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● 明治維新〔Wikipedia〕
明治維新(めいじいしん)は、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革をいう。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及び、日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制を有する近代国家へと変貌させた。



令和時代
■ 令和元年 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2019年05月23日)」より
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日光は御皇室に、ゆかりの深い土地です。
湯元の連山には、まだ雪が溶け残っていました。

(※mono....中ほど略)
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御皇室は、千年も昔から、行政と軍事をはなれて、日本国の権威を司る。
わが郷は明治維新を さほど評価していない。

あれは民族の統合たる、王権や皇帝の権威を否定した。たかがカネ貸し、ブルジョア民主主義の、殺伐とした民衆収奪のシステムを、畏れ多くも天皇の名を騙った。擬制でしかなかった
https://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/76b5b4adeff06a80ed516d6de6769e43

さて、上皇様のご身分は、戦後憲法だとか、明治憲法にも書かれていない。
薩長と腐れ公家が、畏れ多くも、御皇室の威光を、内乱に専横した。


郷に下りて写真を整理しながら、ふと終戦まぎわの往時を偲んでみた。


これからは、欧米に干渉されない。
新しい大和の時代が、始まるような気がしてならない。


薩長同盟】 / 【明治維新
■ 薩長のゴロツキが差別を現代に引き継いだ 「二階堂ドットコム(2019/05/22 21:22)」より
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ーーー
■ 半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 「東洋経済(2018/01/27 8:00)」より
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1月1日、安倍晋三首相は年頭所感で「本年は、明治維新から、150年目の年です」と切り出し、明治維新を賞賛した。政府は「明治維新150年」記念事業に積極的で、菅義偉官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」と述べている。
明治維新を主導した薩摩(鹿児島)、長州(山口)などではすでに記念イベントが始まっているが、今年は国家レベルでもさまざまな祝賀事業が行われる見通しだ。
だが、こうした動きに対し、異議を申し立てる論者も多い。『日本のいちばん長い日』『昭和史』などの名著で知られ、幕末維新史にも詳しい半藤一利氏もその1人である。『賊軍の昭和史』(保阪正康と共著)の著者でもある半藤氏に話を聞いた。
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(聞き手:加納則章)

「明治維新」という言葉は使われていなかった
――そもそも「明治維新」という言葉が使われたのは、明治時代が始まってからずいぶん後のようですね。

私は、夏目漱石や永井荷風が好きで、2人に関する本も出しています。彼らの作品を読むと、面白いことに著作の中で「維新」という言葉は使っていません。特に永井荷風はまったく使っていないのです。

漱石や荷風など江戸の人たちは、明治維新ではなく「瓦解(がかい)」という言葉を使っています。徳川幕府や江戸文化が瓦解したという意味でしょう。「御一新(ごいっしん)」という言葉もよく使っています。

(※mono....以下長文につき略、詳細はサイト記事で)



■ 明治政府がいちばんろくでもない。 「二階堂ドットコム(2019/05/22 21:14)」より
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■ 浅草弾左衛門を知らずして江戸は語れない。 「放心流(2012年11月11日)」より
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 先週、差別問題を採りあげた。その続き、江戸時代の被差別問題についてひとことふたこと。

 渋谷の東急本店にあるジュンク堂の書棚を眺めていたら、塩見鮮一郎の『浅草弾左衛門』(批評社)が並んでいた。全三巻と資料編。この本は絶版になっていたと思っていたのだけれど、並べている本屋もあるのだとちょっと感動した。ただし、ソフトカバーになった新版は1996年の発売のままで、増刷はされていないようだ。そんなに売れるような本ではないけれど、ちょっとさみしい。並べてあるだけでもよしとすべきか。(文庫では小学館から第一巻の一部がでているが、そのままとなっている)
 歴史小説ベストテンを選ぶとしたら、島崎藤村の『夜明け前』や堀和久の『大久保長安』とならんで本書を挙げたい。いい本だと思いますよ、長いけど。

 浅草弾左衛門とは、江戸時代、被差別民の頭領として関東一円を支配した人物である。皮革や灯芯の製造・専売などの権利を与えられる一方、江戸の町の清掃や非人の支配までも請け負った。差別される立場にあったが、特権も有していたのである。その資金力は大名並みと言われた。この本では12代、13代目の弾左衛門を描く。最後の弾左衛門は幕末から明治を生きた。15代将軍・徳川慶喜の生涯と重なる。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)



■ 明治維新以来「日本国」は朝鮮族の支配する国☜大日本国帝国政府日本民族大量虐殺に大東亜戦争を利用? 「魂魄の狐神(2018-08-06 00:10:12 )」より
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(※mono....本文は無く、写真のみの記事だが、それは伊藤博文の出自とも関連か?)


明治天皇替玉説の検証詳細です。

『明治天皇以降は南朝 明治維新と田布施朝鮮人部落』(真実探究)リンクより転載します。
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現在の天皇は南朝系、明治維新のときに入れ替わった。
明治維新によってできた明治新政府は、明治簒奪政府である。

そんな話を、先日話を聞きに行った講演会「未来地球デザイン塾」で聞いた。

明治天皇は、江戸時代最後の天皇である孝明天皇の子ではない。孝明天皇は、邪魔になったために長州藩によって毒殺され、長州の田布施(たぶせ)、現在の山口県熊毛郡出身の大室寅之祐が明治天皇になったというのは以前から言われていて、私もこの話は知っていた。事実かどうか確信は持てなかったが、話を聞いて、大筋で事実であることが確認できた。

ただ事実と違うのは、孝明天皇は毒殺ではなく、伊藤博文に刀で殺されたということ。

(※mono....中略、詳細はサイト記事で)
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明治天皇は大室寅之祐に置き換えられた。

以後天皇家は、南朝の血筋になった。

これは事実として確定したといって良いだろう。

同書によると、明治維新以降、日本の政治は、大室寅之祐(明治天皇)の出身地である山口県の田布施出身者で占められることになった。田布施は長州時代の朝鮮人被差別部落である

日本のいちばん醜い日 リンク

伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などだ。岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。

小泉元首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落だ。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となり「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得した。小泉の次の安倍も、もともとの出は、朝鮮人部落だった山口県の田布施である。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 明治維新を起こした長州朝鮮下士発祥の地萩松本村 「魂魄の狐神(2017-12-17 18:05:48)」より
(※mono....前半略、詳細はサイト記事で)
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 明治維新がマイノリティの反乱だと知っているか? 松下村塾は秀吉の大陸遠征後に連れて来た朝鮮人下士郷士松本村に在った。伊藤博文も、明治天皇の崩御によって殉死した彼の乃木将軍も朝鮮下士の出だ。ちゃんと歴史資料に書かれてる。詰まり、日本は維新の時に朝鮮人下士に乗っ取られて居たのだ。秀吉軍が連れて来た朝鮮人が日本の磁器を日本に教えたのでは無い。奴等は連れて来た各藩揃って、奴等の食い扶持として磁器を焼かせた。当時の李朝は白磁は作れ無く、全て青磁であった。白磁と青磁では土も窯も製法も全く違う。 辰砂は中国の所謂釉裏紅と同じ技法。李朝に於いては,"専ら白磁が宮廷の什器として用いられ,其の生産は厳しく監督された"が,一方民間では,粉青沙器という白釉陶が発達した。粉青沙器は高麗青磁の伝統を受けて生まれたものであり,初期に於いては白化粧した器に青磁釉を翔けたものを焼造していた。

 我々日本民族は、今こそ日本民族に此の日本国を取り戻さねば成らんのだ。勝海舟は確かだが、恐らく坂本龍馬も出は江戸後期隆盛した商家が、侍株を買った最下層の扶持の寡い下士であった。詰まり、此奴等は口先三寸日本を売った下衆である。よって、明治維新は日本のマイノリティを中心に被差別部落民等巻き込んだ反乱だったと観るのが順当である。歴史を学び直すべき。我の父母の先祖共碌は無かったが、両家共苗字帯刀持ちであった。武士と町人や農民の境は言われている程厳格では無かった。将門は平素百姓⇒元々、秀吉の刀狩り以前は士農工商は無く、農民と雖も武士の心得はあった者は少なく無かった。近藤勇は郷士。

 松下村塾 - Wikipedia 松下村塾は、江戸時代末期(幕末)に、長州 萩城下の松本村(現在の山口県 萩市)に存在した私塾である。萩焼(朝鮮郷士)☜萩焼資料館 萩焼の歴史 | 古萩から現代萩焼まで収蔵・ …


■ 手帳の中身 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2019年01月29日)」より
(※mono....前半の仙谷由人、レーダー照射問題関連記事は略。このページでは明治維新に言及した記事のみ転載。)
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明治維新は、日本精神の美風を壊した

カネの力が一世を風靡し。ユダヤの領導するマスコミに踊らされる。ドイツ発祥のロートシルト。ナポレオン戦争の戦後処理で、大金を築いたことで。『戦争はカネになる。』 野蛮な近世のころまでは、武力で統一して、域内の秩序を保つ。まあ、是が当たり前だった。わが日本では徳川の世に成り、天草などへの西欧キリスト文化の侵略はあったが、おおむね平和が、二百数十年も継続した。その間に、西欧列強は戦いに明け暮れて、武器の性能を飛躍的に向上させていた。日本国は此の艦砲外交にたじろいだ。

田舎武士の無骨者達では、江戸の平和の意義を、とうてい理解はできぬ。

それで、明治の田舎武士の成り上がり。元勲政治では、欧米の戦争経済市場主義。これに引きずられて、日清・日露そして、第一次大戦からの国難の茨の道。ユダヤの支配層の思うがまま。戦争経済の謳歌。こうした気分が、わが日本国の保守を標榜する。そうした御仁達には、この気分がわだかまっている。

でも、一番われら庶民にとって重要なのは、豊かで。そのうえ、安心して暮らせることなのだ。


(※mono....以下の国際金融、日本海での不法操業、などの記事は略、)


■ 明治維新以降、天皇制はキリスト教がベース。だが最近でも騒ぎがあるのでお気づきかも知らないが、偽ユダヤが天皇制を支配。自分も原口一博先生もそれを「ディープステート=戦争屋」と断言。ここに「天皇財閥」が記 「音楽キュレーションがお仕事です(2018/3/18(日) 午前 3:26)」より
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明治維新以降、天皇制はキリスト教がベース。だが最近でも騒ぎがあるのでお気づきかも知らないが、偽ユダヤが天皇制を支配。自分も原口一博先生もそれを「ディープステート=戦争屋」と断言。ここに「天皇財閥」が記されてある。ロスチャイルドと同じイルミナティだが、第4次産業革命で再定義される。神道は隠れユダヤ教。ユダヤ教も唯物神、崇拝像を設けず、国を持たない。近年のイスラエル国も偽装。日本では、キリスト教として京都の元伊勢籠(この)神社に入り、伊勢神宮伊雑宮(いざわのみや)に祀られている。イルミナティ、フリーメイソンは、ユダヤ教、キリスト教に隠れた"偽ユダヤ"であるSoftBankの名前の由来にはもう一つ真の理由がある。金本位制では金銀貨幣はハードと呼ばれ、紙幣はソフトと呼ばれた。つまり、ソフトは信用創造。金銀と違いその紙自体の製造コストは数円。銀行は実物無く信用で貸し莫大な利子を獲得する詐欺商法。日本銀行の一端が天皇財閥スレッドのブログ主様の良記事に付け加えるならば、日本もまた英国ライオネル・ロスチャイルドに戦争を回避した坂本龍馬が暗殺され、国立日本銀行は1882年民営で日銀法付きで通貨発行特権を奪われている。今も。ソフトバンク孫正義氏は絶対ご存知。金本位制でハードが金銀貨幣。ソフトが紙幣。2017年1月15日
犬丸勝子さん暗殺。享年61歳。
不正選挙の実体を世に広めた。
前年暮れ、鹿児島の病院に拘束。
化学物質を用いた悪性腫瘍で自然死を装った暗殺と言われる。

〝不正選挙を行なった首謀者は、刑法第77条の内乱罪におけるクーデターの罪として死刑に処される。〟因みに、貴乃花親方は、今回PEZY computingに特捜が入ったスパコン助成金詐欺事件で逮捕された斎藤元章容疑者と繋がる官邸に最も近い家賃130万円のホテルに住む山口敬之の実姉の同級生安倍昭恵の夫・安倍晋三首相の後援会でマネロン組織「安晋会」も兼ねる光永仁義が作った新興宗教「慧光塾」の信者。安倍晋太郎の元秘書・光永仁義開祖の新興宗教「慧光塾(えこうじゅく)」ことマネロン組織である安倍晋三後援会「安晋会」には北朝鮮暴力団、パチンコヤクザ、ネオコン(牧師の顔をした戦争屋)、竹中平蔵経済塾の名前など数多く出てくるからググろう。知れば日本が変わる。'05年7月、安倍晋太郎元秘書の光永仁義開祖殺害。新興宗教「慧光塾」こと安倍晋三後援会「安晋会」の相続税脱税と北朝鮮暴力団ロンダリングに特捜のメスが入る寸前の週刊誌記事だ。'06年1月、ライブドア強制捜査の狙いは粉飾決算では無く、安晋会でマネロン担当理事の野口英昭元取締役で2日後に殺害。偽キリスト教vs偽ユダヤにしておこう。因みに日蓮正宗も創価学会と同じ偽キリスト教である。現在の創価学会は、前身の大日本皇道立教会を辿る処の閑院宮出身の光格天皇の第二王子だった中山忠伊(ただこれ)を総督とする尊王攘夷の志士の集まり天誅党が祖であったが、公明は統一教会、ネオコンだ。知らない人のためのユダヤ教の概要。
おそらく第4次産業革命(Industry4.0)は人智を超えるシンギュラリティーのAI(外部脳)が人と人を介在するロボットになるので、争い事は一切起きない。宗教時代が何か分からず求めていた世界がそれなので、ユダヤ教含め宗教も無くなる。当然、ロスチャイルド財閥も。有賀さつきさんは、やはり乳癌だったか。この場合、マンモグラフィーの検診をしていた事は一切マスコミは報道しない。小林麻央さんの場合も最初に抗癌剤を投与しているが一切報じられないため、テレビ雑誌は海老蔵さんが代替医療に熱心であった事と近藤誠医師を非難していた。これが医産複合体である。2012年、インドにモディ政権誕生。孫正義社長とタッグを組み、2018年を目標とした電子政府等を既に構築。中国のシリコンバレー深圳同様にキャッシュレス都市に変わりつつあり、日本もそのうち抜かれる。もう常識的に、ITやロボットに疎い国会議員なんて一人も要らない。#日航機123便撃墜事件と同様に、中曽根康弘の右腕の瀬島龍三と昵懇の統一教会の国際勝共連合の非公然軍事部隊に証拠隠滅のために生存者が火炎放射器で生殺しされない事を祈ります。(29)佐宗邦皇さん…元日航幹部社員。2009年、日米合同軍事演習で護衛艦まつゆきから軍事企業ノースロップ又はライアンが発射した無人標的機が日航機123便の尾翼に衝突。直後に横田基地に不時着要請も中曽根首相が拒否。米軍機が誘導し御巣鷹で撃墜。生存者数十人を陸自特殊部隊が暗殺と講演→殺害元フジテレビアナウンサー有賀さつきさん急逝。52歳若過ぎる。関東地方在住で、死因非公表(ネット上では最近の激痩せとカツラ疑惑から抗癌剤治療中だったとの憶測)の場合は、急性心不全だと思うが、公表した場合、違う疾患を使うかも知れない。マスメディアは電事連とグルだから。明治維新で尊王を考えず戦争回避した坂本龍馬が戦争屋ライオネル・ロスチャイルドに暗殺され、そこから戦争する国造りが始まった。天皇財閥、三菱財閥とそれで日銀支配。政府のCIA工作員が反共組織を作る一方でソ連に似た日本型社会主義国としてパトロンにした #kokkai #nhk国会Gメン石井紘基隊長が追及した「ソ連に似た日本型社会主義」「みなし公務員」「日本病」。

独立行政法人 87法人
役員・職員 9万4,374人
人件費 1兆6,335億円
平均年収 1,730万円

特殊法人 33法人
役員・職員 64万7,259人
人件費 53兆5,066億円
平均年収 826万円
↕︎
日本国民
平均年収 421万円


■ ふざけるな!“日本が日本を失った日”を「祝明治150年」企む安倍 「世相を斬る あいば達也(2018年02月20日)」より
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●ふざけるな!“日本が日本を失った日”を「祝明治150年」企む安倍


安倍や日本会議の連中の頭はどうなっているのだろう?明治維新と云う愚行が、我が国の伝統文化の類を積極的に焼き払った記念日であり、本来の保守的立場からは、到底容認できない。

そもそもが、アジア人が、欧米人に倣って、“なにもかもを”見よう見真似で“猿まね”をした、恥ずべき歴史的事実であり、「祝」などという漢字を使って歓ぶべきことではけっしてない。無論、江戸時代以前の日本の伝統文化すべてが守るべきものであったかどうかには議論の余地があるが、その悉くを破壊しようと行動した薩長が官軍(善)で、賊軍(悪)などと云う歴史の歪曲は、時の政治力の差で生まれた、まさに捏造の歴史観である。

明治維新で、我が国は欧米文化から得るものはあっただろうが、そもそもが、欧米人の文化や近代技術を、そのまま真似て、欧米列強と伍して生きていこうと決定する能力が、薩長軍にあったとは思えない。薩長軍と云うものは、現代で言えば「IS」のようなもので、遺跡や鎮守の森などを破壊し、仏教を蔑ろにして、一部の神社だけに、既得権を与え、国家神道の構築を試みたのである。

江戸時代までの神社仏閣は日本人の“共存”のシンボルであり、共同体の一部だった。また、明治以降の産業革命は、戦後の日本の復興同様に、東国の人々を都会におびき寄せて、産業労働者にすることで、東国の共同体に大きな爪痕を残したままである。以下の毎日の特集記事の戊辰戦争云々というよりも、江戸時代までの、藩政や地方ごとの産業、そして、藩ごとの伝統文化が失われ、金太郎アメのような地方が生まれ、そして、衰退していく、そのことが、21世紀になって見えてきた。筆者は、明治維新を“日本が日本ではなくなった日”と記憶したい。思い出したが、孤高の学者、小室直樹氏は会津出身だった。

≪安倍政権が演出「祝明治150年」の陰で

「会津は戊辰を忘れない」論


(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


明治時代
■ 「明治維新150周年、何がめでたい」by半藤一利 「DEEPLY JAPAN(2018-01-28 14:18:22)」より
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半藤一利さんが、明治維新150周年を祝おうとする、あるいは祝わせようとする現在のムードおよび政府+自治体政府に異論を述べていた。

ふと気が付くと、地方自治体の催しの頭に、明治維新150周年記念とかなんとかついてたりするので、こりゃまぁ手回しよくやってるんだなと私も最近気がついた。


半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」
「賊軍地域」出身作家が祝賀ムードにモノ申す


いろいろ興味深いことをおっしゃってますが、まず維新という名前について。

「漱石や荷風は、明治維新ではなく『瓦解』と言った。薩長が革命を起こし、徳川政府を瓦解させ権力を握った。その歴史的正当性を主張するため『明治維新』という言葉を使った」
調べてみると、確かに「明治維新」という言葉が使われだしたのは、明治13(1880)年か14年でした。
明治14年というのは、「明治14年の政変」があり、薩長(薩摩・長州)政府というよりは長州政府が、肥前(佐賀)の大隈重信らを追い出し政権を奪取した年です。このあたりから「明治維新」を使い出したことがわかりました。

(※mono....中ほど大幅に略、詳細はブログ記事で)
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武士道とかいう語をやたらに使いたがる傾向を私はよしとしていないんだが、お侍らしいお侍がいたのは、実のところ奥羽側であって、薩長側は時流に乗ったただの強盗と言っても過言ではないと思う。総じていえば、薩長側には矜持というものがない。

というか、よく考えれば、お侍らしいお侍、もののふであることに誇りを持つというのは東国の鎌倉幕府を発信源とするんだから、西にそれがなく、東によほど根付いていたという考えも成り立つのかもしれない。



ということで、政府は現在長州の人なのでこれをおめでたいことだとしたいらしいが、そうではないと異論を述べる人は多く存在することが確認できることは結構なことですね。

日本は150年たってようやく革命政権について自由に語れる言論環境が整ったということなんじゃないでしょうか。



1月1日、安倍晋三首相は年頭所感で「本年は、明治維新から、150年目の年です」と切り出し、明治維新を賞賛した。政府は「明治維新150年」記念事業に積極的で、菅義偉官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」と述べている。
明治維新を主導した薩摩(鹿児島)、長州(山口)などではすでに記念イベントが始まっているが、今年は国家レベルでもさまざまな祝賀事業が行われる見通しだ。
だが、こうした動きに対し、異議を申し立てる論者も多い。『日本のいちばん長い日』『昭和史』などの名著で知られ、幕末維新史にも詳しい半藤一利氏もその1人である。『賊軍の昭和史』(保阪正康と共著)の著者でもある半藤氏に話を聞いた。
(聞き手:加納則章)

「明治維新」という言葉は使われていなかった

――そもそも「明治維新」という言葉が使われたのは、明治時代が始まってからずいぶん後のようですね。

私は、夏目漱石や永井荷風が好きで、2人に関する本も出しています。彼らの作品を読むと、面白いことに著作の中で「維新」という言葉は使っていません。特に永井荷風はまったく使っていないのです。

漱石や荷風など江戸の人たちは、明治維新ではなく「瓦解(がかい)」という言葉を使っています。徳川幕府や江戸文化が瓦解したという意味でしょう。「御一新(ごいっしん)」という言葉もよく使っています。

明治初期の詔勅(しょうちょく)や太政官布告(だじょうかんふこく)などを見ても大概は「御一新」で、維新という言葉は用いられていません。少なくても明治10年代までほとんど見当たりません。

そんなことから、「当時の人たちは御一新と呼んでいたのか。そもそも維新という言葉なんかなかったんじゃないか」と思ったことから、明治維新に疑問を持つようになりました。

調べてみると、確かに「明治維新」という言葉が使われだしたのは、明治13(1880)年か14年でした。

明治14年というのは、「明治14年の政変」があり、薩長(薩摩・長州)政府というよりは長州政府が、肥前(佐賀)の大隈重信らを追い出し政権を奪取した年です。このあたりから「明治維新」を使い出したことがわかりました。

薩長が革命を起こし、徳川政府を瓦解させ権力を握ったわけですが、それが歴史的にも正当性があることを主張するために使った“うまい言葉”が「明治維新」であることがわかったのです。

確かに「維新」と「一新」は、「いしん」と「いっしん」で語呂は似ていますが、意味は異なります。「維新」は、中国最古の詩集『詩経』に出てくる言葉だそうで、そう聞けば何やら重々しい感じがします。

薩長政府は、自分たちを正当化するためにも、権謀術数と暴力で勝ち取った政権を、「維新」の美名で飾りたかったのではないでしょうか。自分たちのやった革命が間違ったものではなかったとする、薩長政府のプロパガンダの1つだといっていいでしょう。

+続き
歴史というのは、勝った側が自分たちのことを正当化するために改ざんするということを、取材などを通してずいぶん見てきました。その後、いろいろ調べて、明治維新という名称だけではなく、歴史的な事実も自分たちに都合のいいように解釈して、いわゆる「薩長史観」というものをつくりあげてきたことがわかりました。

「薩長史観」はなぜ国民に広まったのか

――どのようにして薩長史観が広まったのでしょうか。

そもそも幕末維新の史料、それも活字になった文献として残っているものの多くは、明治政府側のもの、つまり薩長史観によるものです。勝者側が史料を取捨選択しています。そして、その「勝った側の歴史」を全国民は教え込まれてきました。

困ったことに、明治以降の日本人は、活字になったものしか読めません。ほとんどの人が古い文書を読みこなせません。昔の人が筆を使い崩し字や草書体で書いた日記や手紙を、専門家ではない私たちは読めません。読めないですから、敗者側にいい史料があったとしても、なかなか広まりません。どうしても薩長側の活字史料に頼るしかないのです。

そこでは、薩長が正義の改革者であり、江戸幕府は頑迷固陋(ころう)な圧制者として描かれています。学校では、「薩長土肥の若き勤皇の志士たちが天皇を推戴して、守旧派の幕府を打ち倒し新しい国をつくった」「幕末から明治にかけての大革命は、すばらしい人格によってリードされた正義の戦いである」という薩長史観が教えられるわけです。

さすがに最近は、こうしたことに異議を申し立てる反「薩長史観」的な本がずいぶん出ているようですが……。

――子どもの頃、半藤さんのルーツである長岡で「薩長史観」の誤りを感じられたそうですね。

私の父の郷里である新潟県の長岡の在に行くと、祖母から教科書とはまったく逆の歴史を聞かされました。学校で薩長史観を仕込まれていた私が、明治維新とか志士とか薩長とかを褒めるようなことを言うと、祖母は「ウソなんだぞ」と言っていました。

「明治新政府だの、勲一等だのと威張っているヤツが東京にたくさんいるけど、あんなのはドロボウだ。7万4000石の長岡藩に無理やりケンカを仕掛けて、5万石を奪い取ってしまった。連中の言う尊皇だなんて、ドロボウの理屈さ」

いまでは司馬遼太郎さんの『峠』の影響もあり、河井継之助が率いる長岡藩が新政府軍相手に徹底抗戦した話は有名ですが、当時はまったく知りませんでした。明治維新とはすばらしいものだったと教えられていた私は、「へー、そんなことがあるのか」と驚いたものです。

また祖母は、薩長など新政府軍のことを「官軍」と呼ばず「西軍」と言っていました。長岡藩はじめ奥羽越列藩同盟軍側を「東軍」と言うわけです。いまでも長岡ではそうだと思います。これは、会津はじめほかの同盟軍側の地域でも同様ではないでしょうか。

そもそも「賊軍」は、いわれのない差別的な言葉です。「官軍」も「勝てば官軍、負ければ賊軍」程度のものでしかありません。正直言って私も、使うのに抵抗があります。

「明治維新」の美化はいかがなものか

――幼少期の長岡でのご経験もあり、「明治維新150年」記念事業には違和感があるのでしょうか。

「明治維新150年」をわが日本国が国を挙げてお祝いするということに対しては、「何を抜かすか」という気持ちがあります。

「東北や北越の人たちの苦労というものを、この150年間の苦労というものをお前たちは知っているのか」と言いたくなります。

司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、戊辰戦争は、幕府側からみれば「売られたケンカ」なんです。「あのときの薩長は暴力集団」にほかならない。これも司馬さんの言葉です。

本来は官軍も賊軍もないのです。とにかく薩長が無理無体に会津藩と庄内藩に戦争を仕掛けたわけです。いまの言葉で言えば侵略戦争です。

そして、ほかの東北諸藩は、何も悪いことをしていない会津と庄内を裏切って両藩を攻めろ、法外なカネを支払え、と高圧的に要求されました。つまり薩長に隷属しろと言われたのです。これでは武士の面目が立たないでしょうし、各藩のいろんな事情があり、薩長に抵抗することにしたのが奥羽越列藩同盟だったわけです。

私は、戊辰戦争はしなくてもいい戦争だったと考えています。西軍の側が手を差し伸べていれば、やらなくていい戦争ではないかと。

にもかかわらず、会津はじめ東軍の側は「賊軍」とされ、戊辰戦争の後もさまざまに差別されてきました。

そうした暴力的な政権簒奪(さんだつ)や差別で苦しめられた側に配慮せず、単に明治維新を厳(おごそ)かな美名で飾り立てようという動きに対しては何をかいわんやです。

――賊軍となった側は、具体的にはどのような差別を受けたのでしょうか。

宮武外骨の『府藩県制史』を見ると、「賊軍」差別の様子がはっきりわかります。

これによると、県名と県庁所在地名の違う県が17あるのですが、そのうち賊軍とされた藩が14もあり、残りの3つは小藩連合県です。つまり、廃藩置県で県ができるとき、県庁所在地を旧藩の中心都市から別にされたり、わざわざ県名を変えさせられたりして、賊軍ばかりが差別を受けたと、宮武外骨は言っているわけです。

たとえば、埼玉県は岩槻藩が中心ですが、ここは官軍、賊軍の区別があいまいな藩だった。「さいたま」という名前がどこから出たのかと調べると、「埼玉(さきたま)」という場所があった。こんな世間でよく知られていない地名を県の名にするなんて、恣意的な悪意が感じられます。

新潟県は県庁所在地が新潟市なので名は一致していますが、長岡が中心にありますし、戊辰戦争がなければ長岡県になっていたのではないでしょうか。

県名や県庁所在地だけ見ても、明治政府は賊軍というものを規定して、できるだけ粗末に扱おうとしていることがわかります。

また、公共投資で差別された面もあります。だから、賊軍と呼ばれ朝敵藩になった県は、どこも開発が遅れたのだと思います。

いまも原子力発電所が賊軍地域だけに集中しているなどといわれますが、関係あるかもしれません。

立身出世を閉ざされた「賊軍」藩出身者

――中央での人材登用でも、賊軍の出身者はかなり厳しく制限されたようですね。

賊軍藩の出身だと、官僚として出世できないんですよ。歴史事実を見ればわかりますが、官途に就いて名を成した人はほとんどいません。歴代の一覧を見れば明らかですが、総理大臣なんて岩手県の原敬が出るまで、賊軍出身者は1人もいない。ほとんど長州と薩摩出身者で占められています。

ちなみに明治維新150年目の今年は長州出身の安倍氏が総理ですが、彼が誇るように明治維新50年も(寺内正毅)、100年も(佐藤栄作)も総理は長州出身者でした。

また、明治年間に爵位が与えられて華族になったのも、公家や殿様を除けば、薩長出身者が突出して多いのです。特に最も高い位の公爵と侯爵を見ると、全部が長州と薩摩なんです。

政官界では昭和の戦争が終わるまで、賊軍出身の人は差別されていたと思われるのです。明治以降、賊軍の出身者は出世できないから苦労したのです。

――2013年放映のNHK大河ドラマ「八重の桜」では会津藩出身者の苦労が描かれていましたが、それ以外の負けた側の藩の出身者も差別されたわけですね。

例を1つ挙げれば、神田の古本屋はほとんどが長岡の人が創業しています。長岡出身で博文館を創業した大橋佐平という人がいちばん初めに古本屋を開いて成功したのですが、当時、いちばん大きい店でした。その後、大橋が中心となって、長岡の困っている人たちをどんどんと呼んで、神田に古本屋がたくさんできていったんです。

こんな具合に、賊軍藩の出身者たちは、自分たちの力で生きるしかなかったのです。

――『賊軍の昭和史』でもおっしゃっていますが、軍人になった人も多かったようですね。

前途がなかなか開けない賊軍の士族たちの多くは、軍人になりました。

いちばん典型的なのは松山藩です。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』で有名な秋山兄弟の出身地です。松山藩というのは四国ですが賊軍藩です。ただ、弱い賊軍で、わずか200人足らずの土佐藩兵にあっという間に負けて降伏しました。

その松山藩の旧士族の子弟は苦労したんです。秋山兄弟の兄の好古(よしふる)さんは家にカネがないから陸軍士官学校へ行った。士官学校はタダですからね。あの頃、タダだった教育機関は軍学校と師範学校、鉄道教習所の3つでした。

弟の真之(さねゆき)さんは、お兄さんから言われて海軍兵学校へ入り直していますが、兵学校ももちろんタダでした。

この兄弟の生き方を見ると、出世面でも賊軍出身の苦労がよくわかります。好古さんは大将まで上り詰めますが、ものすごく苦労しているんです。真之さんも苦労していて、途中で宗教に走り、少将で終わっています。

賊軍藩は、明治になってから経済的に貧窮していた。だから、旧士族の子弟の多くは学費の要らない軍学校や師範学校へ行った。

その軍学校を出て軍人になってからも、秋山兄弟と同様に賊軍出身者は、立身出世の面で非常に苦労しなければなりませんでした。

『賊軍の昭和史』で詳しく触れましたが、日本を終戦に導いた鈴木貫太郎首相も賊軍出身であったため、海軍時代は薩摩出身者と出世で差をつけられ、海軍を辞めようとしたこともありました。

敗者は簡単には水に流せない

――負けた側の地域は、差別された意識をなかなか忘れられないでしょうね。

私は、昭和5(1930)年に東京向島に生まれましたが、疎開で昭和20(1965)年から旧制長岡中学校(現長岡高校)に通いました。有名な『米百俵』の逸話とも関係する、長岡藩ゆかりの学校です。

長岡中では、薩長と戦った家老・河井継之助を是とするか、恭順して戦争を避けるべきであったのかを友人たちと盛んに議論しました。先ほども言いましたように、明治に入っても官僚になった長岡人はほとんどおらず、学者や軍人になって自身で道を切り開いていくしかなかった現実があり、私の世代にも影響していました。

私よりかなり先輩になりますが、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六海軍大将も、海軍で大変苦労しているのです。

「賊軍」地域は、戊辰戦争の敗者というだけでは済まなかったということです。賊軍派として規定されてしまった長岡にとっては「恨み骨髄に徹す」という心情が横たわるわけです。

いまも長岡高校で歌い継がれているようですが、長岡中学校の応援歌の1つ『出塞賦(しゅっさいふ)』に次のような一節がありました。

「かの蒼竜(そうりゅう:河井継之助の号)が志(し)を受けて 忍苦まさに幾星霜~」

勝者は歴史を水に流せるが、敗者はなかなかそうはいかないということでしょう。

……………
半藤一利(はんどう かずとし)/作家。昭和5(1930)年、東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集長、専務取締役などを経て作家。「歴史探偵」を自称。『漱石先生ぞな、もし』(正・続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『日本のいちばん長い日』、『昭和史1926-1945』『昭和史 戦後篇』(毎日出版文化賞特別賞)、『幕末史』、『山本五十六』、『日露戦争史』(全3巻)、『「昭和天皇実録」の謎を解く』(共著)など著書多数。保阪正康との共著に『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(対談)などがある(撮影:風間 仁一郎)

■ 明治維新150年 ―「維新」の虚構を明らかにする年に 「代替案のための弁証法的空間(2018.1.3)」より
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安倍首相の明治維新観の誤り

 さて今年は「明治維新150年」。安倍晋三首相も年頭所感で、まず明治維新賛美から始まり、明治の精神に学ぼうと呼び掛けた。
 冒頭で安倍首相は、津田塾大学の創設者である津田梅子に言及し、「(梅子は)性別に関係なく個人の能力が生かされる米国社会に学び、帰国後、女子高等教育機関を立ち上げました。そして、その生涯を、日本人女性の可能性を開花させることにささげました」と、あたかも、明治になって女性の権利が拡充したかのように述べている。

 まず、ここからしてウソである。江戸時代の方がまだしも「性別に関係なく個人の能力が生かされる」可能性があったが、明治になると政治権力などの公的領域の中から女子は徹底的に排除され、女性はひたすら家の中にあって男性に奉仕する存在としてジェンダー的に再定義された。明治の「女子教育」とはそのためのものだった。

 江戸時代の寺子屋教育においては、ふつうに男女が机を並べて勉強していた。ところが明治になると、尋常小学校の最初の2年間を除けば、「男女別学」が基本になった。女子教育の本分は「賢母良妻たらしむるの素養を為すため」であるという文部省の方針からである。(文科省のサイト学制百年史参照)
 女子教育とは、女性を実社会や公的空間から遠ざけ、家の中にあって、「良妻賢母」として男性社会に奉仕する存在に特化せしめんとする、長州・薩摩の男尊女卑政府の方針の下に行われるようになったのだ。

 昨年出た、長野ひろ子氏の『明治維新とジェンダー』(明石書店、2016年)は好著である。ぜひ安倍首相はこれを読んで勉強されたい。

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


■ 「長州レジーム」から日本を取り戻す! 維新前後の妄想 「DEEPLY JAPAN(2018.1.2)」より
(※mono....前半大幅に略、詳細はブログ記事で。なお、以下文はリンクなど少し編集加工してあります。)
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■ 維新周辺の獰猛さ

で、いろいろと論点のある話だし、今年は明治維新から150年というので安倍内閣はお祭りにしようとしている風があるので、折々に批判していこうと思う。

それはそれとして、このブログ的には、上の動画の中のこの話をまずご紹介したい。

明治維新前後の関係者の、わけのわからない夜郎自大な世界観でございますよ。

一般に、吉田松陰が、朝鮮と満洲を取れと言っていたという話は有名だけど、それどころじゃないんですよというお話。この話は前にも書いた気がするけど、多分、当時の主だった人たちがこれほどまでであったとは、一般にあまり知られていないような気もする。揃いもそろって、あっちもこっちも取れ、切り取れ、という頭になっていたわけですよ。

この中で松陰に次いで有名なのは、おそらく佐藤信淵。実際大陸に切り込んでいる時代にはむしろ称賛されていた。

(※mono....中ほどクリップ画像略、詳細はブログ記事で)
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こういう発想を持っていた人たちが明治政府を経営していたのことを考えれば、1945年まで続いた膨張運動には何の不思議もないというべきでしょう。

まだ日本国内をどうするのかもわからないうちから、北海道に歩を進め、台湾、朝鮮に対するアプローチがあって、ついに日清戦争が来て、勝った。講和条約でかなり法外な要求をしていたのもここから見ればまったく無理がなく、次に日露戦争が来て、実際には日露直接対決という戦争ではないのだが、ともあれ勝って妙な自信をつけた。そして、そこで終わらないのも無理はなかった、って話に見えるわけですよ。

アメリカ、ロシアとの間でビギナーとしては上出来の外交をしていた江戸幕府の人たちとの差は歴然というべき。そしてそれらの慎重で腹の座った幕閣が騒動のたびに潰えていったことが日本の不幸でしたね、ほんと。結局日本というのは、妄想に基づく膨張主義 vs 外交、要するに幣原 vs 田中義一、みたいに考えるとたいていわかりやすいと思う。

2018年にとって安心なのは、中国もロシアも強いので、いかに安倍ちゃんが俺の晋の字は高杉晋作の晋の字だと言おうとも、だからなんだで終わる可能性の方が高いことだが、それでも、長州を声高に言う人たちが政権を取っていることの不安感はぬぐえるものではない。

世界情勢が大変だから私たちも大変だというのは一つあるとして、しかし、同時に、私たちは独自に大変な人たちを抱えているという考えを断固持つべき。2018年は、明治維新との戦いだなと思う次第。


神道
■ 為政者が歴史を口実に使いだすときは全体主義化の始まり 「Various Topics(2013.11.22)」より
(※ 前後略)
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 明治国家の最大の目的は、帝国主義戦争に生き残ることで、このために徳川300年の平和に慣れた国民を戦争に動員する必要があった。西洋には君主を超えた神の権威があるが、明治になってかつぎ出された天皇にはそういう重みがなかったので、国体という概念が作られ、国家神道という宗教が創作された
(※ 太字はmonosepia)

■ ニッポンから日本へ(2) 「MU(ムー)のブログ(2013.4.15)」より
下は「真説 ニッポンの正体:高橋五郎×小池壮彦 著」(ミリオン出版) からの引用記事

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外人イカサマ商人らが作り上げた≪明治維新≫

日本は150年前に終わった国・・にもかかわらず、まだ「明日がある」などと叶わぬ
希望を選挙民に配り続けてきたのが、我が国の政治家や各界リーダーたちだ。
私は彼らを150年来の≪ベテラン詐話師の末裔たち≫と呼ぶ。悪気がなく無邪気な、
いわば歴史痴ほう症に罹った御仁たちという詐話師である。(中略)

だが、無理もない。彼らは150年前の外人イカサマ商人らが作り上げた明治維新の実態
を知らない日本人の子孫たちだからだ。そして、明治政府のリーダーたちですら、
真実の歴史ストーリーから目をふさがれ、自身が騙されていることに気づかなかった。
明治政府は外国勢力の手で巧妙にでっちあげられたいかがわしい傀儡政府だった。
その歴史的事実から日本人全体が目隠しをされ、外国勢力がでっち上げた偽史にまんま
とはめられてきた。

日本が戦争で占領支配されたのは70余年前のことだと誰もが信じている。
だが、何度もいうが、日本は150年前から、外国勢力の手で明治政府を立ち上げさせ
られた植民地国家だったのだ。明治以来騙されてきた事実を知らない当時の元勲や
知識人は新政府を自分たちが樹立した革命的な民主主義国家だと信じてきた。

■ ニッポンから日本へ(1) 「MU(ムー)のブログ(2013.4.14)」より
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よく、「日本を守りたい」という健気な方がおられますが、何を守りたいのでしょうか?
この国は150年も前から、日本ではなくニッポンなのです。つまり、「守る」のではなく
「取り戻す」のが本義なのです。(どこかの党のスローガンですが・・)

まぁ、このシリーズを読まれれば、いかに日本という国の魂が風前の灯なのかおわかり
になると思います。それを、偽ユダヤ人や某国の精にしても始まらないレベルなんです。
国籍なんか関係なし・・魂の問題ですな。胃がんだろうと、大腸がんだろうと末期がんは
末期がん、モルヒネ打ってなんとか凌いでいる状態。日本を取り戻すのは大変ですぞ。


■ ロスチャイルド家が仕組んだ明治維新!一同が写っているフルベッキ写真!日本の裏にフリーメーソン 「正しい情報を探すブログ(2013.3.7)」より
(※ 前後大幅に略)
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明治維新については多くで語られていますが、明治維新とはロスチャイルドなどの欧米勢力が反幕府勢力に支援をして、幕府転覆を引き起こさせたことなのです。

例えば、長州軍や薩摩軍に最新の武器を提供していた勢力が欧米の武器商人たちであることは調べるとすぐに分かります。


☆ Kazumoto Iguchi's blogより「明治維新」関連記事

■ 明治維新の真実:「薩長軍は、タリバンだった!?」
(※ 下は長文からの抜きコピペ)
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無私の「武士道精神」「ヤマトごころ」を徹底的に排除し、個人の「利権」を基礎にする国造りに変えるしかありません。このためには、武士階級、端的にその象徴の「江戸」を完全否定しなければなりません。
 そのために、武士(薩長)でもって武士(江戸)を排除する。これが明治維新の真実です。
 こうして見ると、明治政府が極端な欧米化政策をとった本当の理由が見えてくると思います。彼らは世界金融支配者の裏からの支援を受けて、政権に就きました。世界が称賛してモデルとした江戸のパラダイス社会を徹底して否定するしか彼らの生きる道はなかったのです。
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明治維新というものの本質は、英米のアングロサクソン国家、今でいうところの「偽ユダヤ人国家」が、偽ユダヤ人による世界統一政府樹立のために、アジア支配を目論だ時、アジアのまだ残っている最高文化勢力であった、この日本、江戸時代の日本を、金融的にも政治的にも破壊することが目的だったというにすぎない。

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■ トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」:「ユダヤ製国家日本、日本製国家イスラエル」の方が良かったか!? 2012.5.10
(※ 下は長文からの抜きコピペ)
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日本統治下の国々は、中国であろうが、韓国朝鮮であろうが、基本的には人道主義を主張し尊んできたわけである。トケイヤーがいうには、日本の差別の無さは、当時傑出していて、欧米諸国など比ではないと言っている。その伝統は、おそらく明治維新よりずっと前の江戸時代にできたもので、商人であろうが、武士であろうが、実質的にはほとんど差別がない社会になっていた、その伝統であるとトケイヤーはいう。

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■ トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」2:いま蘇る鉄砲伝来の真実!
(※ 下は長文からの抜きコピペ)
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一般には、日本人が明治維新を起せた原動力は、識字率の高さ、寺子屋制度、武士制度、天下太平の江戸時代の文化、などがその原因とされている。しかしながら、私個人の印象では、日本には、古来から日本刀に代表される鉄の技術があったこと、そしてそれがポルトガル人ピントによる鉄炮伝来による鉄炮技術ができたこと、こういう鉄炮と刀の技術が、日本の近代化を実現する原動力となったことはまずまちがいないだろうと見る。今でいう科学技術の力が、江戸時代までに日本には潜在的に備わっていたのである。

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■ たかじんのNOマネー:おめえにやる生活保護はねえ〜!「外人天国」日本! 2012.6.5
(※ 下は長文からの抜きコピペ。)
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明治維新は、江戸時代と質が違う日本社会へ移行させるものだったことはまず間違いない。要するに、半島人による日本支配を目的としたものであったのだろう。その悪しき伝統が今も綿々と続いているのである。

逆に言えば、日本人の人の良さ、お人好し、優しさ、親切心が外人につけ込まれるスキを与えているというわけだが、それがまた日本人の良いところでもあるというわけである。

















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