤を思うように、俺がお前を思っていたら
おかしいか?…おかしいよな。お前の兄貴なのに」
押し殺した声の中に、洸至がいままで隠していた心情が透ける。

「どうしてお前なんだろうな」

遼子が怯えたように息を呑んだのが解った。
椅子に括りつけられ、床に倒れたままの鷹藤が目を開けても、わずかな明るさと、
ベッドから垂れるシーツの一部しかない視界。
その端で、ベッドのシーツが揺れる。
衣ずれ。
荒い息。
ボタンが飛び、何かが弾ける音がした。
遼子を助けなければ。
気は急くが、体は椅子に縛り付けられたままで、蛇のように身をくねらせることしかできない。

「息が荒いな。鷹藤。悪いが、君が使いたかったこれ、使わせてもらうよ」

洸至が何を出したかは見えなかったが、それを振った時の音で何かわかった。
「ぐぐぐぐぐぁぁぁ」
椅子に縛り付けられたまま、鷹藤は狂ったように暴れた。
その腹にまた洸至の足が叩きこまれ、痛みに硬直する。

「兄妹こそ、これを使わないとな」
ガムテープの向こうで、声にならない叫びを遼子があげた。



「やめてもいいんだぞ、遼子。だけど、やめたらお前の相棒の命をもらう」
冷気を帯びた低い平板な声だった。
遼子の声と動きが止まる。

「鷹藤を守るんだろ。遼子。身を呈して誰かを守るってのは、崇高な行為だよ。
 だから、鷹藤の前でこれからすることは、恥ずかしいことじゃない。そうだろ」
子供を諭すように優しくも断固とした口調。
しかし鷹藤には、何故かその声が哀しげに聞こえていた。

叫ぼうにも、鷹藤の口にもガムテープが貼られて、うめくことしかできなかった。
自らの血で満たされた鼻はもう匂いを感じない。
それで、ぶつかり合う汗と海の香りにも似た女の匂いをかがなくても済んだ。
目は閉じれば良かった。
揺れるシーツなど見なければいい。
ただ、耳は塞げなかった。
ベッドが軋む音。
激しく動き、抵抗する女のくぐもった声。
ベッドに押しつけられる音。
吐息。
荒い息。

遼子の口を塞いだテープの向こうから、鷹藤の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

軋む音。
小さな悲鳴。
吸いつくような音。
唇と舌が出す湿った音が響く。
まるで、誇る様に、あえて卑猥な音をたてているようだった。
その音に呼応するように、何かをこらえているような荒い吐息が、遼子から聞こえはじめた。

開かない目に、痛みのためではない涙がにじむ。
にじんだ涙が、ザラつく目の周りの傷に染みた。
歯と歯を合わせるたびに、激しい痛みが襲う。
それなのに、鷹藤はぐらつく歯と歯を折れる程に噛みしめた。
死ぬほど聞きたくない音を、聞かされ続け、どこかに逃げ去りたいとも思う。
誰かに耳をふさいでもらえば、悲鳴を上げる心を黙らせることができる。
だが、耳をふさぎ、心の奥に逃げる訳にはいかない。

それが遼子のためになるのかわからなかったが、そうしなければ、自分を支えられなかった。
恐怖を、痛みを塗る込める程の怒りで、なんとか意識を保っていた。
ライティングデスクの制服の下のナイフ。
それを手にできれば。可能性は低いにしろ、反撃のチャンスはある。

どうにかして抜けだし、なんとしてでも遼子を助ける。
そのために腕をくねらせ、椅子の背から腕を抜こうと必死に動き続けていた。

その時。

鷹藤の動きが止まった。
ベッドの上から聞こえる音が変わったのだ。
中から溢れ出るもののためか、水音が激しくなっている。

「んっ…」
遼子が思わず出した声に、甘い響きが含まれていた。


水音。

おぼれそうな程の水音。
どんどん溢れ、魚が跳ねるような音が、大きくなっていく。
遼子の喉の奥から、堪え切れぬようなせつなさと切実さを伴った声がこぼれる。

「遼子、どうした」
「んん」
「熱くなってる」
「んん、ふっ」
「こっちの指がとろけそうだ」
「んっ…!」
ベッドの上で遼子が、兄がもたらす執拗な快楽から逃れるようにうごめきまわるが、
やがて、その動きが少なくなり、せつなげに顔をシーツに擦る音と水音、そして
洸至が指の付け根を叩きつけるように激しく出し入れする音が響き渡る。

「んんんっ」
突然その音が止まった。
洸至が勢いよく指を引き抜いたのだ。
快楽を中断されて、一瞬の空白が遼子に生まれた。

「そんな顔して俺を見るなんて。兄貴とこんなことして嫌じゃないのか?」

遼子の喉の奥から悲鳴めいた抗議の声が上がったようだが、それは核心をつかれた慄きの
声にも聞こえた。
「…もういいみたいだな。遼子、じゃあ、いくぞ」
鷹藤は必死に暴れ、止めようとするが、拘束されたままでなすすべもない。
最悪の場面が繰り広げられようとしていた。
ベッドの上で姿勢を変える音、その動きに応じてベッドのマットが軋む音がした。

肉を叩きつけるような湿り気と重量感ある音から、それが為されたことを察知し、
鷹藤の眼の前が暗くなる。

洸至がうめく。
鷹藤のような苦痛ではなく、快楽からのうめき。

「すごいな、遼子。嫌がっているはずなのに、どうして、お前の中はこんなに…」
「んんんっ」
テープで塞がれて否定の声を出せない代わりに、遼子も大きなうめき声をあげた。
肉と肉のぶつかる音が、緩慢なリズムから少し速いものへ上がるにつれ、
そのうち、うめき声がすがるような切れ切れの声へと変わる。

跳ねるような水音を伴って、リズムを撃つ肉の音。
それは、はしたなく部屋中に響き渡った。
凌辱の音も耐え難かったが、その苦い行為のさなかに、
愛する女が快楽におぼれつつある声を聞くことはもっと耐え難かった。
ガムテープを剥がす音が聞こえた。

最終更新:2010年11月10日 19:53