● 昔は良かった〔アンサイクロペディア〕
 「昔は良かった」と言っている連中も、その前の世代の人には「昔は良かった」と言われているので、つまり世の中というものは昔ほど良い、逆に言うとこの言葉は時代が下るほど悪くなっていっていることを証明している。
 しかしながらこれは延々と続くものであり、それを繰り返していくと、いずれビッグバンまでたどり着ける。結論をいうと宇宙も時間も空間も無かった頃が良かったということである。




■ 昔の日本人は慎ましかったなんて大ウソ!? エロ住職や全裸ダンス…戦前の三面記事がカオス過ぎる! 「ダヴィンチnews(2015.2.20)」より
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 新聞の社会面をあらわす代名詞「三面記事」。新聞が全四面だった明治時代からの名残でそう呼ばれているようだが、いつの時代も、社会で何が起きているかを知るのに役立つ貴重な空間である。政治面や経済面と比べて、情報がそのまま生活へ直結するとは限らない。知って得するわけではなく、取るに足らないことが書いてあることもしばしばだ。

+続き
 ときにはあっと驚く事件やゴシップも見かけるが、それはどうやら現代に始まったことではないらしい。「昔の日本人は慎ましかったなんて大ウソ!?」とうたう書籍『三面記事から見る 戦前のエロ事件』(彩図社)には、明治時代の新聞に書かれていたという「何じゃそりゃ!?」と思わずツッコミたくなるような事件の数々が記録されている。

「覗き」が趣味 懲りないエロ住職(読売新聞・明治13年4月22日 掲載)

 近隣のお風呂屋では「また助平和尚が来た」とだいぶ噂になっていたという。東京・本所のとある寺院でお務めする住職は、自分が利用するときには女湯を覗き、ちょっとの用事で通りがかりにも立ち寄るたびに覗くなど、もはや“日課”ともいえるほどに女湯を覗いていたという。ただ、当時は男女別の入浴も徹底されていなかったため逮捕はされず、結果として住職は周囲の銭湯すべてから出禁に…。

 とはいえ、もはやライフワークともいえる住職の執念がこの世に具現化したのか、寺院の近くに温泉が開業するやいなや、洗い場から「女湯が見える」と聞きつけた住職はチャンスとばかりに、カゼをひくのもおかまいなしに通い続けたそうだ。

明治時代に存在した「女愚連隊」とは(東京朝日新聞・明治45年7月 掲載)

 新聞はときに時代を辿る道標にもなる。愚連隊と呼ばれる不良集団が社会問題となっており、同時期には「女愚連隊曙組」も街中で強盗などの暴力行為を働き、人びとを恐怖に陥れていたという。

 今でいう東京の芝や麻布辺りを根城にしていた女愚連隊に対して、「強盗などを繰り返している」という情報を聞きつけていた警察も非常線を張り巡らせていた。後日、所轄の三田署員が「令嬢風の怪しき女」を発見。あとをつけたところ某所にあった埋立地の作業員施設には曙組とみて間違いない17才〜18才の少女たち数名を連行したという。

 その後、裁判で有罪が確定。当時の新聞には「女愚連隊の処刑」という何ともショッキングな見出しが踊ったそうだが、これは何も拷問や死刑といったものではなく、明治時代にはあらゆる有罪判決を「処刑」と表現していたそうだ。

大阪の「全裸ダンス団」検挙事件(大阪朝日新聞・昭和6年7月7日 掲載)

 もはや見出しからして出オチである。東大阪のある民家の周囲では「夜な夜な多数の男女が出入りする」という噂が絶えなかったそうだ。ごくふつうの民家になぜ…。大阪泉尾署が噂を頼りに内偵捜査を続けていたところ、警察にある投書が送られてきた。「同家で一糸まとわぬ全裸レビュー団が踊り狂っている」というものである。

 昭和6年7月5日、記事掲載2日前となった夜に、捜査員たちは複数の男女が民家へ入るのを確認したのちに踏み込んだ。いったい何が行われていたのか。捜査員たちが目撃したのは、広さ20畳ほどの大広間で繰り広げられていた乱交ともおぼしき、複数の男女が重なり合うダンスパーティーだったという。

 主催していたのは、大阪東城区に住む30才の男性。逮捕の前年、昭和5年秋ごろに男女20数名の会員制サークル「全裸レビュー団」を立ち上げ、全裸で踊るショーを夜な夜な会員たちに向けて披露していたようだ。ダンサーはおかめやひょっとこ、ロボットのお面を身につけるという何とも奇怪な格好で踊り狂っていたという。

 さて、いかがだっただろうか。事実は小説よりも奇なりとはかねてよりよく使われる言葉だが、まったくもってそのとおりだと気付かされる。また、表現の規制が今ほどではなかった昔の新聞は、見出しのインパクトも強烈だ。ほかにも「勘違い外国人 カメラ持参で女湯乱入」や「『奥さん貸して』『いいよ』事件」など、見出しだけでグッと心が惹きつけられるのも多々あるのだが、続きはぜひとも同書で実際に確認していただきたい。

文=カネコシュウヘイ

■ 昔々の日本は良かったなんて大ウソ!? 毒親、毒子ばかり? 古典から知る残酷な親子関係 「ダヴィンチnews(2014.4.25)」より
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 幼児虐待やネグレストなど、親による子どもの被害が絶えない。去年は、ビックダディの元妻・美奈子さんや、女優・遠野なぎ子さんらが体験談を語った毒親が話題になった。子どもばかりではない。介護疲れによる親に対する虐待もよく聞く。親子関係の希薄さが度々取り沙汰される昨今だが、『本当はひどかった昔の日本 古典文学で知るしたたかな日本人』(大塚 ひかり/新潮社)を読めば、こうした問題が今に始まったわけではないことがわかる。

 『曽根崎心中』で有名な浄瑠璃作家・近松門左衛門。心中物を多く残しているが、著者によると、“毒親カタログ”として読むことができるという。心中の原因が、彼らの親につながることが多いからだ。

 近松の著作『長町女腹切』(1712)では、欲深な継父が、継娘のお花を10年も女郎奉公させた上に年季をさらに伸ばそうと、恋人との仲を裂こうとする。「年季を延ばして男との仲を引き裂こうとするのはあんまりむごい。本当の親より継父はもっと大事と心がけ、ずいぶん孝行を尽くしたけれど、あなたは私にみじんも憐みはございません」と大声をあげて泣くお花に対して、継父は「お前の母にゃ何の見込みもないが、お前を売って食うために夫婦になった」と、お花に言い放つ。そもそも継父が、お花の母親と結婚したのも、お花を金にするのが目的だったというわけだ。

 江戸時代は離婚率が高く、継父・継母は多かったようだ。近松の物語は、親のために行き場をなくして死に逃げ込む主人公が多いことから、「世の不幸のひとつは親子関係に端を発すると近松はにらんでいたのでは」と著者はいう。

 継父・継母に限らず、実の親もまた子どもを乱暴に扱う場面が、平安時代末期に成立した説話集『今昔物語集』に多く登場する。例えば、山で物乞い2人に犯されそうになった若い母親が、幼い子どもを人質において逃げたという話。逃げてきた母親に事情を聞いた武士たちが現場に駆けつけると、すでに子どもは殺されたあとだった。武士たちは、「子はかわいいけれど、物乞いに身を任せるわけにはいかないと思って逃げたのだろう」と、女の行為を褒めているのだ。今であれば、母親が子どもを犠牲にして逃げたと非難されるだろう。しかし当時の人々は、母親が貞操を守るために泣く泣く子どもを犠牲にしたと、好意的に受け止めていたらしい。現代に比べ、いかに日本人の育児意識が低かったかがわかる。

 そんな親に育てられたためか、子どもも親に対してひどい仕打ちを行っていた。著者は、おとぎ話として有名な『舌切り雀』の原話、鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』に出てくる「腰折雀」の物語を、一種の老人虐待と受け取れると紹介する(原話ではないという説もあり)。

 悪ガキに腰を折られた雀を、主人公の60歳くらいの女が助ける。世話をしていると、子どもや孫に「お婆さんはいい年をして雀を飼いなさる」と笑われてしまう。雀がお礼にくれた瓢の種を持ち帰ると、「まあ大変。雀の物をもらって宝にしている」とまた笑われる。この時点で、老人が家でひどい扱いを受けていることがわかる。この瓢の種が実をつけると白米が出てきて、お婆さんは金持ちに。これを見た隣の家の女は、子どもに「同じ年寄りでも、こちらははかばかしいこともできない」と言われる。そこで隣の女は、子どもたちから認められようと、石をぶつけて故意に雀の腰を折る。雀からもらった瓢の種からは、無数の毒虫が出てきて、お婆さんは子どもと一緒に刺し殺されてしまう。

 物語としては、人を羨むものではないと話を結ぶのだが、そもそも隣のお婆さんがそんな行為に及んだのは、自分を蔑む子どもたちを見返そうとしたから。舌切り雀の原話では、当時の老人たちの置かれた立場の弱さが浮き彫りになっている。

 古典文学に反映された、日本人の残酷な親子関係。昔からあるものだから、今も仕方がないというわけではもちろんない。むしろ、時代が変わり、モノや食べ物にあふれた豊かな世の中になっても、親子間の虐待の問題はそれ以上に根深く、なかなか解決されない現状を思い知らされる。

文=佐藤来未(Office Ti+)

■ 「昔はよかった」は本当か? 戦前の日本人のマナーがひどかった! 「ダヴィンチnews(2013.12.10)」より
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 アルバイトがTwitterで悪ふざけした写真を投稿する“バイトテロ”や、相次ぐ食品偽装に対し、「日本人のモラルが低下した」と嘆く人は多い。なかには「戦後の民主主義教育のせいだ」「戦前の日本人はすばらしい道徳心を持っていた」と言う人もいる。だが、それは果たして本当なのか。そう疑わずにいられなくなる本が、『「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える』(大倉幸宏/新評論)だ。というのも本書には、現代人なら仰天必至の、戦前の日本人のマナーの悪さ、モラルの欠如が露わになっているからだ。
+続き
 たとえば、多くの人が行き来する駅や電車の中でのマナー。現代は混雑するホームで列をつくって電車を静かに待つ日本人の姿に、外国人から「さすが礼儀正しい」と称賛の声があがるが、大正時代のその光景は“傍若無人の見本市”。1919(大正8)年に発行された電車でのマナー向上のための小冊子には、「無理無体に他を押しのけたり、衣服を裂いたり、怪我をさせたり、まことに見るに堪えない混乱状態を演ずるのが普通であります」とある。こんな有様なのだから、電車が出発した後も車内はカオス。現在のようにお年寄りや病気の人に席を譲るという習慣はなく、先に座った者勝ちの状態。床には弁当の空き箱やミカンや柿の皮、ビールや日本酒、牛乳、サイダーの瓶などが捨てられ、ときには窓の外へ弁当箱やビール瓶などのゴミを投げ捨て、線路の保安員が重傷を負う事件もあったという。

 しかし、道徳心がなかったのは市井の人々だけではない。「天長節」という、かつての天皇誕生日に行われた政府主催のパーティーでさえ、出席者である国内外の“身分の高い人たち”によって、食器やフォーク、スプーンなどが持ち去さられたのだ。当時はこうした“窃盗行為”も、「日常的な光景」だったという。

 こうしたモラルのなさは、海外との貿易の場でも問題となった。戦後は日本の製品は質が良く安全だと評価されるようになったが、戦前は儲け重視で不正行為のオンパレード。とくに大正前期は「特許権の侵害や商標の盗用を繰り返し(中略)粗製濫造を重ねて」いたといい、油に水を混ぜたり、大豆に石を混ぜたりと、その手口も超ズサンだ。

 現在、深刻な問題となっている児童虐待も今に始まった話ではない。戦前の記録によれば、貧しくもないのに息子を学校にも通わせず、家事一切を強制し体罰を続けた父親や、女中と共謀して息子2人を全身に大やけどを負わせながらも幽閉状態にした母親など、虐待例は数多くある。なかには0歳の娘を犬小屋のような箱に寝かせたまま納屋に投げ込んで、5か月間ものあいだ満足に食事を与えなかったというネグレクトの事例も。

 「昔は近所づきあいが濃密だったけれど、今はそれもないから虐待を止められない」とはよく言われることだが、戦前も、虐待に気付かなかったり、知っていても通報をためらったり、単純に見て見ぬ振りをするなど「人間関係の希薄さ」が見えてくる。これについて著者は、「かつての地域社会に対する今日のイメージは、単に美化されているだけの部分が少なくないのかもしれません」と述べている。

 このほかにも、高齢者に対する虐待や、子どものいたずらの横行、しつけの甘さなど、戦前のモラルのなさを浮き彫りにする本書。こうして見ていくと、日本人のモラルは「もともと低かった」としかいいようがない。いや、むしろ今のほうがずっとマシ……というのが事実なのではないだろうか。

 それにしても、大正時代には東大の教授が“第一次世界大戦の終結後から道徳心が低下している”と著書で嘆き、明治時代には貴族院議員が“明治維新以降、日本人の道徳は破綻してしまった”と述べていることからもわかるように、つねに「昔はよかった」と昔を回顧し現状批判をするのが日本人の特性、なのかもしれない。

特に懐古主義者とやや卑下された言い方をされる人は昭和時代がすごくよかったものと思っている人がいます。今は不景気だし、残虐事件も多いし、安定もない、それに比べて昔の昭和は~。ですが、冷静に考えてみれば昭和時代より今の平成時代のほうがはるかによい時代です。

■ 古典に育児放棄の記述も! 「昔はよかったのに」という幻想を暴く 「サイゾーウーマン」より
『古事記~いのちと勇気の湧く神話』著者インタビュー
「昔は○○だったのに、今は……」とよく言われますが、この本を読むと、古代人も今と同じようなことで悩んだり怒ったりしていますよね。
大塚 当時の人々は、母性本能なんて信じていません。人でも動物でも、一定数の者は育児放棄するものだという前提です。
大塚 江戸初期の『苅萱』という古典には「夜泣きする子は七浦七里枯るる」というフレーズが出てきます。要は「夜泣きする子どもは出て行け」ということ。これは空海の母親の伝説なんですが、母は我が子を土に埋めてしまう。そこに居合わせたお坊さんが「これは夜泣きではない、お経だ」と言って助ける。当時から子育てする母親への風当たりは強かったし、それに追い詰められる母も多かったことがわかります。
大塚 普通の人は、多分百年前のことだってちゃんとはわかってないですよ。きっと3つくらいの例で「昔は○○だった」って言ってるだけ。私は昭和40年代に小学生でしたけど、お仕置きとしてご飯を食べさせないで外に出される子どももいましたし、学校の先生もビンタは当たり前でした。そんなこと今なら大問題ですよね。当時は「栃木実父殺し事件」があり、父親が娘を犯し、子どもを何人も産ませてた。性的虐待は今よりずっと多かったと思います。セクハラだって昔は言葉がなかっただけで、百歩譲っても現代と同じか、もっとひどかったはず。“昔”は決してユートピアじゃないんです。
大塚 人間は悲しいかな、年を取れば悪いことは忘れ、いい思い出だけが残りがち。エジプトのパピルスにも「昔はよかった」って書かれてたと聞きます。何千年も前から人は「昔は」とか「今の若者は」とか言ってたんですよ。「昔は」と攻撃してくる人も、かつてはもっとヒドイ攻撃を受けていた。世の中が急に意地悪になったんじゃなくて、昔からずっと意地悪なんです。「夜泣きする子は七浦七里枯るる」のような、乳児持ちの母に出て行けと迫る意地悪なご近所は、ずっとあるんです。
大塚 古事記のすばらしいところは、決してお説教じみてないところ。事実として淡々と書かれているから、受け取る側が「あぁそうか」と腑に落ちるんです。ダメな母親も意地悪なご近所も、『古事記』の時代からずっと続いています。ただ『古事記』には子を捨てる親がいる一方で、泣いてる捨て子に名前をつける人もいる。今よりずっと過酷な世界の中で、それでもなんとか「生きよう」とした人間たちの息吹が、読み手に強いバイタリティを与えてくれるんだと思います。


■ 「いつから私は"対象外"の女」大塚ひかり 「読まずに死ねない(2012.6.9)」より
あんまり面白くなかった・・・。
どしてだろう?それは、「自虐」が足りないから。
この人には、読者が「自分の方が幸せ」、「自分の方がマシ」と優越感を感じさせる何かが足りない。
女性がエッセイを書くと、自慢話になりがち。

 昔、有名人の女性のエッセイを集めた本を読んだら、自慢話てんこもりでつまんねーの。曰く、弟は外科医。夫は某有名ブランド・メーカーの日本支社長。

 他の女の自慢話なんて聞きたかねーの。

 やっぱり、エッセイが一番面白いのは、林真理子センセイであろう。あれだけの成功者ですもの、自慢の種はいくらでもあろうが、自虐のポーズをとって下さるのはさすがでございます。
 自分で自分を「バカじゃん、私」と笑い者にし、「まあ、暇つぶしに私の話を聞いてやってくださいまし」と言ってみる。

 その姿勢が大事なの。


■ 平安貴族の生き方を語り固定観念を変える大塚ひかりさん 「今日も星日和(2006.11.16)」より
一番わかりやすい『恋愛・家族』でいえば、平安時代は通い婚。一対一の関係ではないし、父とか夫とかの立場も今とは違うんですよね。
「昔は父親の立場は強かったのに今は」なんてテレビで語る人もいますけれど、この「昔」は明治時代ぐらいのことで、もっと前にさかのぼれば女系だったわけです。そう考えると、簡単には「昔は」なんてステレオタイプの言い方はできなくなるなあと思います。






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