● 日本製原爆完成全文
広島•長崎の原爆は「新宿 中村屋」が製造使用した。
● 昭和20年8月10日、日本政府がスイスを通じ米国政府に出した「米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」 「サッカーサイト foot001」より
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   我が国の「原爆投下批判」の原点
●昭和20年8月10日、日本政府がスイスを通じ米国政府に出した「米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」
 この「抗議文」は、米軍が昭和20年8月6日、事前警告なく広島に原爆を投下し、一般市民を大量殺害したことに対し、その僅か4日後の8月10日に、日本政府がスイスを通じて米国政府に出したものである。
 この「抗議文」において日本政府は、原爆投下を、それまでの都市に対する無差別爆撃とともに「国際法および人道の根本原則を無視」したものだと厳しく批判している。この「抗議文」にある日本政府の態度こそ、原爆に対する我が国の基本姿勢の原点というべきものであろう。

 ところが、今年(平成14年)8月に広島市に開館した「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」の宣誓文(説明文)には、「(略)誤った国策により犠牲となった多くの人々(略)その惨禍を二度と繰り返すことがないよう、後代に語り継ぎ、広く内外へ伝え(略)ことを誓います」と記されている。この文には、「原爆を投下されたのは日本政府が誤った国策を採用したからだ」という「原爆投下容認論」しかない。「原爆投下は、米国による国際法及び人道の根本原則の無視・違反行為だった」という昭和20年当時のこの「抗議文」に示された視点は完全に欠落している。
 米国による日本占領期間中に行われた政治宣伝に惑わされる前の、日本政府の主張がどういうものであったのかを広く知ってもらうために、この「抗議文」の全文(日本語及び英語)をここに紹介する。(平成14年10月3日、日本会議事務局記す)

米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文

 本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり。

 広島市は何ら特殊の軍事的防衛乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず、本件爆撃に関する声明において米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以つてこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは物理的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知しをるところなり。

 また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨憺なるものと言ふべきなり。

 聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条(ホ)号に明定せらるるところなり。

 米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。

 而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かゝる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。
(正漢字は現代風に改めた。出典:『朝日新聞』昭和20年8月11日)


English

A New-Type, Cruel Bomb Ignoring International law; Imperial Govern-ment Protest to the Government of the United States.

 With regard to the attack by a new-type bomb on the city of Hiroshima by a B-29 bomber on the 6th inst. the Imperial Government filed the following protest on the 10th inst. to the Government of the United States through the Government of Switzerland, and gave instructions to the Japanese Minister to Switzerland, Kase, to make the explanation of explanation of the same effect to the Inter-national Committee of Red Cross.

 Protest against the Attack of a New-Type Bomb by American Airplane:

On the 6th of this month, an airplane of the United States dropped a new-type bomb on the urban district of the city of Hiroshima, and it killed and wounded a large number of the citizens and destroyed the bulk of the city. The city of Hiroshima is an crdinary local city which is not provided with any military defensive preparations or establishments, and the whole city has not a character of a military objective. In the statement on the aerial bom-bardment in this case, the United States President “Truman” asserts that they will destroy docks, factories and transport facilities.
However, since the bomb in this case, dropped by a parachute, explodes in the air and extends the destructive effect to quite a wide sphere, it is clear to be quite impossible in technique to limit the effect of attack thereby to such specific objectives as mentioned above; and the above efficiency of the bomb in this case is already known to the United States. In the light of the actual state of damage, the damaged district covers a wide area, and those who were in the district were all killed indiscriminately by bomb-shell blast and radiant heat without dis-tinction of combatant or non-combatant or of age or sex. The damaged sphere is general and immense, and judging from the most cruel one that ever existed. It is a fundamental principle of international law in time of war that a belligerent has not an unlimited right in chosing the means of injuring the enemy, and should not use such weapons, projectiles, and other material as cause unnecessary pain; and these are each expressly stipulated in the annex of the Convention respecting the Laws and Customs of War on Land and artices 22 and 23(e) of the Regulations respecting the Laws and Customs of War on Land. Since the beginning of the present World War, the Government of the United States has declared repeatedly that the use of poison or other inhumane methods of warfare has been regarded as illegal by the pubic opin-ion in civilized countries, and that the United States would not use these methods of warfare unless the other countries used these first. However, the bomb in this case, which the United States used this time, exceeds by far the indiscriminate and cruel character of efficiency, the poison and other weapons the use of which has been prohibited hitherto because of such an efficiency. Disregarding a fundamental principle of international law and humanity, the United States has already made indiscriminate aerial bombardments on cities of the Empire in very wide areas, and it has already killed and injured a large number of old people, children, and women and collapsed or burned down shrines, temples, schools, hospital and ordinary private houses. Also, the United States has used the new bomb in this case which has indiscriminate and cruel character beyond comparison with all weapons and projectile of the past. This is a new offence against the civilization of mankind. The Imperial Government impeaches the Government of the United States in its own name and the name of all mankind and of civilization, and demands strongly that the Government of the United States give up the use of such an inhumane weapon instantly.

Note: Japan Branch of the International Law Association, Japanese Annual of International Law, 8, pp.251-2. (Tokyo: 1964)





2015/06/25 に公開
アメリカ政府は、原爆投下機(XB32)が帰還しなかったことを隠す必要があった。
「日本人が知らなくてはならない本当の昭和史」
リンク:http://kisarazu.org/?page_id=56

開一
1 年前
最高軍事機密だから、全部デマかもね。

2

川崎Special
1 年前
ヒトラーが暴れて、物理学者シラードが「ナチスより先に原爆を開発すべきだ」という
実はこの二人はユダヤ人であり、欧州の物理学者をアメリカに集めるために動いていた
シラードは英国と通じていたから司令塔(ロスチャ?)は英国にあったのだろう
ヒトラーが原爆に興味を示さなかったのも当然で原爆をアメリカで開発するために暴れたのだから

nemesis3112011
10 か月前
1.
マンハッタン計画の最重要目標は、実は
東洋に於ける最大のカトリック拠点であった長崎だった。

原爆開発、およびその投下を企画・決定したのは
ボヘミアン・クラブに属する悪魔崇拝の秘密結社「死の血盟団」。
(イルミナティーだのフリーメイソンだのスカル・アンド・ボーンズだの、
その時々、場合によって分け方や呼び名は変わる)

米国中枢部を支配する彼らの世界戦略の野望を脅かしていたのが、
日本の(というかアジアに於ける)カトリック勢力の最大拠点である
長崎であった。

戦後の日本支配にあたり、現人神とされてきた天皇の「人間宣言」後に
拠り所を失うであろう日本の大衆のさまよえる心がキリスト教に流れるのを防ぐため
長崎を予め叩き潰しておく目的で、

原爆開発の要となる重要ポストに奴らの息の掛かった人間を送り込み、
原爆を完成させ、投下目標を決定させ、そして実行させたのであった。

長崎の秘密
https://www.youtube.com/watch?v=o0gTxfRIVm4
長崎の秘密(デイビッド ・ディオニスィ) japanesetson.pdf
https://www.axfc.net/u/3925472

最初から「長崎の破壊」が、何よりも重要な第一目標であった。

しかしその事実が明らかになると、全世界の何十億という
カトリック信者(勢力)を敵に回すことになる為、狡猾な奴らは
さまざまな方法と手段でもってその事実を巧妙に隠蔽してきた。

例えば、「マーケティングにおける 『一番乗り』 の理論」
それぞれの分野に於いて人々は、
それを最初に成し遂げた人物や事柄については鮮明に覚えているが、
2番目以降は殆ど忘れ去られてしまう、というものがあるが、
その理論に従い、

彼らの最重要目標である長崎のカテドラル(浦上天主堂)は、
少しでも人々の記憶から薄れるように、
最初から2番目の原爆投下として決定されており、
そして最初の目標には広島が選ばれた。

実は戦争末期には、ロンメル将軍を通してナチスドイツから横流しされた
ウラン型原爆も手に入れていたのだが、
最重要目標である長崎のキリスト教集落の壊滅の為には、
自分の手で開発し、テストも済ませて、100%機能することを確認した
自前の核兵器を使用しなければならなかった。

もちろん、その長崎投下は2番目以降と予め決まっていたから、
「貰い物」であるウラン型は、手を加えて「リトルボーイ」として
性能比較テストも兼ねて最初の目標に選ばれた広島に投下された。

スパイ ”ベラスコ” が見た広島原爆の正体 (高橋五郎)
https://www.youtube.com/watch?v=WVsgsJzJWUA
ナチスドイツの原子爆弾 - ルイジ・ロメルサの証言
https://www.youtube.com/watch?v=lC3Lp1dMmP0

また、長崎が本目標となるその2番目の原爆投下でさえ、
表向きには第一目標は小倉と偽って、
その上空をわざわざ3回も通過した挙句(アリバイを作り)、
天候不順による視界不良のため仕方なく
次の長崎に目標を変更したという風に、
あくまで「偶然によって」長崎への原爆投下が決定された、
などという宣伝(情報操作)が大々的になされた。
(※これについては数々のドキュメンタリー映像によって、我々も
散々聴かされ続けており、今ではそれが公式説となっている)

そして、実際の目標決定という重要な権限を持っていたのは、
オッペンハイマーでもなく、グローヴス将軍でもなく、
実は「死の血盟団」スカル&ボーンズの団員の
スティムソンであったのである…

これもまた、グローヴス将軍の
軍人としての冷徹さを必要以上に強調し、
極悪人として印象づける操作が行われる一方、
本当の悪魔の秘密結社員であるスティムソンを
あたかも日本の文化を愛した善人のようにイメージ付けるといった
これまた大嘘のプロパガンダが
現在に於いても尚、堂々となされ続けている。
(※NHKドキュメンタリー番組など!)
https://www.youtube.com/watch?v=2aZ4c5iL-eg

nemesis3112011
10 か月前
2.
ナガサキ・消えた原爆ドームという話
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/urakami.html

原爆ドームといえば、広島が有名だが、同じ被曝都市の長崎では、
平和祈念像が有名である。と、なんとなく、ぼくは考えていた。
しかし祈念像はあくまで戦後の記念碑であって、被曝遺構ではない。

では、長崎に被曝遺構はなかったのかといえば、
実はヒロシマの原爆ドームより、欧米人にとっては、
もっとインパクトの強いものがあるはずだった。
それが浦上天主堂キリスト教会である。

1945年8月9日、広島に続いての2発目の原爆は
北九州・小倉に落とされる予定だったが、小倉上空の雲が濃く、
投下目標を視認できないため、B29は第二目標の長崎に向かった。
長崎には三菱の造船所と兵器工場があったからだ。

ただ、長崎はもうひとつ、日本で最も多くのキリスト教信者がいる街でもあった。

長崎での投下目標は、市内中心部の中央橋の予定だったが、実際は、4Km北にずれ、
よりによって、長崎でもキリスト教信者がもっとも多く住んでいた浦上地区の上空、
しかも日本のキリスト教の歴史上、最も重要な建築物である
浦上天主堂カソリック教会のほぼ真上で爆発したのである。

*************************

皮肉なのは、浦上のキリスト教信者ほど、
キリシタンへの弾圧と迫害に耐え抜いてきた人々はいないということだ。
キリスト教が禁令となったのは江戸時代の初期だが、
それから260年間を、隠れキリシタンとして、代々密かに信仰を伝え続けたのだ。

幕末に日本が開国して、長崎の外国人居住区に「大浦天主堂」が建てられると、
長崎の町人は珍しそうに眺めていたが、浦上の住民は密かにやってきて、
神父に「実は私達は…」と訴え出たのである。
これがローマ法王に報告されると、「東洋の奇跡」と言われ、
欧米を感動させた「信徒発見」である。

ところが、それでも、明治政府のキリシタン弾圧は止まず、
その時に判明した浦上のキリスト信者3400人は、
日本中のあちこちの藩に配流され、拷問や病死で600人が死んでしまう。

ただ、それらが欧米各国に知られると、たちまち糾弾されることになった。
折しも、明治政府は欧米と不平等条約を改定してもらうための
交渉を必死にやっていたが、
国内でのキリスト教弾圧が、その障害になっていることがわかると、
やっと、明治6年になって、キリスト教禁令を撤廃するのである。

牢から出されて故郷の浦上に帰った信者達は、
いちから生活を立て直さなければならなかったが、
その彼らがともかく信仰のために最初に考えたのは、
自分達のための教会を建てようということだった。

彼らは貧困の中で、煉瓦を一個ずつ買い求め、積み上げ建築し、
明治28年から大正14年まで30年かかって、ついに完成させたのが
浦上天主堂だったのである。

しかも、それが建築された土地は、江戸時代を通じて
「踏み絵」を強制されてきた庄屋屋敷の跡だったという。
キリスト者にはそういう執念があるらしく、
長崎県内の多くのキリスト教会のほとんどが、
昔、踏み絵をやらされた地主の屋敷跡に建てられているという。

とにかく、そうやって30年をかけて、やっと完成した浦上天主堂の真上に
20年後、原爆が落とされたのである。

nemesis3112011
10 か月前
3.
実は、その教会の廃墟は、被曝から13年後の、
ぼくが小学校1年生の頃までは、そのままの姿で残っており、
教会の庭には聖像の首がゴロンゴロンと転がっていたのである。

そして、その頃には、長崎を観光で訪れる人々のための
市内観光バスツアーというのが既にあり、
その目玉が浦上天主堂の廃墟であり、
廃墟から掘り出された鐘楼の鐘を鉄塔に吊り下げた
「アンジェラスの鐘」だった。

その背景には、被爆者であり、キリスト教徒である長崎大学医学部の
永井隆教授が書いた「長崎の鐘」という著作が大ヒットしたことがある。
それは原爆の悲惨さを描いたものであり、
最初、アメリカ側はその出版を許さなかったが、
永井博士がキリスト教者として、被曝を神の摂理として肯定的に捉え、
平和を祈りながら死んだことを知ると、軟化した。

1952年に日本が独立した後、出版され、映画化されると、
全国的に感動を呼び起こし、藤山一郎の歌も大ヒットして、
日本中で誰もが知るようになった。
当然ながら、市議会も市長も、その廃墟を
「被曝の歴史」として保存しようと考えていた。

***************************

一方のアメリカでは、原爆の威力と被害が次第に明らかになると、
良心的な知識人やマスコミの間で、それを投下したことに対する、
地味だが、批判的な意見が出るようになっていた。
さすがに心が痛んでいたのである。

そこでアメリカ政府は、軍部の見解として、
もし原爆を使わず、日本上陸作戦を行っていたら、
双方に50万人以上の戦死者が出たと予想され、
原爆はそれを阻止するための手段だったのだと説明し、
多くのアメリカ人は「なるほど!」と納得して現在に至っている。

しかし、長崎の原爆遺構として、
キリスト教会の廃墟が永遠に残されるというのは、
アメリカ側としては、どうにもバツの悪いものであった。

ただでさえ、「長崎の鐘」の永井博士は、ヘレン・ケラーから見舞いを受け、
当時のローマ教皇ピオ12世からも特使を派遣されて讃えられ、
長崎の名誉市民にもなっており、被爆地の聖人視されていたので、

教会の廃墟が残る限り、ナガサキは日本人の悲劇というに留まらず、
キリスト教信者をも含む、全人類を代表しての原爆に対しての、
悲劇の聖地という役割になってしまうのである。

そこで、アメリカ側は、長崎市議会の 「浦上天主堂の廃墟を保存する」
という決定をくつがえすために、動き始めるのである。

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まず最初、アメリカのセントポール市というのが、長崎市に対して
突然、姉妹都市提携をしようと提案してきたのである。
姉妹都市というのは、今ではよくある話だが、当時は日本初の話であった。

とにかく、仲良くしようという話なので、長崎の田川市長としては断る理由がない。
受け入れると、すかさず、提携式典に市長を招待したいと言ってきた。

ただ、当時の大学初任給が1万円の頃に、
アメリカに旅客機で行くだけで片道30万円かかる。
日本はまだ復興の途上にあったので、
日本国が役人の出費にも厳しく、許可を出さなかった。
今と違って役人は真面目だったので、田川市長は行かなかった。

ところが、アメリカは翌年になって、国務省から駐日米大使を通じて、さらに招待し、
今度はアメリカ側が費用を出すということになった。

それならということで、田川市長は応じて、アメリカに渡ったのであるが、
それは、一泊二日どころではなく、一カ月間に渡って、
アメリカを東から西まで縦断して視察してもらい、
アメリカの文化を見てもらいたいというものであった。

あちこちで歓待の嵐に合い、それはまるで竜宮城のような接待だったという。
そして、帰ってくると、彼は突然、
浦上天主堂の廃墟は、撤去すると言い出したのである。

実は田川市長が渡米する前に、山口・長崎大司教が渡米している。
実質上の浦上天主堂の主権者である。
彼はあちらでキリスト教会の祭司達と合い、
浦上天主堂の再建費用の寄付を募って回った。

すると、あちらの有力者から再建費用は喜んで出すが、
それについての条件が、浦上天主堂の廃墟を撤去することだったという。
山口は、喜んでそれを呑んだという。

彼も、原爆投下は神の摂理であり、
平和のためには仕方がなかったと肯定する人だったのである。
その彼が長崎に帰り、田川市長もアメリカで洗脳されて長崎に帰り、
相談した結果は、当然ながら浦上天主堂の廃墟の撤去だった。

市議会議員の中には、絶対に残すべきだと主張する人も多く、
新しい浦上天主堂は同じ地に建設するにしても、
被曝遺構としての浦上天主堂は
今の平和公園の土地に移し替えて保存したらいいじゃないかと申し入れたが、
田川市長は、あくまでも教会の廃墟は撤去であり、
保存しないということにこだわったという。

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そして、1958年3月に浦上天主堂の被曝遺構は破壊されたのである。
しかも、その2週間後に、市役所が火事になり、
被曝遺構としての浦上天主堂の写真をたくさん取り貯めていたことで有名だった
池松さんという市職員のフィルムも全て焼けてしまった。
それをミステリアスと言う人もいるが、ま、偶然なのだろう。

広島ドームは現在、世界遺産であるが、
もし浦上天主堂の廃墟がそのまま残されていたら、
それ以上の世界遺産だったに違いない。

だから、長崎市民の中でも、当時の事を知る年代の人々にとっては、
「田川市長の心変わり」というのは、時々、酒の話題になることがある。
とにかく、今では原爆に対する姿勢が
「怒りの広島、祈りの長崎」と言われるようになってしまった。(2013年8月)


     参考資料…「ナガサキ・消えたもう一つの原爆ドーム」
                  高瀬毅・文春文庫

cdr412
1 年前
ハリートルーマンはKKKメンバーで
差別主義者だから原爆投下に躊躇しなかった。
歴史はきちんと勉強した方が良い。
日本は特に近代史と現代史はしっかりと勉強
しなければならない。

Tokuici Sasaki
9 か月前(編集済み)
ユダヤ人が原爆を開発してアメリカに日本に投下させた? ヒトラーの迫害からユダヤ人を助けてアメリカに逃がした日本に原爆を開発してアメリカの日本への投下を協力したのならユダヤ人も恩を仇で返した事になりますな! ヒトラードイツへの報復の為に原爆を開発したんだろうけどね、結果はユダヤ人同胞を助けた日本に恩を仇で返す事になったって事です。

山田国雄
2 か月前
大和民族はYHWHの民。北イスラエルのエフライム族とマナセ族。アシュケナージユダヤ人レオン.シラードはYHWHの民を原爆の人体実験で燔祭の生け贄として丸焼きにした。レオン.シラードはYHWHに牙を剥いた。密入国韓国人ゴイム筑紫哲也が大和民族.YHWHの民に情報戦争を仕掛ける。

山田国雄
2 か月前
原爆の人体実験のために日米戦争は行われた。裕仁は白洲次郎の日本水産の船舶でパナマ船籍の船舶で米国から石油を密輸入して日本軍に売り付けた。原爆の投下まで米国は石油を日本に売った。米国は原爆の被爆者に治療を禁止させた。裕仁は国際赤十字かはの医薬品と食料品の提供の申し出を日本赤十字に拒否させた。裕仁はカーチス.ルメイに勲章を授与した。田布施朝鮮部落民裕仁と密入国韓国人朝鮮人の筑紫哲也による大和民族.YHWHの民への情報戦争。YHWHに牙を剥く田布施朝鮮部落民と密入国韓国人朝鮮人。


日韓関係】 / 【防弾少年団
★ BTS “原爆T”で年末音楽特番全滅も…Mステに続きFNS歌謡祭、紅白… 「スポニチ(2018年11月10日)」より
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 原爆投下が描かれたTシャツをメンバーが着用していたとして、9日放送のテレビ朝日「ミュージックステーション」の出演が見送られた韓国の7人組「BTS(防弾少年団)」が、年末の音楽特番の出演が全て白紙になったことが9日、分かった。

 関係者によると、大みそかのNHK紅白歌合戦は一時、初出場のオファーを検討していたが、すでに見送った。12月5、12日放送のフジテレビ「FNS歌謡祭」は出演を打診していたが、9日までに撤回。12月下旬放送予定のテレビ朝日「ミュージックステーション・スーパーライブ」も出演案が消滅したという。

 問題となっているTシャツには「愛国心」「私たちの歴史」「解放」「韓国」を意味する英語とともに、原爆投下後にキノコ雲が上がる写真と、万歳する人々の姿がプリントされている。メンバーが着用したのは昨年3月だが、10月中旬に韓国のネットニュースで報道され明らかに。日韓で騒ぎとなっていたが、メンバーらはこれまで、Tシャツを着た真意などについて言及していない。

 BTSは13年にデビュー。今年5月にはアルバムが、米国の音楽チャート「ビルボード200」で韓国の歌手として初の1位を獲得した。今月13日からは東京ドーム公演を皮切りに4大ドームツアーが控えている。

 10月30日には韓国最高裁が日本企業に元徴用工への損害賠償を命じ、1965年の日韓請求権協定で「解決済み」の請求権問題を蒸し返したばかり。これに世界的に活躍するBTSのTシャツ騒動が加わり、テレビだけでなく、日本のメディア全体に“韓流締め出し”が広がってもおかしくない。

 現在の第3次韓流ブームは、10代の女子中高生が下支えし、さらに加速する期待感があっただけに、今回の問題はブームに冷や水を浴びせた形。再び日韓関係がギクシャクする中で、解決の糸口は見いだせない状況となっている。

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★ “原爆T”デザイン会社代表陳謝「反日感情助長する意図はなかった」 「スポニチ(2018年11月10日)」より
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 韓国の7人組「BTS(防弾少年団)」のメンバーが着用していた原爆投下が描かれたTシャツをデザインした韓国の会社代表は「反日感情を助長する意図はなかった。BTSに申し訳ない」と陳謝した。

 韓国メディアのインタビューに「ブランドを立ち上げた当時、ストリートファッションが流行していた。若者のファッションに歴史意識を込めれば、少しでも歴史に関心を持つのではないかと思った」と述べた。原爆をデザインしたことについては「日本を冷やかすためでなく、原爆が投下され、日本の無条件降伏で光復(植民地支配からの解放)が来たという歴史的な事実と順序を表現するためだった」と説明。日本でのテレビ出演中止に関し「とても当惑しており、申し訳ない」とした。


★■ 日米合作の原爆投下を告発 関連書籍・資料にみる 「長周新聞(2015年10月7日)」より
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原爆投下知り握り潰した大本営 予告聞いた被爆市民の経験

 藤原章生(ジャーナリスト)の近著『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』(新潮社)は湯川秀樹の「最後の弟子」で、「原子力ムラ内の批判派」といわれた故・森一久の半生をたどっている。森は広島で被爆しておりそれを知る湯川秀樹から生活上の配慮、世話を受けていた。著者は、森自身がその背景に湯川が戦時中に広島に原爆が投下されることを知っていたことがあるのではないかとの思いをめぐらせていた事情を明らかにしている。
 それによると、今も現役の水田泰次・大阪合金工業所会長が、京大工学部冶金教室に入学したばかりの1945年5月、西村秀雄主任教授から広島市内に住居がある学生として呼び出され、アメリカの原爆開発について情報を得たことを、森と同じ旧制・広島高校の同窓会誌に書いていた。

第1回現地テストを広島で 米国学会から知らせ

 水田青年はそこで、「米国の学会から秘密裡にニュースが先生に送られ、当時原爆製作を競争していた日本より先に、米国が成功し、その第1回現地テストを広島で行う予定が決まったから、出来るだけ早く親を疎開させなさい」といわれたこと、それを受けて「早速帰広し、特高警察等の関係のため、誰にも話すことが出来ないまま、父を無理矢理、理由も云わずに、廿日市まで大八車で、家財を積んで疎開させた」と証言していた。
 森が水田と直接会って確かめるなかで、「そのとき湯川博士が同席していた」ことを知らされ、大きな衝撃を受けたという。
 本書では、森がこの問題に自問自答しつつ結局解明されないまま他界したことを明らかにしつつ、著者自身もそのことの真相に迫れないままもどかしさを残して終えている。
 本書では明らかにされていないが、湯川博士とアメリカの原爆製造計画(マンハッタン計画)に携わった科学者との間で、戦前から学術的な連携関係があったことは事実である。また、アメリカでは原爆が投下される半年前に、「原爆使用反対」の声や「日本の都市に落とす前に警告を発すべきだ」などの要請が、原爆開発に携わった科学者の間から出されていた。湯川博士が、その中心となったシカゴ大学冶金研究所のコンプトン所長と親しい関係にあったことも知られている。
 だが、この問題はあらためて、広島、長崎への原爆投下について一部の人は事前に知らされており、さらに疎開して助かった者がいたことを考える機会を与えることになった。この種の証言はこれまでもいくつか活字でもなされてきた。

敵国の放送聞いてはならぬ 市民の情報遮断し

 たとえば、織井青吾著『原子爆弾は語り続ける―ヒロシマ六〇年』(2005年、社会評論社)は、当時14歳の織井氏が原爆投下の直前、陸軍通信隊(当時広島文理大に駐留)の兵士から次のような話を聞いたことを明らかにしている。
 「米軍の情報によるとね、明日6日、広島に新型爆弾を投下するから、非戦闘員、つまり坊やとか女子供、年寄りの人たちは、今夜から郊外に避難せよと通告している……それを知らせてあげようと思ってね……」「兄さんも避難したいが、兵隊だからそれは出来ない。しかし、坊やなら出来る」
 これは、「日本児童文学者協会・日本子どもを守る会」編『続・語りつぐ戦争体験一ーー原爆予告をきいた』(1983年、草土文化)に掲載された宮本広三氏の体験と重なるものである。宮本氏は当時25歳で、広島逓信局の監督課無線係として勤務していた。8月1日、受信調整をおこなうとき、サイパンから流されるアメリカの日本向けラジオ放送(「ボイス・オブ・アメリカ」)が「8月5日に、特殊爆弾で広島を攻撃するから、非戦闘員は広島から逃げて行きなさい」と数回くり返したのを聞いた。
 宮本氏は、「敵国の放送は聞いてはならない」と厳命を受けていた。しかし、これまでときおり聞こえたこの放送局からのニュースや空爆の予告が、実際に起こった空爆と合致していたことから係長にこのことを報告する。だが、「敵性放送を聞くとはなにごとだ、デマをもらしてはいけんから、おまえは家に帰さん!」と叱り飛ばされた。
 5日には何事もなかったかのように見えたが、翌朝、警戒警報が解除されて係長が出勤し「やっぱりなにもなかったじゃないか」と話したときに、原爆の直撃を受けた。
 黒木雄司著『原爆投下は予告されていた!』(1992年、光文社)も著者が中国戦線の航空情報連隊情報室に勤務していたとき、インドのニューディリー放送による広島・長崎への原爆投下の予告を傍受した体験を克明に記録したものである。
 著者はその「まえがき」で次のように書いている。「このニューディリー放送では原爆に関連して、まず昭和20年6月1日、スチムソン委員会が全会一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと。次に7月15日、世界で初めての原子爆弾爆発の実験成功のこと。さらに8月三3日、原子爆弾第1号として8月6日広島に投下することが決定し、投下後どうなるか詳しい予告を3日はもちろん、4日も5日も毎日続けて朝と昼と晩の3回延べ9回の予告放送をし、長崎原爆投下も2日前から同様に毎日3回ずつ原爆投下とその影響などを予告してきた」
 「この一連のニューディリー放送にもとづいて第5航空情報連隊情報室長・芦田大尉は第5航空情報連隊長に6月1日以降そのつど、詳細に報告され、連隊長もさらに上部に上部にと報告されていた模様だったが、どうも大本営まで報告されていなかったのではないだろうか。どこかのところで握りつぶされたのだろう。だれが握りつぶしたのか腹が立ってならぬ」

爆心地に市民集め大虐殺 天皇、支配層の延命条件に

 これらのアメリカからの情報が、大本営、天皇とその周辺に伝わっていたことはいうまでもない。『広島原爆戦災誌 第一巻』(広島市役所編)によると、すでに8月3日には大本営から「8月4日から7日にかけて、アメリカ空軍の特殊攻撃がある。十分注意を怠らず。対戦処置をとるべし」という暗号電報が広島の各部隊に入っていたのである。だが、それは箝口令のもと、広島市民にはまったく知らされなかった。そればかりか、原爆搭載機の侵入を手助けする形で警戒警報を解除し、広島市民がもっとも街頭で活動する午前8時15分、アメリカが史上もっとも残虐な兵器を投下できるよう犬馬の労をとったのである。それは長崎でも同じであった。
 大本営は広島市内に、警戒を発した8月3日から連日、学校関係者が口をそろえて危険な作業に極力反対したにもかかわらず、広島市内に義勇隊約3万人、女子学生・中学生の学徒隊1万5000人を動員させた。こうして、「小銃を渡すこともない編制中の玉砕予定部隊の老兵」「竹槍の女子挺身隊員」「女子学生や中学1、2年生」ら、中学生以上の市民を爆心地周辺に集めて被害を拡大させることまでやってのけた。
 古川愛哲著『原爆投下は予告されていたーー 国民を見殺しにした帝国陸海軍の犯罪』(2011年、講談社)は、「本土防衛を任務」とすることを掲げて広島に置かれた第2総軍司令部が、原爆が投下されることを知りながら市民に緊急警報や退避命令を出さなかったこと、それどころか箝口令を敷いて、原爆で広島市街が焼かれるのを待ったことを怒りを込めて暴露している。
 この著者も、アメリカが短波、中波のラジオ放送を使って原爆投下の日時、目標地を日本の支配層に向けて知らせていたこと、日本の支配層もそれを傍受して対応していたこと、アメリカ政府や軍の通信の傍受、空からまかれた宣伝ビラ(伝単)、さらに捕虜の供述などから大本営はもとより一般市民の間でも原爆が投下されることはささやかれる状況にあったことを浮き彫りにしている。
 第2総軍司令部は広島、長崎に向かうB29原爆投下機の動向については当日も、レーダーや無線ではっきりととらえ追跡していた。だが広島では高射砲でエノラゲイに照準を合わせていながら、「撃て」の命令は出されなかった。長崎でも、大村航空隊で迎撃の態勢をとっていたにもかかわらず、出撃命令が出されなかった。
 著者は、このような異常な状況が生まれた根拠、その背景について、海軍の極秘裏の敗戦工作、とくにアメリカとの「国体」の護持をめぐる取引がからんでいたことを強調している。
 広島、長崎への原爆投下はイギリスと情報を共有して進められた。チャーチルはすでに45年7月24日、原爆実験の成功を聞いた直後に「8月5日に爆弾が投下され、15日に日本は降伏するだろう」と語っていた。著者はそこから、「広島と長崎の原爆投下の日付をOWI(米戦時情報局)のボイス・オブ・アメリカがアメリカ標準時の日付で放送する。ただし、日本海軍は原爆投下の妨害をしない」という取引がなされたと、推測している。
 とくに、ライシャワー(戦後の駐日大使)の具申によって、VOA(ボイス・オブ・アメリカ)や中国からの短波放送、日本の支配層や日本語に通じたザカリアス大佐による中波のサイパン放送などを通して、グルー国務長官(元駐日大使)やザカリアスと公私とも親密な関係にあった米内光政・海相らに働きかけ、日本側のアメリカ向け短波の逆発信によるやりとりがあったことについてくわしく論じている。
 また、原爆投下がなされたのちも、被爆市民に原子爆弾とは知らせずに、「新型爆弾」「調査中」という情報隠ぺいによって、放射能被曝に意図的にさらし、ますます市民を被爆させたことを糾弾している。
 著者は長崎についてもアメリカのドキュメンタリー映画が、原爆投下直後の1945年8月9日、連合軍捕虜を救出するために米軍が空母機動部隊による救出作戦で長崎に上陸したことを描いている事実を明らかにしている。そのとき、小舟で長崎に上陸したが、その水先案内を日本側が務めたという証言がやられていた。日米共同の救出作戦が秘密裡におこなわれていたというものである。
 当時長崎市内では「米軍が上陸してくる」という噂が流れ、多くの市民が山の方に避難したという幾多の証言にふれて、また捕虜収容所の被爆や避難状況、捕虜収容数の記録のあいまいさ、被爆市民が見た捕虜の様子などから、その「噂」は根拠がないものではなかったと見ている。
 著者は、諸外国と比べて「日本国内では政治家や官僚、高級軍人の多くが生き残った」という第2次世界大戦の異様さへの疑問からこのテーマに挑んだこと、そこで判明した厳然たる事実は「近代的な軍の本土防衛とは、本土の国民を守ること」だとされる常識は成り立たず、「国体護持」つまり天皇の支配の延命のために、国民の生命を差し出し見殺しにしたことを告発している。
 アメリカの広島、長崎への原爆投下でとった日本の支配層の対応は、東京をはじめとする都市空襲、沖縄戦、さらには外地で320万人もの国民を無惨に殺りくした戦争全般に通じるものである。被爆70年の現実は、それが、アメリカが日本を単独占領し戦犯をそのまま支配層につけて属国支配する必要から、国民がみずから主人公となる社会を築く力をはく奪するためのものであったことを教えている。



2014/08/04 に公開
広島に落とされた原爆は、今まで信じられて来たような
アメリカのマンハッタン計画によって作られたものではなく、
実はナチス・ドイツ製であった。

ナチスドイツは既に原爆を完成させており、その内の2個が、
ロンメル将軍によりアメリカに 「横流し」 され、
結果、それがヒロシマへの人類最初の原爆投下へとつながった…

この定説を根本から覆すような衝撃的なベラスコ証言を伝えた
高橋五郎先生の著書から。

今までベラスコ自身が言っていたように、彼の証言を裏付ける
客観的・具体的な証拠・証言は、極わずかしかなかったが
最近、当時のイタリアのムッソリーニの直近で、
彼からヒットラーの元へ 「戦争特派員(特使)」 として送られた
ルイジ・ロメルサの証言により、当時のナチスドイツが、
実は既に原爆を完成していた事実が明らかとなり、
前述の 「ベラスコ証言」 の信憑性が、飛躍的に高まった。

出来れば、こちらの動画も併せて御覧になって戴きたい。

ナチスドイツの原子爆弾 - ルイジ・ロメルサの証言
https://www.youtube.com/watch?v=lC3Lp1dMmP0


■ 何度でも原爆を落とすと(;一_一) 「刮目天(かつもくてん)の ブログだ!(2018-08-09 13:51:21)」より
/
Harry Truman in 1963 defends his decision on Hiroshima:
Michael Beschloss@BeschlossDC
plugin_blanklink is not found. please feed back @wiki.
/
この手紙の草稿は、1963年6月30日に記事を書いたシカゴ・サン・タイム紙の記者に宛てたものだ。手書きの部分は一部判読できないが、完成した手紙がトルーマン記念館に公表されていたので分かった。

原爆を落としたことの弁明だ(*´ω`*)

内容をかいつまんで言うと、

(※mono....略)
/
「原爆を落としたので(戦争を終結させたから)、

米日の若者50万人の命が救われた!

真珠湾では宣戦布告なしに攻撃されて、

3千から6千の若者が殺されたんだぞ!

単なる殺人じゃないか!

わたしは同じ状況なら、また原爆を落とす決断をするだろう!」


という酷いものだ!

真珠湾で死んだのは兵士だ!

(※mono....略)


反米
■ 「米国、日本人大虐殺を謝罪せよ!」 駐日米国大使館前で抗議運動 「SPUTNIK(アップデート 2018年08月06日 17:54)」より
/
広島原爆投下から73年を迎える6日、駐日米国大使館から数メートルのところに位置するJRビルで抗議運動が発生した。参加者の米国に対する要求を探るべく「スプートニク日本」の特派員が現場に向かった。

1945年8月6日、午前8時15分、ポール・ティベッツ米空軍准将は人類史上初となる原子爆弾「リトルボーイ」を広島に投下した。抗議運動の参加者たちは黙祷をささげ、原爆で亡くなった犠牲者を追悼した。抗議者の手中には喪章を付した日本国旗や、米国政府に原爆投下への謝罪を求めるプラカードなどがあった。参加者の一人であるヤマグチユウジロウさんはスプートニクに対し、「やはり、原爆投下をアメリカがいまだに正当化し謝罪していないということ、それは絶対に許されないことだと思います。しっかり謝罪を引き出し、正当化をさせないということで抗議しています」と語った。米国大使館に集まった参加者たちは、謝罪の言葉もなかったバラク・オバマ前米大統領の歴史的な広島訪問を回想していた。参加者らは犠牲者の遺影を手に「米国大使、全ての米国民は残酷を直視せよ!」と叫び、米駐日大使に米国の行いに対する責任を追及した。

抗議運動主催者であるニシムラシュウヘイさんは演説を終えると、米駐日大使宛に抗議文を提出した。大使館から戻ったニシムラさんはスプートニクに対し、「 アメリカの原爆投下という戦争犯罪に時効はない。それと、日本列島大空襲と原爆投下を米国国立ホロコースト記念博物館に展示しろ(という訴え)、それを提出してきました」と述べた。

数千人の命を奪った原爆投下への謝罪要求のほか、参加者らは日米同盟の条件見直しを要求した。ニシムラさんは、「日米同盟は日本がアメリカに軍事的に従属させられている非常にいびつな条約だと思っています。全面改訂を望んでいます」との考えを示した。一方、ヤマグチさんは、「日米の友好はいいと思いますが、やはりその中で日米地位協定とか、たとえば日本の空とかも米軍が管理権をもっている。それは不平等なので、その関係は変えなければいけないと思います」と述べ、日米関係が不平等な条件のもとに成り立っていると主張した。

(※mono....以下略)

(※monoコメント...スプートニクがこれを報道したことは評価するが、なにゆえに『数千人の命を奪った原爆投下』と書くのか?1945年の12月までに14万人が亡くなったことを知っていて嘘を書いているに違いないが、日本人としては怒りを覚えざるを得ない。)

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● 新党憲法9条
● 【天木直人


★■ 広島、長崎に原爆を落とし、ソ連軍の占領から日本を救ってやったというのも事実ではない。広島、長崎は一般の市民を殺戮した蛮行だった。 「Sputnik(2015.8.7)」より
/
米国の雑誌「フォーリン・ポリシー(外交政策)」にロシア出身の歴史学者セルゲイ・ラドチェンコ氏の論文、Did Hiroshima Save Japan From Soviet Occupation?(「広島は日本をソ連の占領から救ったか?」)が発表された。論文には、1945年8月、スターリンが北海道占領を断念したのは、米国が広島、長崎に落とした原子爆弾に驚いたからでは全く無く、米国との連合関係を維持しようとしていたからだということが説得力を持って証明されている。


ところが、スターリンが原爆投下に恐れをなしたという発想が支持されているのは西側の専門家社会に限らない。この発想に対してどうやらラドチェンコ氏は戦いを挑んでいるのだが、実はこれは日本の専門家らの間でも支持されている発想なのだ。たとえば国際政治学者として有名な青山学院大学の袴田茂樹名誉教授もやはり、西側と見解を同じくしている。

「スターリンはポツダム会談のときに、米国のトルーマン大統領から米国が強力な特殊兵器を完成したという情報を入手しました。スターリンは予め得ていた情報からすぐにそれが原子爆弾だと理解しましたが、わざと動揺しないポーズをしたことはよく知られています。ポツダム会談の後、スターリンは米国に対して北海道の半分も要求し、ロシア(ソ連)の占領下におく提案をしましたが、米国はそれに対し、強く抵抗し、認めなかった。
スターリンが最終的には北海道の占領を放棄したのは日本に対する好意ではなく、ドイツと日本の敗北後、ソ連は米国を最も恐れたからです。したがって北海道を占領する、ないしはソ連の影響下に置くことを断念した最大の理由は、米国との衝突を恐れたからと言えます。ポツダム会談後に、広島、長崎への原爆投下という事件が起きたわけですが、これに関連して、今日までロシアと米国の歴史認識が対立しています。

ロシアは、ルーズベルト大統領の要請によってソ連は対日戦に参加し、ソ連が参戦したために日本は降伏したのだと主張しています。それに対して米国は、確かにルーズベルトはソ連の対日参戦を要請したが、しかし米国が広島、長崎に原爆を落としたから、日本は降伏したのだと主張をしています。この歴史解釈をめぐっては、ロシアと米国の見解は今でも対立しています。」

歴史の容易ではないこの1頁に対して、ロシアはどういった見解をもっているかについて、ラジオ「スプートニク」は有名な日本専門の学者でモスクワ国際関係大学で教鞭をとるドミトリー・ストレリツォフ教授にインタビューを行なった。ストレリツォフ氏は、露日の学者らが共同で両国関係史についての膨大な学術論文を書くというプロジェクトでロシア側を束ね、牽引している。この論文集はロシア語ですでに出版されており、近々、日本語版も出される。

「原爆投下の都合の良い解釈は、米国が戦後の世界秩序の特殊条件下で必要としたことに立脚している。米国には真珠湾攻撃を行った日本を罰せねばならなかったし、米国人の生命を救わねばならなかったというものだが、これはもちろん『冷戦』であり、核を使ってソ連を恐喝していたのだ。

つまりこれは割合よく知られた話で、我々の史学史では論議が尽くされており、目新しいものは何もない。広島、長崎の原爆投下がスターリンの北海道占領計画にどのように影響したかということについては、私の知る限り、この問題は原爆投下の時点では最終的には解決されていなかった。これが決まったのはだいたい1945年8月の中ごろだった。スターリンからトルーマンに送られた書簡とそれに対するトルーマンからの返事が残されている。

だが原爆投下はこの書簡には何も関係していない。なぜならこの時点では原爆の結果は何も分かっておらず、原爆の破壊力は完全には明らかにされていなかったからだ。これだけの短い時間では核兵器の恐ろしさを十分に評価することも、恐れおののいて、米国の前でしり込みすることも不可能だ。」
Q:だがやはり、スターリンには北海道占領計画はあったのだとすれば、何がそれを放棄させたのだろうか?

「スターリンはトルーマンにあてた手紙でソ連軍がクリル諸島および北海道の一部の占領に参加できるよう頼んだ話は知られている。スターリンがこうした頼みの根拠に使ったのはソ連国民の世論だった。もしソ連が日本占領で何の分け前ももらえないとすれば、国民は気分を害するというものだ。

だがトルーマンは返信に、おそらく8月19日だったと思うが、クリル諸島占領にソ連軍の参戦は支持したが、日本軍の武装解除および北海道の占領にソ連軍が加わることは断固として拒否した。そしてこれをもってこの問題の討議は終了し、その後連合国間でこの件についての理解不足などは一切生じていない。だがスターリンが北海道占領をあきらめたのは米国に驚愕してのことではない。おそらく北海道占領に参加させてくれという依頼自体が米国を触診したことだったのだろう。

実際、スターリンは日本に占領区域を獲得できるとは本気であてにしていなかった。交渉を行なう際には当事者間ではこうした駆け引きが行なわれるものだ。実際自分に必要な分をしっかり確保するために、あてにしているよりもずっと多く、ずっとシリアスな条件を最初から突きつけてくるというやり方だ。このため、この際の取引はソ連がクリル諸島を占領区域として捕るぞ、ということを最終的に決定付けるためのものだったと思う。スターリンは北海道の一部をソ連が占領できるとは本気であてにしていなかったのだ。」

では実際、スターリンが米国の前でおじけづいたというテーゼは何を根拠にしているのだろうか? 8月末にはソ連の専門家らにも原爆の威力が明らかになったところで、こんな爆弾を「空飛ぶ城砦」の異名を持つほど重く、小回りの聞かないB29に乗っけてソ連領の標的にまで運ぶのが容易いことではないことは米国には分かっていたはずだ。なぜなら1946年の8月までにはソ連軍は、ドイツや満州の上空戦で鍛え抜かれた強力な空挺部隊とおびただしい数の秀逸なパイロット団を有していたからだ。
一方で米軍の「威力」についてはソ連内では全く評価されていなかった。なぜなら1944年12月、ナチス軍の注意をそらし、アルデンヌ高地にいた米英部隊への突破を許さないため、ドイツでの緊急進撃に師団を投入したことをソ連は忘れていなかったからだ。ほとんど壊滅状態にあった独軍を前におじけづくような米英軍にソ連を脅かすことなどできようか? 無理な話だ。このためスターリンが恐怖心から北海道占領計画を断念したとするのは笑止千万であり、米国が親切心をだして、わざわざ広島、長崎に原爆を落とし、ソ連軍の占領から日本を救ってやったというのも事実ではない。広島、長崎は一般の市民を殺戮した蛮行だった。この犯罪は戦争法廷で裁かれるべきものなのだ。



(※mono.--抗議文全文はこのページ上記【昭和20年8月10日、日本政府がスイスを通じ米国政府に出した「米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」】にある。)

ーーーーーーーーーー
■ 隠蔽された世界最初の原爆反対声明・日本政府、原爆投下に抗議す(1945年8月10日) 「タッチャンの散歩(2013.8.5)」より
/
以下の文章は、昭和20年8月11日の朝日新聞に掲載された日本政府の米国に対する抗議声明である。

これを読むと、秋葉広島市長に代表される反日サヨクの反原爆活動や、多くの日本人に代表される
アメリカ・ロシア・中国などの連合国常任理事国の(国連・UN)支配体制におもねる
奴隷のような反原爆感情とは、全く異なっていたことが分かる。

当時の日本人が持っていた知性と感情(特に、「怒りの質」)を理解したい。


米国の新型爆弾攻撃(国際法違反)に抗議す

日本政府発表 昭和20年8月10日(『朝日新聞』昭和20年8月11日記事より)

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


オバマ広島訪問
■ 我々日本人は原爆投下に対して謝罪など求めない。 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2016.5.27)」より
/
我々日本人は原爆投下に対して謝罪など求めない。なぜなら、謝罪などで片付けれる問題ではないからだ。
We Japanese do not ask an apology to nuclear bombing. The reason is that this issue is impossible to be put away by an apology.








■ 原爆投下の日に飲み会で盛り上るヨシフと在日北朝鮮人 「依存症の独り言(2015.8.9)」より
/
長崎に原爆が投下された日に
(※mono.--飲み会の写真は略、詳細はブログ記事で)
/
SEALDsと北朝鮮人と元しばき隊に+有田ヨシフか(爆)
すごいメンツだな!
クズとカスが盛り上がってる(爆×∞)
(※mono.--飲み会の写真は略、詳細はブログ記事で)
/
コイツラをまとめて朝鮮海峡に投棄したい!
という衝動に駆られる!


★ ディズニー公式、8月9日に「なんでもない日おめでとう」と投稿し物議 「ニコニコニュース(2015.8.9)」より
/
 ディズニーの公式Twitterアカウントが8月9日9時に「なんでもない日おめでとう。」と投稿。8月9日が長崎「原爆の日」であることから「なんでもない日じゃない」と物議をかもしている。


 投稿は「ふしぎの国のアリス」の劇中で登場キャラクターのマッドハッターと三月うさぎが「お誕生日じゃない日の歌」(日本版では「なんでもない日の歌」)を歌いながらお茶会をするという“誕生日でない残り364日”を祝うというもの。アリスのイラストとともに「A VERY MERRY UNBIRTHDAY TO YOU!」のメッセージが付いていた。

 ネットでは「今日は、長崎に原爆が落とされた日。なんでもない日、ではないです」「よりによって今日じゃねえだろう」「日本の公式がするツイートじゃない」と厳しい反応が寄せられている。

 一部では「劇中では8月9日にアリスたちが『なんでもない日の歌』を歌ってたようで、その記念日で今日ツイートされた」とのフォローもあったが、編集部が「ふしぎの国のアリス(1951)」(吹替版)を確認してみても本編にそのような描写は確認できなかった。また、ルイス・キャロルの原作「不思議の国のアリス」も確認してみたが、アリスがマッドハッターに「今日は何日かね?」と聞かれて「4日」と答えているシーンはあったが、8月9日を特定する記述はなかった。

 なお、アメリカの@disneyアカウントを確認したが現時点(日本時間の8月9日12時)に同様の投稿はされていない。

●追記

 同日15時時点でディズニー公式は「なんでもない日おめでとう」の投稿を削除した。削除についての理由などはアナウンスされていない。


※mono.--Tweetが削除されたため、別のツイートに怒りのTweetが集中している

https://twitter.com/disneyjp/status/629819360371064832


■ アホか日本人は。毛唐は人殺しだよ。 「二階堂ドットコム(2015.8.7)」より
/
ガテマラーとかいう米国務次官が、
政府高官として初めて参列した6日の広島の平和記念式典について
「心を打たれた。『平和の鐘』が鳴らされた瞬間は忘れられない」
とか言ったらしいが、何言ってんだよ。戦争法違反の、民間人大量虐殺だろって。

日本人もバカばっかり。原爆が悲惨とかそんなんだけ。
非戦闘員の大量虐殺実験をやったのが、毛唐アメリカなんです。
戦士vs戦士でなく、単に民間人殺して、放射能の影響調べたかっただけでしょ。

非戦闘員をも平気で殺すのが毛唐。
そして、慰安婦語るなら、戦後毛唐の相手した慰安婦のほうが悲惨だよ。そっちなんとかしてやれよ。
まぁ、自分で商売してたからしょうがないっていうなら、そんなの戦後のチョン公売春婦も一緒。

この国は本当におかしいね。みんな自分でよく考えて判断しないようになった。バカばっかり。


■ 原爆が投下された広島の惨劇は、いよいよ重みを増していく 「ダークネスDUA(2015.8.6)」より
/
1945年8月6日、リトルボーイと呼ばれたウラニウム型原爆が広島上空高度約600メートルの上空で爆発した。

これによって爆心地500メートル圏内が一瞬にして吹き飛び、燃え上がっていった。

この圏内にいた人のほとんどは即死、即死を免れてもその後の数ヶ月で放射能症で死亡している。死亡率は99%。

この1%の中には、燃料会館の地下室にいたことで奇跡的に生き残った野村英三氏がいる。ただ、原爆の爆発の難を逃れても、放射線の症状が始まって生死の境をさまよい、そんな中で奇跡的に生き残った希有な人物だ。

500メートル外でも被害は甚大だった。爆心から4キロ離れたところでも、木造住宅の場合は爆風で屋内の人も畳と一緒に吹き上げられていた。

床が抜け落ち、建物が崩れて下敷きになった人もいた。そして、下敷きになったまま火に焼かれた。

当時の広島の人口は約35万人だったが、そのうちの半数が数ヶ月内に死んでいる。人類史上でも類を見ない未曾有の大惨事だった。

(※mono.--以下、写真と記事を略、詳細はブログ記事で。)
/
戦後70年。2015年5月、私は広島を訪れて原爆ドームや平和記念公園を見て回り、原爆で死んでいった人々の無念に祈りを捧げてきた。

原爆が投下された広島の惨劇は、風化していくのではない。これから、いよいよ重みを増していく。これから世界は暴力の時代に入っていくのだから……。


★■ ブログ:原爆投下70年、広島・長崎の「当時と今」 「ロイター(2015.8.6)」より
(※mono.--記事途中にある比較写真は略、詳細はサイト記事で)
/
[5日 ロイター] - 原爆ドームは、70年前に世界で初めて原爆が広島に落とされてから現存する建物の1つだ。現在、それは世界遺産に登録されている。

活気にあふれ、6つの川が流れる水都・広島だが、原子爆弾は今なお大きな影を落としている。

平和記念公園は市中心部にある広大な公園で、園内には原爆死没者慰霊碑がある。そこには「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。

日本には、核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませずという「非核三原則」がある。

1945年8月6日、米軍のB29戦闘機「エノラ・ゲイ」が広島に原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。

その3日後、米国は長崎に原子爆弾「ファットマン」を落とした。

広島と長崎への原爆投下は、当時のトルーマン米大統領が命令し、実行されたが、戦争で核兵器が使われたのは今でもこの時だけだ。

長崎への原爆投下を受けた1945年8月15日、日本は降伏し、第2次世界大戦は終結した。

爆者が減りつつある今、若い世代に自分たちの経験を伝えようとする人たちもいる。

全国に被爆者は約18万人おり、その平均年齢は今年初めて80歳を上回った。





左翼
■ 左翼メディアの「戦後70年キャンペーン」 「私的憂国の書(2014.1.3)」より
/
ロシアのナルィシキン下院議長が昨年のクリスマスの日、ロシア歴史協会評議会の幹部会合で米国の戦争犯罪について言及した。

ロシア下院議長:広島と長崎への原爆投下を人類に対する犯罪として認める必要がある (ロシアの声)

ロシア下院(国家会議)のナルィシキン議長は、広島と長崎への原爆投下を、ナチスの犯罪と同じような人類に対する犯罪として認めることについて調査するべきだとの考えを表している。

ナルィシキン議長は、ロシア歴史協会評議会の幹部会合で、「来年は、ニュルンベルク裁判と、平和の都市・広島および長崎へ世界で初めて、そして唯一原爆が投下されてから70年を迎える。私がニュルンベルク裁判と日本の2都市への原爆投下を一緒に取り上げるのは偶然ではない。私たちはこのテーマを法律家や国際法に関する専門家たちと協議する必要があるのではないだろうか。なぜなら、人類に対する犯罪に時効はないからだ」と述べた。

ナルィシキン議長は、ナチス・ドイツの同盟国だった軍国主義・日本に対する勝利は基本的に、ソ連軍による関東軍壊滅によって確保されたため、軍事的視点から見て、日本の平和な都市・長崎と広島への原爆投下は一切説明のつかないものであると指摘した。

 日本に対する勝利はソ連軍による関東軍壊滅によって確保されたという歴史認識はお笑い草だが、これも彼等の歴史認識なのだろう。このコメントは、経済危機に目の前に迫るロシアが、その危機を誘発している米国に対して発したクレームでもある。

 昨日書いたように、朝日新聞は元旦の社説で、「グローバル時代にふさわしい歴史を考えようとすれば、歴史は国の数だけあっていい、という考えに同調はできない」と書いた。しかし、上の記事にもある通り、遥か70年前の戦勝国同士である米国とロシアでも、歴史認識が違うというのだ。それであれば、何故、日本の歴史認識を支那や朝鮮のそれに同化させる必要があるのか。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)

★ 大阪は核投下の実験場だった…平成の時代に判明した「模擬原爆」フワッと落下、周辺は焦土に 「産経ニュース(2014.8.17)」より
/
 昭和20年7月26日の朝、大阪市東住吉区の上空に1機の米軍爆撃機B29が飛来し、ある特殊な爆弾を投下した。
+続き
 「B29が爆撃するときは4機の編隊で来ることが多かったので、雲の間から1機だけが見えたときは偵察だろうと思った。ネズミ色の丸いものがスーッと飛行機から離れて、フワッと落ちた。爆弾ではなく、ごみでも捨てたのだろうと思いました」

完全に潰れた家々

 当時13歳だった伊藤茂さん(81)=大阪府豊中市=は、現在は廃線になっている路面電車の南海平野線中野駅(東住吉区)の前にいた。特に緊張することもなく上空を眺めていた。

 爆弾は斜めに流れるように降下し、中野駅の西北約1キロの地点に落ちた。とたんに、爆発による振動が伝わってきた。「広い範囲で灰色の土ぼこりが舞い上がったのを見た。少し時間差があって『バシャー』という、ものすごい音が響きわたりました」

 2、3日後、落ちた場所を見にいくと、100メートル四方ほどの家々が完全につぶれていた。大阪市の記録によると、この爆弾で7人が死亡、73人が重軽傷を負い、485戸が倒壊した。

 投下された爆弾は、当時知られていた中で最も大きい「1トン爆弾」であるといわれていた。しかし、実際はそうではなかった。それが分かるのは、終戦から46年後、平成3年のことだ。

落ちたのは模擬原爆

 正体を突き止めたのは、愛知県の市民グループ「春日井の戦争を記録する会」。国立国会図書館でマイクロフィルムに収められた戦時中の膨大な米軍資料を調査し、広島や長崎の原爆の訓練のために「模擬原爆」が大阪などに落とされた事実を探り当てた。

 同会によると、昭和20年7月20日から8月14日まで、全国30都市に計49発が投下され、死者400人以上、負傷者1200人以上を数えた。東住吉区に落ちた爆弾もその1発だった。

 模擬原爆は、長崎に投下されたプルトニウム爆弾「ファットマン」と形状や重さが同じで、長さ3・25メートル、直径1・52メートル、重さは1トンどころか4・5トン。カボチャのような丸い形をしているため「パンプキン爆弾」とも呼ばれる。

 同会の金子力さん(63)は「原爆を落とす準備のため、攻撃の対象でない場所に実験として投下された爆弾だった」と話す。

 模擬原爆といっても威力は大きかった。大阪大空襲などでB29が投下した1トン爆弾や焼夷弾(しょういだん)の爆撃とは明らかに異質だったという。

 着弾地点の近くにいた人たちは「周辺を一瞬で廃虚に変えた。激しい爆風があった」と証言している。


 前回、「8月15日」の意義についてお話ししましたが、日本の敗戦を決定づけた広島、長崎への原爆投下に関して、日本ではあまり知られていない史実があります。今回は小筆がアメリカ在住時に耳にした秘話を披露したいと思います。

 広島、長崎の悲劇を生んだ原爆を発明したのは、オッペンハイマーやアインシュタインほかユダヤ系化学・物理科学者たち(ナチスから逃れ米国へ移民した学者たち)によるマンハッタン計画でしたが、当初の“ナチスドイツ殲滅・ヒットラー必殺の目標”が、想定外に早く訪れたヒットラーの自死とドイツの降伏(5月)で、実験と投下のタイミングを失したのか、ウランとプルトニウムという二種類の核爆弾の準備を万全に整えるのに遅れたのか(7月に実験成功)、おそらくこれらの理由により、5月以降も応戦を続けていた日本に振り向けることになったそうです。
+続き
 後になって、このことを知らされ、しかも人体実験も狙った2種2弾で、何と20数万人もの日本人非戦闘民間人を被爆即死させてしまったことが分かり、関与した多くの科学者たちは自責の念に駆られました。研究室を離れたり、ノイローゼにさいなまれたり、核の平和利用を訴える活動に転じたり…。オッペンハイマーにいたっては「日本人に深くお詫びし、死をもって償いたい」と自死を遂げました。

 こうした背景もあって、米国の原子物理学者のうちノーベル賞受賞候補者たちの多くが受賞を辞退し、代わりに、日本の湯川秀樹博士(の中性子論)に与えてほしいと陳情を繰り返したのだそうです。日本人初のノーベル賞は、核爆弾開発者達の贖罪意識がもたらせたものだったといわれたゆえんでしょう。そして、日本の降伏がもう三カ月早かったなら、原爆投下は避けられたともいえます。

日本での原発建設は米国良識派の活動の延長戦上にあった

 付言しておきますと、こうした米国の良識派で自責感の強い学者や平和主義者、一部政治家などの「原子力の平和利用」「核兵器抑止」活動の延長線上に、唯一の被爆国であった日本がありました。日本は科学技術立国による経済成長途上にもあり、そうした倫理的・技術的ノウハウを含む支援も受けて実行に移されたのが、日本における原子力発電所建設だったのです。

 もちろん、資源なき日本の工業化推進のカギを握るエネルギー源の確保と、経済成長に伴う人口移動で過疎化する地方に原子力村を造成することで、一石二鳥を狙った政治戦略もあったのです。ましてや、東西冷戦時代、中国やソ連・北朝鮮の核保有に相対する米国にとって、さらには共産圏発の核や原発の世界への拡散(特に、技術的未熟かつ低レベルの原発が及ぼす危険性の増大)を抑止するためにも、日米の技術連携が不可避であったことも忘れてはなりません。

2人の元首相の妄言に踊らされるな

 さて、その原発は3年前の3・11以降、次々と火を消し、現在、電気料金の値上げが相次いで企業の成長戦略を阻害し始めており、家計負担も増えています。この夏の電力不足と老朽火力発電機の故障・事故の恐れも叫ばれている折、国家の総力を挙げて、停止中の原発の安全確認を急ぎ、逐次再稼働させるべきではないでしょうか。

 電力会社9社のうち、黒字経営が中電、北電の2社しかない現状は国家的危機です。そろそろ、福島事故から惹起された過大過敏な反原発運動家の虚言から目覚めてほしいものです。福島はあくまで“水素爆発”であって、チェルノブイリやスリーマイルの事故と比べると、放射能漏れの絶対値は「微弱」なレベルだったことは、死者ゼロ・発病ゼロの事実が物語っております。現時点での福島の放射能数値がすでに安全範囲であることは、多くの生理医学者も認めています。

 こうしたことを、マスコミは世間に広める義務があるのではないでしょうか。いつまでも恐怖をあおり、腫れ物に触るような暴論はやめ、ウランの処理と再利用技術の先端的進化ぶりをもっと報道・解説することで、小泉純一郎・細川護煕両元首相が唱える論議が、一昔も二昔も古い妄言であることを立証すべきです。

ジャーナリスト】 / 【シリア
■ ■[メディア]「シリアの化学兵器使用が国際法違反なら、アメリカの原爆投下もそうだろうがあ、クオラア」~まさに漢、ロイターのアシャド・モハマド記者に光あれ!! 「木走日記(2013.8.29)」より
(※ 前略)
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 うーむ、米国務省のハーフ副報道官が「多数の市民を無差別に殺害したことが一般的に国際法違反に当たる」と強調したところ、ロイターの記者が「米国が核兵器を使用し、広島、長崎で大量の市民を無差別に殺害したことは、あなたの言う同じ国際法への違反だったのか」と質問、ハーフ氏はコメントを避けたのだそうです。

 いやあ、驚きましたな。

 米国務省の報道官に対して「シリアの化学兵器使用が国際法違反なら、アメリカの原爆投下もそうだろうがあ、クオラア」と質問したツワモノのロイター記者がいたのでございます。



 これが本当ならまさに漢(オトコ)でございますな。

 ネットで検証しておきましょう。

(※ 後略、詳細はブログ記事で)

+記事
原爆投下も化学兵器使用と同じ国際法違反か-。米国務省の定例記者会見で28日、ロイター通信の記者がシリアの化学兵器使用疑惑をめぐり、米国による広島、長崎への原爆投下の例を挙げて軍事介入の正当性について追及した。

 米政府はアサド政権による化学兵器使用を断定。この日の会見でハーフ副報道官は国連安全保障理事会による武力行使容認決議なしに軍事介入することを念頭に、多数の市民を無差別に殺害したことが一般的に国際法違反に当たると強調した。

 これに対してロイターの記者は「米国が核兵器を使用し、広島、長崎で大量の市民を無差別に殺害したことは、あなたの言う同じ国際法への違反だったのか」と質問。ハーフ氏はコメントを避けた。(共同)


■ 原爆投下は国際法違反by,ロイター記者 「ネットゲリラ(2013.8.29)」より
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シリアの化学兵器って、完全にヤラせです。誰がやったのか? アメリカとは限らない。イスラエルのモサドあたりが暗躍しているかも知れない。戦争屋が、戦争に持ち込みたくてしょうがなくて、騒いでいる。ところでシリアにはロシアの軍艦が何隻も停泊しているんだが、どうすんのかね? アメリカの駆逐艦にミサイル発射するような事になったら、米露決戦になるんだが、それもまた面白いので、やるのは構わないが、原爆落とすなら横田基地か六本木にしてくれ。御殿場は新兵さんしかいないので、落とさないでねw





★ 原爆追悼に「うんざり」=イスラエル高官が書き込み 「時事通信(2013.8.16)」より
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 【エルサレム時事】広島と長崎への原爆投下について、イスラエル政府高官がフェイスブック上に「日本の侵略が招いた結果だ。追悼式典は独り善がりでうんざりしている」などと書き込んだことが分かり、在テルアビブ日本大使館は15日までにイスラエル外務省に抗議した。


 地元紙ハーレツによると、書き込みを行ったのは、統廃合された広報・離散民省から首相府のインターネット広報部門のトップに転じる予定だったダニエル・シーマン氏。
 今月6日に広島で原爆犠牲者を追悼する平和記念式典が開かれたのを受け、「ヒロシマとナガサキは日本の侵略が招いた結果で、自業自得だ。追悼式典は独り善がりでうんざりしている」と自身のフェイスブックに書き込んだ。さらに、「日本が追悼すべきなのは、日本の侵略や虐殺の犠牲者の中国人や韓国人らだ」と主張した。これらの書き込みはその後削除された。 
 イスラエル首相府は「シーマン氏の書き込みは政府の立場を反映するものではない」としているが、発言を重く見た首相府は、シーマン氏の広報部門での活動を禁じたという。(2013/08/16-06:18)


◆■ 8月15日(木)のつぶやき>コメント欄より 「国際情勢の分析と予測(2013.8.16)」より
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イスラエル高官が被爆者を侮辱 (Unknown) 2013-08-16 10:47:27

イスラエルを叩き潰せ!
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Unknown (Unknown) 2013-08-16 10:48:30


南朝鮮も叩き潰せ!
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月に代わってお仕置きよ!! (糸色 望) 2013-08-16 11:36:06

イスラエルと南朝鮮にはお仕置きが必要。

リリキュアGOGO!
www.youtube.com/watch?v=2zlObMtVxpo
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Unknown (安物の妄想)  2013-08-16 12:22:37

先日、管理人さんが仰った「秘密のメッセージ」が真実ならば、このイスラエル高官の発言は、「イスラエルと南朝鮮滅ぼすべし」という意味なのかもしれない。
国際世論に乗せられて、南朝鮮は、日本との対決に突き進んでいくしかない。

また、シーマン氏が、書き込みの後に停職処分となった事により、広島・長崎に措ける核兵器による被害者への冒涜が、今後は許されなくなるだろう。
当然、アメリカによる核兵器の投下に関して、寝た子を起こす事となる。

最近起こった、日本にとって好ましい価値観への転換には、常に日本非難でカモフラージュ処理がされている。
これは、南朝鮮人に気づかせないための工夫なのだと思われる。
私としては、シーマン氏の書き込みは、日本政府による立案と受け止めることが自然の様な気がする。


■ 長崎の原爆投下は、プロテスタントによるカソリックへの攻撃...?! 「Also sprach Pinkglalem(2013.8.11)」より
(※ 前略、詳細はブログ記事で)
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「江戸の敵を長崎で討つ」と言う諺がありますけど...
長崎への原爆投下とは、
こー言う人たち(ピューリタン)が、過去の恨みを長崎ではらしたというのです。

■ 1945年8月9日長崎爆撃: 無検閲版 「マスコミに載らない海外記事(2013.8.9)」より
(※ 前後略)
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善悪の神秘から、壮大な天主堂は、ボックス・カーの爆撃手が説明を受けた長崎の二つの陸標の一つであることが今では分かっており、9600メートル上空の爆撃手席から覗いて、彼は雲の切れ目から天主堂を確認し、投下を命じたのだ。

午前11:02、朝のミサの中、長崎のキリスト教徒は、天主堂上空500メートルで爆発した焼け付く熱放射性の火の玉の中で、煮られ、蒸発させられ、炭化された。グラウンド・ゼロは、日本のキリスト教徒が迫害され、力強く存続している中心地だった。

長崎キリスト教徒の死者総数

天主堂が爆心地であった為、大半の長崎キリスト教徒は生存できなかった。その朝、教会に告解に行っていた人々を含め6000人が即死した。12,000人の教会員のうち、8,500人が、爆撃による直接の結果として亡くなった。三つの女子修道院と、キリスト教女学校一校が黒煙、あるいは黒焦げの残骸の塊となって消え、何万人もの無辜の神道信者や仏教徒達も即死し、何十万人もが重傷を負い、そうした人々の子孫の中には、いまだに猛毒のプルトニウムによって引き起こされる、世代を超える悪性腫瘍や免疫不全による緩慢な死の過程にある人々がいる。

日本の帝国主義政権が200年以上の迫害をもってしても出来なかった日本キリスト教徒殲滅を、アメリカ人キリスト教徒は9秒でなしとげた。現在でさえ、日本のキリスト教徒は人口の1%という少なさで、キリスト教礼拝の平均出席者数は30人だ。戦争最後の長崎殲滅が、一時は盛んだった教会を麻痺させたのは確実だ。


■ 米国によるヒロシマとナガサキへの原爆投下の隠されたストーリー(再掲) 「マスコミに載らない海外記事(2013.7.30)」より
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2011年8月9日 デモクラシー・ナウ!
(※ 前略)
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アンソニー・ウェラー: 彼が何より驚いたのは、実に驚異的なことが色々あったことです。彼は原爆投下から四週間後に、現場に入ったのです。9月6日の午前半ばに彼は到着しまし た。明らかに、いくつかのことで、まだあちこちで燻っている都市の物理的な外観や、原爆攻撃そのものの、特定の標的を狙う正確さに、彼は衝撃を受けまし た。後に彼は、実際、多大な被害は原爆だけでなく、爆撃された時、皆は昼御飯を作っており、多数の木造住宅が燃えだし、火が広がったために起きた火事によってもひき起こされたことを知ります。ある意味、ドレスデンのようなものでした。

廃墟の中を歩き回るうちに、彼は素早く、まだ残っていた、あらゆる病院を訪れ始めました。彼はすぐに、一番にアメリカの医療関係者が現場に皆無だったこと に衝撃をうけています。四週間後、医師も看護婦も皆無でした。そして、日本人医師達が、既に人体の個別臓器に対する原爆の影響の目録を作っていた正確さと入念さに彼は感銘します。

それから数日間にわたり、日本の医師たち同様に、報道で "X病"と呼ばれているものに彼は驚かされるのです。人々が火傷や焦げで苦しんでいるのを見るのは、おそらく、それほど驚くべきことではないでしょうが、 一見、原爆の被害を全く受けていないかのように見える人々、無事に生き残ったように見える人々が、突然具合が悪くなったと感じて、病院に行き、何もできな い医師たちと身内に囲まれ、ベッドに座っているが、彼が翌日再訪すると、彼らが亡くなっていることがわかったり、あるいは、例えば、無傷だったのに、夫に 夕食を作りながら、レモンの皮を剥いていて、運悪く指をわずかばかり切ると、血流中の血小板が余りに減少してしまっているので、血がどうしても凝固できな いため、血が流れ続けて、失血死した女性であったりするのを見るのは違います。

これに似たような症例が延々とあります。日本の医師団全員が、きわめて有能で、戦争が始まるずっと前から、放射能の潜在力について良く知っていて、 全く困惑していたので、ある意味、父は、明らかな破壊や、はっきり火傷した被爆者より、それを一層痛ましく感じたのだと思います。彼は実に巧みな表現をし ています。彼は書いています。原爆の影響、彼らが"X病"と読んでいたものの影響は、治療不可能なので、治ることはないが、診断未確定なので、治療不可能なのだ。



■ 米国が隠したヒロシマとナガサキ 「Democracy Now! (2011.8.9)」より
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(※ リンク先に、字幕動画あり)

植村隆
■ 朝日と植村隆記者よ、反論したらどうですか。 「えんだんじのブログ(2012.10.27)」より
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アメリカ政府は自国の面目を保つために、原爆を日本に投下したおかげで、百万人のアメリカ兵の命を救ったと、でたらめなうその公式見解を戦後50年間発表し続けた。その50年間にこのアメリカの公式見解に堂々と挑戦するアメリカ人はいなかった。ところが原爆投下50年を目前にして一人のアメリカ人がこの公式見解に挑戦した。アメリカ国内に数ある博物館で随一の人気を誇るアメリカ国立航空博物館の新任館長が挑戦したのです。

彼は、1995年(平成7)が原爆投下後50年になるので、それを記念して「原爆展」を開く計画をたてた。日本からも多くの原爆資料が貸与された。ところがこの新史料に基づく原爆展にはアメリカ国内で反対の声が強くなってきた。真っ先に批判の対象の対象になったのが、「原爆展」の分厚いパンフレットの冒頭の文章でした。文章はこう書いてありました。
「この戦争(太平洋戦争)は、ほとんどのアメリカ人にとってドイツ、イタリアの戦争と基本的に違っていた。それは真珠湾攻撃に対する復讐の戦争であった。ほとんどの日本人にとって、それは西欧帝国主義から自らのユニークな文化を守るための戦いであった」
私に言わせれば、この冒頭の文章には全く同感です。ところが、アメリカ国民は、日本が悪で自分達が正義という信念にこりかたまっているので、この文章があまりにも日本よりだと博物館に強い批判を浴びせた。最終的にはこの文章は削除されたのですが、削除後もアメリカのメディアは執拗にこの文章を利用して博物館を批判し続けた。

反対勢力と決定的な対立状態が生まれたのは、原爆投下が100万人のアメリカ兵の命を救ったというアメリカ政府公式見解の博物館側の否定でした。新任館長には、弱みがあった。航空博物館が国立ゆえに予算は、政府の手ににぎられているのだ。結局、これまで強力に「原爆展」に反対してきたアメリカ退役軍人協会と航空博物館側との共同作業で「原爆展」の準備がすすめられることになった。共同準備作業はアメリカ退役軍人協会の主導のもとで行われたようなものです。展示物の説明文などで博物館学芸員と退役軍人との間にニュアンスの違いが出てくるのだ。学芸員の中には不満が出て、博物館を去っていく者もいたし、自発的に準備を助けてくれていた歴史家も去っていったりしていった。

新任館長はじくじくたる思いがあったと思います。「原爆展」の準備もほとんど終わり開始直前、一寸の虫にも五分の魂とばかりに彼は辞職覚悟で反撃に出た。その反撃も原爆投下を肯定する人たちにとって一番痛いところをついてきた。新任館長は、退役軍人教会に「博物館としては、日本本土上陸作戦が敢行された場合。見込まれる死傷者の数は、6万三千名以下であると訂正するつもりである」という声明を発表した。この数字の出所は、1945年6月18日のウィリアム・リーヒー米大統領幕僚長の日記の中で「午後3時半から5時にかけ、大統領は統合参謀本部、陸軍長官、海軍長官、マックロイ陸軍次官とともに日本上陸の必要性について協議した」と書いており、「ジョウージ・マーシャル陸軍参謀長の見積もりによれば、作戦に必要と見積もられる戦闘部隊19万人のうち死傷者は6万3千名、そのうち死者は1万2千名から1万6千名」と書いてあるのです。

新任館長のこの発言には、関係者に激震がはしった。「原爆投下が百万人以上のアメリカ兵の命を救った」と信じて疑わない退役軍人にとって、死傷者6万3千名、死者にいたっては1万2千名から1万6千名という数字は絶対に受け入れられない数字でした。新任館長には、色々な方面から圧力がかけられた。しかし彼は、頑としてこの発言をとりさげようとはしなかった。結局アメリカ政府は、「原爆展」の開催を中止し、新任館長は退任していった。アメリカ政界、メデイァ、退役軍人協会、また国民も、即ちアメリカ全体がアメリカという国家の名誉を保つために、すなわち国家としても面目を保つために歴史の新史実をあえて見ないことにしたのです。私はアメリカ政府のやりかたはきたないと思います。しかしアメリカとして国家の面目を保つためには、新事実を見ないふりをするのもやむをえなかったのかも知れないという気にもなります。

新任館長の男の生き様もすばらしい。彼は国立博物館館長だから国家公務員です。国家公務員なら政府の圧力に弱いはずです。日本国内で国家公務員が政府の意向に反するようなこと貫き通すことができるでしょうか。新任館長は、いったんは政府や在郷軍人協会と妥協したかに見えた、しかし最後は新史実が無視されるくらいならと原爆展中止に追い込み、辞任していった。まさに彼のプライドが許さなかったのでしょう。
(※ 後半は従軍慰安婦関連記事あり)

従軍慰安婦問題
■ オバマ米政権 河野談話見直せば具体的な対応取る 「日本の将来(2013.5.26)」より
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河野談話の見直しをするなと圧力をかけるアメリカ。
理由はいたって明瞭で、アメリカは日本に原爆を投下したことを正当化したいからである
要は「日本という国は原爆を落とされても仕方ないほど悪い国」だと自らを正当化するために「韓国が騒ぐ慰安婦問題」、中国が騒ぐ「南京大虐殺」を間接的に支持しているのである。


■ まだ戦争は終わってない 「qazx」より
  • その日本人に復讐されるかもしれないという恐怖心が、米国による、サヨクや朝鮮人を使った、以後の執拗な対日本人・洗脳工作になった。

例えば、この長崎原爆投下についても、「空襲警報が軍によって原爆投下前にわざと解除された」とか、「大本営は、B29の無線をキャッチしていたけれど、これを放置した」と。

当然米軍に向かうべき非難が、同胞である日本人に向けられるように、悪意に満ちた工作が現在においてもなお・なされ続けている。

それは実際・戦争責任周知徹底計画War Guilt Information Program WGIPに基づいてなされたことが分かっている。


akazukinのブログ」より
■ 広島はなぜ破壊されたか(2010-04-11)
 ● 【広島はなぜ破壊されたか 悪名高き時代の克明な歴史 ユースタス・マリンズ著 (引用掲載2010年4月4日、レンズ・コムにて)】の翻訳。(monosepia)
■ 広島はなぜ破壊されたのか(2010-04-27)
■ 広島はなぜ破壊されたのか 起訴状(1)2010-05-05
■ 広島はなぜ破壊されたのか 起訴状(2)2010-05-06
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■ 8月6日放送NHKスペシャル「封印された原爆報告書」を見て。 「ふじふじのフィルター」より
 ● 広島原爆投下2日目の8月8日には、陸軍省医務局が調査団を組織して、被爆者の調査を開始していた。それは、原爆を落としたアメリカが、原爆投下直後の被害の様子効果を最も知りたいだろうと考えたからであり、投下された国にしか投下直後の調査ができないから投下直後の調査をして米国に進呈し、戦争に負けたものとして少しでもいい心証を得るための外交カードとしたいという動機からだった。
■ 第二次世界大戦が原爆で終わった理由:ジャック・R・ポーウェルズ 「Beyond 5 Senses」より
 ● (本稿翻訳者tamekiyo氏の文章)原爆投下から占領、冷戦期とアメリカの都合の良いように全てが進行し、いまだにアメリカの実質支配下にある日本であるが、今の日本こそが昭和天皇が夢見た日本の姿だったのである。
■ 「生きものの記録」は記録されたか補遺 惑星ソラリスの海に泳ぐイカ(10) +アインシュタインほか 「NY金魚」より
 ● アインシュタイン・湯川秀樹・オッペンハイマーのことが書かれているのだが、私が知った三人の像は裏切り者であり、黒い犬である。(monosepia)