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■ 従北偽装保守『余命三年時事日記』が漫画化、内容が悪意の塊 「アジアン・リポーターズ(2018-05-16)」より
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大変分かりやすい従北偽装右翼本の『ジャパニズム34』で、これまた典型的な従北偽装右翼サイトの余命三年時事日記が漫画化されておりました。

この辺のあくなく歴史洗脳プロセスは大したもんです。

愛国の仮面をかぶっているいるからと言って、無条件に信じるといいように踊らされることになります。

それにしても内容が悪意の塊と言える内容でした。

※過去記事をUpdate

(※mono....中ほど漫画略)
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敗戦とともに、朝鮮人が「俺たちは戦勝国民だ!」と日本人に襲い掛かる⇒資産を強奪される⇒娘が強姦される⇒それがソウルで行われる。

もうね、悪意しか感じない内容です。

こうやってお前たちは被害者だ!と洗脳する手法は北朝鮮と朝鮮総連による在日に対する歴史洗脳プロセスと同じです。

さすがシナリオ書いているのが従北さんなだけありますね。

全部が全部嘘ではないですが、これを言うならソ連支配下の北朝鮮から日本へ逃げ帰ろうとした日本人の境遇が一番この漫画に近いです。

が、なぜかそれが南で起きたことになっている。

ソウルでこれはないです。あってもこんな無法は許されず、取り締まられます。

アメリカが天使とは言いませんが、ソ連の部隊に組み込まれていた、パルチザン上がりの無法者たちに比べたら天使です。

満州や朝鮮半島からの引揚者の手記もだいたいが38度線を越えたところで終わっています。

(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で)
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『余命三年時事漫画』が連載されていますが、よくもまぁこんなたちの悪い嘘を書くものです。

このあたりが北朝鮮の歴史洗脳の真骨頂ですね。

北朝鮮がやったことをさも韓国がやったかのようにすり替え、朝鮮総連がやったことをさも民団がやったかのようにすり替えてきます。

それが無理でも、北と総連がやったことを、「半島」や「在日」という大きなくくりで非難し、韓国や普通の在日を巻き込もうとしてきます。

本当にタチが悪い。

右側の従北にも要注意ですね。従北というより、無自覚な”利北おバカ右翼”といったところでしょうか。


■ 二日市保養所、戦後の日本人引き揚げ時の朝鮮半島での悲惨な史実、アメリカの社会科教科書として採用された『竹林はるか遠く』の日本語版が発売 「保守速報(2013年06月04日20:32 )」より
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380:大日本帝国陸軍航空隊 桜花五号機:2013/06/03(月) 16:58:42.64 ID:3balZdMM0
スレ主さん、ご迷惑おかけします。ご勘弁を。


爆弾投下開始します。


桜の樹の下 ― 語られなかった引揚の惨禍

終戦の翌年、1946年の春、日本に帰還していた京城
(大韓民国の首都ソウル。日本統治下、朝鮮総督府がおかれた)。

日赤の同期の看護師10名が、福岡市の近郊、二日市へ集結した。

対馬に帰還していた当時、20歳の村石正子さんも日赤の事務長から連絡を受け、
用件も明確には伝えられないまま、二日市に赴いた。

そして、桜の蕾が芽吹き、満開となり、やがて葉桜となる3月から5月までの3ヶ月間、
二日市保養所でその勤務にあたった。


二日市保養所は、引揚者の救済活動をしていた在外同胞援護会救療部によって、
戦時中の愛国婦人会保養所の建物を利用し、1946年3月に開設された。

引揚の混乱の中で暴行を受け、
妊娠した女性の中絶や性病の治療等に約1年半にわたって携った。

2005年9月末、私は、筑紫野の女性グループならびに
『関釜裁判を支援する会』事務局のメンバーと一緒に、
二日市保養所に看護師として勤務した経験をもつ村石正子さんからお話を聞く機会を得た。

二日市は、古い温泉街しかない寂しい場所だったと村石さんは、当時を回想する。
人目につかぬよう、鄙びた温泉地の奥にその場所は、選定されたのであろう。

朝鮮半島や中国東北部に取り残された日本人居留民の引揚救護活動を行なうべく、
旧京城帝大医学部関係者によって戦後すぐに設立されたソウルの「罹災者病院」や
朝鮮各地を廻った「移動医療局」の活動は、

文化人類学者・泉靖一氏の巧みな手腕によって「在外同胞援護会救療部」へと組織化され、
旧厚生省の援助をも引き出し、様々な引揚救護活動に従事することになった。

保養所の設置には、旧京城帝国大学医学部の関係者が関与していたためか、
開設の当初、村石さんら京城日赤の看護師が召集を受けた。

日赤で1年、上の上級生が班長となった。


381:可愛い奥様:2013/06/03(月) 17:00:08.77 ID:3balZdMM0
村石さんと同様に他の看護師たちも自分たちが何故この地に呼ばれたのか、
はっきりとした職務を告げられた者はいなかった。

〈不法妊娠〉が云々ということは聞いたが、
それが具体的に何を意味しているのかわからなかったという。

保養所の2階に部屋をあてがわれ、そこでの生活が始まった。

建物は老朽化した2階家で、1階の1室が、手術室として使用された。
そこは以前、風呂場であったのか、床がタイル張りで手術台が1台置かれていたという。
棚には脱脂綿やガーゼ等、最小限の医療用具しか準備されていなかった。

大陸からの引揚港博多からトラックに乗せられ、運ばれてくる女性たちの姿を見て、
村石さんは、事の次第を理解した。

異形の者…彼女たちの様相を現わす言葉は、他に見出せなかった。

一見したところ男女の区別すらつかず、短く刈った頭を風呂敷で巻き、
汚れ痩せ果ておなかだけ膨れた女性たちが、次々と保養所に運ばれてきた。

引揚の途上での暴行を避けるため、女たちは一様に髪を短く刈り込んでいたが、
膨らんだおなかを見れば、それもまったく無駄であったことがわかり、痛々しさは、
いや増すばかりだった。

(※mono....中ほど大幅に略、詳細はサイト記事で)

ーーー

392:大日本帝国陸軍航空隊 桜花五号機:2013/06/03(月) 17:09:10.93 ID:3balZdMM0
爆弾投下続行します。


戦後の日本人引き揚げ時の真実は、

語り継いでいかなければならないと思います。
繰り返しますが、

日本人と一緒に戦争していた朝鮮人は、

日本が敗戦すると知ると手のひらを返して日本人に対して、

略奪・強/姦・虐殺などあらゆる暴虐の限りをしたのです。


ソ連の裏切り・火事場度泥棒強盗殺人犯罪に絡んで
日本人引き揚げ時の朝鮮半島での悲惨な史実~朝鮮人の犯罪です。
再び、歴史さんのページからの引用です。とても勉強になります。

そもそも朝鮮は、朝鮮側からの要望もあり日本統治され、
発展し、朝鮮人の寿命が伸びた事実があります。

戦時中は、共に戦いましたが、
日本が負けた事を知るとソ連の戦争参入に便乗して日本人を虐/殺したり、
日本人女性が強/姦されたりした事は、紛れもない史実です


394:可愛い奥様:2013/06/03(月) 17:11:08.78 ID:3balZdMM0
台湾 にいた日本人は、台湾 人と涙ながらに別れて引き揚げて来ました。
しかし、朝鮮半島からは、「命からがら」逃げて来たのです。

終戦1週間前の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約 を破って対日宣戦を布告して満州と朝鮮に侵攻して来ました。

窓も門も開け放しのまま去った
日本人の空き住宅、商店、倉庫等にアリのように人間が群がった。

家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、
あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。

町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。

皆走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。

引揚げの惨事は北朝鮮 だけに起こったのではない。
南朝鮮(韓国 )においても、日本人に対し朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。

北と南に民族性の違いはないのである。同じ朝鮮人、当然でしょう。
      • 「朝鮮戦争 の真実 -元人民軍工兵将校の手記-」朱栄福著

北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。

そこで見たものは、日本人の娘が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで、韓国の保安部隊に引き渡されて、更に散散にいじめられたうえ、
虐/殺される光景であった。

朝鮮保安部隊の略奪と暴行は、残虐を極めた。

夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、
17 になる娘を父親からひったくるように連行。

娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。

皆、ソ連兵を韓国 人が案内したのだった。

(※mono....中ほど大幅に略)

二日市保養所、

日本人は絶対に忘れはいけません。

そして朝鮮人から受けた暴行や強/姦を絶対に忘れてはいけません。


スレ主さん、ご迷惑をおかけしました。
以上です。


455: 忍法帖:2013/06/03(月) 18:48:38.68 ID:zqz7kGmQ0
<<>>415
ありがとうございました。

読むだけでも胸が痛む。

捏造慰安婦とともに日本人女性の人権侵害問題を拡散します!
あと、ベトナム戦争での非道も!


428:可愛い奥様:2013/06/03(月) 18:00:30.48 ID:0QHRo8/M0
日本の女性があんな酷い目に遭ってたなんて。
朝鮮人大嫌い!韓国人大嫌い!!

私これ頑張って拡散する。

邦訳が熱望されていた名著。待望の日本語版、ついに発売!!
「竹林はるか遠く」ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ
232ページ ハート出版 (2013/6/28)
n1fiRyu


戦時中および終戦直後の朝鮮半島と日本で、
日本人引き上げ者が味わった想像を絶する体験を赤裸々に綴る、
息もつけぬ愛と涙のサバイバルストーリー

小さな書店で購入しても結構です。
ネットで購入するのも結構です。

大切なのは、この本の存在を多くの日本人や外国人に伝えることです。
ご近所の書店で購入したらお友達に伝えましょう。

ネットで購入したらクチコミや評価でこの本を多くの方に知らせましょう。


432:可愛い奥様:2013/06/03(月) 18:04:39.54 ID:9fiy7xNi0
<<>>428

ようやく日本でも発売されるんですね。
注文して買おうと思います。


435:可愛い奥様:2013/06/03(月) 18:20:41.69 ID:r+AHtJUB0
<<>>428
いや~絶句したわ。
ライタイハンや二日市保養所の記事、
朝鮮人ってどんだけ残虐な民族なんだよ。

怒りが込み上げてくる。




■ ブログ『国際情勢の分析と予測』のコメント欄より
/
Unknown (Unknown)
2018-03-22 23:49:41
敗戦を境に身一つで海外から帰還した引揚者たちの戦後の暮らしとは。全国には引揚者に起源をもつ商業施設、公営住宅、福祉団体が数多く存在し、餃子、ラーメン、明太子などすっかり馴染み深いメニューも引揚者が伝えた食文化です。ベスト電器、ゼンリンなど有名企業の創業をはじめ、引揚げ当事者たちの語るエピソードは枚挙に暇がありません。満州朝鮮からの引揚げ家族、樺太引揚者とサハリン残留朝鮮人、パラオ引揚者など。

近代日本は、台湾、朝鮮、満洲、関東州、サハリン(南樺太)、千島列島、南洋諸島といった地域に侵出し、現地の社会を支配した。これらの地域には日本の統治・行政機関が置かれ、多数の日本人が日本列島から移住して移住者の社会を形成していた。しかしながら、一九四五年八月一五日の日本敗戦で、日本はこれらの地域での支配権を失い、現地に居住していた日本人は、日本列島に帰還することとなった。こうして帰還してきた人たちのことを「引揚者」という。引揚者の数は、厚生省(当時)によると、約660万で、これは約330万の陸海軍軍人・軍属と、ほぼ同数の民間人を合わせた数字である。

敗戦直後、「内地」に引き揚げてきた引揚者たちは、全国各地に散らばっていった。その行き先は、もともと生まれ育った村や町、何らかの縁故があった土地である場合もあれば、何の縁故もない都市に流入してゆくケースもあった。あるいは、「戦後開拓」といって新たに開拓地に入植して農業を始めた人びともいる。

引揚者たちは、それぞれの転入地において戦後の生活を始めたが、引揚者の存在は、それまでその土地には存在しなかった新たな社会空間を生みだした。それはたとえば、引揚者マーケットなどと呼ばれる商業空間であり、引揚者住宅であり、引揚者援護施設であった。また、引揚者たちは、新たな文化を持ち込んだり、生みだしたりもした。

この場合、注目すべきは、こうした引揚者によって生みだされた社会空間や文化は、今日のわれわれの日常生活の一部を構成するに至っているという点である。引揚者に関わる社会空間の中には、引揚者マーケットは駅前のショッピングセンターへ、引揚者住宅は市営住宅や県営住宅へ、引揚者援護施設は老人福祉施設へというように、姿は変えながらも、系譜的なつながりはそこに見出されるという形で今日まで存在し続けているものが少なからずある。食文化も、餃子、ラーメン、明太子など、今日のわれわれの生活の中に定着している食べ物には、引揚者によってもたらされたものが含まれている。

そして本土決戦に備えて地下に身を隠した日本人達は、敗戦後にやって来た、これら引揚者を利用して、彼らに土地や仕事を与え地上を動かす際の手下とした。それが開拓農地や朝鮮部落民、闇市の元締めなどである。地下に潜む日本軍は多量の隠匿物資を持っていたから、敗戦後の困窮に困る事は無かったのだ。


★■ 「これは俺の墓穴ではない」 引き揚げ者が見た“地獄” 終戦直後の朝鮮半島で何があった? 「産経ニュース(2014.8.14)」より / 全文コピペページ
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 69年前の8月、日本の敗戦とともに朝鮮半島は北緯38度線で南北に分けられ、その北側には多くの日本人が取り残された。ソ連軍の進駐の中、38度線を突破し、帰国を果たした人々がいる一方で、望郷の思いかなわず、約2万4000人もの日本人が彼の地で命を失った。この手記は、当時14歳の少年が北朝鮮で経験したことを記録したものである。

最北からの難民行

 終戦の時、僕たちの一家は咸鏡北道会寧邑(現在の北朝鮮東北部、中国との国境に接する地域)に住んでいた。8月13日午後7時、避難命令が出た。そして僕たちの新しい戦争が始まったのだ。14歳の僕はその時、それから始まる“冒険”に興奮した。だがそれは、実にみじめな“戦争”だったのである。

 咸鏡北道庁では緊急事態に備えて避難計画を立て、会寧邑の住民は平安南道成川邑(朝鮮半島北西部)に避難することになっていたという。両親と弟、4人の妹、そして僕は豆満江(現・中朝国境を流れる川)沿いに、まず茂山をめざして歩き出した。敗戦を知ったのは、茂山の手前の小さな集落だった。川に洗濯に行った母が、朝鮮人警官にそれを知らされたと告げたとき、朝鮮人国民学校の校長だった父は、「ばかげたデマを信じるな」と激しく叱責した。

(※ 以下略、詳細はサイト記事で)

■ 闇に葬られる終戦後の日本女性の悲劇・・・二日市保養所など 「韓流研究室(2013.5.27)」より
/
1946年、満州からの日本人民間人の引き揚げが開始されてから、博多港に上陸した日本人引き揚げ者は約1年半で139万人に上った。

ソ連兵や北朝鮮の保安隊兵士に強姦されて、妊娠させられた多くの女性が存在した。
上陸寸前、絶望して博多湾に身投げした女性も多かったそうだ。

妊娠した女性の中絶手術が厚生省博多引揚援護局二日市保養所で行われた。
(※ 以下詳細はブログ本文で。)
...................................
「北朝鮮に侵入せるソ連兵は、白昼、街道にて、
 通行中の婦女を犯す。
 汽車の通らぬため歩いてくる途中、1日数度強姦せらる。

 2人の娘を伴う老婦人は、かくして、上の娘は妊娠、
 下の娘は性病に罹る。

 元山か清津にては(ソ連軍に)慰安婦の提供を強いられ、
 (引き受け者の)人数不足せるを(補うものを)
 くじ引きにて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる。

 (慰安婦を)強要せられ自殺せるものも少なからず。」
...................................
「要するに、満州・北朝鮮におけるソ連軍の日本人虐待は、
 口ではいい表せないほどひどいものだった。
 暴行と強奪は日常的だった。そして残虐な行為を犯した。

 ・・・とくに野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、
 抵抗するものは片っぱしから殺した。
 ソ連軍の兵士たちが日本の女にしたことは、
 いまでもぞっとするほど残虐なものだった」
...................................
終戦直後の混乱期にはソ連兵や現地人(韓国人、朝鮮人)ら
による略奪、そして強姦が平然と繰り広げられていた。
中田さんの父親は年頃の中田治子さんのことを
案じて止まなかった。
当時18,9だったから坊主にして、
兄の服を着たり、男の子の格好をするように言われた。

そんなある日の夜、自宅に男たちが押し掛けます。
中田さんは隣の家に身を寄せ、静かに時を過ぎるのを
待ちました。
何か棒を持っていて入ったのか、
ガサガサ探している音が聞こえた。

「隠れていてよかった・・・
 あの時、(朝鮮人の男達)に見つかって
 (強姦されて)いたら・・・
 舌を噛み切って死のうと覚悟していました 。」
...................................













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