+ブログサーチ
正常にRSSを取得できませんでした。
+ニュースサーチ




自由
■ フロム「自由からの逃走」<要約(1)> 「八嶋聡ブログ(2011年 04月 13日)」より
/
フロム「自由からの逃走」を要約しようと思います。

何度も読み返している愛読書の一冊です。
ただすべてを通して読むにはそれなりに時間もかかる大作なので、短い時間で通読でき、また心理学的観点から要点を抽出した、本書の補助として何度でも読み返せる「ダイジェスト版」が欲しいと、私自身もかねがね思っていました。
でもそのようなものにはなかなかめぐり合えず、自分でまとめてみることにしました。

この国難の時期に、本書がもっと多くの人に読まれ、多くの人とフロムの思想を共有できることを、心から願っています。
なぜなら、フロムが主張していることは、これからの私たちの生き方の方向性を示してくれているもの信じるからです。
そして、人間の愛に対する、フロムの信念を信じるからです。

(※mono....中略)
/
これから順次、「自由からの逃走」の要約をアップしていきたいと思います。

まずは、タイトルの大意から……

【自由からの逃走】 (大意)
- 人間は孤立することをもっとも怖れている。

- 人間は、(意識の上では)自らの意思で動いていると信じ、自らの意思で“積極的な自由”を求めているものと信じている。

- だが人間は、自由になればなるほど、心の底では耐えがたい“孤独感”や“無力感”に脅かされることになる。

- そして孤立することの絶望的な恐怖から逃れるため、退行的な逃避のメカニズムが働き、“積極的な自由”を求めることより、自由から逃れることを人間は選択するのである。


日本人と宗教
◆ 海外「日本には真の自由がある」 ブッダとイエスのギャグ作品に外国人が衝撃 「パンドラの憂鬱(2015.11.24)」より
/
今回は、「聖☆おにいさん」への外国人の反応です。

「聖☆おにいさん」は2006年から「モーニング・ツー」で連載中の漫画で、
世紀末を無事に越えたブッダとイエスの2人が東京・立川の安アパートをシェアし、
下界のバカンスを満喫する、という設定で描かれる日常コメディ。

今更説明不要の知名度と人気を誇る作品ではありますが、
何と言っても、作品の主人公はあのブッダであり、あのイエス。
日本人のこの宗教に対する感覚であったり距離感であったりを、
海外の方々はどう感じるのか、というのが今回のテーマなのですが、
英語タイトルで紹介される劇場アニメ用のトレーラーには、好意的な声を中心に、
日本人の宗教観への洞察など、様々な反応が寄せられていました。


かなり遅れましたがリクエストありがとうございましたm(__)m


日本
■ 過去同様の美しき日本の未来を実現することは「必ずできる」ことを野口晴哉さんの言葉で確信する 「In Deep(2015.6.20)」より
(※mono.--前半略、詳細はブログ記事で)
/
かつて、世界で最も人々が自由だった日本という国

最近たまに引用させていただく『逝きし世の面影』という本の中に、江戸末期から明治中期くらいの日本が、外国人から見て、どれだけ自由な国だったかということを示すものがいくつも語られています。

1820年から 1829年まで、出島のオランダ商館に勤務していたフィッセルという人は、著書に以下のように書いているそうです。

........................................
フィッセルの著作より

日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も享受していないと普通想像されている。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。

専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない。

自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。

勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している。

日本では、上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう。
............................................

また、日本や東洋の宗教や美術を研究したエミール・ギメという人は、当時の日本について、

............................................
「なぜ主人があんなに醜く、召使いがこれほど美しいのか」
............................................

と記していたり、他の多くの外国人たちの言葉からも、当時の日本は、身分の高い人たちではなく、

身分が低い人たちや庶民が生き生きとして輝いていた国

であったことがはっきりとわかります。

(※mono.--後略、詳細はブログ記事で)


■ 一瞬にして、今の世の中がどんな世界なのかを知る方法とは 「Darkness(2015.1.9)」より
/
ユーロ圏でイスラム教を風刺する新聞社が襲撃されたテロによって、ユーロ圏では多文化主義者と民族主義者がいよいよ埋められないほどの溝を作り出して、衝突しようとしている。

「多文化主義など、単なる理想論だ」という声が日増しに強くなり、それが人間社会の現実であることが見えてきた。

多文化主義が成り立つのは、自分たちの生活がきちんと守られているという前提が必要だが、グローバル社会はその前提を保証しなかった。

すでに完成されている文化の中に、移民という異質を無理やり押し込めて、「さあ、融和しろ」と投げ出してうまく行くと誰かが思ったのだ。しかし、実際にそうしたらうまくいかなかった。

違う文化・宗教・常識・世界観の民族を「国」というひとつの鍋にぶちこんだわけで、これでは互いにアレルギーを起こしたとしても当然だ。

ユーロ圏は多文化主義によって憎悪がみなぎり、今や社会の底辺で殺し合いが起きてしまいそうなほどひどい状況になってしまっている。


社会には「理想」と「現実」というものがある

社会には「理想」と「現実」というものがある。

人間社会の営みは決して「理想」で動かない。黒いものを白と言って目をつぶる部分もあれば、昔からそうだというだけで非効率なものを続けている部分もある。

何事も白黒と決着を付けないで、曖昧な状態のまま運用して、やっと何とかなっている部分もある。それが「現実」なのだ。

理想主義者になってもいいが、理想主義者は常に現実の前に破滅する。理想は現実社会の前で実現されることはないからだ。天国はない。天国は作れないし、天国は一度も存在したこともない。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)






.