(※mono....当面はマールブルグ病パンデミックを参照してください。)
マールブルグ病パンデミック

● マールブルグ病とは 「国立感染症研究所」より
 1967年8月西ドイツ(当時)のマールブルグ(Marburg )とフランクフルト、およびユーゴスラビアのベオグラードでポリオワクチン製造および実験用としてウガンダから輸入されたアフリカミドリザルの解剖を行っ たり、腎や血液に接触した研究職員、および片づけを行った人など合わせて25 名に突如熱性疾患が発生し、7名が死亡した。 患者に接触した医療関係者など6名に二次感染が見られたが、死者はなかった。この疾患は、最初の発生地にちな みマールブルグ病(Marburg disease)と称されるようになったが、ウイルス性出血熱のひとつであり、別名ミドリザル出血熱(Vervet monkey hemorrhagic fever)とも呼ばれる。その後、アフリカのケニア、ジンバブエ、ザイール(現コンゴ民主共和国)などで発生し、いずれも1〜2名で死者も出ているが、 エボラ出血熱のように一度に多数の感染者・死者を出した例はない。
















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最終更新:2023年02月17日 20:36